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現代のゲットー潜入記 〜貧困ビジネスとしての工場派遣〜

さて、今回のお話は—

・品川駅でドナドナ。商用車に詰め込まれて「現代のゲットー」へ連行!
・175円のビールと、生かさず殺さずの「給料4万円」の闇
・退職届を残して新幹線に飛び乗った、魂の脱走劇

の3本です。「貧困ビジネスの底から這い出した実録」をお届けします。最後まで読んでくれると嬉しいです。


所持金ゼロのドナドナ

東京で職を転々とし、どこも続かず、ついに家賃も払えない状況に陥った。

俺には「Webマーケティング」という手に職はあった。実績もあった。雇ってくれる会社はいくらでもあったはずだ。

だが、俺の脳と体は、どうしても社会の枠組みに適合できず、強制終了を繰り返していた。

30代半ば。能力はあるのに、生存能力がない。

そんな俺が最後に縋ったのは、大阪府の某都市にある大手自動車メーカーの工場へ行く道だった。「寮完備」「日払い可」。その言葉だけが、俺の生存権を保障してくれる唯一の希望に見えた。

品川駅の新幹線改札前。

派遣会社の担当者が待っていて、俺に新大阪行きのチケットを手渡してくれた。

「これで現地へ向かってください」

当然だ。俺には、新幹線のチケット代すら払える金がなかったのだから。

そのチケットを受け取った瞬間、俺は自分が市場へ「ドナドナ」される子牛になった気分だった。

商用車の連行

新大阪駅に着き、2階にあるあの独特な送迎レーンへ向かう。

かつて、地元のIT企業で働いていた頃には、ここで協力業者の車と待ち合わせ、太陽の塔が見えるとある大学医学部などの現場へ颯爽と向かっていた。あの頃の俺は、間違いなくこの場所の「主」の一人だった。

だが、今の俺を待っていたのは、一台の白い商用車だった。

ハイエースのような大きなバンではない。ADバンかプロボックスか、そんなどこにでもある商用車だ。

出迎えたのは、後に寮の「見張り」となる派遣会社の社員2人。

そして同乗者が一人。年の半分は海外を放浪し、金が尽きたら帰ってくるという男だった。

彼はボロ服以外、荷物を持っていなかった。

俺も似たようなもんだ。

かつて登山に熱中していた頃に使っていた、ドイツのブランド「VAUDE(ファウデ)」のバックパック。そこに全財産と着替えを詰め込み、商用車の後部座席に押し込まれる。

頑丈さが自慢の登山用ギアが、場違いなほど虚しく見えた。

狭い商用車の中で、俺たちは無言で運ばれていく。

辿り着いた寮も、そこから通う工場も、最寄り駅からは徒歩30分以上かかる場所にあった。

自転車も車も持たない俺たちにとって、そこは完全なる「陸の孤島」だった。

家畜の配給

そこが俺たちの「収容所」だった。

部屋に入ると、1週間分の食料が置かれていた。カップラーメン、レトルトカレー、サトウのご飯。

「これで最初の給料まで生き延びろ」という、あまりにも露骨な配給。

部屋は1Kの和室で、コンロ、電子レンジ、冷蔵庫、布団は完備されている。

最低限の生存は保障されている。だが、それ以上の自由はどこにもない。

でもさ、一文なしの自分にとっては救いだったのも事実なのよ。

吹き溜まりのリアル

研修で出会った連中は、意外にも若者が多かった。

体力仕事だから当然かもしれないが、働き口が見つからない若者たちが、全国からここに吸い寄せられていた。

研修では自分の所属派遣会社と氏名を大声で叫ぶ機会があった。声が小さければ不合格なので、とにかく全力で声を張り上げた。それが研修として何の意味があるかは分からなかったが、おかげでそこにいる若者たちがどの派遣会社から来ているかを知ることができた。

どこの派遣会社も、「寮・日払い・支度金」をエサに人間を集めているところばかりだ。

そこは、社会のセーフティネットのふりをした、巨大な「貧困ビジネス」の集積地だった。

時計との戦い

いよいよライン投入。

目の前を流れてくるのは、とある大手自動車メーカーのOEM車であり、かつて「最小サイズ」をウリにCMが打たれていた、あの小型車の「運転席ブロック」だ。

立ったまま、目の前の「かんばん」の指示に従い、ひたすらスイッチパネルをはめ込んでいく。

作業中、俺は「無」になろうと必死だった。

最大の敵は「時計」だ。

右を向けば遠くに時計が見える。だが、それを見たら終わりだ。

「まだ1時間しか経っていない」と気づいてしまった瞬間の絶望感は、精神を崩壊させる威力がある。

だから俺は、必死に視線を逸らし、機械の一部になりきろうとした。

8時始業なのに、7時半には持ち場にいろという謎ルール。

ふと顔を上げると、ラインを巡回する正社員の班長たちが目に入る。

彼らはこのシステムの守護者であり、誇り高き「看守」だ。

対して俺たちは、いつか使い捨てられる「部品」。

同じ空間にいても、そこには超えられない階級の壁があった。

監視と逃避

寮の管理は徹底していた。

朝、門のところには派遣会社の社員が立ち、出社をチェックする。

一度、前日遅くまでゲームしすぎて寝過ごしたことがあった。

「ドンドンドン!!」

ドアを叩き割らんばかりの勢いで叩き起こされた。心臓が止まるかと思ったが、おかげで遅刻せずに済んだ

この徹底的な管理がなければ、俺はとっくに脱落していただろう。

生かさず殺さず、遅刻もさせず。現代のゲットーは、実によくできている。

仕事が終わると、俺は逃げるように数字を冠した超有名コンビニへ向かった。

カゴに入れるのは、最低限の食料と、プライベートブランドの一番安いロング缶ビールを4本。

当時、1本175円程度で売られていたその安価な麦の液体は、俺にとって唯一の安らぎだった。

駅から遠く離れた部屋に戻り、それを水のように流し込む。

そして、PCを開く。そこにあるのは、あの国民的な人気を誇るJRPGタイトルのオンライン世界だ。

工場の無機質な音を消し去るように、俺は毎晩、その優しいファンタジーの中へと現実逃避した。

2000円の日払いと、4万円の給与明細

日払いの上限は1日2000円。毎日寮の入り口に立っている派遣会社の社員が手渡しでくれる。食事には困らないが逃げることはできないし豪遊もできない、絶妙な額だ。全部渡したら使い切ってしまう人が多いであろう俺たちにはちょうどいい額ではあるが、ことはそんなに単純ではない。

そして衝撃だったのが、最初の9月の給料だ。

半月以上働いたはずなのに、振り込まれていたのはたったの「4万円」だった。

明細がよくわからない。寮費、光熱費、諸経費……一体いくら引かれているのか。日払いの分が引かれているのはわかるが、少なすぎないか。

これでは金が貯まらない。ここを抜け出す資金すら作れない。まさに「貧困ビジネス」の蟻地獄。

魂の脱走

それでも、一緒に働く仲間と飲み会を企画するくらいには打ち解けていた。

そんな時、東京の友人から「飲食店を始めるから手伝わないか?」という電話が入った。

その瞬間、俺は迷わず全てを捨てて飛びつくことを決めた。

俺は退職届を書いた。「急に退職することになり、大変申し訳ございません」と苦し紛れに記し、それを寮の部屋に残して、寮を後にした。

新幹線に飛び乗った時の解放感。

それは社会人としては最低の行為かもしれない。

だが、あの商用車で連行された俺が、自分の足で新幹線に乗った瞬間、俺は初めて「人間」に戻れた気がしたんだ。

雨露をしのぐ場所

今振り返れば、あそこは現代のゲットーであり、搾取の構造そのものだった。

「働けば自由になる」なんてスローガンはなかったが、空気感は完全にそれだった。

だが、同時にこうも思う。

あの時、家賃も払えず路頭に迷いかけていた俺に、雨露をしのぐ場所と、最低限の食料、そして仕事を与えてくれたのは、紛れもなくあの場所だった。

社会から弾き出された人間にとって、あそこは最後の「隠れ家」でもあったのだ。

俺はVAUDEのバックパックを背負い直し、次の「泥舟」へと足を踏み出した。


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