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【自己紹介】脱線と復活を繰り返した40年と、これからの決意

4年で10社、最短で数日。僕は「普通に働く」ことができなかった。

はじめまして、「はざま」と申します。
40代の今日まで、ずっと「普通」というレールに乗ろうとして、脱
線と復活を何度も繰り返してきました。

かつては仕事で成果を出し、会社の中心メンバーとして活動していたこともあります。近年でも生活保護から復活して、勢いのあるIT企業で安定を手にした時期もあります。

でも、その裏ではいつも、人には言えない息苦しさを抱えていました。

今はAIをいじり倒しつつ、自分の凸凹な特性を面白がりながら、一歩ずつ進み直しているところです。


知能検査の結果ー46ポイントの大きな落差

40代になってから知能検査を受けた時、僕の人生の「謎」が一つ解けました。

WAIS-IVという知能検査によれば、「記憶力や理解力」は非常に高いのに、「処理の速さ」は平均以下。その差、実に46ポイント。これを「ディスクレパンシー」といいますが、46ポイントもの差を持つ人は結構レアみたいです。

AIの分析によれば、典型的な2E傾向(二重に例外的な特性を併せ持つ人)らしいです。

全検査IQ(FSIQ): 124
言語理解(VCI): 126
知覚推理(PRI): 126
ワーキングメモリー(WMI): 131
処理速度(PSI): 85

僕の場合、幼少期から周りに「のんびり屋」と言われ、じっくり物思いに老ける(妄想する)のが好きで、「ぼーっとしてるね〜」とよく言われていました。

算数国語理科社会みたいな座学系の学問は得意でしたが、体育を筆頭に実技系の教科は不得手でした。

ソフトボール投げは学年最下位、水泳をさせてもクロールのタイムは学年ビリ、みたいな。たぶん協調運動障害の気があって、動きが滑稽に見えるのか、周囲によく笑われていました。

小学校や中学校の時代は比較的楽しく過ごしましたが、高校で対人恐怖症を発症し、僕は外界から心を閉ざしてしまいました。この頃は帰宅してからのTVゲームだけが僕の心の拠り所でした。

マーケティングでの成功、部長昇格と転落

両親に支えられて国立大学に進みましたが、結局、対人恐怖症を引きずっていて馴染めなかったことやインターネットやアルバイトにハマったこともあり中退しました。

その後、地元の小さなIT企業に運良く拾われることに。鳴かず飛ばずの数年を送ったのち、「Webマーケティング」という武器に出会い、会社の売上を3億以下から8億まで成長させるのに大きく貢献しました。

その頃、縁に恵まれて結婚することもできました。

ただ、業績が評価され部長になったあたりから暗雲が…。その頃はデパスという抗不安薬に頼って無理をして「できる人」を演じようとしていました。しかし、次第にツケが回ってきました。

ある夜、経営者と意見がぶつかって大喧嘩し、僕は「5000円札をテーブルに叩きつけて」飲み屋を飛び出してしまいました。

最終的には燃え尽きてしまい、抑うつ状態となって半ば追い込まれるように休職。程なくして10年以上在籍した会社を退職しました。

東京漂流ー職を転々とし、社会の裏側を知る

30代中盤以降、僕は離婚や自己破産を経験し、環境を変えようと地方から上京しました。

しかし、うつ状態を引きずっていたことや、「東京の通勤」に馴染めなかったことから、10社以上の職を転々とすることになってしまいました。

・掃除機メーカーの営業補助(派遣)
・大手通信企業(派遣)
・IR支援ベンチャー企業(正社員)
・フリーランスへの挑戦
・大阪の自動車工場のライン工(派遣)
・飲食店のIT担当(契約社員)
・小さな広告代理店の広告デザイナー(派遣)
・大手人事関連企業(派遣)
・大手携帯通信企業(派遣)
・温泉地の高級温泉旅館のフロント補助(派遣)

4年で10社。最も続いた仕事で1年、一番短いものでは数日でした。ずっとIT業界にいたのに、自動車工場のライン工や温泉旅館のフロントまで経験しました。

皮肉にも様々な世界を肌で体験し、社会の裏側を知ることになりました。

この頃はとにかくお金も気力もなく、なんとかしたいけどなんともならない焦りで、日々生き延びるのに必死でした。

生活保護と就労移行支援からの復活

最終的に僕はADHD/ASDグレーの診断を受け、生活保護を受給するまで堕ちました。

世間からは「脱落」と言われる状態でしたが、あの時間は、ボロボロになった僕の心にとって、絶対に必要な「再起のための休憩」でした。

都内のワンルームで、ただひたすらにゲームの世界に浸り、時々「掃除のおばちゃん」に助けてもらいながら、生活を維持し、就労移行支援に通う。

「俺は必ず這い上がってやる」

そう自分に言い聞かせながら、底の底で体力を回復させていきました。

障害者雇用は全く考えませんでした。「俺は必ずできるはずだ」と信じ、人生最大の努力をして30社以上に応募し、十数社の面接を受け、無事社会復帰を達成しました。

上場IT企業での安定と挫折、自分らしい生き方を探して

イケイケのIT企業への再就職に成功し、一時は安定を手にして年収も700万に迫るほどに上がり、最初の2年は会社組織で「居場所」を得ることができました。

また、良い縁に恵まれ、再婚することもできました。

しかし、組織変更をきっかけに適応障害となり休職を繰り返すことに。振り返ってみると、その会社での前半は僕が安心して働けて力を発揮できる環境がある程度ありましたが、後半はモロに自分が苦手とする職場環境でした。

常に大きな数値目標と声のでかい上司という圧があり、暗にスピード感と長時間労働を要求される日々。

休職から復帰した後は配慮され、窓際でのんびり仕事をしながら「AIによる業務自動化」で評価され、一旦は自分の居場所を見つけたように思われました。

しかし、職場環境や会社の文化そのものが受け付けなくなっており、じわじわメンタルを削られ、結局退職という道を選びました。

退職後数ヶ月はメンタルの回復にあてていましたが、回復してきてじっくり考えた結果、僕はこんな結論に達しました。

「誰かが作ったレールに乗るのは、もうやめよう。自分に合った働き方を全力で探してみよう」と。

幸い僕は、前職で働いていた頃から、AIを使っていろんな作業を自動化したり、何かを作ることが得意でした。そして、それがとても楽しかったのです。そこに全力を注いでみようと決断しました。

妻の後押しもあって中古のM1 MacBook Airを買い、ほどなくClaude Codeをインストール、以後、AIを使ってアプリを作ったり、AIエージェントで様々な作業を自動化することに没頭してきました。

その過程で、僕はこれまでの自分の人生を徹底的に振り返ることで、何か得るものがあるのではないかと思いつきました。「自分博士になってみよう」と。

Claude CodeやGemini、CodexやCursorをインタビュアーとして、自分の過去を徹底的に思い返して記録する作業を続けました。

その作業に没頭した1ヶ月は、僕の人生でも最も画期的な時間のひとつでした。

そこで、自分のこれまでの人生を振り返った結果や、今AIを使って自分の道を見つけようとする過程をnoteで発信してみようと思い至り、今に至っています。

事実が確率を裏切るまで続ける

僕は今、毎日少しずつ「自分にできること」を形にしています。

これまで迷惑をかけた人や、どん底の僕を見捨てなかった妻に恩返しをしたいという気持ちもあります。そのために、今は一歩ずつ進んでいます。

もし、あなたが今、何かに躓いているなら、僕の悪あがきが何かの役に立てば良いなと思っています。

僕は、人より少しだけ頭が回る瞬間もあれば、幼稚園児のように動けなくなる瞬間もあります。

正直、独立して成功する確率が低いことは僕もよくわかっています。でも、諦めたらそこで試合終了です。成功した人は諦めずに続けた人だけです。

「事実が確率を裏切るまで」これからも悪あがきしていきます。

特性を武器にして、笑って生きる。そのための泥臭い記録をすべて公開しています。この男の歩みを横で見届けてくれる人は、フォローしてくれたら嬉しいです。


おまけ:僕にできること(お仕事・ご相談)

僕はAIを駆使して、「動くもの」を作るのが得意です。それから、PCを使って何かを作ったり効率化するのが得意です。

また、IT全般の知識やWeb、マーケティングの知識もあります。

■主な経験
・BtoBマーケティング(10年以上)
・Webディレクション(5年以上)
・PC、サーバー業者のセールスエンジニア(10年以上)

■主な使用ツール、サービス
Claude Code、Codex CLI、Gemini CLI、OpenCode、Cursor、Antigravity、NotebookLM、各種LLM API、Cloudflare、Supabase、githubなど。

■ 小さなアプリやWebサイトの制作
「こんなのがあったらいいな」というアイデアを、AIと一緒に形にします。

■ 業務の「面倒くさい」を自動化する
日々のルーチンワークをAIで仕組み化し、あなたの自由な時間を増やします。

■ 僕を「研究対象」として使ってください
「大きな凸凹とどう付き合っているのか」「社会不適合者の生き方」などを研究したい専門家や支援者の方、大歓迎です。僕のデータを好きに解析してください。

お問い合わせは、XやnoteのDMからお願いします。


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