自己分析ー「昆虫博士」と呼ばれた子供が、40年以上経ち「自分博士」に。
もう、遠い記憶から掘り起こした話なんだけど、小学校1年くらいの時、俺は周りから「昆虫博士」って呼ばれていた。
その頃は、ファーブルっていう有名な昆虫学者が書いた『ファーブル昆虫記』を読んだりとか、まあこれは誰しもやってたかもしれないけど、クワガタとかカブトムシを捕まえて家で飼ったりとか、アリの巣をずっと眺めてその社会のルールを観察したりとかしてた。
正直、途中で巣を破壊したりもしてたから、まあ悪魔だったんだけどね。
でも、そうこうするうちに1、2年くらいで飽きちゃったんだよね。小4くらいになるとファミコンとジャンプに夢中になって、昆虫のことはすっかり忘れてた。

興味が移り変わる人生
思えば俺の人生って、「のめり込んで、飽きて、次に行く」の繰り返しだったんだよね。
昆虫、宇宙、ゲーム、ネットチャット、音楽、車、登山、AI開発…
一つのことを極めた試しがない。飽きっぽいし、続かない。ADHD的って言われればそうなんだろうと思う。「何者にもなれない」っていう焦りが、正直30代まで俺を苦しめてたんだよね。
40年以上かけて見つけた「研究対象」
でも40歳も過ぎたぐらいで、ようやく偶然ではあるんだけど、一番飽きない研究対象に出会えた気がする。それは何かっていうと、自分自身だ。
いろいろあって、2023年頃から、とある精神科医の先生とずっと対話を続けてた。それで自分の特性を掘り下げ始めたんだよね。
俺はそのちょっと前にWAIS-IVっていう知能検査を受けたことがあって、そこで全体的に知能は高めではあるけど、処理速度が凹んでいるってことを知った。いろんな角度から自分をデータで分析してみたりもした。
自分にとって大きかったのは、ここ2年ぐらいのAIとの出会いだ。AIに話しかけて、いろんな相談をしたり、壁打ち役をやってもらうことで、思考が整理できた。自分が何者で何を考えているのか、構造化して理解できるようになった。
それで今は、AIと対話しながら、自分の人生を言語化して、構造化して記録し続けている。その結果、今では20万文字を超える人生ストーリー記録が手元にある。

昆虫を観察するのと同じ手法
やってることは、あの頃と変わらないんだよね。
アリの巣を眺めて「なぜこう動くのか」って考えてたのと同じように、自分の行動パターンを観察して「なぜこう反応したのか」を考えてる。
クワガタを分類してたのと同じように、自分の特性を分類してる。処理速度の凹、ワーキングメモリの凸、感覚過敏の濃淡…
違いがあるとすれば、研究対象が虫から自分に変わっただけだ。
「自分博士」への道
「昆虫博士」が「自分博士」になった。
40年以上かかったけど、俺はようやく一番複雑で、一番データが豊富で、一番アクセスしやすい研究対象にたどり着いたんだよね。自分っていう名の「検体」は、何十年分ものログを持ってる。失敗の記録も、成功の記録も、全部ある。
これ、もしかしたら一番面白い研究かもしれない。
少なくとも、飽きる気配がない。
自分のトリセツは最強の武器かもしれない
この話が誰かの参考になるかは正直分からない。「自分を研究対象にする」なんて、病的なナルシストに聞こえるかもしれないしね。
でも俺は思うんだよね。自分を知らないまま生きるのって、取扱説明書なしで複雑な機械を操作するようなものだ。どこが弱くて、どこが強くて、どうすれば壊れないかを知らなければ、最適な使い方はできない。
40過ぎてようやく、自分の取扱説明書を書き始めた。
遅すぎるかもしれない。でも、書かないよりはマシだと思う。
特性を武器にして、笑って生きる。そのための泥臭い記録をすべて公開
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