営業で詰んだADHD/SADの俺が、マーケティングをやったら評価が180度変わった話
ある日、俺はトイレでワンカップをあおっていた
便座に座って、ワンカップのフタをひねる。
ゴクゴクゴク。
喉を焼くアルコールが、胃の奥底で「今日も戦える」という偽の勇気に変わっていく。
……これは、映画のクールなシーンじゃない。ここまで追い詰められた自分に、初めて気づいた瞬間だった。

酒の匂いを消すために缶コーヒーで口をすすいで、受付で笑顔を作って、担当者を呼び出す。打ち合わせスペースで資料を広げて、「先週ご提案させていただいた件ですが」なんて話し始める。でも、心臓がバクバクしてる。胃が鉛みたいに重くて、脂汗が背中を流れてた。
営業という仕事は、俺にとって地獄だった。
大学に馴染めず中退して、縁あって地元のIT企業に拾ってもらった。配属されたのは営業部門。でも、向いてなかった。というか、向いてないどころか、身体が悲鳴を上げていた。
なぜ営業で詰んだか
今思えば、あれは「根性が足りなかった」とか「努力が足りなかった」って話じゃなかった。俺の性格と仕事の相性が、絶望的に悪かっただけだった。
まず、そもそも人と話すのが怖かった。
幼稚園の頃から教室に入るのが怖くて廊下に座ってた男だ。先生に誘われるまで動けなかった。クラスメイトが教室でワイワイやってる横で、俺は廊下の端っこで地蔵になってた。先生が「はざま君、入ろうか」って手を引いてくれるまで、ずっと固まってた。
高校では対人恐怖症になった。教室に入るだけで動悸がして、冷や汗が出た。クラスメイトの視線が全部「攻撃」に見えた。「あいつ変なやつだよな」って後ろで言われてる気がして、誰とも目を合わせられなくなった。
……いや、ただの根暗の極みなのかもしれないけど。
そんな俺が、なぜか営業に配属された。人と話すのが怖いのに、人と話すのが仕事。地獄でしかない。
電話で相手の反応を待つ数秒が拷問だった。会議で急に話を振られるとフリーズした。断られるのが怖くて、相手の顔色ばかり伺ってた。
さらに、「断るのが苦手」っていう性格も追い打ちをかけた。相手に嫌われるのが怖くて、無理な要求も受けてしまう。「次回の打ち合わせまでに資料作っておいて」「来週までにこの仕様で見積もりお願い」って言われると、「いや、ちょっと時間が……」って断れずに「はい、わかりました」って言っちゃう。で、帰社してから「どうやって間に合わせるんだ……」って頭抱えてた。

あと、頭の回転が遅かった。
10年くらい後に、ADHDグレーと診断され、WAIS-IVって知能検査を受けた。結果を見て、納得した。
処理速度(その場でパッと反応する力): 85
平均が100だから、俺は平均以下。その場で即答するのが苦手ってこと。
営業って、まさに「その場で即答」の連続じゃん。相手の言葉に即座に返す。空気を読んで話題を変える。急な質問にも詰まらずに答える。
でも俺は、頭の中で答えを組み立ててる間に、会話が先に進んでた。相手の顔が「こいつ、大丈夫か?」って曇るのが見えた。
対人恐怖 × 断れない性格 × 頭の回転が遅い
この三重苦で、営業は完全に地獄だった。
ただ、持ち前のITリテラシーと、「顧客の相談に対して提案内容を組み立てること」はそこそこ得意だったので、それでなんとか生き延びていた。
マーケティングへの異動
ある日、社長に呼ばれ、こう言われた。
「マーケティングをやってみないか?」
その会社にはマーケティング担当はおらず、マーケなんていう概念もなかったが、社長はWEBマーケティング(ネットで商品を売る仕組みづくり)に希望を見出しているようだった。
千載一遇のチャンスだと思った。
営業の苦しみから抜け出せるかもしれない。
結果的に、これが人生最大の転機になった。
なぜマーケで勝てたかを発達特性で解剖する
マーケティングの仕事を始めて、最初に感じたのは「あれ、なんだか気が楽だぞ」だった。
営業では毎日がサバイバルだった。
でも、マーケは違った。
その場で即答しなくていい。
記事を書くのに2時間かかっても、誰も文句を言わない。戦略を練るのに1週間かけても、それが成果につながればOKだった。処理速度が遅くても、誰も責めない。
対人恐怖も問題にならなかった。
画面の向こうの「見えない誰か」に向けて書けばいい。目の前に人がいないから、動悸もしない。冷や汗もかかない。視線に怯えることもない。
断る必要もなかった。
営業みたいに「相手の要望に応える」んじゃなくて、「こっちから仕掛ける」仕事だった。自分のペースでコンテンツを作って、検索エンジンに拾ってもらう。相手に嫌われる心配もない。
つまり、自分のペースでじっくり考えられる。俺みたいに頭の回転が遅くても、誰も文句を言わない。
……まあ、そりゃ天国だよね。
さらに言うと、自分の強みが活きた。
後に受けた知能検査で、言語理解(言葉で考えたり説明したりする力): 126だった。平均よりかなり高い。
マーケって、まさにそれが必要な仕事だった。商品の価値を言葉にして、文章で伝える。これは得意だった。相手の気持ちを想像して、響く言葉を選ぶ。頭の中で何度も組み立て直して、一番しっくりくる表現を探す。
それと、幼少期の地図好きも影響してた気がする。
俺、小さい頃から地図を眺めるのが好きで、全体を見渡して「ここにこれがある」って把握するのが得意だった。マーケも同じで、市場全体を眺めて「どこにお客さんがいるか」を見つけるのが楽しかった。
……いや、ただの地図オタクなんだけど。
あと、大学時代に個人ホームページを作ってた。
当時、個人ホームページが流行ってた頃で、俺もHTMLを手打ちでいじってた。だから、WEBの知識があった。これが、マーケティングの仕事でそのまま使えた。
営業で詰んでた理由が、全部消えた。
営業では「処理速度が遅い」「対人恐怖」「断れない性格」が全部ネックだった。でも、マーケでは、それが問題にならなかった。むしろ、じっくり考える力が活きた。
マーケティングは、俺にとって「天職」だった。
「誰も信じなかった仮説」

会社は、あるIT機器の特殊仕様を扱ってた。
通常の量販店では絶対に売ってないような、マニアックな需要に応える商品だった。大手メーカーがとっくに販売をやめてしまった古い作りの機器とか、高度な科学技術計算向けにちょっとチューニングしたコンピュータとか。あくまで顧客からの要望を受けて製作したものだ。
ただ、それを地元のローカル企業(といっても世界的メーカー)にだけ販売していた。
俺は思った。
「地元にこのニーズがあるなら、全国にもあるんじゃないか?」
エンジニアに相談したら、「こんなの誰が買うの?」って言われた。
社長に相談したら、「売れないだろう」って言われた。
……まあ、そりゃそう思うよね。地方都市でしか売れてないマニアック商品だし。
でも、俺はやってみた。
WEBサイトに事例と問い合わせフォームを設置した。検索で引っかかるようにキーワードを狙って、広告も回した。SEO対策もして、とにかく「見つけてもらう」ことに全力を注いだ。
そしたら、問い合わせが徐々にポツポツ来始めた。
最初は月に数件。
それが10件になり、20件になった。
地方の大学、研究機関、企業の開発部門。
「こういうの探してたんです!」って声が届いた。
殺到したわけじゃない。でも、確実にニーズはあった。地元だけじゃなく、日本中に、同じように困ってる人たちがいた。
そのビジネスがが次第に大きくなり、別の事業もうまくいったことことから、気づいたら、会社の売上が3億から8億になってた。おまけに、利益はほぼトントンだったところから営業利益率10%超えになっていた。個人的には、こっちの方がでかい。なんせ会社のお金に余裕があるのでボーナスとか上がるからね。
……まあ、「俺のおかげ」とは言わない。俺が主導した事業と、社長が引っ張った別事業が両輪だったし。現場のエンジニアや営業メンバーたちが地道に積み上げてきた実績があってこそだった。
でも、マーケティングという武器が、その積み上げを一気に加速させたのは間違いなかった。
置かれた場所が変わり、評価が180度変わった
俺はその会社で「営業」をやっていた頃、人間として壊れかけていた。汗が噴き出して、胃が重くなって、声が震えて、結果が出ない。それでも「これが社会だ」と思って、毎日を耐えていた。
そんな俺が、マーケティングに異動したら、いきなり評価された。
別に努力量が増えたわけじゃない。むしろ、営業時代より働いている時間は短い。汗もかかないし、胃も痛くない。それなのに、上司は「すごいな!」と言ってくれるし、売上も伸びた。
同じ人間なのに、置かれる場所で評価が180度変わった。
——つまり、こういうことだ。
「合わない場所で戦ってた」から詰んでただけ。
「合う場所に移った」から勝てた。
営業時代の俺は、リアルタイムでの判断力とスピード感が求められる戦場に放り込まれていた。電話対応、急な質問、その場での交渉——これ、俺の処理速度(PSI 85)では絶対に勝てないフィールドだ。
でも、マーケティングは違った。
自分のペースで考えられる。資料を作る時間がある。データを分析して、ロジックを組み立てる時間がある。じっくり考えることが許される環境だった。
要するに、俺が「ダメな人間」だったんじゃない。
俺を「ダメ」にするフィールドにいただけだ

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