生活保護から復職した僕が学んだ3つのこと
「日本の福祉制度って、こんなにすごかったのか」
30代後半のある夏、僕は本気でそう思った。
その頃の僕はうつ病の発症を経て、2年で10社近く転職を繰り返した挙句、最後の会社をクビになり、場末の相部屋シェアハウスにたどり着いたところだった。そこで生活保護の申請をすることになるのだが、今日は、その時に学んだことを書いてみる。
どん底の日々
まず、当時の状況を説明しておく。
僕が住んでいたシェアハウスは、下町の駅前の雑居ビルの2階にあった。繁華街の裏手にあって、昼間は人通りが多いけど、夜は静かになるような場所。窓を開けると、居酒屋の換気扇の音と、たまに酔っ払いの声が聞こえてきた。
3LDKの部屋をドミトリー形式で分割していて、リビング以外の部屋にはベッドだけが置いてある。プライベート空間は、カーテンで仕切った自分のベッドの上だけ。家賃は覚えていないけど激安だ。
住人は訳ありの人ばかりだった。統合失調症のおっちゃんと「そばの茹で方談義」で仲良くなったり。リゾートバイト待ちの若い子とも少し話したりとか。みんな、何かしらの事情を抱えてここにいる、そういう場所だった。
そこでの楽しい思い出はほとんどなかったけれど、2018年のサッカーW杯を夜中に住人3人で観戦したのが一番の思い出だ。狭いリビングで、小さなテレビを囲んで。ベルギーに逆転負けした瞬間、3人で叫んだ。あれは本当に悔しかったし、あの時だけは、人生の底にいることを忘れられた気がする。
ふだん、日中はベッドのカーテンを閉め切って、ひたすらオンラインゲームをしていた。なんとかここから抜け出す道を考えてはいたんだけど、答えが見つからないまま、だらだらと時間が過ぎていった。時間の感覚もあいまいで、気づいたら夜になっていて、気づいたら朝になっていた。財布の残りは1万円を切ろうとしていた。

生活保護の申請までの経緯
生活保護は、主治医の勧めで申請した。
先生に仕事の状況と手持ちのお金を正直に告白したところ、こう言われた。
「あなたは一度生活保護を受けて、立て直した方がいい」
そう背中を押されて、福祉事務所に行った。正直、「これで楽になれる」という気持ちの方が強かった。もう自分一人じゃどうにもならないことはわかっていたから。
ケースワーカーさんは思ったより親切だった。事務的じゃなくて、ちゃんと話を聞いてくれた。主治医の後押しが大きかったのか、手続きはスムーズに進んで、8月に生活保護が決定した。
決定の連絡が来た時、僕が感じたのは純粋な安堵だった。
「これで、とりあえず死なずに済む」
自分だけの空間
でもまあね、生活保護が決まってから、僕の人生は少しずつ変わり始めた気がする。
まず、まともに住める場所ができた。相部屋のシェアハウスを退居し、大きな公園の近くにある、古いワンルームに入居できた。窓を開けると、遠くから子供の声が聞こえてくるような、のんびりした住宅街だった。
部屋は狭かったけど、超小型のキッチンとミニ冷蔵庫がついていた。シェアハウスから引っ越して、初めて「自分だけの空間」ができた。
カーテンじゃなくて、ちゃんとしたドアがある。鍵がかかる。
それだけで、心が落ち着いた。
「まともな部屋に住めた」という安心感は、想像以上に大きかったんだよね。
家具支度金という制度で、ソファやテーブルやマットレスも買えた。約4万円。その4万円で、人間らしい生活を取り戻せたのはとてもありがたかった。自分の部屋で安いチューハイを飲む。それだけのことが、すごく贅沢に感じた。
なお、ソファやテーブルが欲しかったせいでまともな洗濯機が買えなかったのはご愛嬌である。

医療扶助のおかげで、歯医者にも耳鼻科にも行けた。転職を繰り返してボロボロだった身体を、ようやく点検できた。虫歯を治して、副鼻腔炎の薬をもらって。公共交通機関も無料で使えて、これも地味に助かった。
「生きていていいんだ」という安堵感。
この感覚を味わったのは、人生で初めてだったかもしれない。
日本という国は、本当にセーフティネットが整っているんだなと思った。住む場所をくれて、飯を食わせてくれて、医療も受けさせてくれる。僕みたいな、社会からはみ出した人間でも、拾い上げてくれる仕組みがある。
「日本の福祉制度って、こんなにすごかったのか」
これは大げさじゃなくて、心の底からそう思ったことである。
さて、ここから本題。生活保護を受けて学んだ3つのことを書いてみる。
1. セーフティネットは恥じゃない
これが一番大きい。
生活保護を受ける前の僕は、「生活保護 = 人生の敗北」だと思っていた。縁のないものだとも思っていた。でも実際に受けてみたら、それは違った。
生活保護は「終わり」じゃなくて、「立て直すための土台」として機能した。
それまでの自分はその日1日を生き延びることで必死だったけれど、住む場所がある。飯が食える。医療費も出る。その安心感があるからこそ、次のステップを考える余裕が生まれた。
底にいる時は、「這い上がる」なんて考えられない。毎日を生き延びるので精一杯だ。まず「沈まない」ことが大事で、そのための浮き輪が生活保護だったのかもしれない。
2. 自分の特性と向き合う時間をもらえた
生活保護を受けてから、僕はとある発達障害専門の就労移行支援事業所に通い始めた。自分の特性を理解しながら、就職に向けた準備をする場所だ。
正直に言うと、そこには結構特性が強い人が多かった。「一般雇用は絶対無理だろうな」という人が結構いて、ほとんどの人は障害者雇用での社会復帰を目指していた。それすらきついんじゃないかという人もちらほらいたように思う。
僕はその中で、ちょっと浮いていた。得意不得意がとにかく極端なのはわかっていたけれど、なぜここにいるのかが理解できない部分もあった。
最初は全然通えなかった。それまでの仕事の失敗でメンタルが病み、出社拒否のような症状が染み付いていたのだ。朝起きて、準備して、駅まで歩いて、電車に乗る。それだけのことが、どうしてもできない。布団から出られない日が続いた。
担当スタッフには「能力云々以前の問題ですね」と言われて、障害者雇用を勧められたこともある。
でも僕は、何があろうと一般雇用しか考えなかった。
こういうことを言うと反感を買うかもしれないけど、正直に書く。
障害者雇用は基本的に契約社員がほとんどで、待遇も能力関係なく厳しい印象がある。生活保護と大差ないんじゃないかと思っていた。「最後の最後の最後の手段」としか考えられなかったんだよね。
しかも、障害者雇用は一般雇用より「勤怠の安定」を重視されると聞いた。毎日決まった時間に出社できること。それが一番大事だと。
それを聞いて、僕は「どっちにしろ無理だ」と思った。
自分の能力を活かせる可能性が低い。待遇も良くない。そして何より、自分の一番苦手なこと(毎日決まった時間に出社すること)を、一番求められる。三重苦だった。
何より、「障害者だと認めたくなかった」というのが正直なところだ。
自分はもっとできるはずだ。まだやれるはずだ。
そういう気持ちがあった。障害者手帳を持ったり障害者雇用に進むことに、ちょっと抵抗感があったし、今でもその気持ちはあまり変わっていない。
けれども現実は就労移行支援にすら通えないというギャップがそこにあった。担当スタッフと話し合いながら、まず「連絡する訓練」から始めた。行けない日は、とにかく連絡だけする。それだけ。それすら最初はできなかったけど、少しずつできるようになった。そして、主治医の先生の治療のおかげもあり、少しずつ通えるようになった。
この期間、僕は初めて「自分の脳の特性」と向き合った。なぜ朝起きられないのか。なぜ出社拒否が起きるのか。なぜ同じパターンで潰れるのか。
生活保護で生活が保障されていたからこそ、この「自分を知る時間」を持てた。働きながらだったら、絶対に無理だったと思う。
3. 福祉の支援があったからこそ立ち直れた
これは逆説的な話だ。
僕は生活保護を受けながら、ずっと「一般雇用で復帰する」と決めていた。周りからは「障害者雇用を考えた方がいい」と言われたけど、頑なに拒否し続けた。
今思うと、この「プライド」は、僕にとっては良い方に作用した。けど、プライドを曲げてでも生活保護を甘んじて受け、福祉の支援は受けつつも「一般雇用で復帰する」というプライドは守り続けていたといった感じだ。
結局、自力で就職活動をして、一般雇用で就職できた。30社応募して、13社面接して、最終的に内定をもらった。内定の連絡が来た時は、心底嬉しかった。なんとか這い上がりたくて、人生で一番努力した時期だったと思う。
今の僕
あれから数年経った。
今の僕は、あの頃とは全然違う場所にいる。結婚もした。あの時就職した会社は辞めたけれど、また新たな道を進んでいる。まだ課題は山積みだけど、少なくとも「希望を持って生きている」という感覚はある。
あの時、生活保護を受けていなかったら、今の僕はいなかったと思う。だから、この日本という国の福祉システムには本当に感謝している。
セーフティネットに助けられて、立て直す時間をもらって、自分の特性を理解して、そこから再スタートを切れた。そして税金で養ってもらう側から、自分が税金を払う側に戻ることができた。
福祉を使うことは、立ち直るための土台
生活保護に国民の税金が使われることには賛否両論あると思うが、誰しもがいつメンタルを病んで働けなくなるかわからないような時代である。
だから僕は書いておきたい。
福祉に頼ることは、恥じゃない。むしろ、そこから立ち上がるための土台なんじゃないかと思う。
日本という国は、落ちた人間や、なんらかの理由で働けなくなった人間を拾い上げる仕組みを持っている。完璧じゃないかもしれないし、僕の運が良かっただけかもしれないけど、少なくとも僕は、その仕組みに救われた。
「日本の福祉制度って、こんなにすごかったのか」
僕は今でも、本気でそう思っている。
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