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【SAD】高校時代の孤独を救った「セガサターン」という名前のシェルター

これはかつて「セガ」というゲーム会社に惹かれながら、真のセガ派にはなれず、ただ、セガの放つゲーム機を「シェルター」として利用していた男の記録である。


1994年春。
世間は『ファイナルファンタジーVI(FF6)』で沸き返っていた。

そんな中、俺は教室の隅で、心の中でこう呟いていた。
「俺には『ファンタシースター 千年紀の終りに』がある」と。

俺はメガドライバー(セガ信者)だった。 任天堂やスクウェアが作る「優等生的な名作」よりも、セガが放つ「尖った異端児たち」の方がカッコいいと信じていた。 『ガンスターヒーローズ』の超高速アクションや、『シャイニング・フォース』の重厚な戦術こそが、俺の美学だった。

……でも、本音を言えば、揺れていたんよ。 たまたま親友の家で見た『FF6』の画面や戦闘曲がカッコよくて、メガドライブにはない演出の良さに気づいてしまったから。

「俺はセガ派だ」と胸を張りながら、横目でチラチラとメジャーな世界を覗き見る。 この「どっちつかずのコウモリ」のようなスタンスが、俺の人生の原点だったのかもしれない。

ゲームギアから始まった「隠れキリシタン」

俺がゲームにハマった原点は、小学生の頃の『ドラゴンクエストIII』だ。

アレフガルドの闇も、ゾーマの存在も最初から知っていたけど、それでも楽しかった。

当時は「ゲームは1日1時間」という鉄の掟があった。 『FF3』のラストダンジョンなんて家では絶対にクリアできないから、友人の家に入り浸って3時間かけてエンディングを見たのを覚えてる。

中学に入ると、親の教育熱心さが加速し、ついに「ゲーム禁止令」が出された。

でも、禁止されると余計に燃えるのが、俺という人間の性分(さが)だ。 俺は隠れてプレイすることにした。 選んだ武器は「ゲームギア」。セガが出した、燃費の悪いカラー携帯機だ。 布団の中に潜り込み、親に見つからないように画面を覗き込む。 その背徳感が、ゲームの味をさらに濃くした。

当時、仲の良かった友達がセガ信者だった影響もあるけど、何より「みんなが持っていないもの」を選ぶことに優越感を感じていたんだと思う。 任天堂はみんなのものだけど、セガは「俺たちだけのもの」だったから。

でも、ゲームギアは遊べるソフトが少なすぎた。 俺はすぐにメガドライブを購入した。当然、親には内緒だ。 そこで俺は、ある「策」を講じた。 ゲームギアには「TVチューナー」という周辺機器があって、外部入力端子がついている。 そこに据え置き機のメガドライブを繋げば、3.2インチの極小画面でメガドライブが遊べるんじゃないか?

配線だらけの奇妙なシステム。 でも、映った。 3.2インチの小さな液晶の中に、メガドライブの広大な宇宙が広がった瞬間、そこは俺だけの「聖域」になった。

「FF6」という黒船、そして敗北

1994年4月。『FF6』発売。

俺は中3、受験生。でもゲームはやめられない。

親友からSFC本体ごと『FF6』を借りた俺は、いつものようにSFCをゲームギアのTVチューナーに接続した。 布団に寝転びながらSFCのスイッチを入れる。

イヤホンから植松伸夫氏による「予兆」が流れ、魔導アーマーが雪原を進む。

「……すごすぎる」

3.2インチの小さな画面越しでも、その衝撃は伝わってきた。 それはゲームというより、「大人の映画」だった。

メガドライブのあの同時発色数64色しかない無骨なドット絵も愛していたけど、この圧倒的な「演出」の暴力には抗えなかった。

悔しいけど、スクウェアは人間の心を「わかってた」んよ。 中身(ゲーム性)だけでなく、演出(UX)も含めた総合的なエンタメとしての完成度が大事だって。

その後、俺は隠れてSFC本体を購入し、名作RPGをむさぼるようにプレイした。 FF5、FF4、クロノ・トリガー、エストポリス伝記、天地創造…挙げればきりがない。

でも、セガを見捨てることはできなかった。 「みんなが知ってるすごいゲーム」より、「みんなが知らない隠れた名作」を推す自分の方が好きだったからだ。

思想との出会い:ゲームアーツとクインテット

1994年12月。メガCD用RPG『LUNAR ETERNAL BLUE』発売。

開発は「ゲームアーツ」。 職人的なこだわりでセガハードを支え続けた名門だ。 俺にとって、彼らは憧れの神様だった。

正月、お年玉を握りしめてゲームショップへ走り、「中古のメガCDとLUNAR2をください」と言った時の緊張感。 「メガCDなんて買う変なやつ」と思われるのが怖かったけど、店員さんは無言ででっかい箱とLUNAR2の青いパッケージを出してくれた。

そこから俺は、受験勉強を完全に放棄した。
(まあ、それまでも1秒もしてなかったけど)

ファミ通のクロスレビューでは酷評されていたけど、俺には関係なかった。 『LUNAR2』は極上のアニメだった。ボイスも音楽も、物語も最高だった。 「セガもまだまだ負けてない」 そう自分を鼓舞した。

そしてもう一つ。俺の魂を震わせたのが、これはSFCだが…エニックスから出ていたアクションRPG『天地創造』だ。 開発は「クインテット」。

この会社のゲームには、単なるエンタメを超えた、クリエイターの濃厚な「思想」が宿っていた。 文明の興亡、光と影。 商業的な成功よりも「何かを伝えたい」という作家性。

教室という監獄、サターンというシェルター

高校に入ると、世界の色が変わった。 高2で対人恐怖症を発症したのだ。

悪口が飛び交う教室の空気。誰かの笑い声が、すべて自分への嘲笑に聞こえる幻聴。 俺は自分から心を閉ざし、孤立した。

教室に居場所はなくなった。

後に俺は社会不安障害(SAD)と診断されることになる。

唯一の救いは、家に帰ってセガサターンの電源を入れる瞬間だけだった。 『グランディア』『ガングリフォン』『ガーディアンヒーローズ』。 トレジャーやゲームアーツが作る、職人芸の塊のようなゲームたち。

あれは、単なる娯楽じゃない。 社会という毒ガスが充満する世界で、俺が唯一呼吸できる「酸素ボンベ」であり、敵の侵入を許さない「鋼鉄のシェルター」だった。 あの逃げ場所があったからこそ、俺は不登校にもならず、壊れずに生き延びられたんだと思う。

グランディア、そして卒業

高校3年の冬。1997年12月18日。『グランディア』発売日。

その日をもって、俺は(2度目の)受験勉強を放棄した。学習能力ゼロだ

画面の中の少年ジャスティンは、「世界の果て」にある壁を越えようとしていた。 俺もまた、コントローラーを握りしめながら、自分を取り囲む壁を越える予行演習をしていたのかもしれない。

そして、大学受験で上京した俺が最初に向かったのは、受験会場ではなく、秋葉原のソフマップだった。 そこで俺は、ついにプレイステーションを手に取った。

それから程なくして、俺は「ゼノギアス」に感銘を受けることになる。

俺はなぜセガに肩入れしたのか?

なぜ俺はセガに肩入れしたのか?おそらく、セガの良さは自分だけがわかっているという優越感からくるものだろう。自分と同じくマイノリティであり「主流派ではない」という面への共感もあったのかもしれない。

ただ、セガが得意なのは「バーチャファイター」のようなアーケード系のゲーム。俺が好きなのはSFCやプレイステーション陣営の得意なRPGだった。残念ながらそこにミスマッチがあった。

さて、セガは高校時代の孤立していた僕をシェルターとして守ってくれた、というテーマで記事を書こうとしたのだが、自分が好きなのはRPGで、当時もっとも好きだったゲームは「天地創造」や「ゼノギアス」であるという事実を再確認することになってしまった。

よって、この話に綺麗なオチはない(苦笑)。

その後俺は大学に進学して程なくインターネットにハマり、ゲームへの興味を急速に失ってしまう。ゲームギア、メガドライブ、メガCD、セガサターンと4つのセガハードを所有してきたが、ドリームキャストに手を出すことがなかった。

あ、グランディア2だけは5年後くらいにPS2でプレイしたけどね 笑。


特性を武器にして、笑って生きる。そのための泥臭い記録をすべて公開しています。この男の歩みを横で見届けてくれる人は、フォローしてくれたら嬉しいです。


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