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読む体力

前に、体力がないという話を書いた。
胸糞悪くなるにも感動するにも体力が必要で、それがなくなってきつつあるいま、鑑賞に重い腰が上がらないという趣旨だった。

同様に、本を読むにも体力がいる。
物理的に重い本を持てないのはもちろん、kindleも残り%が減らないとちょっとうんざりする。
登場人物が多いと覚えきれないし、展開が過去と現在を行ったり来たりするのも混乱する。
いま一番安心して手に取れるのは中山七里の本。
長くないし、登場人物は多くないし、展開もわかりやすく、ちょっとしたどんでん返しもある。
多作でもあるので、読みつくす心配もない。
私的「水戸黄門」、もしくは「相棒」である。
体力的にも心理的にも負担感がない。

それに比べて、高村薫の負荷の多さよ。
登場人物が多い。
場面転換も多い。
そして細かい。
普通の作家が3行で説明するところを3ページ費やす。
3ページですむところ30ページかける。
登場人物ひとりひとりの行動も思考も、細かく掘り下げて丁寧に、というより微に入り細を穿ち執拗に描写する。

レディ・ジョーカー」を読み終えた。
事件はすっきりと解決するわけではない。
ミステリー小説として読むとそこが物足りないかもしれない。
でも、謎解きはハナから目的ではない。
ミステリーは主眼ではない。
警察小説であり、犯罪小説であり、何より企業小説なのだ。
歴史譚であり、群像劇なのだ。

久々に味わう高村薫のこの感じ。
川下りの船に乗ったはいいけど、すぐに激流に身をもまれ、船べりをひしとつかんだまま、ただひたすら行く末を凝視してきた。
周囲の景色を楽しむ余裕もなく、ずぶぬれになって、船がどこに向かうのか、とんでもない場所に放り出されるのではないか、という心配をよそに、たどり着いたここはただの大海原なのだった。
意外な場所でも、見知らぬ場所でもない。
そのありきたりの終着に、呆然と浮かんでいるのだ。
登場人物と一緒にどんなにもみくちゃにされようと、最後は静かにぽつんと海に浮かんでいるのだ。
その疲れと諦念とほのかな満足。

そして思い至った。
こういう高村薫特有のしつこい、入り組んだ、詳細な、ねちねちした、執念深い、くどい描写が大好物だったことを。
それを摂取する体力が少し戻ってきたことを。