起業家精神とガバナンスは、いつ衝突するのか|書評『起業の天才! 江副浩正』
少し興奮しながら、でも同時にかなり重たい気持ちで読み終えた本でした。
今回取り上げるのは、大西康之さんの『起業の天才! 江副浩正』です。
正直に言うと、この本を読む前の私は、江副浩正という人物について、かなり断片的にしか知りませんでした。
リクルートの創業者。
リクルート事件で失脚した人。
そして、いまのリクルートという人材輩出企業の原点にいた人。
そのくらいの解像度の認識でした。
ただ、読み終えた感想はかなり違います。
まず率直に思ったのは、
「日本にも、ここまで大きな構想力を持った起業家がいたのか」
という驚きでした。
求人、進学、住宅、情報流通、通信、コンピューター・ネットワーク。
本書で描かれる江副さんの視界は、単なる求人情報誌の経営者という範囲をかなり超えています。
もし事件がなく、もしインターネット時代まで江副さんが経営の中心に居続けていたら、リクルートはどのような会社になっていたのか。そういう歴史のIFを考えずにはいられませんでした。
一方で、この本は単なる成功物語ではありません。むしろ後半に進むほど、胸に残る問いは重くなります。
会社を伸ばした創業者の力は、いつ、会社を危うくする力に変わるのか。
この問いは、リクルートという一社の過去の話ではなく、今のスタートアップや成長企業にもそのまま突き刺さるテーマだと思います。
新田がこの本を手に取った理由
この本を読もうと思った理由は、大きく3つあります。
(1)リクルートの組織文化を知りたかった
1つ目は、リクルートという会社の組織文化を知りたかったからです。
私のまわりにもリクルート出身者がいますが、総じて優秀な人が多い印象があります。
しかも、単に頭がいいというより、当事者意識が強い。
自分で考えて、自分で動く。
そして、どこか事業家っぽい。
これは偶然ではないはずです。
人材輩出企業には、必ず何らかの構造があります。
どのような採用をしていたのか。
どのようなマネジメントポリシーがあったのか。
なぜ、あれほど多くの人が鍛えられ、外に出ても活躍できるのか。
その原点を知りたいと思いました。
(2)江副浩正のサクセスストーリーを体感したかった
2つ目は、江副浩正という起業家のサクセスストーリーを体感したかったからです。
江副さんは、単に目の前の事業を伸ばした人というより、情報そのものに価値を見出した人だったように思います。
求人情報を整理する。
進学情報を整理する。
住宅情報を整理する。
人と機会を結びつける。
今でこそ、プラットフォーム、マッチング、情報の非対称性といった言葉で説明できますが、それをまだ紙の時代に構想し、事業化していたことに驚かされました。
(3)リクルート事件をあまり知らなかった
3つ目は、リクルート事件の全容をあまり知らなかったからです。
不祥事は、どうしても結果だけが語られがちです。
誰が悪かったのか。
何が違法だったのか。
なぜ逮捕されたのか。
もちろん、それも大事です。
ただ、私がより知りたかったのは、なぜ止められなかったのかという点でした。
どのような組織だったのか。
どのような権限構造だったのか。
創業者の意思決定を補正する仕組みはあったのか。
コーポレートガバナンスは、どこで機能しなくなったのか。
失敗の場面には、その会社の構造がよく出ます。
だからこそ、リクルート事件も単なるスキャンダルではなく、組織とガバナンスの問題として読んでみたいと思いました。
本のあらすじ
本書は、大きく3つの時代に分けて、江副浩正という起業家とリクルートの成長を描いています。
第一部:創業と成長の物語
第一部は、1960年代から始まる創業と成長の物語です。
ここで描かれる江副さんは、まさに起業家そのものです。
既存の業界構造や慣習をそのまま受け入れるのではなく、
「なぜ情報が閉じているのか」
「なぜ学生や企業がもっと自由に出会えないのか」
「なぜ情報を整理して届ける会社がないのか」
と問い続けている。
その結果として、求人情報、進学情報、住宅情報といった領域に新しい市場をつくっていきます。
特に印象的だったのは、事業だけではなく、組織のつくり方です。
若い人にも大きな裁量を持たせる。
年功や序列ではなく、機会を取りにいく人に任せる。
社員を単なる労働力ではなく、事業をつくる主体として扱う。
いまの言葉で言えば、自律分散型の組織に近いと思います。
もちろん、当時そのような言葉があったわけではありません。
ただ、後のリクルートの強さにつながる文化の原型は、この時期にかなり形づくられていたのだと感じました。
第二部:情報革命前夜
第二部では、1984年前後の情報革命前夜が描かれます。
ここで江副さんの視界は、求人や情報誌にとどまらず、通信、コンピューター、ネットワークへと広がっていきます。
この時代設定がとても面白いです。
インターネットが当たり前になる前に、情報が社会や産業を変えることを見ていました。
紙の情報誌で成功した人が、紙の先にある情報流通の未来を見ようとしていました。
ここに、江副さんの異常な先見性が表れていると思います。
ただ一方で、事業が大きくなるほど、政治や制度との距離も近づいていきます。
会社が大きくなるとは、単に売上が伸びることではありません。
社会に対する影響力が増え、利害関係者が増え、意思決定の重さが変わっていくことです。
その変化に、組織の仕組みが追いついていたのか。
このあたりから、光だけでなく影も見え始めます。
第三部:リクルート事件へ
第三部では、1989年前後を中心に、膨張と変容、そしてリクルート事件へ向かう流れが描かれます。
リクルートコスモスを含む事業拡大によって、会社は大きく成長していきます。
ただ同時に、創業者の影響力もさらに強まっていく。
もともとは、自由闊達で、自律性の高い組織だったはずです。
しかし会社が大きくなり、創業者の成功体験が積み重なるほど、組織は少しずつ変質していく。
異論が出にくくなる。
創業者の意向を先回りする。
外から見れば危うい判断も、内側では合理的に見えてしまう。
そして、創業者の強さを補正するガバナンスが十分に機能しないまま、リクルート事件へと進んでいく。
この構造が、読んでいて非常に重かったです。
新田が思ったこと
日本にもGAFA級企業を生む可能性はあったのではないか
というと少し大げさに聞こえるかもしれません。
でも本書を読んで、私はかなり本気でそう思いました。
江副さんがやろうとしていたことを抽象化すると、
情報を編集し、人と機会をつなぎ、社会の意思決定コストを下げること
だったように思います。
これは、現代の巨大プラットフォーム企業がやっていることとかなり近いです。
求人、住宅、進学、広告、通信、ネットワーク。
それぞれ単体で見ると別々の事業ですが、根っこには一貫した思想があります。
情報の非対称性を解消する。
選択肢を見えるようにする。
個人や企業が、より良い意思決定をできるようにする。
この発想は、今の時代にこそ通じます。
もちろん、歴史に「もし」は存在しません。
ただ、もしあのまま江副さんがインターネット時代を迎えていたら、リクルートはどうなっていたのか。
そう考えずにはいられませんでした。
リクルートの強さは、制度より先に文化にあった
人事の視点で読むと、最も面白かったのはここです。
リクルートがなぜ人材輩出企業になったのか。
それは、研修制度がきれいだったからとか、評価制度が整っていたからというだけではないと思います。
もちろん制度もあったはずです。
しかし、それ以上に大きかったのは、「挑戦せざるをえない文化」だったのではないでしょうか。
若くても任される。
結果を問われる。
自分で機会を取りにいく。
失敗も含めて、事業の現場で鍛えられる。
これは、かなり強い育成装置です。
人は、座学だけでは育ちません。期待され、任され、追い込まれ、振り返り、また挑戦することで育ちます。リクルートは、会社そのものが人材育成装置だったのだと思います。
だからこそ、多くの人が外に出ても活躍できる。これは人事制度だけではつくれません。制度よりも先に、
人をどう見るか
仕事をどう任せるか
機会をどう配るか
という組織思想がある。
その思想が、リクルートの強さの源泉だったように感じました。
ただし、成功要因はいつか失敗要因にもなる
一方で、本書の後半を読むと、まさにここが怖くなります。
創業期には、強い創業者が必要です。
誰も見えていない未来を見る。
誰も信じていない可能性に賭ける。
反対されても押し切る。
常識を壊して市場をつくる。
これがなければ、新しい事業は生まれません。
江副さんの構想力と推進力がなければ、リクルートはあそこまで成長しなかったと思います。
ただ、企業が大きくなると話は変わります。
事業が複雑になる。
社員が増える。
株主、取引先、政治、社会との関係が増える。
意思決定の影響範囲が大きくなる。
その段階でも、創業期と同じように一人の直感や影響力に依存し続けると、どこかで無理が出ます。
創業者のスピードは、熟慮不足になるかもしれない。
創業者の突破力は、権限集中になるかもしれない。
創業者のカリスマ性は、異論を封じる空気になるかもしれない。
つまり、会社を伸ばした力そのものが、会社を危うくする力に反転するということです。
これは、GEの衰退を読んだときにも感じたことでした。強い仕組み、強い文化、強いリーダーシップ。それらは、うまく機能している間は競争優位になります。
でも、疑われなくなった瞬間にリスクになります。
強みは、放置すると神話になります。
神話になると、誰も疑えなくなります。
誰も疑えなくなると、組織は少しずつ現実からズレていきます。
耳が痛いですが、これが組織の怖さだと思います。
カリスマ経営者とガバナンスの関係をどう考えるか
この本で一番考えさせられたのは、ここです。
カリスマ経営者は必要です。特に創業期や変革期には、強い意思決定が必要です。全員の合意を待っていたら、事業は動かない。正解が見えない中で、誰かが腹をくくって決めなければいけない。
だから、カリスマ経営者を単純に否定するのは違うと思います。
問題は、カリスマ経営者がいることではありません。
問題は、そのカリスマを補正する仕組みがあるかどうかです。
創業者の構想を、組織の言葉に翻訳する人がいるか。
創業者の意思決定に、違和感を伝えられる人がいるか。
数字だけでなく、リスクや倫理を見られる場があるか。
取締役会や経営会議が、追認機関ではなく、実質的な議論の場になっているか。
ここが大事なのだと思います。
ガバナンスとは、創業者を止めることではありません。
創業者の力を殺すことでもありません。
むしろ、ガバナンスとは創業者の構想力を、持続可能な会社の力に変換するための仕組みなのだと思います。
この変換ができないと、会社は創業者の能力に依存し続けます。
依存している間は速い。でも、どこかで脆くなる。
だから成長企業に必要なのは、創業者の力を弱めることではなく、創業者を超えて会社が回る構造をつくることなのだと思います。
人事・組織開発の視点で考える
強さゆえの副作用を問う
ここからは、少し実務に寄せて考えます。
私は、人事や組織開発の仕事は、制度をつくることだけではないと思っています。
もちろん、等級・評価・報酬制度は重要です。
採用も育成もオンボーディングも重要です。
ただ、それらはある意味で後工程です。
もっと手前にあるのは、
この会社は何によって勝ってきたのか?
その勝ち筋は、今も有効なのか?
成功要因が、どこかで副作用を生んでいないか?
という問いです。
今回の本で言えば、リクルートの強さは、自律性、スピード、当事者意識、情報への感度にあったように思います。
しかし、それらが強いからこそ、別の副作用も生まれます。
スピードが速い会社は、立ち止まることが苦手になります。
当事者意識が強い会社は、成果に向かうあまり、境界線を越えやすくなることがあります。
創業者への信頼が強い会社は、異論を言うことが難しくなります。
強い文化の「光と影」
だから人事や組織開発は、単に「よい文化」を強化するだけでは足りません。その文化の副作用も見なければいけない。ここが、かなり大事だと思います。組織文化は、強ければよいわけではありません。強い文化には、必ず影があります。
同質性が高い組織は速い。でも、異論が出にくい。
当事者意識が強い組織は強い。でも、行き過ぎると無理をしすぎる。
創業者の求心力が強い組織は動きが速い。でも、牽制が弱いと暴走しやすい。
この光と影をセットで扱うことが、人事・組織開発の役割なのだと思います。
この本から新田が持ち帰りたい問い
この本を読んで、私が持ち帰りたい問いは3つあります。
1つ目は、自社の成功要因となったものは、いまも成功要因のままか?という問いです。
昔うまくいったやり方が、今も正しいとは限りません。
むしろ、うまくいったやり方ほど疑われにくくなります。
2つ目は、経営の場で、異論は本当に機能しているか?という問いです。
会議で発言があることと、異論が機能していることは違います。
本当にまずいことを、まずいと言えるか。
創業者やCEOの意向に対して、構造的に反対意見を出せるか。
ここが問われます。
3つ目は、創業者の構想力を、会社の仕組みに翻訳できているか?という問いです。
創業者の頭の中にだけある戦略は、組織には実装されません。
言語化し、役割に落とし、権限に落とし、仕組みに落とす必要があります。
ここを担うのが、CHROやHRBP、組織開発の重要な役割なのだと思います。
まとめ
『起業の天才! 江副浩正』は、単なる創業者の伝記ではありません。
起業家精神とは何か。
情報産業とは何か。
人材が育つ組織とは何か。
そして、成功した創業者をどう統治するのか。
そうした問いをまとめて突きつけてくる本でした。
私はこの本を、偉大な起業家を礼賛する本としても、リクルート事件を断罪する本としても読みませんでした。
むしろ、起業家精神とガバナンスをどう両立するかを考える本として読みました。
会社を伸ばすには、強い意思が必要です。
でも、会社を残すには、その意思を補正する仕組みが必要です。
創業者の情熱を活かしながら、暴走を防ぐ。
スピードを保ちながら、異論を機能させる。
強い文化を育てながら、その副作用も見続ける。
これは、スタートアップだけでなく、あらゆる成長企業にとって避けて通れないテーマだと思います。
最後に、この本を読み終えて残った問いはこれです。
あなたの会社は、成功を生んだ力が、失敗を生む力に変わり始めていないでしょうか。
この問いに向き合いたい経営者、人事責任者、CHRO、組織開発に携わる方には、かなりおすすめしたい一冊です。
前回の書評、『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』もぜひご覧いただけますと嬉しいです。
