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第四十九回 丁貴力戰高懷德 單珪計困趙匡胤

第四十九回 丁貴、力をもって高懐徳と戦い、単珪、計をもって趙匡胤をくるしむ。

 詩に曰く:

 黄紙に記された君王の詔。
 青泥にしたためられた校尉の書。
 誓師は虎落に掲げられ。
 将は選ばれ、犀革さいかくの鎧を身にまとう。
 霧は深く、津の蒲は湿り。
 寒気は塞外に満ち、柳も疎ら。
 十万の騎が横行し。
 虜の塵を掃わんと欲す。

 ――右は僧皎然こうぜんの『従軍行じゅうぐんこう』より。

 さて、周世宗は高平での大勝を得ると、その勢いに乗じて一気に進軍し、北漢を掃滅しようとした。
 岳元福がくげんふく符彦卿ふげんけいを前鋒に立て、自らは趙匡胤、劉詞、王朴らとともに大軍を率いて続進する。
 車駕しゃが(皇帝を乗せた車)は潞州ろしゅうを発し、まっすぐ晋陽へ向かった。

 軍令はきわめて厳しく、通過する土地では草一本、針一本といえども侵さぬありさまであった。
 百姓は箪食壺漿たんしこしょうを携えて王師を迎えたという。
 この話はいったん措く。

 一方、北漢主の劉崇は、敗れて晋陽に帰ると、残兵を集め、甲兵を整え、城郭を修築して、周軍の侵攻に備えた。
 遼の将、耶律奇やりつき楊襄ようじょうも、忻州きんしゅうから兵を率いて晋陽へ戻ってきた。

 劉崇は王得中おうとくちゅうを遣わし、彼らを護送して帰国させるとともに、契丹きったん主に救援を求めた。
 得中は命を受け、耶律奇、楊襄とともに晋陽を出立し、遼の国に赴いて契丹の主に謁した。
 そして高平での敗北を奏し、北漢主が援兵もなく、危うく命を落としかけたことを訴え、あらためて援軍を派遣し、仇を討ってほしいと懇願した。

 契丹主はこれを聞いて、嘆息して言った。
「もし趙延寿ちょうえんじゅが生きていれば、どうしてこのような敗北に至ったであろうか。」

補足。
 急に趙延寿を差し込んできました。
 趙延寿はもとは後唐の臣だったのですが、石敬瑭が燕雲十六州を割いて遼朝の援助を享け、後唐朝を滅ぼしたことから、遼朝に降伏し臣従していました。端正な相貌をもった利発な人物で、幽州節度使、燕王に封じられ南方方面を任されていました。後晋朝が錯乱して遼朝と手切れとなったとき、「滅晋」に最大の功績があったのでした。

 続いて楊襄を呼び出し、叱責した。
「おまえは先鋒でありながら、なぜ成敗を座視してこの有様に至ったのだ。」

 楊襄は答えることができなかった。
 契丹主は命じて、彼を獄に下した。
 そのうえで、まず王得中を帰国させ、漢主に伝えよと言った。
「われ自ら兵を率いて救援に向かう。」

 王得中は辞して帰途についた。

 さて、世宗の大軍は河東に到り、城南に陣を敷いた。
 諸将を分けて晋陽を攻めさせ、旌旗は城を取り囲み、剣戟は林立し、陣営は四十余里にも連なった。
 金鼓の音は原野を震わせた。

 劉崇もこれを聞き、諸将を配置して堅く守り、ひたすら契丹の救兵を待ち、挟撃の機会をうかがっていた。
 ところが、王得中は大遼から戻る途中、周軍の伏兵に捕らえられ、世宗のもとへ引き立てられた。

 世宗は縄を解かせ、酒食を与えて落ち着かせたうえで問うた。
「そなたは契丹に援兵を求めたというが、いつ頃到着すると知っておるか。」

 王得中は答えた。
「臣は漢主の命を受け、楊襄らを帰国させたまでで、そのほかのことは存じませぬ。」

 世宗は笑って応じ、別営に退かせた。
 すると一人の偏将が王得中に言った。
「主上はあなたを厚く遇しておられる。報いる道を考えるべきだ。
 今日、真実を告げねば、万一契丹兵が来た時、どうして身を全うできようか。」

 得中は嘆息して言った。
「私は劉氏の禄を食むこと久しく、しかも老母が国中におります。
 もし真実を告げれば、周は必ず険阻を守って遼兵を防ぐでしょう。
 そうなれば国も家もともに滅びます。
 それを思えば、どうして忍びましょう。身を殺して国と家を全うできるなら、それで十分です。」

 その夜、王得中は自ら首をくくって死んだ。
翌日、このことが世宗に報告されると、世宗は深く嘆き、兵に命じて地を選び、手厚く葬らせた。
 墓には「北漢忠義 王得中之墓」と刻ませた。

 ほどなく、契丹の主がみずから兵を率いて忻州きんしゅうを出たとの急報が入った。
 その勢いはきわめて鋭いという。

 世宗は諸将を集めて言った。
「劉崇は頼るものもなく、ただ契丹の救兵を待って挟撃を図っている。
 誰か兵を率いて先に契丹を破る者はおらぬか。そうすれば劉崇は取るに足らぬ。」

 すると帳下から一将が進み出て言った。
「微力ながら、小将が一軍を率いて参ります。」

 世宗が見ると、それは将軍の史彦超であった。
 世宗は大いに喜び、ただちに彦超に兵を与え、前鋒の符彦卿と合流して敵に当たらせた。

 二将は命を受け、兵を率いて忻州へ殺到した。
 契丹もすでにこれを知り、兵を出して符彦卿と対陣する。
 両軍は陣を整えた。

 符彦卿が馬を進め、契丹の主に向かって言った。
「先日の高平の戦いでは、劉崇を風を見て逃げさせたというのに、なぜその時は救わなかった。
 今日、天兵がここに至ったのに、今さら死にに来たのか。」

契丹主・也先やせんはこれを聞いて激怒し、罵った。
「進退もわきまえぬ賊め。戯言を言うな。今日はこの手でおまえの首を取ってくれる。」

補足。
 也先、つまりはエセン。モゴンル帝国第29代ハーンがここに登場!ではなく、なんとなく遊牧民族首領の名前として使っただけでしょう。
 なお本来の契丹主、第4代皇帝は耶律述律やりつじゅつりつで、忻州に出陣してはいません。
 このとき兵を率い、後周軍と戦ったのは南院大王・耶律撻烈やりつたつれつで、これより10年後にも立ちはだかってきますね。

 そう言うや、馬を打ち、刀を振るって彦卿に斬りかかる。
 彦卿が応戦しようとしたその背後から、史彦超がこれを見て怒鳴った。

「勝手に出るな。相手は俺だ。」

 馬を躍らせ、槍を振るって也先に挑みかかる。
 二人は激しく斬り結び、五十余合を戦った。
 やがて也先は偽って敗走し、馬を返して本陣へ逃げる。

 史彦超は首級を挙げようと、勢い込んで追撃した。
 後ろから符彦卿も兵を催して追い立てる。
 しかし彦超が敵陣深く入り込んだところで、也先は弓を引き、矢を放った。
 史彦超はかわしきれず、その矢は正面に命中し、馬から落ちた。

 也先は引き返し、さらに一刀を浴びせる。
 幾度も戦場を駆けた勇将も、この日に非業の死を遂げたのである。

 後の人は、その死を惜しんで詩を残した。

 遼兵と鏖戦し、刃は血に染まり。
 堅陣に斬り入り、尽きせぬ忠義を尽くした。
 行く人は振り返り、たびたび問いかける。
 かつての将軍の雄姿は、なお目に浮かぶと。

 契丹也先は史彦超を斬ると、さらに大軍を催して追撃に出た。
 符彦卿は力を尽くして迎え撃つ。
 二人は百余合を戦ったが、勝負は決せず、日も暮れたため、双方とも兵を収めた。

 翌日、急報が世宗に届いた。
「史彦超、矢に射られて戦死いたしました。」

 世宗は深く嘆き、
「一陣の勝敗は問題ではない。惜しむべきは、わが勇将を一人失ったことだ。」
と言い、ただちに勅命を下した。
「諸将は契丹と戦い、必ず史彦超の仇を討て。」

 これに対し、趙匡胤が進み出て奏した。
「河東は滅亡寸前の敵で、朝夕にも破れましょう。契丹は重兵を擁しておりますが、様子見に過ぎず、決して今すぐ決戦に出る胆はありませぬ。
 当面は兵をもって契丹を牽制し、決戦は避け、まず晋陽を攻め落とすべきです。
 晋陽が陥れば、契丹は戦わずして退くでしょう。」

 世宗はこれを許し、諸将に命じて、力を尽くして攻城させた。

 劉崇は、契丹の救兵が来ず、周軍の攻めが激しさを増すのを見て、恐れおののき、挙動も定まらなくなった。その時、親軍使の丁貴ていきが進み出て言った。

「主公、ご心配なさいますな。臣は不才ながら、本隊を率いて出陣し、必ず周の将を討って、生涯の志を遂げ、主上のご憂いを分かちましょう。」

 劉崇は言った。
「周兵の勢いはこの上なく盛んだ。軽々しく出城してよいものか。」

 丁貴は答えた。
「将は勇よりも謀であります。もし退けられなければ、その時あらためてお考えください。」

 劉崇はこれを許した。

 この丁貴は山後の出で、「三手将軍」と呼ばれ、大刀を振るい、万夫も近づけぬ勇を誇った。
 劉崇が腹心として頼みにする将である。

 翌日、丁貴は一万の兵を率い、砲を放って城門を開き、太鼓と金を鳴らし、旗を翻して鬨の声を上げ、陣を整えて挑戦した。
 世宗は晋陽から兵が出てきたと聞くと、みずから出陣し、左に趙匡胤、右に高懐德を従え、三騎は門旗の下に並び立った。
 丁貴の左右には、李存節りそんせつ陳天寿ちんてんじゅが控えている。

 高懐德はこれを見るや、馬を打って先に進み、大声で罵った。
「賊奴め。早く降らぬか。まだ抗うつもりか。」

 丁貴は激怒し、言葉も返さず、馬を打ち、大刀を振るって懐德に斬りかかる。
 懐德は槍を構え、真正面から応じた。

 両将は組み合い、まさに壮絶な戦いとなった。
 たとえて言えば、

 一人は山を下る獅子のごとく。
 一人は尾を振る狻猊さんげい(霊獣)が猛虎を探すがごとし。
 天下を定めんとする真心と、江山を守らんとする実意が激突し、
 百戦を見ても、これほどの猛将はまれであった。

 二将はまさに好敵手、良材に遇い、百余合を戦っても勝負は決しなかった。

 その時、劉崇は左右を従え、城楼から戦いを見ていたが、ふと世宗の姿を認め、白従輝はくじゅうきに命じて矢を射させた。
 白従輝が弓を引き、放った一矢は、世宗の乗馬に命中した。
 馬は暴れ、世宗を地に投げ落とす。

 これを見た陳天寿が、馬を躍らせ、槍を提げて刺しかかる。
 その瞬間、匡胤が大喝した。

「我が主上に手出しするな。」

 九耳八環刀きゅうじはちかんとうを振り上げ、陳天寿に斬りかかる。
 天寿は慌てて槍で受けたが、虎口を震わせられ、もはや交戦できず、本陣へ逃げ帰った。

 南陣からは董龍、董虎らが飛び出して世宗を救い起こし、さらに張永德、鄭恩らも南北の激戦を聞き、精兵を率いて駆けつけた。
 丁貴は南軍が蜂の群れのように押し寄せるのを見て、数で敵わぬと悟り、勝機なしと見て兵を収め、城へ引き返した。
 懐德は河辺まで追ったが、吊り橋が上げられているのを見て、追撃を止めた。

 世宗は匡胤に言った。
「今日、もし御弟の機転がなければ、危うく北軍の計略にかかるところであった。この功、実に大きい。」

 匡胤は答えた。
「今後はどうかご自重ください。軽々しく敵を侮り、みずから危地に入られるべきではありません。」

 世宗は表情を改めて礼を述べ、軍中に宴を設けて戦功を祝った。
 この話はさておく。

 その後、丁貴は城に戻って劉崇に会い、周軍の勢いの大きさと、将士の勇猛さを詳しく語り、到底正面からは敵わぬと述べた。
劉崇は言った。
「今日、城上から戦いを見たが、高平の戦いに劣らぬ激しさであった。
しかし救兵が来ぬ今、どうすればよいのか。」

 丁貴は答えた。
「契丹は忻州に駐屯しておりますが、周軍に阻まれ、ただ様子見に過ぎませぬ。頼るに足りません。
 いま河東には、絳州こうしゅうを守る単珪ぜんけい令公れいこうがおります。
 重兵を擁し、智勇兼備で、用兵にも巧みです。ただちに呼び戻されるべきでしょう。」

 劉崇はこれに従い、密かに使者を遣わして、絳州から単珪を召した。

 その日、単珪は府中で評議中であったが、召命を受けるや、即日、四人の子とともに精兵三万を率いて河東救援に向かった。
 鳳凰山に至って陣を敷く。晋陽から三十余里の地点である。

 その夜、単珪は四子と語った。
「先に聞くところによれば、劉主が高平で大敗したのは、趙匡胤が無敵の英雄であり、高懐德が三軍に冠たる勇将で、配下にも強将が多かったからだ。
 汝らがこれと戦うなら、油断なく、鋭気を失ってはならぬ。」

 長子の守俊は答えた。
「父上、他人の気勢を長じて、わが威を削ぐことはありません。明日の戦いでは、必ず匡胤を生け捕りにし、英雄の名を示してみせます。」

 この日は、ここまでである。

 翌日、早馬が南営に駆け込んだ。
 匡胤は進み出て言った。
「臣が諸将を率いて出陣いたします。」

 世宗は大いに喜び、匡胤は諸将とともに兵を率いて鳳凰山のふもとへ向かった。
 両軍は向かい合って陣を整える。

 単珪は四人の子を従え、一騎で先頭に立ち、大声で罵った。

「周軍は進退もわきまえず、よくも兵を率いて我と相まみえたものだ。
死を急ぐつもりか。」

 匡胤は馬を打ち、刀を振り上げて怒鳴り返した。

「河東の滅びは目前だというのに、まだ己の死期も悟らぬか。
天兵を阻む逆賊め。必ず捕らえて、我が陣上の名を示してやる。」

 これを聞いた長子の単守俊ぜんしゅしゅんが激怒し、一騎で陣を飛び出し、槍を取って突きかかる。
 匡胤は刀を掲げて受け止め、槍をはね飛ばした。
 守俊は馬上で大きくよろめき、両腕がしびれて思わず叫んだ。
「なんと恐ろしい男だ。」

 あわてて槍を引き戻し、再び突いてきたが、匡胤は刀で迎え撃つ。
 三合と戦わぬうちに、守俊は支えきれず、馬首を返して逃げた。

 これを見た次子の単守傑ぜんしゅけつが叫ぶ。
「この男は俺が捕らえる。」

 一騎で刀を振るい、匡胤に斬りかかる。
 匡胤は神威を奮い、守傑と力戦した。
 三子の単守信ぜんしゅしんは、兄が匡胤を討ち取れぬのを見ると、馬を躍らせ槍を振るい、加勢に入って挟み撃ちにする。

 それを見た高懐徳が馬を打ち、槍を構えて斬り込んだ。
 守信の兵を二つに裂き、守信が迎えようとした瞬間、懐徳はすばやく一槍を突き、馬下に倒した。

 四子の単守能ぜんしゅのうが救援に駆けつける。
 守傑は勝ち目なしと見て、馬を返して逃走した。
 北軍は、匡胤と懐徳が猛虎のごとき勇を示すのを見て、誰一人として前に出られず、戦わずして潰走する。

 匡胤は敵陣の乱れを見て、ただ一騎、単刀で軍中へ突入した。
 これを阻む者はなく、兵は皆、鎧を捨て、武器を投げ捨てて逃げ散った。

 これを讃える詩がある。

 刀槍剣戟は三千の隊。
 鉄馬金戈は一万重。
 将を斬り兵を殺し、敵う者なく。
 まさに帝の子、英雄の名を顕す。

 高懐徳は、匡胤の奮戦を見るや、大軍を促して一斉に突撃した。
 北兵は大敗し、死体は山のごとく積み上がり、血は泉のように流れた。
 匡胤は十里余り追撃してから兵を収めた。
 得た糧秣、馬匹、兵器は数え切れなかった。

 戦後、軍士への賞が済むと、使者を遣わして世宗に勝利を報告した。

 単珪は十五里ほど敗走してようやく陣を敷き、兵を点検すると、半数以上を失い、負傷者も多かった。
 四子と相談して言った。
「これまで用兵して敗れたことはなかったが、今日ついに鋭気を失った。
 趙匡胤の勇は、まさに名に違わぬ。しかも高懐徳まで加勢している。
 どうすべきか。」

 すると牙将の劉武りゅうぶが進み出て言った。
「主将、ご心配には及びません。ある一計があります。
 匡胤を捕らえるのは、手を返すより容易です。」

 単珪が問う。
「どのような策で匡胤を捕らえるのだ。」

 劉武は答えた。
「ここから五里ほどの所に蛇盤谷だばんこくという険しい谷があります。
 中は行き止まりが多く、出られる道は一本しかありません。あらかじめ石を用意し、谷口の両側に兵を伏せます。
 将軍は陣前で敗走を装い、匡胤を谷へ誘い込みます。将軍は小道から回り込み、石で出口を塞ぎ、外から重兵で囲めば、匡胤は逃げ場を失います。」

 単珪はこれを聞いて大いに喜び、守俊と守傑に三千の兵を与え、両側に伏兵させた。
 自らは守信、守能とともに兵を整え、鳳凰山へ再び挑戦に出た。

 匡胤はこれを聞き、軍を率いて迎え撃った。
 馬上の高懐徳は匡胤に言った。

「昨日、単珪は大敗して退きました。今日また来るとは、必ず企みがあります。将軍はよく考え、奸計に陥らぬよう。」

 匡胤は答えた。
「昨日の戦で、その器量はすでに見えた。勇を頼むだけの男、恐れるに足らぬ。
 今日は必ず捕らえて、我が志を遂げる。」

 こうして両軍は対峙した。
 北軍の旗門が開き、単珪は二人の子とともに出馬する。
 匡胤は叫んだ。

「敗軍の将、なぜ早く降らぬ。まだ死にに来るか。」

 単珪は言い返した。

「無駄口はよい。今日は必ず汝を捕らえ、昨日の恨みを晴らす。」

 匡胤は激怒し、刀を取って馬を進めた。
 北陣から単守能が方天画戟を掲げて迎え撃つ。
 両馬が交わり、兵器が振るわれるが、七、八合も戦わぬうちに、守能は馬を返して逃げた。

 続いて単珪と守信が武器を構えて立ちふさがる。
 匡胤は二将を相手に力戦し、十合にも満たぬうちに、単珪は馬から落ちるふりをし、守信は助けるそぶりを見せて、二人そろって東北へ敗走した。

 匡胤は大声で叫んだ。
「この老賊を捕らえよ。斬ること百将に勝る。」

 馬を打って追撃し、懐徳も後ろから兵を率いて攻め立てた。
 匡胤はすでに敵中深く入り込み、北兵が四散しているのを見て、疑いなく追い続けた。
 遠くに、単珪父子が兜を捨て、驚き慌てて逃げる姿が見える。

 匡胤はさらに馬に鞭を当て、配下を率いて火のような勢いで追った。
 やがて谷に入ると、忽然として単珪父子の姿が消えた。
 匡胤は不審に思い、兵に道を探らせる。

 兵が戻って報告した。
「中は行き止まりばかりで、出られる道は一本だけです。しかも石で塞がれております。」

 匡胤は大いに驚き、策に陥ったと悟り、ただちに後軍に退却を命じた。
 その瞬間、谷口の伏兵が一斉に起ち上がり、重く包囲した。

 匡胤は数度突撃したが、脱出できない。
 懐徳の兵は少なく、救援も間に合わなかった。
 匡胤の配下五千は、蛇盤谷の中で北兵に囲まれた。

 単珪はさらに重兵をもって道を断ち、包囲は水一滴も漏れぬほどで、鳥一羽すら飛び出せぬありさまであった。

 懐徳にはもはや打つ手がなく、やむなく配下の兵を率いて大営へ引き返し、世宗に拝謁して奏上した。

「匡胤殿は、単珪の誘敵の策にかかり、蛇盤谷へ引き込まれて脱出できぬ状況にあります。」

 世宗はこれを聞いて驚愕し、
「二御弟の全軍がもし討たれれば、我が事業はここで終わりだ。」
と言って、ただちに東営の張永徳と鄭恩に命じ、本隊の兵を率いて急ぎ匡胤を救援させた。
 将士が気を抜くことを恐れ、世宗みずからも監軍として出陣した。

 その頃、晋陽城内の劉崇は、単珪の策で匡胤を谷中に閉じ込めたと聞き、大いに喜んだ。
 ただちに丁貴、李存節、陳天寿に二万の兵を与え、城外に屯させ、単珪と呼応して挟撃の形を取らせた。

 やがて世宗の軍は鳳凰山に到着し、陣を敷いて挑戦した。
 北陣から単珪が刀を横に構えて出馬し、大声で叫んだ。

「周軍よ、早く退け。趙匡胤は、すでに我が小計にかかり、谷中で死を待つのみだ。
 それでもなお、討ち死にを求めて来たのか。」

 世宗は激怒して叫んだ。
「思い上がった賊徒め。ただちに包囲を解けば命だけは助けてやる。さもなくば、汝らを肉泥にして、この恨みを晴らしてくれよう。」

 言い終えぬうちに、一将が陣前へ躍り出た。
 世宗が見ると、張永徳である。
 永徳は馬を打ち、槍を構えて単珪に突きかかった。
 単珪も刀を振るって迎え撃つ。

 両軍は鬨の声を上げ、戦鼓は雷のごとく鳴り響く。
 二将はおよそ百合を戦ったが、勝負はつかなかった。
 門旗の下で戦いを見ていた鄭恩は、もはや耐えきれず、刀を取って馬を躍らせ、突撃した。
 北陣から単珪の子・守傑が刀を振るって迎え、四騎が入り乱れて激しく争った。

 日が暮れるころ、双方とも損害を出し、兵を収めてそれぞれ陣へ引き返した。

 世宗は匡胤を救い出せぬまま、胸中の憂いが募るばかりであった。
 翌日、高懐徳と鄭恩に命じ、兵を率いて谷口を攻めさせた。

 懐徳と鄭恩が軍を進め、山の中腹に差しかかったところ、山上から砲石と弩箭が雨のように降り注いだ。
 これではどうして登れるはずもなく、やむなく谷口へ退いた。

 陣を張ろうとしたその時、谷口で梆子ほうし(拍子木)が鳴り響き、矢が飛蝗のごとく飛び、喊声が天地を震わせた。
 軍は踏みとどまることもできず、懐徳と鄭恩も策なく、大営へ退却した。

 世宗は攻めあぐね、ますます憂いを深めた。
 さらに馬全義、岳元福、劉詞らを遣わし、日々単珪と戦わせたが、勝敗は互角で、匡胤を救う策は一向に見いだせなかった。

 そのため世宗は、座っても寝ても心安らかならず、食事も喉を通らず、ただ将を代えては攻撃を命じる日々を送った。
 しかし北軍の劉武が、重ねて単珪に策を献じた。
「今、趙匡胤は谷中に困り、周軍は救出を急いでおります。しかし将軍は堅く守り、出て戦う必要はありません。
 一月も経てば、谷中の兵糧は尽き、全員餓死します。むだに勝負を争う必要などありませぬ。」

 単珪はこれを聞いて大いに喜び、ただちに軍に命じ、堅く守って出撃を禁じた。
 こうして世宗が派遣した諸将は、ことごとく成果なく引き返すこととなった。

 世宗はこの報を聞き、針のむしろに座る思いであった。
 半月近くが過ぎても、救出の策は一つも見つからない。

 鄭恩が奏上した。
「陛下、ご心配には及びません。今夜、命を賭して斬り込み、二哥を救い出してみせます。」

 世宗は言った。
「諸将が力を尽くさぬわけではない。実に地形が険しく、攻めるすべがないのだ。汝が行っても、むだに命を失うだけであろう。」

 そこへ張永徳が奏した。
「陛下、ここに榜文ぼうぶんを出し、この地の土人を募られてはいかがでしょう。
 地の道に通じ、密かに谷中へ入れる者がいれば、官職を与えて用いれば救出が可能です。
 そうでなければ、時を空しく過ごすばかりで、谷中の兵は糧尽き、救えぬどころか命も保てませぬ。」

 世宗はこの案を採り、ただちに榜文を掲げ、地理に通じた者を募った。

 その夜、世宗は憂い極まり、枕に就いても眠れず、身を起こして数人の近侍を伴い、諸営を巡視した。
 折しも秋の初めで、涼風が肌をなで、月は白く、星はまばら。
 夜気は澄み、雲は淡く輝き、俗塵を隔てたような清冽な景であった。

 巡視の途中、ふと営の後方から歌声が聞こえてきた。
 世宗が耳を澄ますと、その声は慷慨こうがいとして雲を凌ぎ、志を奮い立たせる調べで、抑揚の冴えた清らかな響きを帯び、いかにも一世を超えんとする気概に満ちていた。

 まさにこの一歌が、
 絶地をして生地となし、
 危機をして転じて安機とする端緒となろうとは。

 まさに言う。

 山谷の牢に離れても、なお策に縛られ。
 波濤に没する災いを、免れ難し。

 さて、この歌を口ずさむ者はいかなる人物か。
 それは次回にて明らかにしよう。

独語。
「世宗」になってから人が変わったように積極果敢になった柴栄ですが、実際のところ、帝位に就く前までの記録が少なくどんな人物像なのかも、あまりよくわかっていません。
 傘売りの時のような万事に慎重で、争いごとは極力避けるいかにも一般ピープルのようだったのか、機を見るに敏で行動力に富んでいたのか、それも判然としません。
 しかし帝位に就いたら急に果断速攻、積極果敢。もともとそういう資質だったと思われますね。


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