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第三十回 柴榮薦朋資帷幄 弘肇被譖陷身家

第三十回 柴栄、ともすすめて帷幄いあくたすけ、弘肇こうちょうそしられて身家をおとす。

 詞に曰く:

 幸いにも深い恩遇を受け、
 風にも雨にも思いを訴えた。
 同じ志を持つ者を引き立て、
 その推挙を羨む者も多かった。

 良き友と胸の内を語り合い、
 英才を得たことを共に喜ぶ。
 だが一途な忠義は、
 権勢におもねる奸臣に押しのけられ、
 その無念、いかばかりであろうか。

 君主の心はついに背き、
 この思い、どうして龍に比することなど望めよう。
 ただこの官の戒めのみを残し、
 万古にその名を称えられるであろう。

 ――右、《怨王孫えんおうそん》の調。

 さて、韓通は趙匡胤に責め立てられて伏状ふくじょうを書かされたのち、その夜のうちに家へ駆け戻った。財物をまとめ、妻子を車に乗せ、自身は息子や弟子たちとともに馬にまたがり、梢棒しょうぼうを携えて車列を護衛しつつ、禅州へ向かう街道を進んだ。

 道すがら、あれこれと思い巡らし、身を寄せる先を探しつつ、いずれは力を蓄えてこの恨みを晴らそうと考えたが、相談しても行き先は定まらない。
 そうした思案の最中、前方に三、四十人ほどの一団が現れ、槍や刀、剣や戟を手にして進んでくるのが見えた。

 韓通は心中で、
「これはきっと怪しい連中だ。問いただしてみよう」
と思い、馬を進めて大声で呼びかけた。

「お前たち、刀槍を手にして、どこへ行くつもりだ?」

 一同は顔を上げ、韓通の堂々たる風貌と立派な馬を見て、ただ者ではないと悟り、丁重に答えた。
「馬上の壮士よ、我らは皆この近辺の百姓でございます。暮らしが苦しく、禅州の郭令公かくれいこうが兵を募っていると聞き、志願に参るところです。」

 これを聞いた韓通は、また心中で考えた。
「趙匡胤という賊に二度も打ち据えられ、家も国も頼る所を失った身で、今もこうして路上をさまよっている。ならば、この機に乗じて、この者たちを配下に収め、共に禅州へ向かえば、何かしらの前途が開け、恨みを晴らす足がかりにもなろう。」

 考えが定まると、韓通は口を開いた。

「お前たち、投軍するつもりなら、私について来るがよい。禅州の郭令公は私の親戚で、ちょうど今から会いに行くところだ。着けば必ず食い扶持は与えられる。道中の費用も、すべて私が持とう。」

 人々はこれを聞いて大いに喜び、
「将軍が情けをかけてくださるなら、ぜひお供いたします」
と口々に答えた。

 韓通は大いに喜び、さっそく銀銭を取り出して人々に分け与え、一行そろって禅州へ向かった。

 禅州の城に入ると、まず宿を取り、家族や一同を落ち着かせた。自ら外へ出て情報を集めたところ、投軍する者はまず監軍府かんぐんふに出向いて名を届け、そこで引き合わせを受けてから都元帥とげんすいのもとで検分され、初めて役目が与えられると聞いた。

 韓通はこれを聞くと急いで宿へ戻り、投見とうけん用(面会用)の手本を整え、礼物を添え、新しい衣に着替えた。
 そして人々を率いて監軍府へ赴き、各地から集まった志願兵に交じって手本を差し出し、呼び出しを待った。

 ほどなく、一人の軍校が現れて言った。
「投軍の韓通殿はどなたか。監軍様より令箭れいせん(命令書)が出ている。すぐに参内せよ。」

 韓通は進み出て、
「拙者が韓通にございます」
と名乗った。

 軍校に導かれて角門かくもんから入り、大堂の階下にひざまずくと、
「投軍の韓通、参見いたします」
と取り次がれた。

 その監軍こそ、ほかならぬ柴栄であった。柴栄は韓通を見るや、慌てて席を立ち、階段を下りて手ずから彼を起こし、
「久しぶりだ、どうか立ってくれ」
と声をかけた。

 もとより韓通と柴栄は幼い頃からの旧知で、きわめて親しい間柄であったが、後に各地へ散って疎遠になっていた。
 今回の募兵で、手本に記された名を見た柴栄は半信半疑ながら、もしやと思って単独で呼び出し、直接確かめたところ、果たして本人であったのである。

 柴栄に扶け起こされた韓通は、深く恥じ入りつつ手を取り合って堂に上がり、改めて礼を交わして座についた。

 韓通が言った。
兄台けいだいと別れてから、いつの間にか数年が過ぎました。まさか、これほどまでに兵権を掌握され、栄達なさっているとは。旧交に免じて、何かとお情けをいただけるものと存じます。」

 柴栄は答えた。
「賢兄が武芸に秀で、勇略に優れていることは、以前からよく承知していました。実は人を遣わして探そうと思っていたところ、思いがけず今日ここでお会いできた。
 まさに三生の幸いです。しかも郭元帥は私の姑丈こじょう。明日お引き合わせしますが、これほどの英才を見れば、大いに用いられぬはずがありません。」

 そう言うと、柴栄は軍校に命じ、各地からの志願兵を堂に入れて検分し、名簿に記して帥府へ送り、編成と訓練に備えさせた。公務が済むと、担当者に命じて宴席を整え、韓通を手厚くもてなした。

 翌朝、柴栄は韓通を連れて帥府へ赴き、郭威に引き合わせた。郭威は韓通の壮健な体躯と整った容貌を見て、早くも好感を抱き、さらに柴栄が才能を強く推挙したため、大いに喜んだ。

 その場で委任状を一通与え、仮に五営団練使司ごえいだんれんししの職を預け、引き続き柴栄とともに四方の豪傑を募り、日々兵を訓練せよと命じた。

 韓通は命を受け、拝礼して退出し、柴栄とともに監軍府へ戻った。
 かくして彼は、ひたすら職務に励み、力を尽くして謀に与えることとなる。
 ――この段は、ひとまずここまでとしよう。

独語。
 ようやく正道に立ち返った韓通。なぜあんなに打ち据える必要があったのか謎なんですが。
 もとより韓通は柴栄よりは年上だと予想されます。軍に投じた時期もはっきりと書かれていませんが、劉知遠がまだ晋陽(太原)にいた頃、その配下となり、おそらくそこで郭威とたぶん柴栄(養子になっていたので郭栄ですね)と面識を得たものと思われます。
 柴栄が郭威とともに晋陽に赴任したという記録はないのですが、年齢も年齢だけに(二十一歳)郭威の補佐をしていてもおかしくはないかなと。
 そして韓通は、軍務にはマジメで慎みがある、とのことで後年、地位が格段に向上した郭威は、自らの帳下に招いたのでした。短慮で粗暴とはまた違った一面ですが、目上には素直なところがあったのかもしれない。職人肌の男という感じでしょうか。

 さて、漢の主は即位して以来、讒言ざんげんを聞き入れ、色欲に溺れ、賄賂を好み、賢人を遠ざけた。そのうえ大規模な土木工事を次々と起こしたため、民衆の怨みは日に日に深まっていた。

 また平素から一人の国丈こくじょう(外戚)を寵用していた。名を蘇鳳吉そほうきつ(蘇逢吉)といい、妬み深く忠良を害し、奸臣小人を取り立てる人物であった。
 朝廷では彼の上奏は十に九つがそのまま通り、思うままに振る舞ったため、群臣は横目で見て恐れるばかりで、誰一人として逆らう者はいなかった。

 そんな折、密偵が戻り、郭威が禅州で兵を募っていることを密かに報告した。
 この知らせを聞いた蘇鳳吉は、翌日の朝議でしゃくを手に殿上へ進み出て、ひれ伏して奏上した。

「臣、昨日密報を受けました。郭威が禅州で兵を集め、反心を抱いているとのこと。どうか陛下、早急にこれを除かれ、後患を断たれますよう。」

 漢主はこれを聞いて驚き、
「郭威がひそかに不臣の心を抱くとは、王法に背く大罪だ。太師よ、何か良策はあるか。急ぎ処断せねばならぬ」
と言った。

 蘇鳳吉は答えた。
「陛下、どうかお心をお急がせなさらず。愚案では、まず勅使を遣わして郭威を都へ召し出されるのがよろしいかと存じます。もし臣節を守る者であれば、必ず勅使に従って参りましょう。もし反心があれば、決して来ぬはず。
 その時こそ兵を発して罪を問えば、名分も正しく、朝臣にも異論は出ますまい。どうか聖断を。」

 漢主は大いに喜び、
「太師の奏は、まことに治国の良策である。これを採用しよう」
と答えた。蘇鳳吉は謝恩して退いた。

 漢主が勅命を出そうとしたその時、階下に一人の臣が進み出た。紅袍こうほうに金の襆頭ほくとう、玉帯に黒靴、笏を胸に当てて奏上する。

「陛下、どうか讒言をお聞き入れになり、国家の大事を誤られませぬよう。」

 それは平章事へいしょうじ史弘肇しこうちょうであった。
 漢主は言った。
「郭威が不軌ふきの心を抱くゆえ召し返すのだ。処置は別に考えておる。なぜ卿はこれを阻むのだ。」

 史弘肇は答えた。
「阻むつもりはございません。ただ、郭威は臣とともに先帝に仕え、鎧を着て刃を執り、国を興し社稷しゃしょくを築いた功臣でございます。ゆえに先帝は重任を託し、禅州を鎮めさせたのです。
 これは国家の要であります。今、理由なく召し返せば、君臣の疑いを生み、重臣を反逆へと追い込むことになります。郭威の配下は多く、必ずや変事が起こりましょう。
 さらに諸鎮の諸侯も皆不安にかられ、兵を動かす恐れがあります。陛下、どうか深くお考えください。」

 しかし漢主は言った。
「否。郭威は外にあって兵を集めている。これは明らかに反心の証だ。今除かねば、後に禍根となり、悔いても及ばぬ。卿はこれ以上申すな。」

 史弘肇はさらに奏した。
「兵を募るのは国家のためであり、臣下として当然の務めです。それを罪として郭威を死地に追いやるのは、陛下みずから股肱を断つことになります。
 加えて申しますに、陛下は即位以来、仁徳を行わず、土木を興し、讒言を信じ、酒色に溺れておられる。臣は天下の行く末を憂えております。
 どうか賢を近づけ、佞を遠ざけ、まず蘇鳳吉を市に斬り、蘇皇后を冷宮に下し、朝廷を粛清なさるべきです。
 そのうえで郭威を王に封じ、心を安んじ、庫を開いて軍民を賞すれば、人心は自然に帰服し、国家は永く安泰となりましょう。」

 この諫言を聞いて、漢主は激怒した。
「朕は即位以来、先帝の遺命に従い、徳を失った覚えはない。そなたは朕を奸臣を寵し、国を害すると面と向かって罵るのか。
 民間の富豪でさえ庭園を造って楽しむ。朕が御苑を一つ造っただけで、大工事と言えるか。蘇皇后は朕の正妻であり、何の過ちがあろう。
 夫婦は人倫の大本。朕が自らそれを壊して、どうして天下を正せようか。蘇鳳吉のそうは国家のためであって私情ではない。それを妬みから忠臣を斬れと言うのか。
 法に照らせば、功を恃み誹謗をなすそなたこそ誅すべきだが、先帝の旧臣ゆえに情をかけ、官を奪って庶民とする。永く登用せぬ。速やかに退け。」

 史弘肇は、若い主君が諫めを聞かず、かえって自分を罷免したのを見て、もはや酒色に溺れた君に強諫は無益と悟り、再び奏することなく、ため息をついて立ち去ろうとした。

 その時、脇に立つ蘇鳳吉が目に入り、怒りがこみ上げた。
「国を誤り、君を欺く姦賊かんぞくめ! すべてお前が聖心を惑わし、朝政を乱したせいで、民は怨み、藩鎮は離心した。この錦繍きんしゅう江山こうざんも、ついにはお前の手で滅ぼされるのだ!」

 蘇鳳吉も怒鳴り返した。
「史弘肇! お前は郭威をかばい、共に謀反を企てているのだろう。だから私を害そうとするのだ!」

 史弘肇はさらに怒り、
「姦賊! 己の過ちを省みず、血口をもって人を陥れるとは、許し難い!」
と言い放つと、朝笏を振り上げ、面門を強打した。

 笏は三つに折れ、蘇鳳吉は鼻も目も歪み、血を流して地に転がり、叫んだ。

「陛下、明察を! 史弘肇は郭威と私通し、謀反を企て、臣を殿上で打ち据えました。どうかお救いください!」

 漢主は龍床からその一部始終を見て激怒し、史弘肇を指さして罵った。
「万悪の姦賊め! 朕を不明不仁と罵るだけならまだしも、殿上で太師を打ち、さらに反逆と通じるとは、大罪赦し難い。左右の者、ただちにこの賊を縛り、市へ引き出せ!」

 左右から「ははっ」と声が上がり、役人たちが出てきて、たちまち史弘肇を捕らえた。
 文武百官は皆驚き憤ったが、蘇鳳吉の権勢を恐れ、誰一人として助命を願い出ることができず、ただ嘆息するばかりであった。

 まさに――

 禍を恐れて朝廷の事を語らず、
 命惜しさに諫言の風も顧みぬ。

 その場で、蘇鳳吉はさらに奏上した。
「史弘肇は私通して謀反を企てました。本人一人を誅しただけでは、その罪は償えません。満門の家族すべてを斬り、後の世の人々への戒めとすべきでございます。」

 漢主はその奏をすべて認め、ただちに詔を下した。
 殿前校尉に命じ、史弘肇の一族全員を捕らえ、市へ引き出して斬首せよ、というのである。

 校尉は勅命を受け、禁軍を率いて史弘肇の屋敷を前後から包囲した。
哀れなことに、忠臣の家族は、身分の高低も、老いも若きも、男女の別もなく、皆まとめて縛られ、市へと引き立てられた。
 朝廷には多くの官僚がいたが、日頃弘肇と親しかった者であっても、この時ばかりは命を懸けて庇おうとする者は一人もいなかった。

 ただ、城中の百姓たちはこの光景を見て、皆憤りを覚え、三人五人と集まって囁き合った。

「ようやく天下が太平になって数年だというのに、またこんな大変事が起こるとは。史様ほど国と民を思うお方はいなかった。無実のまま殺されるとは、きっと近いうちに戦が起こる。結局、我ら百姓に福がなく、またこの災いに遭うのだろう。」

 その中で、一人の年老いた者が口を開いた。
「皆さん、朝廷のことは今は論じても仕方がない。それより、わしには一つ、どうしても相談したい大事がある。聞いてもらえるかな。」

 人々は答えた。
「どんなことでも構いません。できることなら、従いましょう。」

 老者は言った。
「史様は忠臣だ。わしら百姓は、日頃からあの方の慈しみを受けてきた。今日このような目に遭われたのなら、せめて紙銭を買い、法場で焚いて、お送りするのが人の道ではないか。皆さんはどう思われるか。」

 人々は一斉に賛同した。
「もっともだ。ぜひ行こう。」

 こうして皆が少しずつ銀を出し合い、紙銭を用意して、市へ向かった。
 しかし市は四方八方を兵が固め、容易に近づけない。老者は声を張り上げた。

「皆さん、少し道をお譲りください。史様をお送りするために参ったのです。」

 そう言って人垣をかき分け、なんとか中へ進み出た。

 目を上げると、史弘肇とその一族、合わせて百三口が、皆縛られて立たされていた。
 周囲には弓に弦を張り、刀を抜いた兵が並び、さらに夜不収が四方を巡回している。

 史弘肇は天を仰ぎ、深く嘆いた。
「天地神明よ、我が心を照らしたまえ。私は国のために家を忘れて尽くしてきた。それでどんな罪があって、全家が誅されねばならぬのか。生きては奸賊の肉を食らうこと叶わず、死しては必ずその魂を噛み砕かん!」

 その傍らで、夫人が静かに言った。
「あなた様、何をそんなに嘆かれますか。古くから申します、忠臣は死を恐れず、ただ死に場所を選ぶのみ。今日、国のために命を捨て、一族が共に誅されること、その是非は後の世が必ず裁きます。どうか嘆かれませぬよう。」

 史弘肇はうなずき、これをもっともだとした。

 百姓たちはこの様子を見て、皆涙を流し、近くへ寄って一斉に跪いた。
 史弘肇が尋ねた。
「そなたたちは、何の用で参ったのだ。」

 人々は答えた。
「私どもは城内の百姓でございます。いつも史様のお力添えと慈しみを受けてまいりました。今日、害されたと聞き、何のお返しもできませぬが、せめて紙銭を用意いたしました。どうかその場でお受け取りくださり、私どもの心ばかりの敬意とお汲み取りください。」

 そう言うと、紙銭を広げて火をつけ、史弘肇の前で焚き、一同声を上げて泣いた。

 史弘肇はそれを見て、幾度も嘆息したのち、静かに言った。

「そなたたち、もうよい。私は官にあって、そなたたちに特別な徳を施した覚えもなく、古の名臣に比べれば恥じ入るばかりだ。年もすでに六十を越え、これまでの福も身に受けてきた。
 今日、命が尽きるのも天命であろう。恨みはない。ただ、この心に恥じぬこと、それだけだ。こうして見送ってくれる情、九泉の下でも忘れまい。
 ただ一つ、言い残すことがある。よく心に刻んでほしい。そうすれば、私は死しても生きているのと同じだ。」

 百姓たちは言った。
「どのようなお言葉でも、必ず守ります。」

 史弘肇は言った。

 家にあっては父母を敬え。
 百善のうち、孝が第一である。
 兄弟は仲睦まじく、
 近隣とは争わず和を保て。
 子には礼義を教え、
 娘は母が厳しく諭せ。
 損をしても分を守り、
 貧しくとも技を磨け。
 縁に任せて淡々と生き、
 生業を楽しみ、心を煎るな。
 名と利は一生追うものではない。
 栄枯盛衰、すべては天の定めである。

 史弘肇が言葉を続けている最中、突然、軍民の間がざわめき出した。
「朝廷の駕帖がちょう(死刑の命令書)が来たぞ!」

 見物していた百姓たちは一斉に手を打ち、口々に叫んだ。
「大変だ、駕帖が来た! 史様はもう助からない!」

 たちまち兵士たちが百姓を追い散らし、監斬官かんざんかんは立ち上がって聖旨を拝し、営柵に供えてから、罪人を引き立てるよう命じた。
史弘肇の名を罪状札に記し、引魂幡いんこんばん(葬礼用の白い旗)の前へと連れて行く。

 土工が二枚の葦席いせき(葦のむしろ)を地に敷き、史弘肇夫妻は向かい合って跪いた。
 その時、怨気が天に衝き、にわかに空は暗くなり、日の光も失せた。
 愁雲しゅううんはたれ込め、重苦しい霧があたりを覆う。
 処刑人は刀を提げ、合図を待っている。

 やがて陰陽官いんようかんが告げた。
「午の刻に到着。刃を下せ。」

 その瞬間、一発の砲声が轟き、百姓たちは一斉に手を打ち、悲嘆の叫びが渦巻いた。
 見る間に、夫妻二人の首は地に落ちたのである。

 まさに――
 二条の白気は天に昇り、
 一双の英魂は西へと去った。

 これを詠んだ詩がある。

 国を憂い民に尽くして幾年か、
 一片の忠心、日夜ひたすら慎み深し。
 天はなぜか奸臣をして陥れしめ、
 血と涙、杜鵑とけん(ほととぎす)の声となり大地に満つ。

 監斬官は史弘肇夫妻を斬り終えると、続いて一族すべて――身分の高低、男女を問わず、合わせて百三口――の名を呼び、次々に処刑した。
 遺体はすべて埋葬され、事が終わると、監斬官は朝廷へ戻って勅命を復奏した。
 漢主は、それをもってようやく退朝したのである。

 翌日、蘇鳳吉は再び奏上し、急ぎ官を遣わして郭威を召し返すべきだと進言した。
 漢主はこれを認め、翰林承旨かんりんしょうし孟業もうぎょうに勅命を授け、夜を徹して禅州へ向かわせ、郭威を期日を限って入京させ、決して背かせるなと命じた。

 孟業は命を受け、拝礼して出朝し、従者を伴って馬で汴梁城を出、禅州へ急行した。
 ――この件は、ひとまず置く。

 さて、河南・帰徳府節度使きとくふせつどし史彦超しげんちょうは、史弘肇の実弟である。
 その日、府中で配下の将と酒を酌み交わしていると、辛うじて難を逃れた家人が一人、駆け込んできた。
 家人は彦超の前にひれ伏し、主人一家が皆殺しにされた次第を、泣きながら語った。

 兄の訃報を聞いた史彦超は、驚愕と怒りに胸を満たし、
「無念極まりない!」
と叫ぶや、その場に倒れて気を失った。

 将たちが慌てて介抱し、しばらくして目を覚ました彦超は、歯を食いしばり、大声で罵った。
「無道の昏君こんくんめ! 兄は赫々たる戦功を立てながら、恩賞どころか、奸臣の讒言を信じ、無実の罪で殺された。それだけでは足らず、一族すべてを抄斬しょうざんするとは、もはや理も法もない! 私は必ず奸賊を生け捕り、昏君を討ち、兄の仇を討つ!」

 そう叫ぶと、激しく泣き叫んだ。
 将たちがなだめ、ようやく涙を収めると、彦超は言った。

「昏君が兄を害した以上、遅かれ早かれ、次は我が身にも兵が向かうであろう。だが、今の私には兵も将も少ない。どうして抗えようか。
 兄は郭威のことで災いを受けた。ならば私は郭威を頼り、身を寄せるほかない。そうすれば禍を避け、兄の仇も討てよう。
 同行したい者は共に来よ。無理強いはせぬ。」

 八人の勇将が声を揃えて答えた。
「我らは日頃より主将の恩を受けながら、報いる機会がありませんでした。今日この変に際し、喜んでお供いたします。」

 史彦超は大いに喜び、
「それならば、ただちに支度を整え、今日中に発つ!」
と命じた。

 こうして史彦超は家族を守り、八将を伴って帰徳府を出立し、一路、禅州へと向かったのである。
 ――この段も、しばらく置く。

補足。
 史彦超という名はこの時期他にも見られ、立伝もされている雲州人の史彦超というのがいる。史弘肇とは出身地も経歴もだいぶ違うのだけれど、これを史弘肇の弟と設定して話を構成している模様。
 史弘肇の弟は史弘福と言って、この時は民間に隠れてやり過ごし、後周朝が立って再出仕し北宋まで将軍職を歴任した。
 なお、命名規則のひとつ「輩字」というのがあり、史弘肇兄弟の場合は、「弘」が共通しているため兄弟関係だとわかりやすい。
「彦」はこの時代の命名時もっとも好まれた字だけれど、実弟で輩字が違うのは一般的でなかったように思われるため、史彦超を史弘肇の弟としたのは、物語の都合だと解釈しておこう。

 一方、郭威はある日、帥府で閑座かんざしていると、門官が報告した。
「朝廷よりの使者が到着し、元帥に勅命を伝えたいとのことです。」

 郭威は急ぎ諸官を率いて帥府を出、勅使を迎え入れ、堂上で聖旨を開読した。
 その内容に、郭威は内心大いに驚いたが、表情を改め、勅使と礼を交わし、客座に分かれて着席した。

 茶が引かれた後、郭威は口を開いた。
「勅使殿。聖旨により、郭威を都へ召されるとのこと。いったい、何ゆえの御用でしょうか。」

 孟業は慌てて笑顔を作り、ことの次第を穏やかに語り始めた――
 ここに、地方の将を揺るがす変事が起こり、
 忠勇の心は冷遇され、
 天命の行方は、いよいよ測り難くなるのである。

 まさに――

 燕雀えんじゃく、堂に処して、すでに事は壊れ、
 熊羆ゆうひ、境を圧して、いかで支えん。

 孟業はいかなる言葉をもって答えたのか。
 それは次回にて、明らかとなろう。

独語。
 全六十話中の三十話といったところで、物語は展開を改め、軍記物語にありがちな様相となってきました。
 佞臣、蘇鳳吉の名が「鳳」になっているのは、なぜかはわからないが、おそらく「蘇逢吉」のことで間違いないかと。
 そして忠臣、史弘肇。前者は文人として、後者は武人として後漢の重鎮で、この物語にあるように反目していた二人です。
 郭威を巡っての言い争いも史実通りだけど、すでに外鎮にあって兵力増強を目論む郭威を取り沙汰したのではなく、もともと中央禁軍の統帥権をもった枢密使すうみつしのまま、節度使として領地と固有の軍隊を持たせることを危険視したのでした。
 史弘肇は郭威を弟のように接しており、郭威の権限を強化するのは自己の立場にも有利であるため推し、蘇逢吉はいつそれが国(自分も)を害するために向けられるかわかったものではないから猛反対する、という図式。
 結局、史弘肇が押し通し、郭威は禁軍の進退権を持ちながら京師みやこから出て、魏州に鎮座することになります。
 これが大名府たいめいふ
 柴栄、趙匡胤、韓通が共に居た場所なのです(物語では禅州になっていますが)。


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