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第二十回 真命主戲醫啞子 宋金清驕設擂臺

第二十回 真命主、戯れて啞子あしいやし、宋金清、驕りて擂台らいだいを設ける。

 詩に曰く:

 世の道を覆う濁りを掃い尽くせば、道は澄みわたり、
 行き交う人は呼び合い、胸の内を語り合う。
 天の星はもとより文明の質を備え、
 地の世界では、ときに霊妙な導きを示す。

 景色が異なれば障りも多く、
 山林には道もなく、侵されて塞がれる。
 神威が及ぶところ、戦火は鎮まり、
 その徳は万世に仰がれて尽きることがない。

 さて、趙匡胤は趙員外と言葉が合わず、怒りにまかせて家を飛び出し、憤りを胸に歩き続けたため、宿を逃してしまった。
 その夜は京娘の陰霊が灯を執って道を送ってくれ、さらに一晩を行くこととなった。

 やがて心身ともに疲れ切り、道中で古い廟に行き当たり、そこで一日休むことにした。
 夜、二更のころ、はたして廟に妖蛇が現れたので、匡胤はすぐさま神煞棍棒しんさつこんぼうを振るい、大喝一声、蛇の頭めがけて打ちかかった。

 蛇はそれを見るや、頭をもたげてひらりと身をかわし、逆に匡胤へ飛びかかってきた。
 匡胤は身をひるがえして避け、蛇は空を切った。

 匡胤が棍を振り上げて打ち下ろそうとすると、蛇は身をうねらせ、尾で鞭のように叩きつけてきたが、これも当たらない。
 蛇はさすがに慌て、再びしょうほどもある頭をもたげ、正面から襲いかかってきた。

 匡胤は身を翻しざま、棍をひとひねりすると、狙いも定まらぬまま、ちょうど急所の七寸に命中した。
 蛇は激痛にのたうち、もはや半死半生である。

 夜明け前の薄暗さで様子がよく見えぬまま、匡胤は棍を振り下ろし続け、まったく動かなくなったところでようやく手を止めた。
 再び板の上に腰を下ろし、しばらくうとうとすると、やがて村鶏が三度鳴き、日が昇った。

 目を覚まして妖蛇を見れば、まことに巨大で、見るだに恐ろしい。
 そこで壁に向かって、四句の詩を書き残した。

 関西の諸州を歩き尽くし、
 妖蛇は幾年も人を害してきた。
 神前に棍を下ろせば、妖気は散り、
 これより行き交う人は憂いを持たず。

 書き終えると、神煞棍棒しんさつこんぼうを再び鸞帯らんたいに戻して腰に締め、荷を背負い、廟を後にして先へと進んだ。

 その日、道を行くうちに、前方にひときわ大きな屋敷が見えてきた。
 門前には、白髪の老人が座り、行き来を眺めている。

匡胤の姿を見ると、老人は席を立ち、身をかがめて満面の笑みを浮かべ、

「お方、どうかお足をお留めください。拙宅にてお茶を差し上げたい」

と言った。

 年長者の誘いを断るのも憚られ、匡胤はともに門を入り、広間で荷を下ろし、礼を交わして腰を下ろした。
 安童あんどう(側仕え)が茶と菓子を運び、ひととおり飲み終えると、匡胤が尋ねた。

「老丈とは面識もございませんが、今日お招きくださったのは、何かご用向きがおありでしょうか」

 老人は言った。

「私は王と申します。今年六十八になります。祖先からの田地と庄を少しばかり持ち、この凍青荘とうせいそうでは“百万円外ひゃくまんえんがい”と呼ばれております。
 ただ、年老いても子がなく、それが長年の憂いでした。
 寺に参って願をかけ、五十六の歳になって、ようやく一人の男子を授かりましたが、これが不幸にも身体に障りのある子で、十三歳になる今も口がきけぬの子なのです。
 日夜心を痛めておりましたところ、二か月ほど前に、占い師が通りかかりました。姓はびょう、名は光義こうぎといい、実に妙なことを申しました。

『啞の子よ啞の子よ。今日口を開かずとも、後年は宰相となり公侯に列する。
 今年のこの月、この日、この時、この場所で、赤ら顔の君子を待て。
 その人は啞を治し、言葉を与える』

 ――そう言うのです。
 そこで私は言葉を信じ、ここでお待ちしておりましたところ、まさしく君子にお会いできた。
 もし息子を話せるようにしていただけるなら、家業を半分差し出しても惜しみません。決して約束は違えません」

 匡胤はそれを聞き、内心で思った。

「この苗光義は、これまでの言葉はよく当たってきたが、この件ばかりは荒唐無稽だ。
 世の病に医はあれど、啞まで治るものか。まして俺に治し方など分かるはずもない。
 だが、できぬと言えば、この老人の真心を踏みにじることになる。
 いっそ成り行きに任せ、曖昧に応じて、この場をしのぎ、立ち去ってしまおう。話せようが話せまいが、俺の知ったことではない」

 腹を決めて、こう答えた。

「啞の治療は心得ておりますが、成るか成らぬかは、その人の運次第です。
心が至れば、すぐに話し出すこともありますし、至らねば三年かかることもあります。
 ひとまずご子息をお呼びください。見れば分かりましょう」

 そばにいた安童が言った。

小相公しょうそうこう(若旦那)は今、書斎で学問に励んでおります」

 匡胤は言った。

「啞なのに、どうして学問ができるのだ?」

 安童は答えた。

「他の者は声に出して読みますが、うちの小相公は“悟る”のです。本を手放さず、ただ心で思い巡らすばかり。名ばかりの読書で、どうにもなりません」

 すると員外が叱りつけた。

「この犬め、余計なことを言うな。早く小相公をお連れして、この君子に診ていただけ」

 安童は急いで去った。

 ほどなく、啞の子が広間に連れて来られ、礼をして脇に立った。
 匡胤がよく見ると、その姿は――

 束ねた髪に包巾を戴き、
 髪は眉のあたりまで垂れる。
 大紅の道服に、寒梅の刺繍。
 中着は鮮やかな松花色、
 襟元には白が巡る。
 歯は白く、唇は紅く、
 顔は満月のように円満で非凡。
 眉は清く、目は秀で、
 鼻は胆を吊るしたように整っている。

 匡胤は思った。

「なんと福相の子だ。啞であるのが惜しい。ここまで来た以上、適当に言葉を唱え、奥へ返してしまえばよい」

 そこで尋ねた。

「ご子息のお名前は?」

 員外は答えた。

「学名は王曾おうそうと申します」

 匡胤は言った。

「この治療法は、心の誠次第。誠が至れば即座に話し、至らねば三年待つことになる」

 員外は言った。

「誠心なら、この老いぼれに及ぶ者はありません。話してくれさえすれば、それで十分です」

 匡胤は王曾を指さし、口にした。

「王曾よ王曾、聡く利発なこの人よ。今日われに遇えば、言葉は銅鈴のごとく鳴り響く」

 匡胤は戯れ言のつもりで、ただその場を取り繕ったにすぎなかった。
 ところが――

 言い終わるや否や、王曾はひざまずき、はっきりとした声で言った。

「ご教示、ありがたく存じます。小子、ついにもうひらかれました」

 そう言って立ち上がり、匡胤に向かってにこりと笑うと、そのまま奥へ入っていった。

 実はこの王曾、文星がこの世に降りた存在で、定められた運命であった。
のちに太祖が天下を取ると、王曾は三元に及第し、太宗の御代には宰相となって朝廷を支え、国政を取り仕切った。

――この先の話は、また別の機会に語ることとしよう。

補足。
 北宋の宰相に王曾という名前の人物はいますが、生まれは978年、北宋太宗の太平興国三年。
 真宗の末年から仁宗の前半の宰相でした。仁宗の全盛期、いわゆる慶暦の治けいれきのちにはすでに死去してしまいますが、名宰相ですね。
 ちなみに、文星あるいは文曲星は北斗七星の四番目の星で、才知を司ります。仁宗期の文曲星は、かの有名な包拯ほうじょうですね。

 匡胤は、さきほど自分が何気なく口にした数句の言葉で、王曾が本当に話し始めたのを見て、当の本人である自分自身が信じられず、実に驚き怪しんだ。

 そのかたわらで、員外は息子が言葉を発したのを見るや、胸の内は喜びに満ち、狂喜乱舞するほどで、前に進み出て拝礼し、言った。

「君子の神妙なる術のおかげで、小倅しょうそつ(せがれ)は口がきけるようになりました。先に申した通り、家財は半分お譲りいたします。どうかお受け取りください」

 匡胤は答えた。

「老丈、ご配慮には及びません。ご子息が口を開いたのは、第一に生まれ持った才質、第二に老丈が代々積まれてきた徳の賜物です。私にどんな力がありましょうか。どうして報いを受け取ることができましょう」

 そう言って、別れを告げようとした。

 しかし員外はどうしても行かせようとせず、手を取って引き留め、再び座らせた。そして尋ねた。

「先ほどは失礼しました。まだお名前も伺っておりません。君子のご尊名とお住まいは?」

 匡胤は答えた。

「私は汴梁べんりょうの者で、父は趙弘殷と申します。官は都指揮の職にあります。名は匡胤、字は元朗と申します」

 員外は言った。

「それはそれは、貴いお方とは存じ上げず、失礼の段、お許しください。
しかし、公子ほど清廉なお方が、わずかな謝礼も受け取られぬとなれば、ぜひとも拙宅にしばらくご滞在いただき、老いぼれの心ばかりのもてなしをさせてください。どうか再びお断りなさらぬよう」

 情を無下にするわけにもいかず、匡胤は逗留することになった。
 日々のもてなしは実に手厚く、周囲のへつらいも言うまでもなかった。

 折しも秋も末、冬の初めであったため、員外は匡胤の寒支度が整っていないのを見ると、すぐに家人に命じて仕立屋を呼び、上等で清潔な綿入れを何着も作らせ、寒さをしのぐために贈った。

 このころ、村の噂好きたちが口から口へと伝え、遠近にまで広まっていった。
「王員外の家に、啞を治す神仙が来ている。実に霊験あらたかで、どんなに口のきけぬ者でも、その神術にかかれば、たちまち話し出す」

 この噂に、愚かな男も女も我先にと集まり、遠近を問わず、まるで烏や蜂の群れのように凍青荘へ押しかけ、王員外の屋敷の門を取り囲み、口々に叫んだ。

「神仙を出せ! 啞を治してもらうのだ!」

 庄の者が中へ知らせに来たので、匡胤はやむなく外へ出て言った。

「皆々、どうか静まりなさい。あいにく、私の治療には決まりがあり、一年に一人しか治せません。縁があれば、来年またお越しください」

 これを聞くと、人々は一斉に騒ぎ立てた。

「金持ちだけ治して、貧乏人は相手にしないのか!同じ人間なのに、二つに分けて扱うとは道理に合わぬ、情にも耐えぬ!」

 ある者は土を投げ、ある者は騒ぎ、またある者は石や煉瓦を投げ始めた。
 収拾がつかなくなり、匡胤はなすすべもなく屋敷の中へ逃げ込み、大門を固く閉ざした。

 員外に別れを告げる暇もなく、荷を背負い、庄の者に案内させて裏門からひそかに抜け出し、そのまま先へと走り去った。

 やがて別の村に着いた。名を桃花荘とうかそうという。
 そこに一軒の酒屋があり、匡胤は中へ入って酒を求めた。

 腰を下ろしたそのとき、ひとりの旅人が血相を変えて駆け込んできて、机を叩きながら叫んだ。

「酒をくれ、酒を! 温いのでも冷たいのでもいい、一壺でいいから持ってこい!気合を入れて、擂台らいだい(闘技場)の勝負を見に行くんだ!」

 店主は慌てて酒を出し、その男は勢いよく飲み始めた。

 匡胤は「擂台」という言葉を聞き、すぐに尋ねた。

「その擂台とは、誰が立てたもので、どこにあるのですか」

 男は酒を飲みながら答えた。

「この桃花荘の西の端だ。桃花山の三人の大王が立てた擂台だ」

 匡胤はさらに聞いた。

「その大王とは、どんな名で、腕はどれほどのものだ?」

 男は言った。

「三人は同じ母から生まれた兄弟だ。長兄は宋金清そうきんせい、次兄は宋金洪そうきんこう、三男は宋金輝そうきんき
 それに妹が一人いて、宋金花そうきんかという。
 皆、腕は並外れて強く、豪傑を集めて山に拠り、英雄気取りで一帯を牛耳っている。誰も逆らえない。
 だから山の下に擂台を設け、三・六・九の日ごとに交代で下山し、勝負をする。
 台には金銀が積まれていて、拳で一発打てば金元宝一枚、蹴りを一つ当てれば銀元宝一枚。
 もし負ければ、逆に十倍払う決まりだ。
 だがこれまで勝った者はなく、皆返り討ちにあっている。今日は長兄の番だから、見に行くのだ」

 そう言うと、勘定を済ませ、店を出て行った。

 匡胤はそれを聞いて血が騒ぎ、自分も一壺飲み干すと、代金を払って西へ向かった。
 ほどなく擂台が見え、周囲は人で埋め尽くされ、山や海のような人だかりで大変な賑わいであった。

 台の上には一人の豪漢が立ち、身なりも整え、威勢よく叫んでいる。

「この中に腕の立つ者はいるか?上がって来い! 俺に勝てば金銀はくれてやる。だが十倍返しが怖いなら、恥をさらすな!」

 その言葉が終わらぬうちに、匡胤は群衆をかき分け、一跳びで台に上がり、大喝した。

「小僧、口先だけで威張るな! 俺が相手だ!」

 この一声に宋金清はぎょっとし、目を細めて匡胤を見て、心中でつぶやいた。

「なかなかの赤ら顔の男だ」

 そして言った。

「その赤ら顔の大男、俺と手合わせする気か?」

 匡胤は叫んだ。

「宋金清、お前の腕前を聞き及んだ。だからこそ、十倍の金銀を用意して、ここへ来たのだ!」

 そう言って荷を下ろし、上衣を脱ぎ、構えを取った。

 宋金清は激怒して叫んだ。

「赤ら顔の賊め、どうして俺の名を知っている!」

 そう言うや、脚で蹴りかかった。
 匡胤はひらりと身をかわし、逆に背後へ回った。

 宋金清は「泰山圧卵たいざんあつらん」の勢いで打ちかかる。
 匡胤は迎え打つふりをして、わざと足を滑らせ、どさりと台に倒れた。

 宋金清は大喜びし、「餓虎撲食がこぼくしょく」の構えで掴みかかってきた。
 その瞬間、匡胤は「喜鵲登枝きしゃくとうし」とばかりに、両足を相手の胸に突き出し、力いっぱい蹴り飛ばした。

 宋金清は仰向けに倒れ、匡胤は跳ね起きると、両脚を掴み、持ち上げ、ひと引きに裂いて、真っ二つにして台下へ投げ捨てた。

 台下にいた十二人の弟子と百余の手下は、一斉に叫んだ。

「赤ら顔の賊を逃すな! 長兄の仇を討て!」

 槍や刀を振りかざし、擂台を取り囲み、矢を雨のように放った。

 匡胤は形勢の悪さを悟り、身を隠す場所もなく、荷も帯も捨て、台から飛び降りた。
 素手で拳を振るい、活路を切り開いて南へ疾走した。

 まさに、

 手を放して生死の道を切り開き、
 身を翻して是非の門を飛び出す。

 であった。

 匡胤が逃げる背後から、追撃の叫びが轟き、追っ手は迫ってくる。
 多勢に無勢で太刀打ちできず、ただ前へ前へと走るしかない。

 そのとき、忽然と黒霧が立ちこめ、天地を覆い、岩も林も見えなくなった。
 手下たちは道を失い、匡胤の姿も見失い、やむなく桃花山へ引き返して報告するほかなかった。

 匡胤は、大霧のおかげで追っ手が退いたのを見ると、ようやく胸を撫で下ろし、あわてて先を急いだ。
 山道に入ったそのとき、にわかに激しい突風が吹き荒れた。

 風が過ぎたと思う間もなく、「ふっ」と唸るような気配とともに、斑模様まだらもようの猛虎が跳び出した。
 牙をむき、爪を立て、尾を振り、頭を揺らして、匡胤めがけて飛びかかってくる。

 匡胤は身をひねってかわした。
 虎は空を切り、すぐさま向きを変えて、また襲いかかる。
 匡胤は横へ跳んで避けながら叫んだ。

「まずい! 前には猛虎、後ろには賊が追う。俺の命もここまでか!」

 そう言う間にも虎は再び身を翻して迫ってくる。
 匡胤は一瞬うろたえ、拳で応戦する余裕もなく、ふと後ろを見ると、道端に大木がある。
 とっさに駆け寄って幹に取りつき、枝へよじ登って腰を下ろし、ひとまず難を避けた。

 ところが虎は虎で、また妙なことをする。
 匡胤が木に登ったのを見ると、木の下に陣取り、根元に口をつけて、ひたすら噛み始めた。
 見る間に半分ほども噛み削られ、上の枝がぐらぐらと揺れ出す。

 匡胤は青ざめた。

「しまった! あの畜生、木を半分まで噛み倒す気だ。落ちれば死ぬか、奴の口に入るか――!」

 焦りが頂点に達したその瞬間、胸の奥が破れるように突き抜け、頭上に真の龍の気が現れ、空に昇って渦を巻いた。

 まさに、

 福は重ならず、禍は続けて来る。
 賊を退けたと思えば、次は虎の厄。

 匡胤の難はさておき――。

 この山は「困龍山こんりゅうざん」といい、山上に古寺があった。名を「蟄龍寺ちつりゅうじ」という。
寺を預かる長老は曇雲どんうんといい、もとは唐末の武将・馬三鉄ばさんてつである。潼関の総兵を務めたが、のちに官を捨てて出家し、この寺に住んでいた。

 寺には上堂の僧が五百人。いずれも拳や棍に通じ、皆、長老の規律に従っている。

 この日、二人の僧が谷へ水を汲みに行こうとして山門を出たところ、林の端に猛虎が座り、道を塞いでいるのを見た。
 あわてて寺へ駆け戻り、禅堂で長老に告げる。

 曇雲長老は叱りつけた。

「この畜生め、深山で静かにしておればよいものを、勝手に出てきて生き物を脅かすとは!」

 そして弟子たちに命じた。

「ついて来い。見に行くぞ」

 長老は立ち上がり、鉄の芯が入った強弓と、連珠の矢三本を取り、衆僧を率いて山門を出た。
 石段の縁に立って眺めると、果たして林の端に大虎がいて木を噛んでいる。さらに、半空には赤鬚の火龍が現れている。

 長老は薄く笑った。

「ここは清浄の門だ。どうしてこの二つの悪しきものに荒らさせる」

 左手で弓を引き、右手で矢をつがえ、射ようとしたところ、弟子の一人が叫んだ。

「師父、待ってください! 木の枝に人がいます。あの龍は、その者の頭上から出ております。妖怪かもしれません!」

 長老は目を凝らし、枝の上に人がいるのを確かめ、心中で考えた。

「虎に遭って命が惜しくて木に登ったのだろう。今、虎が木を噛んでいるのだから、さぞ肝を冷やしているはず。恐怖のあまりいただきが開き、あのしるしが現れたのだ。
 しかし、これほどの異相が出る者は、先々の福分が小さくない。出家者として命を救ってやろう」

 まさに、

 龍を降す心を収め、
 虎を伏す心が起こる。

 長老は虎に狙いを定めて矢を放とうとしたが、僧たちが一斉に言った。

「師父、それはなりません」

 長老が問う。

「虎を射てば人が助かる。なぜ止める?」

 僧たちは答えた。

「我ら仏門は慈悲を本とします。先ほど龍は射らず、今度は虎を傷つける。片方を許し、片方を害するのは、偏りではありませんか」

 長老は言った。

「ではどうせよと言うのだ」

 僧たちは言った。

「虎を追い払って、枝の上の人を救い、どちらも命を失わぬようにするのが慈悲です」

 長老は頷いた。

「もっともだ」

 弓を下ろし、僧たちに虎を追い払わせた。
 僧たちは声をそろえて叫び、力を合わせて追い立てたが、虎は呼び声など意にも介さない。

 長老は言った。

「下がれ。私が言い聞かせる」

 そして大声で叱った。

「この畜生! ここは清浄の法門だ。誰がここで荒らしてよいと言った。
すぐ去らぬなら、その場で命を失わせるぞ!」

 すると虎は立ち上がり、長老を一瞥し、毛を震わせると、深い林へすっと消えた。

 僧たちは口々に褒めた。

「さすが師父の法力は際限がない。たった数句で畜生が退いた!」

 長老は虎が去ったのを見て、上を向いて呼びかけた。

「枝の上の君子よ。虎はもう遠くへ行った。安心して降りて来なさい」

しかし匡胤は恐怖で真元しんげん(本性)が噴き出し、目を閉じて心を鎮め、天命を待つ境地に入っていたため、下の騒ぎが耳に入らなかった。
 長老が木の下で幾度も呼ぶと、まるで醍醐だいごを頭に注がれたように意識が戻り、元神が体に帰ってきた。

 目を開けると、虎は確かに去っており、下には多くの僧が立っている。
 匡胤はようやく安心して木から降りた。

 よく見ると、先頭の老和尚は風格が尋常ではない。年老いてなお雄々しく、並ぶ僧たちも皆たくましい。
 その老和尚は――

 眉は雪のように白く、びんは霜のよう。
 顔は蟹殻かいかくのごとくゴツゴツして、凄味は鬼神にも劣らず。
 目は朗星のように澄み、光は羅漢にも似る。
 毘盧帽びろぼうを整え、仏相の端正さを保ち、
 紅の袈裟を正しくまとい、英気は凛として立つ。
 両脇の弟子たちは取り巻き、月を捧げる星々のようである。

 匡胤はその威容に、思わず心の中で喝采した。
 長老もまた匡胤をじっと観察し、面に神威があり、どこか王者の相が隠れているのを見て、内心ひそかに喜んだ。

 長老は笑みを浮かべて尋ねた。

「君子のお名前は? どこから来て、今日は何の用でこの地へ?」

 匡胤は答えた。

「お尋ねありがとうございます。私は汴京べんけいの者で、殿前都指揮てんぜんとしきし・趙弘殷の子、名は匡胤、字は元朗。
 関西へ親類を頼って向かう途中、桃花山で悪党が威を張り、擂台で人を侮っているのを見て腹が立ち、宋金清を台上で斬り裂きました。
 ところが手下が多く、抗し切れず逃げ出し、ここへ来て虎にも遭い、木に登ってしのいでいたところです。
 危ないところを長老に救われ、これはまさに死地から拾われた命、すべて長老の大徳のおかげです」

 長老はそれを聞いて大いに喜び、

「なるほど、趙公子でしたか。失礼しました。中で話しましょう」

と言って拱手し、匡胤を迎え入れ、山門を閉ざした。

 禅堂に入り、礼を交わして茶をいただいた後、匡胤が尋ねた。

「長老の法名は? 俗世での出自も、差し支えなければお聞かせください」

 長老は答えた。

「老僧の法名は曇雲、また仏瑞ふつずいとも申す。俗姓は馬、名は三鉄。唐の末には潼関の総兵を務め、令尊れいそん(お父上)とも一度会ったことがある。
 しかし国の有様が日に日に悪くなり、天の心も離れたと悟って官を捨て、ここへ来て出家し、世俗の縁を避けている。

 ところで、さきほど公子が討った宋金清は、桃花山の大王で、この寺の施主でもあった。
 公子の豪挙であれを斬った以上、禍は天を衝く。
 奴には二人の兄弟がいて万夫の勇、妹は妖術を使う。手下も多く、兵は五千。
 さきほど追いつけなかったのは、必ず山へ戻って報告するからだ。
 兄妹が聞けば必ず仇討ちに来る。こちらは少数、どうしたものか」

 匡胤はこれを聞いて仰天し、心の中で思った。

「禍を避けたつもりが、逆に網へ飛び込んだ。
 この和尚は賊の一味で、俺を騙して門を閉めたのではないか。
 今ここで飛び出すにしても、この和尚は老いてなお気迫があり、僧も大勢いる。突破できるはずがない。
 かといって座って警戒するだけでは身が保てぬ……」

 思案に暮れた末、ふと考えた。

「いっそ苦肉の策で、相手の腹を探ろう」

 そして言った。

「長老、その大王がこの寺の施主なら、私はここで助かる見込みはありません。
 どうか私を縛って山寨へ引き渡し、あちらの仇討ちを遂げさせてください。
 それが長老の功徳にもなりましょう。ぐずぐずせず、今すぐお取り計らいを」

 すると長老は笑みを崩さず言った。

「公子、疑うことはない。老僧に悪意があると思うな。
 宋家の兄弟は施主ではあるが、もとより我が本心ではない。老僧の名を恐れて表向きは布施の縁を結び、内々に繋ぎ留めていただけだ。
 本当は追い払いたかったが、口実もなく、力も足りず、放置するうちに勢いを増して今日に至った。

 それに、老僧は令尊と面識がある。どうして公子を賊に差し出せよう。
 奴らは必ず寺へ捜索に来る。ならば、こちらも策をめぐらせ、公子と力を合わせ、あの連中をまとめて始末し、土地から大害を除こう。
 それこそが、何にも遮られぬ大功徳というものだ」

 匡胤は言った。

「それは本心ですか、それとも戯れ言ですか」

 長老は言った。

「虚言ではない。疑うな」

 匡胤は言った。

「それほどの志があるなら、策はどう立てるのです。詳しくお聞かせください。私の疑いも晴れましょう」

 長老は指を立て、ある計略を語り始めた――。

 その計略によって、

 僧と俗は心を合わせ、蟄龍寺にはたちまち屍が横たわり血が流れ、
 桃花山の兄妹の怨みも、一気に瓦解して霧散することになる。

 まさに、

 栄枯を共に嘆けば、日も異なり、
 今も昔も、結局は灰に帰す。

 さて、長老はいかなる策を語ったのか。
 それは次回を見れば明らかとなる。

独語。
 殿前都指揮使・趙弘殷の名声は天下に聞こえ、その子たる趙匡胤は名乗るだけで相手が恐れ入る貴公子。
 と、そこまで名高い家門かなと思いはするものの、貴種流離譚としては必要な一節。
 ところで、馬三鉄という人名には心当たりがない。物語上のキャラクターでしょうか。
 ただ潼関絡みで「三鉄」という人なら、鉄鞭てつべん鉄槊てつさく鉄檛てつたを持ち、戦場を駆けた猛将・王継勲おうけいくんの異名として記録にはあります。
 史実ではその「王三鉄」の軍勢と、おそらく趙匡胤は戦いを交えたかと思われます。


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