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第二十一回 馬長老雙定奇謀 趙大郎連誅賊寇

第二十一回 馬長老、ふたたび奇謀を定め、趙大郎、つらねて賊寇を誅す。

 詞に曰く:

 旅の身は旅を思い、ふと振り返れば故郷は遠い。
 うぐいすの声に涙の痕が誘われ、足はためらい、目には烽煙ほうえんが満ちる。
 かねて志は奮い立ち、妖しいけがれを一掃せんと願う。
 競い合い、追い走り、ひと睨みで旗が折れるほどの勢い。

 神の謀は妙なる算段、そうきょう(狩猟用の網)で羊も犬もからめ取る。
 連弩で帰路を断ち、泉は噴き、風は巻き上がる。
 元凶はすでに首を取られ、辺境から塵が消える。
 大道は静まり、豹山ひょうざんは安らぎ、男の願いがはっきりと形になる。

 ――右、《驀山溪ばくざんけい》の調。

 曇雲長老どんうんちょうろうは、匡胤が自分を疑い、害する気ではないかと警戒しているのを見抜くと、こう言った。

「公子、疑うことはありません。老僧はまことの心です。だからこそここに留め、相談しているのです。
 奇策を立てて、あの一味を根こそぎ討ち滅ぼさねば、後が絶えません」

 匡胤は言った。

「長老にそれほどの徳がおありなら、計はどのように?」

 長老は言った。

「老僧には神弓がある。名を“挿靶鉄胎弓そうはてつたいきゅう”。さらに連珠の神矢が三本。
 これを公子に預けます。大殿の供卓の下に伏して待ってください。
 私は賊をうまく誘い込む。機が来たら動くのです。

 合図は、私が口で『こう』と唱えること。
 その声を聞いたら、ただちに弓を引き矢を放ちなさい。天が味方して一人仕留めれば、それだけ助けが減る」

 そう言うと弓矢を渡し、射方や構えを何度も教えた。
 匡胤は呑み込みが早く、一度教わっただけで身につけた。

 二人は大殿へ行き、匡胤は供卓の下に潜り込み、卓の垂れ布を下ろして、息をひそめた。
 長老は衆僧に命じる。

「山門は大きく開けよ。桃花山の賊が来たら、止めずに入れ。扉は閉めるな」

 衆僧は「承知」と答え、寺門を開け放って待ち構えた。

 一方、黒霧に惑わされて追跡に失敗した手下どもは桃花山へ引き返し、兄妹三人に報告した。
 兄妹はそれを聞くや、一斉に声を上げて泣き、歯ぎしりして誓った。

「必ず捕えて仇を討つ!」

 宋金花を山寨の守りに残し、兄の宋金洪と宋金輝の二人は、手下五百を率いて下山し、匡胤を追った。

 蟄龍寺ちつりゅうじに着くと山門を囲み、怒鳴り声を上げた。

「寺の和尚ども、よく聞け!
 さきほど赤ら顔の男がここへ逃げ込んだはずだ。寺に匿っているのだろう。
 すぐに差し出せ。そうすれば毎年十万銭の布施を増やしてやる!」

 門の僧が急いで長老に知らせると、長老は外へ出てきて、二人の顔を見るなり満面の笑みで言った。

「二位の大王がこれほどの人馬を率いて、いったい何事で?」

 宋金洪が言う。

「長老はご存じないか。今朝、赤ら顔の賊が擂台らいだいで俺の兄貴と勝負し、兄貴は不覚を取って斬り殺された。痛恨の極みだ。
 手下が捕えようとしたが逃げられた。だから追って来た。ここへ来なかったか?
 寺にいるなら渡せ。礼は厚くする」

 長老は言った。

「なるほど。しかし、寺には見ておりませぬ。大王は他所をお探しなされ。ここで足止めするのは無駄でしょう」

 そう言って背を向け、山門を閉めてしまった。

 それを見て宋金洪は疑った。

「弟よ、俺たちが来た時は門が開いていたのに、探すと言った途端に閉めた。何かある。
 お前は外で見張れ。俺が中へ入って探ってみる。仇が潜んでいるかもしれぬ」

 宋金輝も言った。

「もっともだ」

 宋金洪は馬を降り、手下三十を連れて門前で叫んだ。
 僧たちは罠のつもりで、わざと門を開けた。

 金洪が先頭、手下が後ろに続き、一行は寺へ入り、大殿へ進む。
長老が迎え出て言った。

「二大王、貧僧の言葉を信じられず、捜しに来られたのですかな?」

 金洪は笑って言った。

「正直、信じられぬ。申し訳ないが、一度あらためさせてもらう」

 そして命じた。

「手下ども、探せ!」

 手下は二つの回廊から探し、羅漢堂や天井裏、台所、僧房、床下、中庭に至るまで荒っぽく調べたが、影も形もない。
 戻って報告すると、金洪は怒鳴った。

「役立たずめ! まだ探していない所があるだろう。供卓の下はどうした!」

 長老は内心で笑った。

(誰が“いない”と言った? たとえ見つけたところで、この馬三鉄がそう簡単に渡すものか)

 手下が供卓に近づき、垂れ布をめくろうとした、その瞬間――
 軒先から急に風が巻き、地に塵が渦を巻き、護駕ごがの神が二柱、どんと現れた。

 左の神は凶相で、見るからに恐ろしい。
 右の神はさらに威風堂々、銀の兜に鎖帷子、右手に方天戟ほうてんげき、左手には黄金の塔。――托塔天王たくとうてんおうである。
 二柱は供卓の左右に立ち、匡胤を守り立てた。

 手下どもが垂れ布をめくろうとすると、托塔天王が黄金の塔をひと振りした。
 すると目の前が真っ暗になり、何も見えなくなった。
 手下は恐れおののき、引き返して報告するしかなかった。

 宋金洪は言った。

「まだ探し方が甘いのだろう。今日、寺に踏み込んだのは心苦しいが、もう一度、隅々まで探せ。必ずいるかいないか分かる」

 手下は命令に従い、再び回廊から探し始めた。
今度の捜索は前よりはるかに乱暴で、煙と埃が舞い、箪笥たんすは叩き壊され、古い仏像もひっくり返され、経箱は倒れ散らかった。

 それでも結局、痕跡は見つからず、手下は戻って言った。

「前後くまなく探しましたが、影もありません」

 宋金洪は胸の内でうなった。

(本当に赤ら顔の賊は寺に来ていないのか……?)

 立ち上がろうとしたところ、長老が言った。

「二大王、これで貧僧の言葉が虚言ではないとお分かりでしょう」

 金洪は言った。

「賊が寺にいないなら、どこへ逃げた?」

 長老は言った。

「仏前で一つせん(くじ)を引き、行方を問うてみては?
 闇雲に追うより、骨が折れませぬ」

 金洪は頷いた。

「なるほど、もっともだ」

 金洪は仏前へ進み、籤筒せんとうを取り、両膝をついて祈った。

「弟子・宋金洪、桃花山に住まう者。
 本日、名も知らぬ赤ら顔の大男が擂台で我が長兄を斬り殺し、行方をくらました。
 どうか仏よ慈悲を垂れ、一籤を授けて行き先を示したまえ」

 金洪が祈っているかたわらで、長老は磬を打ち、口の中で唱えた。

こうこう

 金洪はそれを聞いて立ち上がり、怪しんで言った。

「長老、私は籤を求めているのに、なぜ“こう”などと唱える?」

 長老は平然と言った。

「二大王、それは籤を感応させる霊呪です。
 これを唱えねば、いかに誠心でも応えが出ませぬ」

 金洪は言った。

「そうか。ならば、もっと唱えてくれ」

 そう言って再び跪き、籤筒をがらがらと振る。

 長老がまた、

こうこう

と唱えた、その二声目も終わらぬうちに――

 供卓の下でそれを聞いた匡胤は、神弓に矢をつがえ、そっと垂れ布を持ち上げ、金洪に向かって叫んだ。

「強賊、矢を受けよ!」

 ひゅっと音がして、矢は金洪の喉を貫いた。
 金洪は籤筒を取り落とし、仰向けに倒れて、そのまま息絶えた。

 手下どもはそれを見て一斉に叫ぶ。

「大変だ! 刺客がいる! 二大王が射殺された!」

 皆、我先にと外へ飛び出そうとした。

 長老はけい(音を鳴らす仏具)を投げ捨て、身近の戒刀かいとう(僧侶のもつ刀)を抜き、入口に立ちはだかって逃げ道を塞ぐ。
 匡胤も飛び出し、宋金洪の宝剣を奪って手に取った。

 僧と俗の二人は力を合わせ、手下二十余を斬り倒した。
 残りは必死で外へ逃げ出していった。

 宋金輝は山門の外で待っていた。
 そこへ手下が血相を変えて駆け出し、叫んだ。

「三大王、大変です! 寺の和尚どもが赤ら顔の大男と手を組んで罠を仕掛け、暗箭あんせんで二大王を射殺しました! それだけでなく、大勢が斬られました。小人は運よく逃げ延びましたが、三大王、どうかお早くお備えを!」

 宋金輝はそれを聞いた途端、魂が抜けるほど驚き、地団駄を踏んで胸を叩き、怒鳴った。

「馬三鉄! お前は山寨の施主からどれほど布施を受けてきた!
 それなのに野の賊と通じて我が兄を害するとは何事だ。仇を討たずに人として立っていられるか!」

 宋金輝は馬と刀を手下に預け、宝剣を抜き、屈強な男五十人を率いて寺へ突入した。
 門をくぐるなり一斉にわめき立てる。

「馬三鉄、赤ら顔の賊を差し出せ!
 すべて従えば許す。ひと言でも逆らえば、寺の僧を一人残らず皆殺しだ!」

 この報せを聞いた長老は匡胤に言った。

「公子、この賊は力が桁外れ。正面からでは骨が折れる。智で取ろう。
 公子は窓の陰に身を隠せ。私が中へ誘い込む。そこで一撃、いわゆる“暗に無常を送る”――すなわち不意打ちで片づけ、無駄な力を使わぬようにする」

 匡胤は言われた通り窓の後ろに身を潜めた。

 長老は戒刀を手に、大股で迎えに出る。
 金剛殿に差しかかったところで宋金輝と鉢合わせ、長老は一喝した。

「宋金輝! お前たち兄弟は分を守らず、いわれもなく我が清浄の地を乱し、二度三度と押し入って捜索する。道理があるか。
だがこれはお前が自ら滅びを招いているのだ。老僧を侮るな!」

 宋金輝は怒りで胸が煮え返り、罵り返した。

「馬三鉄、この老賊禿ろうぞくとく
 これまで俺たちがどれだけ寺に金やりょう(食料)を入れてきたと思っている。施主の恩を忘れ、野賊と結んで我が兄を殺すとは、許すものか!」

 そう言うや宝剣を振り上げ、正面から斬りつけた。
 長老も戒刀で素早く受け、両者は真っ向から斬り結ぶ。

 十合ほど打ち合ったところで、長老はわざと崩れ、刀を空振りして大殿へ逃げ込んだ。
 宋金輝は勢いに乗って追いかける。

 窓陰で一部始終を見ていた匡胤は、長老が通り過ぎるのを待ち、手の宝剣を高く掲げ、宋金輝の後頭部を狙って叫んだ。

「強賊、剣を受けよ!」

 一閃。
 宋金輝はかわす間もなく、

「しまった、俺は死ぬ!」

と叫んだきり、肩口から骨ごと断ち切られ、腕の筋まで裂かれて、その場に倒れた。
 首領が倒れたのを見て、手下たちは一斉に叫ぶ。

「だめだ! 三大王まで討たれた! 逃げろ!」

 わっと喚いて外へ雪崩れ出た。

 長老と匡胤も大殿から追い出し、刀と剣を振るって二十余を斬り伏せた。
 長老は僧たちに命じる。

「皆で追え!」

 僧たちも一斉に駆け出した。

 山門の外では、さらに別の手下どもが中の様子を待っていたが、屈強な男たちが我先にと逃げ出し、その後ろから大勢の和尚が追いかけてくるのを見て、敗北を悟り、逃げようとした。

 長老が戒刀を振りかざすと、上堂の僧たちも声を上げ、棍棒を揃えて殺到する。その勢いは凄まじい。

 雲は地を覆い、殺気は天を満たす。
 埃は舞い、叫び声は空に突き抜け、
 追う僧たちの棍棒は霧にうねる龍のよう。
 敗走する手下は光る槍刀を投げ捨て、
 矢傷を負った鳥のように散り散りに逃げる。
 ――名を求めて加わったわけではないのに、
 利を奪おうとして命を落とした、という有様である。

 やがて長老は、死んだ者は死に、逃げた者は逃げ、決着がついたのを見て、

「もう追うな」

と命じ、僧たちを引き戻した。

 そのとき、宋金輝が乗っていた赤兎馬せきとばが、近くでいななき暴れていた。
 匡胤は嘶きを聞いて近寄り、よく見ると――全身が火炭のように赤く、背は高く、体つきも締まり、実に見事な良馬である。
 匡胤は手綱を取った。

 馬は匡胤を見ると、尾を振り、頭を揺らし、何度も嘶いた。
 匡胤は大いに喜び、この名馬を手に入れた。

 さらに、地面に突き立てられた一振りの宝刀が目に入った。
 匡胤は引き抜いて確かめると、まさしく見事な刀である。

詩に曰く、

 火で鍛え抜かれた功は深く、
 槍もすいも太刀打ちできぬ。
 この鋭さに比べ得るものはなく、
 九耳八環刀きゅうじはちかんとう、名に恥じぬ。

 匡胤は喜び、長老に見せた。
 長老は言った。

「これは九耳八環刀。純鋼を鍛えて作った、比類なき切れ味の宝刀だ。
賊の手にあったのは惜しいが、今、公子の手に帰した。まさに“物、其の主を得たり”だ」

 そう言うと僧に命じ、名馬を引かせ、宝刀を携え、匡胤とともに寺へ入った。

 大殿には宋金洪兄弟の屍が横たわっている。
 長老は嘆息した。

「哀れなことだ。名を争ったわけでもなく、利を奪ったわけでもないのに、無為に命を落とした。
 さきほどまでの豪勇も、今やどこにある」

 その折、宋金洪の鎧がたいそう見事なのに気づき、長老は匡胤に言った。

「公子、この鎧もまた見事だ。外して身につけてはどうか」

 匡胤は進み出て鎧紐をほどき、鎖子黄金甲さしおうごんこうを脱がせて自分の身に着けた。よく似合う。
 さらに鳳翅兜ほうしとうを取ってかぶると、これもまたぴたりと合った。

 装いが整うと、長老は大いに喜んだ。

「公子、刀と馬を得、甲冑まで揃った。これは天の授け――賊の手を借りて与えられたのだ。
 これから賊兵に会っても、何を恐れることがあろう」

 そして僧たちに命じ、大殿の丹墀たんち(朱塗りの広場)にある屍も、寺門外の屍も、まとめて山裏の空き地へ運び、すべて焼き払わせた。
 さらに、各所の仏前の卓布たくふ(テーブルクロス)をほどいて旗印に仕立て、桃花山の賊兵と戦う備えを整えた。

 蟄龍寺の準備はひとまずさておく。
 一方、桃花山では宋金花が、二人の兄が兵を率いて赤ら顔の大男を追っていってから、長いこと戻らないのを不審に思っていた。

 そこへ手下の一団が山へ駆け戻り、金花の前で泣き伏した。
 金花は驚いて問う。

「どうした、その有様は? 二位の大王はどこにいる!」

 手下は報告した。

「お嬢さま、大変です!
 馬三鉄が赤ら顔の大男と共謀して罠を仕掛け、二位の大王を寺でまとめて殺しました。兵も半分以上討たれました。
 我らは命からがら逃げ戻り、ここに報告に参りました。どうかお嬢さまがご判断を!」

 金花はそれを聞いた途端、気を失いかけては息を吹き返すほどに震え、声を上げて泣き、罵った。

「賊僧め! 大恩を忘れ、賊に味方し、我が兄を殺すとは! 同じ天の下で生かしてはおけぬ!」

 金花は鎧をまとい、刀を取り、馬に乗り、寨の者どもを総動員して下山した。
 道中、ときの声が響き、馬蹄が地を鳴らし、たちまち蟄龍寺の前へ押し寄せた。

 僧が長老に急報した。
 長老は衆僧とともにそれぞれ武器を手にし、卓布で作った旗を掲げ、匡胤を中心に守るようにして山門を出た。平らな地へ進むと、すでに賊兵は陣を敷いている。

 宋金花が馬を躍らせ先頭に出て、嬌声を張り上げて叫んだ。

「馬三鉄! うちの山寨が、あなたに何か落ち度でもあったというのか。なのに赤ら顔の賊と通じて我が兄を害したとは!
 今日は私が直々に来た。赤ら顔の賊を差し出せ、兄の仇を討つのだ。さもなくば、お前の犬命は今すぐ冥土行き、寺の僧も一人残らず消してやる!」

 匡胤はこれを聞いて怒りに燃え、宝刀を提げて馬を進め、罵った。

「このババアめ! 自分から死にに来たくせに、それも分からず口先だけ達者に騒ぎ立てるか!」

 宋金花が顔を上げて見ると、匡胤が着けている甲冑も、刀も、馬も、すべて兄の持ち物である。
 物を見て情が湧き、目に涙を浮かべて叫んだ。

「赤ら顔の賊! 兄を殺した上に、甲冑も刀も馬も奪って、なお威張り散らすとは恥を知れ! 名を名乗れ、首を取ってやる!」

 匡胤が改めて見れば、金花は――

 銀の兜に双鳳の羽、白い鎧に素袍、彩りの戦裙せんくん
 胸には宝鏡が稲妻のように光り、鎧紐がいちゅうは九筋きれいに揃う。
 袋には犀角面さいかくめんの弓、矢筒には玉飾りの矢羽。
 鋼の鞭を鞍に掛け、宝剣は鞘に収め、
 愛馬は玉雪のごとき白馬、手には三尖両刃さんせんりょうとうの得物。
 杏の頬に桃色の艶、その顔に殺気。
 柳眉に鳳眼、凶相を帯びる。

 匡胤は声高く言った。

「俺の名を知りたいか。俺は東京とうけい趙指揮ちょうしきの子、趙匡胤だ。お前こそ名を名乗れ!」

 金花は聞いて、内心少し怯んだ。

(こいつは趙闖子ちょうちんし(趙の暴れん坊)と呼ばれ、災いを呼ぶ男だという。御楽ごがくを殺して逃げ出し、関西では無敵――だから兄たち三人とも、この男にやられたのか)

 そう思い、口にした。

「趙匡胤、私は桃花山大王の妹、紫霞洞しかどうの老母の門人、宋金花だ。
 東京で大罪を犯し逃げて来たなら、名を隠して悪を改めるのが筋だろうに、狼の子のような心で、なお人を殺し続けるか。逃がさぬ、これを受けよ!」

 金花は馬を叩き、刀を振り上げ、匡胤の頭上めがけて斬り落とした。
 匡胤は刀を上げて受け、二人は馬を駆って斬り結ぶ。まるで龍潭虎穴りゅうたんこけつの大立ち回りである。

 三尖刀が首を狙えば、九耳八環刀が面を迎え撃つ。
 刀の往来は雪のひらめき、氷の塊が飛び交うよう。
 馬蹄は地を転がし、腕の力で勝敗が決まる。
 金花は歯ぎしりして兄の仇を求め、匡胤は猛々しく一歩も引かない。

 三十合余り戦っても勝負はつかない。
 金花は勝てぬと見て、腹の内で思った。

(武芸に隙がない。術を使わねば勝てぬ)

 主意を決めると、刀をひと振りして敗走の形を取り、陣へ引いた。
 匡胤は策とも知らず叫ぶ。

「逃げるか、この女!」

 馬を駆って追いかける。

 金花は振り返って追って来るのを見ると、内心ほくそ笑み、三尖刀を捨て、豹皮の袋から“烈火珠れっかしゅ”という宝珠を取り出した。
 真言を唱え、空に捧げると、匡胤めがけて打ち落とす。

 曇雲どんうん長老は青ざめて叫んだ。

「公子、追うな! 邪術が来るぞ!」

 匡胤が見上げると、空から紅い光が落ちてくる。

「しまった!」

 匡胤は馬を引いて逃げようとしたが、金花が指をさすと、珠は匡胤の頭上を追って飛んでくる。
 熱気が肌を灼き、目がくらみ、頭がふらついた。

「俺の命もここまでか……!」

 その瞬間、眉間に力が集まり、目を固く閉じると、ちょうが裂けるように開き、赤い龍が現れて天へ昇った。万筋の光がその身を守る。
 烈火珠が落ちたところへ火龍が立ちはだかり、爪でがしりと掴み取った。

 長老はそれを見て大喜びし、

「公子、恐れるな。邪術は破れた!」

と叫んだ。

 金花はその声を聞き、見上げた。
 万筋の光をまとった赤龍が空にうねり、烈火珠の影は跡形もない。
 金花は悔しさで呆然と天を見上げるばかり。

 長老はここで殺意を起こした。

(この女の命、ここで断ってしまおう)

 長老は弓を取り、矢をつがえて喝した。

「宋金花、連珠の神矢を受けよ!」

 矢が放たれる。
 金花は薄笑いを浮かべた。

老禿ろうとく、連珠矢が何だ。私が恐れると思うか」

 矢が来ても体は動かさず、左目をきっと見開くだけで左の矢を落とし、右目で右の矢を落とす。
 長老は驚いた。

「この女、目で矢を落とす術を使うのか!」

 ならば、と三本を改めて取り、まず二本。
 金花はまた両目で落とす。

 長老は三本目を放った。
 今度は金花が不意を突かれ、

「しまった!」

と身を傾けたが、矢はろくの下をかすめて外れた。

 そのころ匡胤は正気を取り戻し、馬を止め、刀を構え、金花を討つ策を探っていた。
金花が前方で矢を避けるのに気を取られているのを見ると、匡胤は内心で笑った。

(こいつはもう終わりだ)

 匡胤は馬をそっと回して金花の背後へつけ、九耳八環刀を振り上げて叫んだ。

「下郎の女、刀を受けよ!」

 金花は前ばかり見て矢を避けており、背後からの一撃にまるで気づかない。
 不意を突かれ、匡胤の一刀で馬上から斬り落とされ、その場に倒れた。

 手下どもは声を上げて逃げようとしたが、僧たちが追いすがり、四方から取り囲んだ。
 長老は言った。

「命までは取るな。私が言い聞かせる」

 長老は禅杖ぜんじょうを手に進み出て説いた。

「お前たちは各地の飢えた民で、やむなく賊に誘われ、悪事に手を染めただけだろう。
 “木が倒れれば猿は散る”。今や宋家の兄妹は皆死に、お前たちは主もなく、頼る家もない。
 私の言う通り、故郷へ帰り、邪を捨てて正しく働き、父母や妻子と再び団らんするがよい。それが一番だ」

 手下どもは一人ずつ馬を降り、刀槍を捨てて言った。

「禅師のお諭し、ありがたく存じます。我ら皆従います。どうか命だけはお助けください」

 長老は言った。

「私は諭した以上、殺す心はない。ただ帰った後は二度と同じ過ちを踏むな。それが正道だ」

 そして僧に命じた。

「道を開け。行かせよ」

 手下どもは感激して平伏し、命を救われた恩を何度も礼した。
 彼らは山へ戻ると、貯め込んだ金銀財宝や細々した品を公平に分け、寨に火を放ち、それぞれ荷をまとめ、故郷へ散っていった。

 まさに、

 ひと言が迷える旅人を目覚まし、
 一言が正覚の門へ導く。

 である。

 長老は手下を放免した後、僧たちに命じ、放置された馬や捨てられた武器を寺へ運び込ませた。
 また、宋金花の屍も運んで焼き払った。

 すべて片づくと、匡胤は馬を降り、刀を提げ、長老とともに山門を入り、禅堂に座した。
 長老は僧に宴の支度を命じ、勝利を祝って酒を酌み交わした。
 夜更けまで飲み、席を収めて休んだ。

 翌朝。朝食を済ませ、二人が談笑していると、僧が慌てて禅堂へ飛び込み、

「外に、村人の一団が来て、長老にお会いしたいと申しております」

と報告した。

 長老も事情が分からぬまま匡胤を伴い、大殿へ向かった。

 ここで――

 荒くれの害は掃い清められ、人々は徳に感じ、
 英雄はなお苦難の途上にあり、行く先は貧しさと悲しみ。

 まさに、

 世は名と利に覆われ、
 大地は数と機略に帰す。

 さて、来たのは誰なのか。
 それは次回で明らかとなる。

独語。
 英雄には赤い馬。
 赤兎馬の登場は、後漢三国時代の呂布や関羽を意識したものと思われますが、くだんの「趙太祖千里送京娘」では赤麒麟せききりんという名前で登場していますね。
 ところで、《資治通鑑しじつがん》に記載のある一節では、戦場に臨むときの趙匡胤のいでたちは「鎧仗鮮明がいじょうせんめい」とあり、装備したヨロイ、棍棒はやたら派手で、誰に言われたかまでは記載がないけど、おそらく趙匡胤と親しい誰かが「そんな恰好していると敵にすぐみつかるぞ」と呆れると「それこそ望むところだ!」と返答したとあります。
 物語で盛る必要がないくらい、快男児だったのでした。


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