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第四十二回 柴榮進位續東宮 太祖非罪縛金鑾

第四十二回 柴栄、位を進めて東宮をぎ、太祖、罪に非ずして金鑾きんらんに縛せらる。

 詩に曰く。

 古の治世を論じ、その源を慕えば、
 徳と礼は同じ風を成し、道はおのずから整う。
 刑は用いられず、政は勤められ、国には正道があり、
 民は和し、教化は深く、俗に頑なさはない。
 すべては才俊を選び抜いたことに由り、
 広く賢者を求め尽くした結果である。
 たとえ君王の胸に小さな悔いがあろうとも、
 一度の過ちで高徳の士を覆い隠すことはできぬ。

 さて、陶龍は匡胤の言葉を聞き、妹の三春を鄭恩に嫁がせようという話に、内心では気乗りがせず、すぐには首を縦に振れなかった。
 ところが相手が柴王の契友であり、やがては王爵を得る身となると聞くに及び、富貴への思いが胸に芽生え、奥へ入って妹に話を持ちかけることにした。

 一方、鄭恩は席に座ったまま、匡胤が媒酌して三春を自分にあてがったと知り、恥ずかしさと気後れで胸がいっぱいになった。
 口に出して断ることもできず、ただ目で匡胤を見やり、しきりに首を振るばかりで、その心は「ごめんだ」と言っているに等しかった。

 匡胤はすぐにその意を悟り、そばへ寄って言った。

「三弟、三春の容貌が地味だなどと気にするな。あの娘は兵書を広く読み、武芸を好み、胸に丈夫の気概を持っている。まことに女の身としては得難い人物だ。
 今日この縁を結べば、後日の助けも少なくない。兄として道理に従って進める話であり、決して害にはならぬ。」

 鄭恩はそれを聞き、これ以上は言い返せず、ただうつむいて黙るしかなかった。

 恐れあればこそ、
 力ある女に夫唱婦随ふしょうふずい(夫が言い妻が従う)など望めぬ。

 さて前庁のことはさておき、陶龍が奥の部屋へ入ると、三春はすぐに迎え出て座り、尋ねた。
「兄上、また何かございましたか。」

 陶龍は言った。
「実は急ぎ相談したい大事があって来た。そなたの承知が得られるかどうか。」

 三春は答えた。
「兄上がそう仰るなら、どうぞお話しください。道理あることなら、妹が従わぬはずはありません。」

 陶龍は続けた。
「男は成長すれば娶り、女は嫁ぐ。これは古来の大礼だ。両親を失ってからは、我ら兄妹三人が身を寄せ合って生きてきた。私はこれまで何度も縁談を探したが、釣り合う相手がなく、気がかりでならなかった。ところが前庁で趙公子が、そなたの縁を取り持ちたいと言い出した。
 婚姻は一生を左右する大事、私一人で決めるわけにもいかず、こうして相談に来たのだ。」

 三春は問うた。
「お相手は、どなたなのですか。」

 陶龍は答えた。
「驚くでない。相手は趙公子の友、鄭恩という者だ。瓜畑で会ったことがあろう、そなたも知っているはずだ。」

 陶三春はもとより王妃の福分を備えた女で、鄭恩と結ばれる運命にあった。
 そのためこの話を聞いても怒ることはなく、静かに言った。
「趙公子が鄭恩を私に、というのであれば、兄上もすでにお考えがおありなのでしょう。」

 陶龍は言った。

「私も初めは、この縁は軽々しく結ぶべきでないと思った。だが趙公子が丁重に説き、鄭恩は世に聞こえた好漢で、関西一帯に名が通っているという。
 さらに禅州の柴千歳さいせんざい(柴殿下)と苦楽を共にした仲で、柴王が即位すれば、鄭恩も必ず王に封ぜられると。
 だからこそ趙公子はばいを申し出たのだ。そなたの胸の内をよく量り、受けるか断るか、決めてくれればよい。」

 三春はしばし考え、ほほえむように冷笑して言った。
「兄上、これは前世からの縁なのでしょう。妹が無理に逆らうことでもありません。趙公子が媒を務め、兄上もお心を許されている以上、私に異存はありません。ただ一つ、条件があります。」

 陶龍は急いで問うた。
「どのような条件だ。趙公子に伝えよう。」

 三春は言った。
「この縁談はお受けします。ただし私は三年間、ここで待ちます。その三年のうちに鄭恩が王位を得たなら、迎えに来てください。もし王位を得られぬなら、来る必要はありません。この場で言葉を交わし、後日に異議の出ぬようにしてください。」

 陶龍は承知して外へ出て、その言葉を匡胤に伝えた。
 匡胤は大いに感心し、言った。
「なんと志の高い烈女だ。才も見識も抜きん出ている。将来の福は量り知れぬ。」

 そう言って腰から碧玉の鴛鴦の片玉を一つ外し、陶龍に渡した。

「これは我が兄弟、鄭恩の定めの礼だ。ひとまずお納めください。いずれ我が兄弟が栄達すれば、今日の約束どおり、必ず迎えに参ります。」

 陶龍は礼を述べて受け取り、再び肴を整え、酒を注ぎ足した。
 主客は打ち解け、日が暮れるまで飲み交わした。

 やがて匡胤が立って別れを告げると、陶龍兄弟は名残を惜しみつつも引き留めきれず、鄭恩のために馬を一頭用意した。
 四人は急ぎ厅を下り、荘門を出て馬に乗る。

 陶龍は言った。
「どうか道中ご無事で。皆さまが身を立てられた暁には、今日の約束をお忘れなきよう。妹を白髪の恨みに沈めぬためにも。」

 匡胤は答えた。
「ご心配なく。この話は名節に関わること。媒を務めた以上、背く道理はありません。ではこれにて失礼します。」

 こうして双方は互いの無事を祈り、別れたのであった。

 詩に曰く。

 暇つぶしに河の水を求めたが、
 思わぬ欲が災いを呼んだ。
 されど天の采配あればこそ、
 一言にして百年の良縁が定まった。

 さて、匡胤兄弟四人は馬に鞭を入れ、東へと駆けた。
 二十里あまり走って陣営に着き、馬を下りて幕舎に入る頃には、すでに初更を過ぎていた。

 そこへ匡義と趙普が来て様子を尋ねる。
 匡胤は先ほどまでの一部始終を、包み隠さず語って聞かせた。

 匡義は前へ出て鄭恩の手をつかみ、からかうように言った。
「兄貴、おめでとう。これで縁談成立だな。だが将来、祝言の夜に床へ入るときは、くれぐれも用心しなよ。
 あねさんの拳は相当きついらしい。くれぐれも“ありがたく”受け止めたりするな。」

 張光遠も笑って続けた。
「いやいや、大丈夫だ。嫂さんはたいそう物腰が柔らかいお方だ。兄貴のこの美貌と、あの優しさを見たら、身を寄せる暇もなく、拳を振るうどころじゃあるまい。」

 皆が口々に冷やかすので、鄭恩は顔を真っ赤にし、思わず言い返した。
「みんな二哥が悪いんだ。楽子にそんな気はないぞ。」

 一同は笑い合い、三更になるまで騒いでから、ようやく休んだ。
 その夜のことは、あえて語るまい。

 翌日、柴娘娘さいじょうじょうの車駕が動き出し、柴栄が軍を率いて前を固める。
 趙匡胤は兄弟たちとともに、韓素梅かんそばい母子と並んで後に続いた。

 話があれば長くなり、なければ短い。
 幾日も行軍を重ね、やがて東京が近いと見えるころ、斥候が朝中に報せを入れた。
 すると早くも文武百官が城外まで出迎え、道の両側に跪いて口々に叫んだ。
「娘娘、特にお迎えに参りました。どうか万歳あらせられますように。」

 柴后は車中から懿旨いし(皇后の命令)を伝えた。
「皆、礼を免じる。」

 百官が謝恩して立ち上がり、左右に並ぶ。
 車駕は城門を入り、正陽門を過ぎ、五鳳門の外に至る。
 ここで内侍がれん(手車)を押し替え、柴栄ただ一人が付き従って入宮した。

 司礼監しれいかんが先導し、分宮楼ぶんきゅうろうを抜け、更衣殿こういでんに至って、柴后は輦を降りる。
 掌印太監しょういんたいかんが迎えに出て、八種の装束を捧げ、宮娥きゅうが(女官)や彩女さいじょ(下級女官)が一斉に付き従い、たちまち官服を着せ整えた。

 見れば、

 五鳳の珠冠に宝雲を嵌め、
 正宮に君臨する尊厳あふれる姿。
 日月と龍鳳を織り込んだ上衣をまとい、
 山河社稷を象る裙を腰に結ぶ。
 玉を刻んだ帯は玲瓏として、
 宮靴の刺繍には珠がきらめく。
 斬妃剣ざんきけん昭陽印しょうよういんを携え、
 象笏しょうしゃくを正しく持って至尊にまみえる。

 柴后は宮装に改め、再び輦に乗って宮中へ入った。
 その豪華さは、まさに比類なきものである。

 寝宮の門前で輦を降り、宮娥に囲まれて中へ入ると、周主が龍床に端座していた。
 柴娘娘が朝見の礼を取ろうとすると、周主は慌てて手を取り、言った。

「御妻よ。そなたとは長年苦楽を共にしてきた仲だ。このような大礼は不要だ。」

 柴后は恩に謝し、ともに御榻ぎょとう(皇帝や皇后の椅子)に座る。
 柴栄が進み出て拝礼すると、周主はその傍らに座らせた。
 夫妻は久別の思いを語り合う。

 柴后は言った。
「妾は禅州におりましたが、たびたび勝報を聞き、陛下が即位なさったと知って、心より嬉しく存じました。ところが折よく小病を得てしまい、幸いにも甥が昼夜かいがいしく薬を奉じ、ようやく快方に向かいました。」

 周主はこれを聞き、大いにねぎらった。
 柴栄は恐れ入るばかりであった。

 周主はさらに柴后に語りかけた。
「御妻よ。朕とそなたも年老い、いまだ子がない。そなたの甥をよく見れば、容姿は抜きんで、度量もおだやかだ。いずれ大任を託すに足る。朕はこの者を我が子としたいと思うが、どうであろう。」

 柴后は答えた。
「陛下のお考えは、妾の胸中とひそかに合致いたします。まことに社稷と万民の福でございます。」

 その意を柴栄に伝えると、柴栄は辞退した。
「臣の子は徳も才も乏しく、かかる重任には耐えられません。」

 柴后は言った。
「遠慮するでない。聖意はすでに定まっている。さあ、進み出て拝謝しなさい。」

 柴栄は命に背けず、朝廷に拝して父母と定められた。
 周主は大いに喜び、宮中に宴を設けさせ、夫妻と父子がともに酒を酌み交わした。

 数巡したころ、柴栄は席を立ち、奏上した。
「父皇に一事、申し上げたいことがございます。」

 周主は言った。
「我が子よ、何事だ。」

 柴栄は答えた。
「臣には趙匡胤という旧友がおります。文武に通じ、機略変転、国家の柱石となる器です。どうかお召し出しのうえ重くお用いください。さすれば皇基は固まり、四方は安らぎましょう。」

 周主はうなずいた。
「そなたが推すからには、きっと賢能な者であろう。明日の朝、趙匡胤を召し、官職を授けよう。」

 柴栄は謝恩し、再び席に戻る。
 親子三人は古今を語り合い、三更に及んでようやく休んだ。

 まさに、

 一宮に楽しみ尽きず、
 万国は周の徳を戴いて歓喜する。

 さて、匡胤ら数人は翌朝起きると、張光遠と羅彦威はそれぞれ家へ帰り、匡胤もまた実家へ向かった。
 鄭恩と趙普だけが、柴栄の王府に留まった。

 匡胤が家に着き、父母の前に出ると、ひざまずいて泣き伏した。
「不孝の匡胤、大罪を犯して逃げ回り、災いを避けて他郷をさまよい、父母を捨て置き、長らくご無沙汰いたしました。今日ようやく赦されて帰参しました。どうか不孝の罪をお赦しください。」

 趙弘殷は、匡胤が事件を起こして逃亡したため、漢主の追及を受け、職を解かれて家に戻り、一家の命も危うかった過去を思い出し、怒りを抑えきれずに罵った。
「この逆子め。とっくに野垂れ死にしたものと思っていた。よくもまだ生きて戻ってきたな。」

 杜夫人が脇からなだめた。
「あなた、どうかお怒りをお鎮めください。この子も、これからは改心することでしょう。」

 そして匡胤に向かい、優しく言った。
「我が子よ。お前はどこで身を寄せていたのです。母は毎日門に寄りかかり、帰りを待ち、心配で茶も喉を通りませんでした。今日こうして帰ってきて、親子で語り合えるのです。外での出来事を、すべて話しておくれ。」

 匡胤は跪いて答えた。
御楽ごがくを討ってから、関西へ逃れ、母舅ぼきゅうのもとに身を寄せようとしました。道中で柴栄、すなわち今の新王の甥と出会い、兄弟の契りを結びました。それゆえ柴娘娘の車駕に随って入京し、こうして父母にお目にかかれたのです。」

 杜夫人は尋ねた。
「関西へ行って、母舅には会えたのですか。」

 匡胤は答えた。
「母上、あいにく大舅は任地で亡くなっており、千家店で外祖母と二人の母舅に会いました。」

 そして、これまでの経緯を一つ残らず語った。
 杜夫人はそれを聞き、大いに喜んだ。

 趙弘殷は言った。
「我が子よ。今は新君の世となり、私は官に就く気もなく、静かに暮らしている。お前も赦されて戻った以上、二度と勝手な振る舞いをするでない。兄弟とともに家に落ち着き、学を修め、技を磨け。わしを再び肝を冷やさせるな。」

 匡胤は答えた。
「厳命、謹んでお受けいたします。」

 この日は特に変事もなく、ここでは語らぬこととする。

 まず軍師の王朴おうぼくから語ろう。

 このころ王朴は官を辞し、位を避けて錦衣きんい(官服)のまま郷里へ帰り、老いた母に仕え、至れり尽くせりの孝養を尽くしていた。
 ところがその母は高齢のため病に伏し、ついに世を去った。

 王朴は悲嘆に耐えきれず、衣や布団、棺やかくに至るまで、礼を尽くして整え、葬儀を終えると、家にあって喪に服した。

 この知らせが周主のもとへ届くと、朝廷は欽差きんさの官(帝の使者)を遣わし、御膳を賜って弔祭させ、さらに勅額を下して追贈し、ことのほか厚く遇した。
 そのうえ詔書を下し、王朴を都へ召して朝政を助けさせようとした。

 王朴は本来、この詔に応じるつもりはなかった。
 しかし折よく星象を観て、真主に災いが迫っていることを悟り、この機に入京すれば内から救うことができると考え、差官に同行して都へ向かった。

 入京して天子に謁見すると、周主は王朴を見るなり大いに喜び、自ら手を取って扶け起こし、金のとん(椅子)を賜って座らせた。
 王朴は謝恩して着座する。

 周主は言った。
「朕は久しく先生に会えず、左右の手を失ったように思っていた。今日こうして再会でき、もはや思い残すことはない。」

 そして即座に王朴を枢密使兼中書令に任じた。

 王朴は再び謝恩し、奏した。
「陛下は英明の君にして、治道もよく行き届き、天下にはすでに太平の兆しが見えております。それにもかかわらず、なお臣のような凡才を思い出してくださり、特別のご恩を賜りました。
 たとえ肝も脳も地に落として尽くしたとしても、この恩に万分の一も報いることはできません。しかも重爵を加えられ、恩寵はいよいよ厚くなりました。今や老母も世を去り、心残りはございません。以後は愚かな真心を尽くし、陛下に忠節を尽くすのみでございます。」

 周主は大いに喜び、王朴をもてなす宴を設けさせた。
 この日、君臣はともに酒を酌み交わし、心ゆくまで歓を尽くして別れた。

 まさに、

 君臣の喜びは魚と水のごとく、
 その敬愛は膠のように固かった。

 翌日、周主は早朝より御座につき、文武百官の朝見を受け終えると、詔を下して晋王を召した。
 柴栄が御前に進み、万歳を唱えて伏す。

 周主は言った。
「王児よ。昨日そなたが推挙した趙匡胤を召してまいれ。朕自らその抱負を試し、才を量ってから官を授けよう。」

 柴栄は命を受け、宣召官に命じて趙府へ向かわせ、趙匡胤を朝中へ呼び出した。

 匡胤は召しを受けると、差官に従って金階に至り、三度朝見を唱えて塵に伏した。

 周主は目を凝らして見下ろし、禅州城上で矢を放った男であると気づいた。
 たちまち龍目を見開き、銀の歯を噛みしめ、匡胤を指さして怒鳴った。

「この紅面の賊め。朕とお前に何の恨みがあって、左目を矢で射たのだ。生きているうちに仇を討てぬと思っていたが、まさか自ら網にかかりに来るとは。
 命じる。御前の役人よ、この紅面賊を縛れ。さらに家族も取り調べ、まとめて斬首の裁きを待たせよ。」

 殿上の役人は命を受け、ためらうことなく殿を下りた。

 匡胤はこれを聞いて魂も凍りつき、何の咎かわからぬまま、呆然とするばかりであった。

 まるで、
 地より金銭豹きんせんひょうが躍り出、
 天より大鵬が舞い降りたかのようである。

 役人は丹墀たんち(宮殿の前の広場)に下りるや、趙匡胤をその場で縛り上げ、朝門の外へ引き出して沙汰を待たせた。

 柴栄は周主が激怒し、匡胤を縛って斬ろうとしているのを見て、理由もわからぬまま胸を痛め、龍案の前に両膝をついて奏した。

「父王、なぜ匡胤をご覧になって龍心を損ね、このように縛り、さらに家族まで捕らえようとなさるのですか。彼はいかなる罪を犯し、聖心を怒らせたのでしょうか。」

 周主は言った。
「王児はまだ知らぬ。先日、朕は宮中でしばし仮眠をとり、夢の中で禅州へ赴いた。するとこの紅面賊が城上からひそかに矢を放ち、朕の左目を射たのだ。今もなお痛み、血が流れている。
 今日ここで出会った以上、必ず首を刎ね、その罪を正さねばならぬ。」

 柴栄は言った。
「父王、それは夢の中の出来事です。どうして真に受けられましょうか。しかも趙匡胤は文武の才を備え、忠義の志ある者。国のために用いれば必ず益があります。ゆえに臣はあえて推挙いたしました。
 もし夢に似ているというだけで非刑を加えれば、無実の者を殺すことになります。どうかご再考ください。」

 周主は答えた。
「朕はこの賊が城上に立ち、はっきりと朕を射たのを見た。積年の怨み、今日どうして解けようか。」

 柴栄はさらに進み出た。
「父王が盛怒のあまり、どうしても匡胤を死に至らしめるのであれば、彼も甘んじて死を受けましょう。
 しかし臣は、これが賢者の道を塞ぐことを恐れます。天下の英雄がこの噂を聞けば、身の危険を恐れて仕官を避け、他国へ走り、敵国を助けることになりましょう。
 そうなれば天下は動揺し、いかにして守りましょうか。
 どうか社稷を重んじ、夢という虚しき怨みを解き、匡胤を赦して用いてください。そうすれば天下の士はこぞって国に尽くし、父王を助けることでしょう。」

 周主は言った。
「王児よ。夢で見たことが虚妄だと言うが、朕のこの目の傷も虚妄だと言うのか。
 他の事であれば聞こう。しかしこの件だけは聞き入れられぬ。朕の決意は固い。これ以上申すな。
 御前の役人よ、急ぎ彼の家族を取り調べ、奏上せよ。朕が裁断する。」

 柴栄は、周主がまったく聞き入れようとしないのを見て、胸を締めつけられる思いで、なおも重ねて額づいた。

「父王。趙匡胤だけは、どうしても斬ってはなりません。
 禅州は京から二千里以上も離れております。夢の中の出来事だけを根拠に、無実の人を処刑したとなれば、誰がそれを信じましょうか。
 もし今日、匡胤を斬れば、天下の豪傑の心は一気に冷え込みましょう。万が一、他国が兵を動かせば、その禍は計り知れません。

 しかも父王は、即位されたばかりで四海はいまだ平定されておりません。
 外鎮の諸侯も、忠節を装いながら内心では様子をうかがい、謀反の心を秘めております。
 南唐の李景りけいは正朔に服さず、北の契丹はたびたび侵入を繰り返しております。
 さらに晋陽の劉崇は僭号せんごうして帝を称し、兵を募り、糧を蓄え、漢主への復讐を叫びつつ、折に触れて辺境を騒がせております。

 このように戦乱が連なり、神京しんけいをうかがう者がひしめく中、父王のもとにはまだ真に頼むべき良将がおりません。
 今こそ賢才を広く集め、外敵に備えるべき時です。

 趙匡胤は兵書を博く読み、韜略とうりゃくに通じ、将を斬り旗を奪う勇もあり、勝敗を決する謀も備えております。
 当世において、これほどの人物は二人とおりません。
 それを夢という虚ろな事柄のために、どうして必ず斬らねばならないのでしょうか。

 臣はまた、斉の桓公かんこう射鉤しゃこうの恥を忘れ、管仲かんちゅうを釈放して宰相とし、ついに斉を興したことを聞いております。
 雍歯ようしは幾度も漢の高祖を辱めましたが、後に爵位を与えられ、その結果、賢才が広く朝廷に集まりました。
 彼らは実際に罪を犯していながらも、怨みを解いて国家のために用いられたのです。

 それなのに父王は、なぜ匡胤だけはお許しにならぬのですか。
 どうか天地のご恩を垂れ、たとえ匡胤に罪があるとしても、社稷を重んじて赦免し、功をもって償わせてください。
 そうすれば彼は必ず心血を注いで国に報い、全力で皇室に尽くすでしょう。
 その功は、管仲にも劣らぬものとなりましょう。」

 柴栄がこのように百方手を尽くして訴えても、周主はなお聞き入れず、かえって顔色を険しくし、怒りを含んで言った。

「朕とそなたは父子の情で結ばれている。
 あの紅面の賊は、暗箭あんせんで朕を傷つけたのだ。
 そなたは父の仇を討ってこそ、子の道を尽くすべきであろう。
 それなのに、なぜあの者のために赦しを乞い、口を尽くして弁護するのだ。
 その心は、どこへ向いているのだ。」

 柴栄はさらに奏した。

「臣に、外へ心を向ける思いなどございません。
 ただ趙匡胤が、今代まれに見る英傑であり、比類なき人物であるがゆえに、父王にお留めいただき、江山こうざん(国土)を支え、社稷を安んじていただきたいと願っているだけです。
 そのため嫌疑を恐れず、あえて赦免を乞い、功をもって報いさせようとしております。
 どうか、どうかお赦しください。」

 周主は言った。

「王児よ。これ以上、苦労して奏するには及ばぬ。
 朕の朝廷には良将も多く、兵も強い。四方の寇賊こうぞくなど、何を恐れることがあろう。
 たとえ紅面の賊がいなくとも、朕は天下を治めることができるのだ。」

 柴栄は、周主がどうしても赦さぬと悟り、心は乱れ、策も尽きて途方に暮れた。

 そのときである。
 班列の中から一人の大臣が進み出て、階前に伏し、声を上げた。

「陛下。臣に愚かな一言がございます。どうかお聞き届けください。」

 周主が目を上げて見ると、それは王朴であった。
 周主は言った。

「先生。何を奏するのか。」

 王朴は進み出て言った。

「臣が見るに、趙匡胤の罪は、確かに陛下の夢中の出来事にございます。
盛怒のまま斬首なされば、汴梁べんりょうの百姓は驚き惑い、趙匡胤がいかなる罪を犯したのか理解できましょうか。
 即刻殺されれば、趙匡胤自身ですら、何の罪で滅ぼされたのかわからぬままでしょう。

 暗く曖昧な事柄をもって、にわかに刑を加えるべきではございません。
 どうか殿下の奏上をお聞き入れになり、趙匡胤を殿下と対面させ、事情を明らかに問いただし、供述を記録し、軍民に告げ知らせてください。
 そうすれば、趙匡胤が密かに行刺し、陛下の御目を射たという罪状が明らかになり、彼も怨みなく死を受けましょう。

 これは人心を服し、国法を尽くす、もっとも正しい道でございます。
どうかご裁可を。」

 周主はこの奏を聞き、うつむいて沈思し、是非を量った。

 重ねられた諫言は、胸中の暗い憤りをひとまず鎮め、
 巡らされた策は、肘後に潜む不臣の疑いを転じさせた。

 まさに、

 真命が無妄の災いに驚かされても、
 そこには必ず、高賢が隠れた機を示すのである。

 さて、周主はこの奏を聞き入れるのか否か。
 それは、次回を待って知るがよい。

独語。
 郭威がものすごく狭量でものわかりの悪い皇帝になっていますが、《資治通鑑しじつがん》や《宋史》にはこうした逸話があります。
 かつて後漢朝の時代、関西三鎮が同時に反乱した「三叛連衡さんはんれんこう」という、後漢朝の版図西側がごっそりなくなってしまう危機があり、その乱を鎮定したから郭威の後漢朝内での威名が確固たるものになったのですが、それはなぜかこの物語で全く語られていなくて残念ではありますが、その乱の中心的存在が河中に拠った李守貞りしゅていという武将でした。
 河中とはこの物語では、京娘を送り届けた地として出てきています。蒲州のことですね。
 その李守貞の配下に、馬全義ばぜんぎ馬全乂ばぜんがい)という騎将がいて、これが郭威軍を幾度も悩ませた難敵だったのです。
 余談ながらこの時の郭威軍には、柴栄も趙匡胤も韓通もいました。その他にも、後周柴栄時代から北宋にかけての著名人たちが実はこの戦いに集っていたのでした。
 馬全義はそんな郭威軍相手に臆せず果敢に突撃しては損害を与えましたが、郭威は持久戦略を取ったのでやがて李守貞自身が音を上げ、府城もろとも焼身自殺することになります。
 しかし馬全義はしぶとくも逃げ延び姿を晦ましました。それが数年後、郭威が後周朝を開いたのち、澶州せんしゅうを治めていた柴栄を頼り姿を現したのでした。
 この澶州時代の柴栄の下には、趙匡胤や王朴、のちに後蜀や南唐攻略で活躍した曹彬そうひんなどがいたのですが、そこに堂々と現れ麾下に加えてくれというわけですね。
 そのとき趙匡胤がどう反応したか見ものだったろうけど、そんな記録はさすがにないようです。
 もともと馬全義は傭兵気質があって、剣一本で立身する気概の持ち主でした。それこそ真の主を探して転々とした、そういう人物だったのです。
 とはいえ当時、柴栄は実は皇帝に即位した養父・郭威に謁見することができませんでした。権臣の王峻おうしゅんが邪魔をしていたからです。
 馬全義が仕えるに足る主と認めるにはまだそこまで立場が強固ではなかった時期ですね。
 しかし王峻が治水監督のために都を留守にした隙に、柴栄は馬全義を伴い郭威に謁見できたのでした。
 ようやく本題ですが、馬全義を紹介された郭威は
「この者は一たび仕えればその忠を尽くす。昔、河中で我が軍は幾度も挫かれたものだ。おまえたちは彼の忠義を手本とせよ」
 と諸臣に向かって語り、即時馬全義を殿前軍に編入させたのでした。
 このように、かつての敵も笑って受け入れる度量というものが、郭威にも柴栄にもあったということが言いたいがための、関係ない横道話でした。


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