第五十二回 真命主爵受王位 假響馬路阻新人
第五十二回 真命主、爵を受けて王位に登り、仮響馬、路にて新人を|阻む。
詞に曰く:
都へと御車が帰るとの報が伝わり、
目の前で軍旗が次々と辺境を離れてゆく。
勇猛な兵たちが今さら歓声をあげて何になろう。
残った威勢を蓄え、いずれの勝負に備えようというのか。
振り返れば波はすでに静まり、
気力を立て直して凱旋の声が続く。
だが人々は胸の内で思いめぐらす。
あの刀は血に染まらぬままではないかと。
いったい何ほどの功を立てたというのか。
突然にして婿としての詔を賜るとは。
家を整え、室を楽しみ、
たちまち紫衣を掛ける栄誉を得る。
盟いを結べば、もとより鴛鴦の玉環は一対となるべきもの。
欠けていた月も、ついに円満となろう。
紅葉の溝に文を流す物語にも似て、
風流の初め、春宵ひとときに海誓山盟を結ぶのである。
――右、《帰朝歓》の調。
さて、楊延徳は昼間に智聡長老の相を断ずる言葉を聞き、胸に不安を抱いて眠れなかった。
人々が寝静まるのを待ち、そっと衣をまとって起き上がり、方丈(和尚のいる建屋)へと忍び入る。
長老は禅床に坐し、静かに心を澄ませていた。
そのとき、瑠璃のような光がほのかに差し、誰かが方丈へ入って来るのが見える。目を凝らせば、昼に相を見たあの人物であった。
長老は口を開く。
「将軍、まだお休みにならぬのか。夜更けに参られたは、いかなる用件か。」
延徳は言った。
「小可(わたし)延徳、先ほど禅師の法語を承り、どうしても心が安まりませぬ。ゆえに決意して参りました。どうか慈悲をもって一条の生路をお示しくだされ。九原に首を全うして死ねるなら、死しても恩は忘れませぬ。」
智聡は首を振る。
「それは各人の造化、定まった数命は動かせぬ。貧僧がどうして救えよう。将軍、思い違いをなされておる。」
延徳はなおも幾度も拝して願い出る。
その誠心を見て、長老はついに言った。
「生路を求めるなら、策は一つ。高く飛び、遠く去り、林泉に身を隠すことだ。世事を心にかけず、塵外に形跡を超えよ。さすれば身を全うし、災いを遠ざけられよう。」
延徳はうつむく。
「それは身を守る良策。しかし父子は至親。情は切り難く、離れて遠く去るは心に忍びませぬ。」
長老は言う。
「明哲保身は智者の貴ぶところ。親に仕えるは子の知る道。そなたの言は真心から出たもの。ならば、曲げて一計を授けよう。」
そう言って小さな皮匣(箱)を取り出し、手渡した。
「これは天機である。決して漏らすな。常は開けてはならぬ。大難に遭ったときのみ開けよ。中に汝を救う策がある。忘れるでない。」
延徳は匣を受け取り、再び拝謝して客房へ戻り、ようやく眠りについた。
詩にいう。
前途の機はすでに動き、智者は深く警める。
あの時教えを受けねば、将軍いかでか禅心を起こさん。
翌朝、長老は行童に命じて朝食を整えさせる。
やがて楊業が一行を率いて辞去を願い出るが、長老は引き留めきれず、山門まで見送った。
一行は五台山を下り、営へ帰り、楊業は陣を払って応州へ向かう。
契丹の主は忻州に兵を屯し、周軍が道を阻んでいるため軽々しく進めなかった。
ところが周軍がすべて退いたとの報が入る。
調べさせると、劉崇が山後の楊家軍を召して水攻めにより周軍を退けさせたと知る。
その策を称えているところへ、劉崇の使者が金珠宝物を携えて現れ、帰兵を請う。
契丹主は賄賂を受け取り、そのまま本国へ引き揚げた。
世宗は兵を収めて都へ帰り、入宮して太后に安を請う。
以後、政事はすべて自ら裁断し、弊を正し、民の苦を救い、朝野は大いに悦んだ。
補足。
勇み足と準備不足で臨んだ北漢遠征が、成果も残せず慌てて逃げ帰るありさまを晒してしまった柴栄は、帰路、遠征中に埋葬が済んだ郭威の崇陵に立ち寄り、陵前で号泣したといいます。
ここより柴栄の時代を変える本当の一歩が踏み出される転換点です。
趙匡胤ら諸将の功を思い、爵を授けて報いようとする。功の大小により次第を定めた。
都虞候趙匡胤を進爵して南宋王とし、鄭恩を汝南王に封ず。
高懐徳、張光遠、羅彦威、張永徳を列侯とし、岳元福、馬全義、符彦卿を節度使に任じて外郡を鎮めさせ、老齢ゆえ上朝を免ず。
馮益、史魁、高懐亮らを御林軍都督とし、王朴を丞相に進める。
年号を顕徳と改め、王侯に宅第を賜う。
衙署(公務を行う事務所)を持たぬ者には家将を選ばせて充てさせた。
臣らは恩を謝して退く。
その折、懐亮が兄に両親のことを尋ねる。
懐徳は父が潼関で戦死し、母は故土にあると語る。
懐亮は声をあげて慟哭し、父が夢に現れた由来を悟った。
ある日、世宗が朝を設ける。
文武の奏対が終わると、南宋王趙匡胤が進み出て奏する。
「汝南王鄭恩は、かつて陶家荘の陶三春を室と定めながら、いまだ婚を成しておりませぬ。どうか聖恩をもって完姻を賜りますよう。」
世宗は問う。
「いつ聘礼(結納)を下した。誰が媒で、いずこで定めたか。」
匡胤は答える。
「臣が媒でございます。太后の御車に従い百鈴関より帰京の途上、駐蹕の折、鄭恩が暑を避けて浴しに出、陶園で瓜を盗んで打たれました。臣は陶三春の勇力と兵機を見て、斧柯(なこうど)を執り、縁を結ばせたのでございます。」
前後の経緯を詳しく奏する。
世宗はほとんど笑い崩れそうになり、言う。
「姻縁はもとより前定。御弟が斧柯を執るは、まことに相応しい。」
直ちに宣旨して汝南王を召す。
司礼監が伝える。
「万歳の旨あり。汝南王、上殿せよ。」
下から声が響く。
「領旨。」
世宗が龍椅より見れば、鄭恩が丹墀(宮殿の前の階段)を踏んで上殿してくる。
その衣冠気概はかつてとは見違えるほどであった。
頭には三尖の光帽。
身には八卦団花の上衣。
金と玉をはめた帯を腰に締め、粉底の黒靴が軽やかに揺れる。
鄭恩は御前に至り、笏を執って高く呼び、三拝した。
さて見よ。
鄭恩はもとより粗野な男である。
匡胤に従って関西を渡り歩き、災いを招き、酒に酔っては騒ぎを起こすのが取り柄のような男だった。
それでも匡胤に言われて礼儀作法を学び、昔の癖をいくらか改め、多少は礼を心得るようになった。
しかし急な場面では、やはり作法を失することが多い。
ゆえにこの日の朝拝でも、ただ三拝を行ったのみであった。
世宗はそれを見て、内心ほほえむ。
「この粗夫、礼はまだ足りぬ。これで朝廷の大臣とはいかがなものか。だが昔に比べれば、ずいぶんましになったものだ。」
そこで旨を伝え、席を賜った。
鄭恩は錦の墩(腰かけ)に腰を下ろし、目玉を鼻先に向けたまま微動だにせず、それで礼を尽くしたつもりでいる。
世宗が問う。
「三御弟よ。そなたに定めた縁談があると聞く。早く奏して朕に知らせ、婚礼を整えるべきであろう。なぜ申し出ぬのだ。」
鄭恩は言う。
「それは二哥の取り計らいでござる。臣には関わりのないこと。」
世宗は眉を上げる。
「男女が室を共にするは人倫の大事。なぜ他人に押し付ける。」
鄭恩は平然と言う。
「臣はもとよりこの女を望んでおりませぬ。二哥が勝手に媒をしたのです。」
世宗は笑みを含んで言う。
「ならば朕が官を遣わし、陶三春を都へ迎え、そなたと婚儀を成させよう。」
鄭恩はなおも言い張る。
「先ほど申したとおり、臣はこの女を要りませぬ。もし迎えるなら、媒をした二哥が娶ればよろしい。」
世宗はくすりと笑った。
「まったく理の通らぬ言い草だ。聘定した婚姻を媒人に譲るなど、古来聞いたことがない。そなたの心は見えておる。ただ彼女が勇ましく、叱られるのが怖いだけであろう。
だが、そなたが彼女を恐れるのは、朕はかえって好ましく思う。今後、礼法を知らず国法に触れることがあれば、王妃に存分に叱らせよう。」
そして命を下す。
「礼部に伝えよ。即日、官四名を遣わし、半朝の鑾駕を整えて陶家荘へ向かい、陶三春を迎えよ。日を選び、三御弟汝南王鄭恩と成婚させる。」
龍袖をひるがえし、退朝した。
文武百官も一斉に退出する。
殿外に出ると、鄭恩が不満げに言う。
「二哥、楽子は言ったはずだ。あの驢球入れの女娃娃は、ほんに要らぬ。娶ったところで、楽子は決して成親(結婚)せぬ。」
匡胤は厳しく言う。
「三弟、何を言う。朝廷の勅命に背ける者があるか。従わねば逆君の大罪だ。」
鄭恩は鼻で笑う。
「要らぬものは要らぬ。どう罪にできる。」
匡胤は声を落とす。
「天子の喜怒は常ならぬ。事によりて罪を問われる。軽ければ罷免して庶民に落とす。重ければ斬首して衆に示す。御弟だからといって赦されると思うな。」
鄭恩はしばし黙り、やがてぶつぶつ言う。
「お前の言うとおりなら、従うしかあるまい。だが楽子は今まで誰にも縛られず、気ままに暮らしてきた。それが今では死人のように、何一つ自分で決められぬ。ただ命じられるまま動くとは、なんとも面白くない。
……まあ、仕方あるまい。従うとしよう。」
そう言って、それぞれ府へ帰った。
匡胤は父・趙弘殷に会い、妹を高懐徳に嫁がせるよう勧める。
弘殷は大いに喜び、すぐに吉日を選び、懐徳を婿に迎えた。
王侯の婚儀は庶民とは違う。
その日、灯はともり、鼓楽は天に響き、朝廷の文武はみな贈り物を持って祝いに来た。
新人(新郎新婦)は天地を拝し、弘殷夫妻が正座して拝礼を受ける。
夫婦互いに拝し、花燭のもとで合巹(盃)を交わし、洞房へと送られる。
礼の細目は述べるに及ばぬ。
翌日、弘殷は盛大な宴を開き、文武百官を招いて喜宴を尽くした。
三朝の後、花銀千両を妝奩(嫁入り道具)の代として持たせ、懐徳夫妻を府へ帰らせる。
懐徳は家将を遣わし、山東へ母を迎え、栄華をともに享受させた。
この件はここまでとする。
一方、礼部は勅命を受け、官を遣わして陶家荘へ迎娶に向かう。
陶三春の兄、陶龍・陶虎は、かつて匡胤が媒となり鄭恩に妹を許して以来、折に触れて都の様子を探らせていた。
匡胤が戦功を立て都虞候に封ぜられ、鄭恩も侯に封じられたと聞き、兄弟は喜び、三春に伝える。
三春は言う。
「兄上、あの日申したこと、まだ耳に残っております。王位に至ってこそ成婚と申しました。今は侯位にすぎません。どうぞ早まらぬよう。」
陶龍は笑う。
「侯位といえど軽くはない。ここまで来たのも並大抵ではない。功を重ねれば王位も遠くあるまい。」
そう言って出て行き、蘇杭へ人を遣わして綾羅緞子(絹織物)を買い、龍蟒(礼服)の妝花(花装飾)を取り寄せ、数多くの裁縫師を招き、ひと月かけて衣装を整える。
銅や錫の器物も取りそろえ、嫁入り道具は万端に備えた。
三春は言う。
「彼が侯に封ぜられたなら、府中に不足はあるまい。ここまで心を砕かずとも。」
陶龍は首を振る。
「体面というものがある。我が陶家も小家ではない。粗略にして笑われるわけにはいかぬ。侍女もそなたの望むまま選べ。万事前もって備えよ。」
三春は兄の心遣いに深く感謝し、自室の品々も整え始めた。
やがて数日後。
県令が自ら祝いを伝えに来る。
「令妹の夫・鄭殿は今や汝南王。御賜の完姻につき、礼部官四名が宮官を率い、半朝の鑾駕を整えて王妃を迎えに参る。不日到着する。ゆえに先に祝いを伝えに参った。」
兄弟は拝謝し、席を設けて款待する。
陶龍が問う。
「明日天使(勅使)が来られたら、いかに応対すべきか、ご教示願いたい。」
県令は答える。
「正席四卓を設け、折席礼四封を備えよ。鑾駕の随従には五十卓を用意し、一人ごとに銀二両を賞すべし。車夫や役夫にも酒食を与えよ。京へ戻れば鄭王が費用を支給される。これに従えば過ちはない。」
兄弟は深く礼を言い、万端整えると約す。
その後、陶家の嫂も祝意を述べる。
三春は言う。
「妝奩はすでに整いました。酒席や賞銀には、父母が残してくれた千両の銀を用いればよいでしょう。」
婚儀の日は、刻一刻と近づいていた。
さて、南宋王の趙匡胤はある日、高懐徳を府に招いて相談した。
「陶三春は腕力が並外れておる。かつて鄭恩を力でねじ伏せ、自分の強さを頼みにして、他人を眼中に置かぬ女だ。今回、嫁入りで都へ来るとなれば、我らのことも同類と見て侮るに違いない。そこで道中、ひとつ思い知らせてやりたい。
だが都の諸将を見渡しても、あれに張り合える者はおらぬ。お前だけだ。張永徳や鄭恩にも劣らぬ力がある。お前が両府の家将を率い、狩りの打囲いでもする体で出よ。
まず家将に命じ、宮官へは内々に告げておく。慌てるな、と。お前は響馬(強盗)に化けて、買い路銭を要求するのだ。あの女は必ず怒って自ら出てくる。そこで武芸の高下を試せばよい。
頃合いを見て敵意のないことを明かし、こちらにも勇猛の士が少なくないと悟らせる。それに、鄭恩の顔も立つというものだ。」
懐徳は笑って承知し、支度を整えて期日通り城外へ出て、事に当たった。
ここはひとまず述べない。
一方、勅命を受けた迎えの官が、車駕と従者を率いて県へ到着した。
県官が出迎えて公館へ案内し、贈り物を届け終えると、急ぎ陶家へ知らせを走らせる。
陶家の兄弟は報を受け、門外に幕屋を張って車駕と人馬の宿営を整え、大庁では差官を迎え、脇の庁では家将をもてなし、車夫や役人たちには庄内で酒食を振る舞う。
梨園を呼び、宴席を大々的に設け、万端を整えて到着を待った。
翌朝早く、すでに一隊の人馬が護衛して来る。
先頭には「汝南王の奉旨迎親」と書いた札が立ち、花々しく飾られた半朝の鑾駕がずらりと続く。後ろに差官と宮監、さらに県官が従っていた。
一行が庄に着きかけたところで、陶家兄弟は迎え入れて聖旨を開読する。
兄弟は恩に礼を述べ、賓主が席につき、県官は脇に座って陪席した。茶が三巡すると宴に入り、酒肴の豪勢さは言うまでもない。芝居もかかり、盃を交わし、主客ともに大いに歓び、席は散った。従者たちもそれぞれ酒食を済ませる。
陶龍は出立の日取りを定める。
親戚が送嫁に来たが、陶龍は丁重に辞退した。
出立の日。王府の儀仗(警護兵)が並び、鑾輿は人に囲まれ、前を遮り後ろを掩い、威儀はまことに華やかだった。宮官は馬に乗り、侍女は車に分かれ、兄弟二人は欽差官とともに馬で輿を押さえ、県官は後ろから見送る。
三声の炮が鳴り、鑾輿は動き出す。
街道には近隣の男女が肩を並べて押し寄せ、道の両側から見物し、皆が褒めそやし、羨望の声が絶えず、いつまでも見送った。県官は境まで送り、そこで別れた。
まことに、
美醜で身分は決まらず、富貧は運命の道にあり。
鑾輿は一路、昼に進み夜に宿り、州県を過ぎるたびに地方官が程儀(餞別)を献じ、威勢はなお増す。
幾日も行って都に近づき、汴京まで三十余里というあたりへ来た。
そのときである。
林の中で炮が一つ鳴り、五、六十騎の人馬が躍り出た。先頭に立つ大王が馬上で槍を構え、道を塞いで怒鳴る。
「通るなら買い路銭を置いてゆけ。さもなくば命はないぞ!」
儀仗の者たちは強人に道を阻まれ、目は据わり口も利けず、前へ出る者はなく、かたまって縮こまる。肝の太い者が慌てて欽差官に報告するが、欽差官は内情を知っているので、驚いたふりをし、陶家兄弟へ伝えた。
陶龍は言う。
「皇都の地面で、響馬が勝手放題とは。私が前へ出て言い聞かせましょう。」
馬を進め、大声で叱りつける。
「貴様ら草賊め、輦轂(天子の乗る車。ここでは貴人の車)の下でよくも道を遮るか。しかも我らは商人でもなく、任満の官でもない。路銭などあるものか。見えぬのか、これは汝南王・鄭千歳が迎える王妃さまだ。誰が阻める。速やかに退け、傷を負うな!」
大王は大笑いした。
「よしよし。銀がないなら、その何とかいう王妃をこちらへ寄越せ。俺の寨の夫人にしてやる。そうすりゃ殺しはしない。少しでもぐずつけば、生きて帰れると思うな。」
陶龍は怒りで顔を紅くし、叫ぶ。
「この毛賊!お前らは欺き慣れているが、王妃さまの腕前を知らぬのだ。今、こちらから知らせてやる。王妃さま自ら出て来て、銅錘ひとつで貴様らを叩き潰してくれるわ!」
そう言い捨て、馬を返して後ろへ走った。
車馬が止まったままなので、三春が左右に問う。
「なぜ進まぬのだ。」
家将が答える。
「響馬が道を塞ぎ、前へ進めませぬ。」
三春は眉を立てる。
「そんな馬鹿なことがあるものか。」
そこへ陶龍が駆けつけ、響馬の言い分を伝えると、三春は激怒した。
「披掛(戦装)を持て!」
侍女が返事をし、箱から武具を取り出す。三春はたちまち身支度を整えた。その姿の威厳はこうである。
魚鱗の鎧は金光りして日を照らし、紅の戦袍には鳳凰が朝陽に舞う。
錦の襴裙は色鮮やかで、獣皮の靴は丈が長く足取りは揺るがぬ。
陶三春は白馬にまたがり、両手に銅錘二挺を執り、家将を引き連れて前へ出る。
先頭に躍り出て大喝した。
「どこの毛賊だ、道を塞ぐとはいい度胸だな!」
ただちにその大王が馬を躍らせて突き出た。
「女将、矢を受けよ!」
弓弦が鳴り、矢は三春の左耳をかすめる。
不意を突かれ、三春は思わず驚いた。
続いてまた弦の音。今度は右耳のそばを矢が走る。
三春は錘を下ろし、片手でその矢をつかみ取って怒鳴った。
「毛賊、矢があるなら残らず放ってみよ!」
大王はすかさずもう一矢。
正面から飛んできた矢は、護心鏡(急所を守る当て板)に当たる寸前、三春がひと振りで叩き落とした。
両軍の見物人からどっと喝采が上がる。
三春は錘を振り上げ、馬を打って突進した。
大王は槍を構えて迎え撃つ。
陶三春の銅錘は八十二斤の重さ。
大王の槍が鋭く突き出されると、一錘で払いのけ、続けざまにもう一錘が飛ぶ。
大王は内心舌を巻いた。
二人は馬上で激しく打ち合い、三十合、四十合と続く。
三春は胸中で思う。
「この者、槍さばきが尋常ではない。響馬のはずがない。軽々しく命までは奪うまい。」
そう思って、ほんのわずか手を緩めた。
その隙を見た大王、槍を肋下へ力任せに払って落馬させようとする。
だが三春は脇で槍を挟み込み、一方の錘を下ろすと、素早く槍先を握り締めた。
大王が力いっぱい引くが、びくともしない。
その瞬間、三春はもう一方の銅錘を頭上から振り下ろした。
大王は慌てて槍を捨て、両手で錘の柄をつかみ受け止める。
三春は馬から跳び下り、ひと引きするや、逆に大王を馬下へ引き落とした。
「腕もない毛賊め、命は助けてやる。失せろ!」
大王は立ち上がり、歩み寄って言う。
「王嫂、どうぞお馬へ。」
三春は眉を吊り上げた。
「何者だ、わらわを王嫂と呼ぶとは。」
大王は笑う。
「隠すことはない。拙者は南宋王の妹婿、高懐徳だ。南宋王が大媒ゆえ、迎えに参った。」
そう言って家将を進ませ、叩頭させた。
三春はぱっと笑顔になる。
「高侯であったか。先ほどは無礼をした。どうかお許しを。」
家将に銀を与えてねぎらい、懐徳とともに兄たちに挨拶する。
陶龍・陶虎は言う。
「高侯自らお迎えとは、まことに光栄。」
懐徳は笑って答える。
「汝南王は当代の虎将。その鄭恩を令妹が伏せたと聞き、信じがたくてな。ひとつ武芸を拝見したまで。」
皆どっと笑った。
陶龍が言う。
「このような戯れ、命を懸けては危うい。もし手違いがあればどうなっていたか。」
懐徳は苦笑する。
「先ほどの矢には鉄の鏃を付けておらぬ。傷は負わせぬ算段だった。しかし令妹の錘は本物だ。受け損ねていたら、今ごろ命はなかった。今後、軽敵はせぬ。」
また一同大笑い。
まことに、
姿を少し描けばこそ、女丈夫に勝る強敵と知る。
一行は軽く酒食をとり、懐徳も加わってともに都へ向かった。
さて汝南王鄭恩。
ある日ふと思う。
「吉日も近い。支度をせねばならぬ。だが王府の作法など、楽子はさっぱり知らぬ。礼を違えれば陶家の笑いもの。二哥に相談せねば。」
馬に乗り、家将数名を従えて南宋王府へ向かう。
患難の兄弟ゆえ、通報もせずに下馬して入り、堂に上がって匡胤に挨拶して座った。
鄭恩が口を開く。
「今日、家将が申すに、陶家の送親が間もなく到着するとのこと。人夫は二百余り。楽子は行事の仕方を知らぬ。ゆえに二哥の知恵を借りたい。」
匡胤は答える。
「礼は本来一つ。ただ規模の大小があるのみ。今は王侯の礼で行う。何事も大を取り、小を惜しむな。
まず銀二百両を用意し、家人に命じて厨や茶夫を集め、宴席を整えよ。
さらに三百両を備え、送親の執役に賞として配る。
加えて百二百両を内外の犒賞(ねぎらい)に充てる。
そして謝媒の礼金を用意せよ。五千でも三千でもよいが、それ以下はならぬ。これが肝要だ。
朝廷の文武が祝賀に来るなら、三日前に帖を送り、席数や日程は任せる。」
鄭恩は目を丸くする。
「計算すると銀が足りぬ。二哥、媒金を貸してくれ。後で利を付けて返す。」
匡胤は笑う。
「まだ媒金も受け取っておらぬのに、何を借りる。」
鄭恩は真顔で言う。
「男家の謝礼はこれからだ。陶家が二哥へ渡す媒金花紅、それをまとめて楽子に貸せばよい。」
匡胤は声を立てて笑った。
「お前は名を改めよ。鄭子明ではなく、賴猫児焦面大王(焦げづらの怠け者大王)と名乗るがよい。」
鄭恩はむくれて言う。
「からかうな。まだ大事な心配がある。教えてほしい。」
匡胤は笑いながら言う。
「賴猫大王、銀の他に何を問う。」
鄭恩は先に笑い、言おうとしてはためらい、もじもじと口を開いた。
その問いは、後世まで笑い草になるほどのものであった。
学ばずして礼を知らず、文なければただ素朴を誇るのみ。
さて鄭恩が問うた心配とは何か。
次回を待て。
独語。
古来中国は放伐や易姓革命で君姓が代わるとき、その直前の封地や王号から、新たな国号が移動されてくるけど、五代十国時代の主に華北政権は、後漢朝からその前例を踏みませんでした。
後晋朝は晋王に封じられたのでそのまま晋だけど、後漢朝は并州河東節度使北平王なので、国王号はありません。しかし節度領地は春秋時代の晋の地で、「じゃあ晋のままでいいじゃん!」ということを約一名は期待していたかもしれませんが、姓がせっかく劉氏なので、漢を名乗らぬ手はないとばかりに大漢を名乗らされました。きっと心底残念がったでしょう。
誰の話をしているのか? それは後晋祖石敬瑭を心底敬愛していた劉知遠の心情を忖度してみたまでです。
それは置いておいて、劉知遠は平王号なれど、王号を与えられていたのでまだいいのですが、郭威となると王号もなく、魏州天雄軍節度使として出鎮はしていましたが、本来筋で言えば宰相である枢密使。国号を魏とはしませんでしたね。
こじつけで、古代周の子孫を名乗り、大周と。これは太原郭氏が周王家虢叔の後裔としているから、そこにねじ込んだという話です。
そして趙匡胤。こちらも王号はなく、直前の節鉞が宋州帰徳軍なのでそこから大宋にしたようです。安直さを感じますが、「細けぇことはいいんだよ!」という声が聞こえてきそうです。
