第三十二回 高行周夜觀星象 蘇鳳吉聳駕喪軍
第三十二回 高行周、夜に星象を観て、蘇鳳吉、駕を聳やかして軍を喪う。
詞に曰く:
思えば臣たる者で、
国のため身を忘れて尽くす者が、
今の世にどれほどいようか。
誠を尽くし、力を尽くし、
死に至ってこそ、その真価は明らかになる。
天の理は昭然として、
成敗の道理も本来は明らかだ。
それでも節を守り、
屈しても志を失わぬ――
それが王臣の操というもの。
だが、垣根は崩れ、
猛虎や残狼が横行し、
人を噛み殺していく。
群れをなして入り込み、
誰が国の憂いを分かち合おうとするのか。
結局は、
黍の丘も荒れ果て、
嘆きだけが虚しく残る。
この咎は誰に帰すべきか。
ああ、あまりにも早く、
肩の荷を下ろしてしまったことを悔いるばかりだ。
――右、《探芳信》の調。
さて、史彦超と高懐徳は、滑州城外で激戦を繰り広げた。
だが、仇討ちの念に駆られた史彦超は警戒を怠り、高懐徳の策にかかって、背中を鋼鞭で打たれ、血を吐いて鞍に伏したまま逃げ帰ることになった。
高懐徳は容赦なく馬を飛ばし、追撃する。
門旗の近くまで来たところで、すでに王峻が兵を率いて救援に現れた。
史彦超が大敗して逃げてくるのを見て、追撃が激しいと知るや、王峻は斧を手に馬を進め、軍前に躍り出て大声で叫んだ。
「若造、これ以上好きにはさせぬ! 我が兄を追うとは何事だ、この王峻、相手をしてやる!」
そうして史彦超を逃がし、自ら前に立ちふさがった。
高懐徳が王峻を見ると、その姿はまさに猛将そのもの。
赤ら顔に虎のような髭、
金色の眼に鋭い嘴。
金鍍金の兜を戴き、
鎖帷子を身にまとう。
純鋼の大斧を軽々と提げ、
棗毛の駿馬にどっしりと跨る。
高懐徳は、王峻の凶相を見ると、言葉も交わさず、馬を駆って斬りかかった。
王峻は大斧を振り回し、
ブンッ
と音を立てて、頭上から叩き落とす。
高懐徳は槍でこれを受け止めたが、両腕にずしりと重みが伝わり、心中で思った。
「この醜賊、腕力が強く斧も重い。力比べでは長くはもたぬ。智をもって制すべきだ。」
そこで馬を回し、態勢を変えて、再び槍を突き出す。
王峻も史彦超を打ち破った相手とあって、全身の力を込めて戦い、同時に暗器を警戒していた。
二人は五十合余り戦った。
その時、高懐徳が突然、槍を引いた。
王峻は力を込めすぎていたため、斧は空を切り、体は後ろへ大きくよろめく。
その瞬間を逃さず、高懐徳は梨花槍をぐっと締め、王峻の胸元めがけて突き出した。
王峻は
「しまった!」
と叫び、慌てて馬を横に引いたが、
シュッ
という音とともに、槍は左脇の鎧を貫き、衣とともに半分ほど裂いた。
王峻は胆を潰し、顔色を失って、馬を返し、斧を引きずるようにして逃げ去った。
この様子を見た高行周は、懐徳が二度続けて勝利を収め、敵将が恐れて逃げたのを知り、心底から喜んだ。
槍を振り上げて号令を下すと、三軍は鬨の声を上げ、戦鼓は雷鳴のように轟いた。
潼関の兵は追撃に移り、禅州軍を瓜を斬るがごとく切り伏せ、戦場は阿鼻叫喚の地獄と化した。
まさに――
高氏父子の雄威と才、
千軍万馬、潮のごとく押し寄せる。
雀と鷂子、もとより敵うはずもなく、
野は屍に満ち、血は地を染めた。
滑州城外のこの大殺戮は、今なお草木を赤く染めているという。
史彦超と王峻は、いずれも深手を負って城へ逃げ込み、城門を固く閉ざして出てこなかった。
高行周は大勝を収めて兵を引き、軍営へ戻り、兵をねぎらって褒賞を与えた。
父子はそれぞれ鎧を脱ぎ、酒を設けて祝杯を挙げた。
高行周は、懐徳の勇猛さと才覚にますます満足し、心中で思った。
「主上よ、潼関にこの高鷂子がいるならば、禅州の郭雀児など恐るるに足らぬ。」
さらに懐徳に言い聞かせた。
「今日、史彦超を鞭で打ち、賊将を槍で突いた。その名はすでに敵に恐怖を与えている。明日も戦えば、一戦で決着がつくだろう。
ただし、郭威の配下に目立つ武将はいないが、王朴という者は智略に優れ、陰陽に通じている。父とは同門で、六壬・奇門を修め、過去未来を察し、天文地理にも明るい。今夜はとくに気をつけよ。夜襲があるかもしれぬ。」
懐徳は答えた。
「父上のご洞察、まことに深い。今夜は兵に命じ、決して油断させませぬ。」
こうして高行周は軍令を下し、全軍は一夜、厳重に警戒した。
翌朝、夜明けとともに兵は食を済ませ、陣を払って進み、滑州城の正面に改めて布陣した。
高行周は懐徳に命じ、城下で挑戦させた。
懐徳は命を受け、甲冑を整え、槍を取って馬に乗り、兵を率いて城下へ赴き、名乗りを上げて郭威を呼び出した。
だが城門は固く閉ざされ、誰一人として応じない。
懐徳は一日中呼び立てたが、無駄に終わり、やむなく陣へ戻った。
それが五日続いても、城内は沈黙したままで、外からどれほど罵声を浴びせても、まるで聞こえぬかのようであった。
この報告を受けた高行周は激怒し、三万の兵を二手に分け、二万をもって滑州城の四門を攻め、残る一万で本営を守らせた。
兵たちは力の限り攻め立てたが、城上からは灰瓶や石が雨のように降り注ぎ、潼関軍には負傷者が続出した。
三日三晩、包囲攻撃を続けたものの、城はついに落ちなかった。
実はこれこそが、王朴の策であった。
彼は天象を観てすでに勝敗を見定め、四門を固く閉ざして一切出戦せず、外がどれほど激しく攻めようと、守りに徹するよう諸将に命じていたのである。
もとより滑州は堅城。
そう易々と破れるはずがなかった。
この日、郭威は自ら城に上り、城壁を巡視した。
女牆(胸壁)に手を置いて見下ろすと、城下では敵兵が我先にと勇を競い、潮が打ち寄せるように押し寄せ、蜂の群れのように攻め立てている。
もともと、史彦超・王峻の両将が敗れたと聞いた時点で、郭威の心はすでに大きく動揺していた。
まして今、みずから激しい攻城の様子を目の当たりにし、危急の度合いを思えば、恐れぬはずがない。
顔色は土のように青ざめ、郭威は慌てて城を下り、帥府に戻って諸将に語った。
「本帥は判断を誤り、朝廷に背いて兵を挙げた。だが今日、天理は明らかとなり、高家父子という強敵に当たった。
配下にはこれに対抗できる上将もなく、しかも五日間の攻城は日増しに激しさを増し、城が落ちるのも時間の問題だ。
その時は玉石ともに砕け、諸君が私を推してくれた真心も、すべて無に帰してしまう。さて、どうすればよいのか。」
このとき、王朴が進み出て言った。
「明公、どうかご心配なさらぬよう。以前にも申しましたが、高行周の将星はすでに昏く、必ず災いがあります。
しばし心を落ち着け、十日ほどお待ちください。明公の運勢が大きく転じれば、高行周は自ずと兵を引きます。
これは私の憶測ではなく、天が示す兆しです。今はただ守りを固めれば、それでよいのです。」
郭威はこの言葉に従い、城上に命じて灰瓶や炮石をさらに増やし、昼夜を分かたず警戒を厳にし、堅守に徹した。
――この件は、ひとまず置く。
一方、高行周は攻城が思うように進まず、兵の損耗も甚だしいのを見て、やむなく兵を引き、陣へ戻って策を練ることにした。
父子が陣に帰った時には、すでに日は暮れていた。
灯をともして夕餉を終えると、諸将はそれぞれ帳外に退き、交代で休息に入った。
懐徳は三軍を点検し、
「今夜は油断するな。勝手に眠ることは許さぬ」
と厳しく命じた。
高行周は一人帳中に座り、思案に沈んだ。
「これもすべて、天子が幼く、蘇鳳吉を寵信したためだ。
讒言に惑わされ、賞罰を誤り、ついには郭威を反逆に追い込んだ。
これほど大軍を動かしながら、いまだ成果はない。」
さらに、史弘肇一族が讒言によって皆殺しにされたことを思い出し、
「実に痛ましいことだ」
と、深くため息をついた。
国と民を憂える気持ちも、次第に冷め、やがて三更の刻となり、あたりは静まり返った。
高行周は席を立ち、中軍帳を出て巡視に出た。
五営四哨は整然と配置され、厳粛そのものである。
だが、冷たい夜風が肌を打ち、全身が氷のように冷えた。
空を仰げば、満天の星が燦然と輝いている。
天の川を望むと、紫微の斗口に黒い気が立ち、明滅を繰り返していた。
客星は帝座を犯し、主星は冴えず、代わって明るい星気が禅州を照らしている。
それを見て、高行周は悟った。
「大漢の天下は、もはや長くはない。いずれ郭威のものとなろう。」
この思いに胸を痛めるうち、寒風に当たって悪寒が走り、身は震え、やがて熱を帯びてきた。
帳に戻っても心は晴れず、寝返りを打つばかりで一夜を明かした。
翌日になると、憂いはさらに募り、煩悶は深まり、飲食も喉を通らず、ついに床に伏した。
軍令を出し、懐徳に軍務を任せ、三軍は勝手に動くなと命じた。
主将の病を知った兵たちは、戦意を半ば失ってしまった。
数日が過ぎると、病状はいよいよ重くなった。
ある夜、三更の頃、高行周は不安に駆られ、懐徳に言った。
「我が子よ、私を支えて外へ出て、もう一度星を見てはくれぬか。」
懐徳は答えた。
「父上、お体が優れませぬ。今は静養を第一になさるべきです。快復してからでも遅くはありません。」
行周は言った。
「支えてくれ。差し支えはない。」
懐徳は逆らえず、父を扶けて帳外へ出た。
天を仰ぐと、本命の将星は沈み、今にも墜ちそうであった。
行周は深く息をつき、言葉を失った。
やがて後堂に戻り、柔らかな寝台に腰を下ろし、ため息を重ねた。
懐徳が問う。
「父上、星をご覧になって、なぜそのように嘆かれるのですか。」
行周は答えた。
「お前には、星の理の奥深さが分かるまい。だが言っておこう。
先ほど天文を見て、本命の将星が昏いのを見た。
さらに以前、客星が帝座を犯し、主星が衰えていた。これは主が替わる兆しだ。
しかも盛んな気は禅州を照らしている。郭威が天下を継ぐしるしである。
私は勅命を受けて出陣したが、天がこれを許さず、病を与えて賊を滅ぼさせぬ。これこそ天意だ。
今ここに大軍を留めれば、ただ兵糧を費やすだけ。
王朴は守りに長け、城も容易には破れぬ。
だが天に背いて郭威に降るわけにもいかぬ。
兵を抱えたまま動かねば、病身で軍を率いることもできず、天意にも背き、主にも不吉を招く。
進むも退くも難しく、決断がつかぬのだ。」
懐徳はしばらく考え、言った。
「父上、私に一つ、両立の策がありますが、いかがでしょう。」
行周は言った。
「策があるなら申せ。行くべきなら行き、止むべきなら止めよう。」
懐徳は言った。
「天が兆しを示す以上、逆らうべきではありません。
いっそ兵を退き、潼関へ帰って天命に任せるのです。
身を全うするのも、一つの退き方ではありませんか。」
行周はうなずいた。
「お前は若いが、よく見えている。実は私も同じ考えだ。だが一つ、理に背く恐れがある。」
懐徳が問う。
「何が理に背くのですか。」
行周は言った。
「臣は忠を尽くし、子は孝を尽くすもの。
私は漢主の禄を食みながら、賊を討てず、身を全うするため退く。
これは史書に“不忠”と記されるであろう。」
懐徳は答えた。
「父上、古くから言います。
『君正しからざれば、臣は外に去る』と。
岑彭は漢に帰し、秦叔宝は魏を捨てて唐に帰しました。
名将は皆、そうして道を選んできたのです。
今の幼主は昏徳で、奸邪を信じ、忠良を殺しています。
もはや汗馬の功を尽くす価値はありません。
どうか疑念を捨て、まず兵を退き、病を養い、その後に情勢を見て対処なさってください。」
高行周の心にも、すでに退兵の思いはあった。
懐徳の言葉を聞いて決断を固め、ただちに将令を下し、
「明日、全軍撤兵」
と命じた。
主将の病に不安を抱いていた兵たちは、この命令を聞くや安堵し、喜んで支度を整えた。
――読者よ。
大将たる者、すべては決断にかかっている。
決断を失えば、たちまち評価は落ちる。
もし高行周が病を押して兵を督し、黄河口で郭威を食い止めていたなら、たとえ天意に逆らい討ち死にしたとしても、「忠義を尽くして死んだ将」として名を残したであろう。
だが決断を失い、懐徳の言に従って兵を引いた以上、たとえ後日、郭威に服さず自害したとしても、今日の過ちは、もはや覆い隠せぬであろう。
――余談はここまで。
独語。
五代十国時代というのは、60年ほどの間に王朝が興亡した忙しい時代。
高行周はその興亡著しい王朝に都度仕え、都度名将としての評を得て、ゆえに武の名門とされていたわけです。
価値観の差で、たとえ暗君でも死して忠節を全うすれば竹帛に名が残るを最上とするならば、討ち死にも賞賛されますが、もし高行周が仕えた主の後を追っていたら紛れもない時代の損失でしたでしょう。
さて、高行周は翌日の五更、すなわち夜明け前に三軍へ命じ、陣を払って撤退した。
懐徳は中軍を守りつつ、軍を整然と退かせ、潼関へ引き返していった。
この撤兵によって、漢主の江山(天下の意)は、もはや安泰ではなくなったのである。
急使が滑州へ駆け込み、この報を伝えると、郭威は大いに喜んだ。
しかし、なおも高行周の「誘いの退却」を疑い、心は定まらない。
密かに斥候を放ち、真偽を探らせたうえで報告せよと命じた。
すると王朴が手を振って言った。
「元帥、疑うには及びません。高行周は、私と同門で天文を解します。
彼は客星が帝座を犯し、新たな主が立つ兆しを見、さらに自身の本命星が沈んでいるのを悟った以上、決して天意に逆らおうとはしません。
身を全うして成敗を見届けるために退いたのです。これは誑しではありません。どうかご進軍を。」
それでも郭威は慎重を崩さず、なお三、四日、滑州に留まった。
やがて探子から、潼関軍が完全に退いたとの確報が届き、ようやく王朴の見立てが正しかったことを悟った。
そこで初めて心を定め、大軍に進発を命じた。
砲三声――
郭軍は滑州を発し、黄河を渡った。
道中、掠奪は一切なく、軍律は厳正であったため、各地の郡県は風を望んで降伏した。
数日後、大軍は汴梁城外に到着し、砲を放って陣を敷いた。
その日、漢主は金鑾殿座していたが、突如、天地を震わす砲声が鳴り響き、何事かと訝しんだ。
すぐに黄門官が駆け込んで奏上した。
補足。
金鑾殿というのは、朝儀を行う殿宇ですね。
「郭威の軍が、すでに封丘門の外に到着しております。ご裁可を。」
漢主はこれを聞いて驚愕し、蘇鳳吉に向かって言った。
「先日、太師は潼関の高行周に賊を防がせると言ったではないか。
いまだ勝報も聞かぬうちに、逆賊が都城へ迫るとは、これはいかなることか。」
蘇鳳吉は奏した。
「臣は昨日、高行周が黄河岸で郭軍を大破し、郭威を恐れさせ、固く籠城させたと聞き及びました。
ただ、なぜかその後すぐに撤兵したようです。
臣は人を遣わして探らせようとしておりましたが、思いもよらず賊軍が都へ迫りました。
陛下、どうかご憂慮なさらず、まず将を遣わして叛逆の罪を問い、情勢を見極めたうえで対処なさればよろしいかと存じます。」
漢主はこれを許し、大将の慕容彦超と侯益に兵を率いさせ、出城して賊を討たせた。
二将は命を受け、兵を整えて城を出、郭軍の陣の前に布陣した。
斥候の報により、郭威は史彦超を出陣させた。
史彦超は兵を率いて陣前に進み、大声で挑戦した。
これに対し、慕容彦超と侯益が並んで馬を進め、大喝した。
「反国の逆賊め! 分をわきまえず、叛主の兵を挙げ、皇都へ迫るとは何事だ。
天兵がここに至った以上、速やかに下馬して縛につけ。
さもなくば、この刀斧で汚れ役となろう!」
史彦超は激怒し、罵り返した。
「貴様らは奸臣の一味! 我が兄を一門まとめて屈殺したこの恨み、天地とともに消えぬ。
今日は必ず万段に砕き、兄の仇を討つ!」
そう叫ぶと、烏纓槍を構えて突進した。
慕容彦超も大刀を振るい、即座に応戦する。
二騎は激突し、刃を交え、壮絶な戦いとなった。
山のほとりに黒雲が重なり、
海辺の野に青草が波打つ。
三十余合を戦っても、勝敗はつかなかった。
その時、侯益が見ていて、慕容彦超が史彦超を討ちきれぬと見るや、
槍を取って馬を進め、加勢に入った。
史彦超は少しも怯まず、ますます勇を奮った。
まさに激戦というその折、漢軍の背後が突如として大混乱に陥った。
これは、王朴の密策を受けた王峻が、兵を率いて背後から漢軍の陣を襲ったのである。
侯益は背後の乱れを見て馬を返したが、そこへ王峻が立ちはだかり、
腰を薙ぐ一斧で、侯益を馬下に斬り伏せた。
これを見た慕容彦超は胆を失い、刀さばきが乱れたところを、
史彦超の一槍が頭を貫き、半ばを吹き飛ばした。
郭威は門旗の下から鞭を振り、全軍に突撃を命じた。
郭軍は雪崩のように押し寄せ、勢いは卵を押し潰すがごとし。
漢軍は半ばが討たれ、半ばが降伏し、わずかな残兵が城へ逃げ帰った。
郭威は兵を収め、軍営に戻り、論功行賞を行った――これは言うまでもない。
敗兵が城へ逃げ込み、この報を漢主に伝えると、漢主は恐慌し、急ぎ文武百官を集めて退策を議した。
漢主は言った。
「郭威の兵勢は甚だ強く、慕容彦超と侯益もすでに討たれた。
そなたたちの中で、誰か朕と憂いを分かち、兵を率いて賊を討つ者はおらぬか。」
幾度問いかけても、応じる者は一人もいなかった。
この光景を見て、漢主の恐れはいよいよ深まり、かつて史弘肇が諫めた言葉を思い出し、今さらながら後悔した。
すべては蘇鳳吉の奏言を聞き入れ、無理に郭威を召し返したことから始まった災いである。
火に油を注ぎ、自ら身を焼いたようなものだ――どうすればよいのか。
漢主は文武百官に向かって言った。
「たとえ朕に過ちがあったとしても、先帝の御恩に免じ、国家のため力を尽くすべきではないか。
なぜこのように怯え、朕と憂いを分かとうとしないのだ。」
その時、蘇鳳吉が笏を胸に当て、ひれ伏して奏上した。
「陛下、どうかご心労をお控えください。
京師にはなお十万の精兵、千人の戦将がおります。
微臣は君の禄を食む身、君の憂いを分かち、犬馬の労を尽くす覚悟にございます。
出城して郭威と戦い、天が助け給えば、必ず賊兵を退けましょう。」
漢主はこれを聞いて大いに喜び、
「太師が出陣してくれるなら、朕に憂いはない」
と言った。
すると蘇鳳吉は、さらに奏した。
「臣は君恩に報いるため、命を捨てる覚悟です。ただし、陛下に御親征をお願いしたく存じます。」
漢主は怪訝に問うた。
「太師が自ら討つというのに、なぜ朕まで出ねばならぬのだ。」
蘇鳳吉は答えた。
「臣が率いる兵は、必ずしも皆が命を懸けるとは限りません。
しかし陛下が御親征なされ、文武百官が供奉すれば、御前であるがゆえに皆が力を尽くし、天威の下、軍威も増し、必ず勝利できましょう。」
――実のところ、蘇鳳吉は、もし勝てぬなら文武百官もろとも死ねばよい、もし生きたいなら死力を尽くして戦うはずだ、という悪心を抱いていたのである。
奸臣の言は、往々にして理にかなって聞こえる。
漢主は若く、軍事を知らず、槍と刀の世界も、布陣の機略も理解していなかった。
蘇鳳吉の言葉を易々と信じ、郭軍を退けて、再び金鑾殿に戻れるものと夢想した。
かくして漢主は言った。
「太師がそう申すなら、速やかに兵を選び、出立せよ。」
蘇鳳吉は勅命を受けて退朝し、十万の御林軍のうち五万を選び出した。
補足。
御林軍とは皇帝近衛軍(禁軍)のことだけど、五代十国時代にこの呼び名、もしくは軍号は見当たりません。
五代十国時代の主に北朝側において禁軍は六軍と侍衛親軍という二柱になります。それぞれに部隊があり軍号が掲げられていて、六軍とは龍武、羽林、神武といい、侍衛親軍は護聖、奉国あと多数あります。
後周朝になるとここに殿前軍が新設され、禁軍三本柱になります。
翌日、漢軍は封丘門の外へ出て陣を敷き、そこから聖駕に出城を請うた。
漢主は勅命を下し、朝廷の文武百官は官位の高低を問わず、すべて従軍して護衛せよ、もし一人でも参陣しない者があれば叛逆として処断する、と命じた。
この勅命を聞いた文武百官は、為すすべもなく、震え上がりながらも、命を捨てる覚悟で従軍するしかなかった。
かくして漢主は文武を引き連れて出城し、人馬を率いて七里店に陣を構えた。
遠く郭威の軍を望めば、槍や刀は日に輝き、旗は天を覆い、その勢いはまことに凄まじい。
さらに郭軍の陣中から大砲の音が天地を揺るがすように響き渡り、漢主は肝を潰し、心胆裂ける思いとなった。
そこで勅命を下し、蘇鳳吉を呼び寄せて相談しようとしたが、侍従官が奏した。
「蘇丞相はすでに前線に出て、兵を督し、将兵を配置しております。」
漢主は内心で思った。
「わが軍も決して少なくはない。しかも前線には蘇太師が陣を督している。たとえ賊軍が攻めてきても、太師が迎え撃つであろう。すぐに朕の身に及ぶことはあるまい。」
こうして、わずかながら胆を据え直した。
一方、蘇鳳吉は前線で郭軍の圧倒的な勢いを目の当たりにし、内心では恐怖に駆られていた。
しかし、もはや退くこともできず、虎の背に乗った形となり、やむなく戦いに臨むしかなかった。
精鋭一万を率い、数名の勇将を伴って、御営から二里余り離れた地点に陣を敷いた。
郭威もまた諸将を率いて陣前に出る。
両軍は陣形を整え、戦鼓を打ち鳴らした。
郭威は漢軍の後方に、なお大軍が陣取っているのを見て、漢主の親征であると察し、諸将に問うた。
「誰が出て、先陣を切るか。」
すると背後から一人の大将が躍り出て答えた。
「小将・韓通、決戦をお引き受けいたします。」
そう言って家将を従え、馬を進め、大声で叫んだ。
「腕に覚えのある者、出て来い!」
蘇鳳吉は、その将の姿を見て、ただならぬ英雄と知った。
銀の兜を戴き、鎧をまとい、
長槍を手に、高馬にまたがり、
陣前に立つ姿は、凛々しい威風そのもの。
蘇鳳吉は諸将に問いかけた。
「誰か、あの賊将を討つ者はおらぬか。」
すると禁軍の教師・索文俊が名乗りを上げ、刀を振るって馬を駆り、
「丞相、末将が参ります!」
と叫んで韓通に突進した。
韓通も馬を進め、両将は刀と槍を交え、激戦となった。
戦鼓は雷鳴のように轟き、陣前の叫び声は天地を揺るがす。
索文俊が勝てぬと見た蘇鳳吉は、さらに四将を出した。
孫礼・牛洪・劉成・呉坤の四人である。
四将は一斉に馬を出し、それぞれ武器を振るって加勢した。
これを見て郭軍の大将・王峻が激怒し、大斧を振りかざして陣前へ躍り出た。
さらに曹英・王豹、そして監軍の柴栄も続いて出陣し、各々が敵を求めて斬り結んだ。
まさに大乱戦であった。
両陣に戦鼓が鳴り響き、
十将が戦場で英勇を競う。
刀槍はぶつかり、寒光が弾け、
斧戟は奔り、稲妻のように閃く。
殺気は天を覆い、日も翳り、
巻き上がる砂塵に空は暗む。
戦とはかくのごとし。
さて、最後に名を残す麒麟は誰か。
軍師・王朴は陣前で戦況を見ながら、史彦超に言った。
「史将軍、赤馬に乗り、紅袍を着ているあの者が、蘇鳳吉です。
兄君の仇、今日討たずして、いつ討つのですか。」
史彦超はこれを聞き、目を凝らして見ると、果たして蘇鳳吉が刀を執り、馬上で戦を監督している。
その瞬間、怒りが爆発し、目を見開いて馬を叩き、両脚で鐙を蹴り、槍を構えて漢陣へ突進した。
「奸賊め! お前が権勢を振るい、富貴を極めていると聞いていたが、午時を過ぎれば誰もが衰える。今日がその日だ!
我が兄も天にあって見ているぞ。仇敵よ、逃げるな、命をもらう!」
史彦超を見た蘇鳳吉は、魂を失い、胆を潰し、戦うこともできず、馬首を東に返して逃げ出した。
史彦超はすぐさま追撃した。
これを見た漢軍の将たちは、主将が逃げたと知り、もはや戦意を失った。
劉成は王峻の一斧に斬り殺され、呉坤は曹英に討たれ、
孫礼は王豹に生け捕られ、索文俊は韓通の槍に貫かれ、
牛洪は柴栄に斬られた。
漢軍の五将は、四人が戦死し、一人が捕虜となった。
柴栄が刀を振るうと、後方の随征兵が鬨の声を上げて突撃した。
一万の漢兵はもはや踏みとどまることもできず、四散して逃げ惑った。
郭威は漢軍の崩壊を見るや、自ら大軍を率いて押し寄せた。
一方、漢主は文武百官とともに本営で呆然と待ち、蘇鳳吉が勝報を持って戻るのを待ち望んでいた。
しかし、郭軍はすでに営前へ殺到していた。
事の成り行きを悟った漢主は、文武を顧みることなく、後営から馬に乗って逃走した。
文武百官は護衛しようとしたが、漢主が先に逃げてしまい、追いつけない者は、降伏する者、自害する者が続出した。
四万の兵はその大半が討たれ、残る者も戦意を失い、命惜しさに城内へ逃げ込もうとした。
封丘門は人と馬で溢れ、身動きも取れなくなった。
哀れな光景である。
人は人に押され、悲鳴が満ち、
馬は馬を踏み、肉は裂け皮は飛ぶ。
門が狭く兵が多いため、漢兵は城に入れず、そこへ禅州の軍が追いつき、武器を振るってなだれ込み、斬り伏せ、突き倒した。
瞬く間に、屍は山をなし、血は川のように流れた。
血は甲を埋め、
骨は馬蹄に敷かれる。
禅州軍は封丘門から城内へ突入した。
曹英と王豹は董市門から、柴栄と韓通は万寿門から、王峻は兵を率いて酸棗門から、それぞれ突入した。
各門はすべて破られ、軍は一斉に玄武門へ進み、汴梁の皇都を制圧した。
市は閉ざされ、商いは止み、民は戸を閉めて震えた。
ただ苦しんだのは漢主である。
陣を捨てて逃げ、わずかな宦官を従えるのみで、皇城へと向かった。
ここに至って――
槍刀の群れの中、
天子とて残命は難く、
神廟の前にて、
姦臣の命運は尽きるであろう。
まさに、
社稷を私怨に売り、
身家を賭して民怨を雪ぐ。
さて、漢主は無事に城へ入れたのか。
その結末は――次回にて明らかとなる。
独語。
劉子陂の戦い。滑州から封丘にまで南下した郭威の軍、本来これを魏州大名府の軍、「魏軍」と表記しているわけですが、これと対峙する後漢軍は七里店に陣を置き、劉子陂にて激突します。
ここへきて急に史実を踏まえるようになり驚きが隠せない。
さて、では高行周の登場はなんだったのか。
思うに、高家将の話はこの『飛龍全傳』ほどではないにしても、講談として広く親しまれているので、ここぞとねじ込んだきらいが強いですね。
史実の高行周は、この戦いに参じていたかは不明です。後漢皇帝が史弘肇を誅殺したおり、諸国の重鎮を急に都に召集したのだけど、入朝してことの顛末を聞くと困惑したのかもしれないですね。
慕容彦超一人が意気旺盛で、郭威軍を阻もうとしたのでした。なお慕容彦超は、後漢朝の開祖、劉知遠の父親違いの弟になります。
