第二十九回 平陽鎮二打韓通 七聖廟一番伏狀
第二十九回 平陽鎮にて二たび韓通を打ち、七聖廟にて一番 伏状す。
詞に曰く:
君は道を踏み外し、
鳩が鵲の巣に居座るような安楽を、うらやんでいたのではないか。
その時はただ、
欲に目がくらみ、貪り、執着しただけ。
才を恃んで思い上がり、
無法を重ねたその先に、
待っているのは危うい末路。
果たして、いつまでも越権が許されようか。
今となっては、
他郷を振り返り、ただ悔いを積むばかり。
人は変わり、勢いも移り、
顔向けもできぬありさま。
ならばせめて、
筆を投げて功名を立てた昔の故事にならい、
過去の過ちを省みよ。
それが、我が言の真であることを示す道なのだ。
――右、《錦纏道》の調。
さて、鄭恩は趙匡胤の赤兎胭脂馬(鮮やかな赤馬)を失い、宿へ戻って一部始終を匡胤に訴えた。匡胤が宿の者に詳しく尋ねたところ、馬を奪ったのは、やはり韓通の息子だと分かる。
兄弟二人は連れ立って野鶏林の外まで行き、韓通が不法に居座っている庄を突き止めた。匡胤は鄭恩に前へ出て罵り呼び出すよう命じ、自分は林の中に身を隠して様子をうかがう。
鄭恩が広梁門の前へ行くと、門は固く閉ざされ、中から出てくる者もない。それを見るなり腹の底から怒りが湧き上がり、声を張り上げて罵った。
「韓通の犬め! この驢馬野郎、怖気づいて出てこられねえなら、最初からてめえの倅に俺の馬を奪わせるな!
物分かりがあるなら、さっさと出てきて話をつけろ。そうすりゃ、俺も一筆書きで水に流してやる。
だが、いつまでも隠れているつもりならこの巣穴、叩き潰してやるぞ!」
罵声とともに手も荒くなり、酸棗の棒を振り上げて門を滅多打ちにする。ほどなく広梁門には大きな穴が開いた。
中で門を守っていた者は慌てて奥へ駆け込み、韓通に急報する。
その頃、韓通は屋敷で、息子が手に入れたという宝馬を引き出させて眺めていた。見るほどに見事な赤兎の龍駒で、喜びは抑えきれない。さっそく祝いの席を整えさせ、狩りに従った者たちをねぎらおうとしていたところだった。
父子、夫婦、弟子たちが席につこうとしたその時、守門の者が駆け込んでくる。
「外で黒い大男が門を打ち壊し、馬を返せと叫んでおります!」
韓通はこれを聞くなり激怒し、弟子たちを集め、息子の天禄も伴わせ、皆に武器を取らせて外へ出た。門を開けさせると、どっと人が押し出てくる。
鄭恩がなお罵っていると、門が開き、人々が左右に分かれ、その中央に一人、堂々たる男が立った。
頭には一文字の青巾、
身には杏黄色の箭服。
烏靴に戦袴は真新しく、
拳も棒も並ぶ者なし。
金剛の目は怒りに輝き、
裂けるような眼差しは凶猛。
手にした梢棒は鬼神をも驚かせ、
人呼んで「二虎」、名に恥じぬ威風である。
鄭恩は大喝した。
「その杏黄の上着を着ているのが、韓通ってやつか!」
名を呼ばれ、韓通は顔を上げて外を見た。なるほど、見事な大漢である。
黒綾で締めた氈帽、
身を包むのは黒青の袍。
腰には藍布の巻き袱紗、
脚には青を基調とした鞋。
手にするは一本の酸棗の棒、
凛々しい威風に人も息を呑む。
燻された太歳にも似て、
火で鍛えた金剛にも劣らぬ。
韓通は声を張り上げた。
「俺が韓通だ。貴様は何者だ、俺の門前で暴れるとは!」
鄭恩は一歩も引かず答えた。
「俺は鄭恩だ。今日ここへ来たのは他でもない。てめえの倅が、俺たちの宝馬を奪って隠した。その馬を取り返しに来ただけだ。
道理が分かるなら、さっさと馬を出せ。そうすりゃ仏の顔で見逃してやる。
だが、力づくで返さぬつもりなら、この酸棗の棒が黙っちゃいねえぞ!」
韓通は激昂した。
「この黒賊め! 口を慎め! 誰が貴様の馬など見た?
それに今日は無断で門を壊したな。自分から死にに来たようなものだ。恨むなよ!」
そう叫ぶや、梢棒を振り上げ、真っ向から打ちかかる。鄭恩も棍を構え、正面から迎え撃つ。
二人はその場で組み合い、大激戦となった。
同じ武器を手に、
棍は棒を打ち、棒は棍を迎え、
閃きは空を舞う蛟龍のごとし。
互いに掴み、引き合い、
気迫は虎と豹が峰で争うが如し。
初めは勝敗も分からず、
砂塵が舞い、まるで天が霧を降らせたかのよう。
やがて力の差が現れ、
人の身の限界が明らかになる。
三十合あまり打ち合い、鄭恩は次第に押され始めた。
林の中でそれを見ていた匡胤は、鄭恩に危険が及ぶのを恐れ、腰の鸞帯をそっと解く。ひと振りすると、それは神煞棍棒へと変じた。
匡胤は音もなく躍り出て、大喝する。
「韓通の賊! 力を恃むな! 大名府で命乞いした言葉を、もう忘れたか? 今日もなお、この地で悪行を重ねるとは、断じて許さぬ!」
韓通は鄭恩を倒そうとしたその瞬間、匡胤が目前に現れたのを見て、思わず後ずさった。
その隙を逃さず、匡胤は脚を払うように棍を一閃。
韓通はたちまち地に叩き伏せられた。
さてここで、読者はこう思われるかもしれない。
――韓通はまだ本格的に手合わせもしていないのに、なぜ匡胤にあっさり打ち倒されたのか。
それでは、まるで韓通には腕も技もなく、平陽鎮で威張り散らし、弟子を取り、横暴を尽くしてきたのが不思議ではないか。
いっそ身を潜め、細々と暮らしていれば、恥をさらさずに済んだものを、と。
だが、皆さまはまだ事情をご存じない。
世の中には「起こるべくして起こること」「理の通りに帰着すること」があり、敗を勝ちに転じ、弱を強に移す、その裏には、移ろいの妙、変化の機微というものがある。
拳法ひとつを取ってみても、実のところ、匡胤の修めた技は本来、韓通には及ばない。
もし正面から公平に組み合えば、鄭恩ほどの腕前――かつて救駕の功もあるその鄭恩ですら、今日は勢いを削がれているのだから、匡胤は間違いなく一歩譲る結果になっていたはずだ。
だが、大名府での最初の対決の折には、不思議と鬼神の加護があり、目に見えぬ助けが働いたため、匡胤は上風を占め、韓通は逃げ場もなく敗走した。
そして今日の再会。
これもまた、韓通は油断しきり、匡胤は意を決して不意を突いた。
兵法に言う――
「意表を突き、備えなきところを攻める」。
この理にかなったがゆえ、またしても匡胤が上に立ったのである。
仮に三度目の対決があったとしても、それもまた韓通の取りこぼしとなろう。博打で言えば、同じ目を続けて外すようなものだ。
つまるところ、
「王者は死なず」――
それだけの話である。
余談はここまでにして、本筋へ戻ろう。
さて、匡胤は倒れた韓通の胸を足で踏みつけ、左手で拳を振るい、顔めがけて打ち下ろした。
初めのうちは、韓通もどうにか耐えていたが、次第に「ううっ」「ああっ」とうめき声を上げるばかりとなり、必死にもがくものの、何度も気を失いかけ、やがて自分が誰に打たれているのかさえ分からなくなった。
それを見ていた鄭恩は、内心この上なく痛快である。
まさに――
貧しき者が宝を得、
寒士が仙境に歩み入るがごとし。
鄭恩は叫んだ。
「二哥、その拳じゃ生ぬるいぜ。こんな横暴一筋の驢馬野郎、生かしておいて何になる?
ここは俺が何発かくれてやって、命ごと始末しちまおう。そうすりゃ、この土地の百姓たちにとっても大きな徳だ!」
鄭恩は生来粗野で気性も真っ直ぐ、言い終わるや否や、すでに酸棗の棒を振り上げ、韓通めがけて打ち下ろそうとした。
匡胤はすかさず止める。
「待て。俺の拳で、こいつはもう十分味わっている。賢弟、ここは粗事を避けろ。こいつは生かしておく。まだ言うべきことがある」
鄭恩は言われるまま棒を下ろし、憤然としたまま脇に立った。
韓通の息子や弟子たちは、助けに出ようとしたものの、匡胤の非凡な風貌と堂々たる体躯を見て、只者ではないと悟る。
加えて、鄭恩が再び棒を振るえば、今度こそ韓通の命がない。
しかも匡胤が「活口を残す」と言った以上、命までは取られぬだろうと踏み、誰一人前に出ず、門前で腕を組んで立ち尽くした。
まさに俗に言う――
若草は霜を恐れ、霜は日を恐れる。
悪人もまた、より悪しき者に磨かれる。
匡胤は片手で韓通の髪を掴み、もう一方の拳を構え、顔に突きつけて喝した。
「さあ、その驢馬の目を開け。俺が誰だか、よく見ろ!」
韓通はすでに顔は腫れ、鼻も曲がり、胸を踏みつけられて身動きも取れない。
必死に目を見開き、ようやく細い隙間から相手を見定めると、それが趙匡胤だと分かった。
たちまち息を呑み、言葉を失い、心の底から後悔した。
(なんということだ……。またこの魔頭に出くわすとは。これは運が尽きた。命を保つには、頭を下げるしかない)
そう覚悟を決め、無理に笑みを作って言った。
「これはこれは、趙公子でしたか。大名府でお別れして以来、ご無沙汰しております。公子はお変わりなく?」
匡胤は冷ややかに笑った。
「俺だと分かっているなら、大名府で打たれたこと、今も怖くはないか?」
韓通は内心で逡巡した。
(前に打たれたことは、妻にも隠している。ここで弱腰を見せれば、
息子や弟子の前で面目が立たぬ……)
そう考え、口先だけは強がって言った。
「公子とは旧知の仲。これまで赤面するようなこともなかったではありませんか。
今日このような冗談を言われるとは……。どうぞ拙宅へお越しになり、久別の情を語り合おうではありませんか」
匡胤は一喝した。
「韓通、見苦しいぞ。人前では認めたくないのだろう。ならば、もう二、三発くれてやるまでだ」
そう言って、再び拳を振り下ろそうとする。
韓通はついに恐怖に耐えきれず、恥も外聞も捨て、哀願した。
「趙舍人、もうお許しください。大名府で一度お手合わせいただいて以来、思い出すたびに震え、夢でもうなされるほどです。どうか大きなお心で、お見逃しください」
匡胤は言った。
「命が惜しければ、俺の言うことを聞け。今日限りでこの地を去れ。別の土地で身を立て、悪事を改めよ。
そして、この庄は元の持ち主へ返す。それができるなら、命までは取らぬ。
だが、もし再び平陽鎮で百姓を苦しめるなら、俺は必ず、お前の命を取りに来る」
韓通は慌てて答えた。
「仰せのとおり、決して逆らいません」
匡胤は言った。
「ならば立て。ただし、このまま平陽鎮へ同行し、誓約を書き記してからだ」
韓通は命さえ助かるならと、二つ返事で承知した。
匡胤が足を退けると、韓通はよろめきながら立ち上がり、怒りを胸に秘めたまま、何も言えずに立ち尽くす。
そこへ鄭恩が言い放った。
「驢馬野郎、さっさと俺たちの馬を引いてこい。二哥が乗って、平陽鎮へ戻るんだ」
韓通は逆らう気も起きず、急いで人に命じ、馬を牽き出させ、匡胤に差し出した。
匡胤は神煞棍棒を鸞帯へと戻し、腰に結び、赤兎の龍駒に跨る。
鄭恩は酸棗の棒を手に、韓通を伴い、背後の者たちを睨みつけた。
「誰一人、ついて来るな」
こうして一行は、平陽鎮へ向かうのであった。
その時、三人は野鶏林を出て平陽鎮の入口に来た。するとたちまち多くの百姓がどっと集まり、口々に言い交わした。
「ありゃあ、日頃から民を苦しめてきた団練教師じゃないか。
普段は狼虎のように威張り散らして、誰一人逆らえなかったのに、今日はどうしてあんな姿で引き回されているんだ?」
その中の一人が進み出て叫んだ。
「団練様、毎日取り立てると決めていた十両の税銀、もう皆で揃えてありますが、今日は取りに来ないのですか?
それとも、役所へ持って来いというおつもりですか?」
別の者が嘲るように言った。
「皆さん、あの犬畜生みたいな格好をご覧なさい。きっと檻に放り込まれるところでしょう。
それにしても、昨日までの英雄が、たった一日でこの有様とは……。見ているこちらまで恥ずかしくなりますな」
こうした言葉を浴びせられ、韓通は顔を真っ赤にし、うつむいたまま歩くしかなかった。
匡胤は人々に向かって声を上げた。
「皆さん、もうそれ以上は言わなくてよい。今日この件は、ここで筋を通して片をつける。
互いに恨みを残さず、それぞれ前途へ進めばよいのだ。よければ、私とともに来て、この者に誓約を書かせるところを見届けてほしい」
百姓たちは答えた。
「その取り計らい、まことにもっともです」
こうして一同は十字街へ向かった。そこには七聖廟があり、廟の前に一つの亭が建っていた。
匡胤は馬から降り、柱に手綱を結ぶと、人々に言った。
「この中に、年長で徳の厚い方がおられたら、数名お入りいただき、誓約の立ち会いをお願いしたい。
また、この庄の元の持ち主である劉員外も呼んでほしい。ここで直接、返還の段取りをつける」
すると百姓の中から声が上がった。
「劉員外なら、ちょうどここにおります」
匡胤は亭に招き入れ、さらに衆人に相談させ、六十を過ぎた温厚な長者を五人選び出した。皆、徳望のある人物である。
匡胤は凳(腰かけ)と机を運ばせ、六人の長者を左右に座らせ、中央に机を据え、紙・墨・筆・硯を整えさせた。
そして口を開いた。
「諸賢、私は名を売ろうとしているわけでも、勝手に善悪を裁こうとしているわけでもありません。
ただ、生来、強きを挫き、弱きを助けることをよしとし、悪を退け、善を立てるのを信条としております。
道の途中で不正を見れば、黙って通り過ぎることができなかっただけです。
もし私のやり方に礼を欠くところがあれば、どうか遠慮なく咎めてください。それこそが公正というものです」
長者の一人が答えた。
「好漢が民のために裁きを下す。これほど道理にかなったことはありません。不当などあろうはずもない。どうぞ自信を持ってお進めください」
匡胤は韓通を呼び寄せ、言い渡した。
「今日のこの沙汰は、私が意地悪をしているのではない。お前が法を踏み外し、民を虐げてきた結果だ。
私はただ大義に従い、お前に誓約を書かせるだけだ。
二度とこの地へ戻らぬこと、そして劉員外の屋敷を返すこと。これが明らかになれば、命までは取らぬ」
ここまで追い詰められ、韓通に拒む余地はなかった。
筆を取り、まるで罪人が自白を書くかのように、一気に誓約を書き上げ、署名と花押を添え、両手で匡胤に差し出した。
匡胤は受け取って目を通した。そこには、次のように書かれていた。
誓約文
私は韓通。
己の分別を欠き、平陽鎮において劉氏の宅地を不法に占拠し、法を侮り、民を苦しめ、数々の悪行を重ねた。
その罪、まことに衆人の憤りを招くものである。
されど、古来より改心の道は開かれており、君子は過去を咎めすぎぬものと聞く。
自らこの地に留まる資格なきことを悟り、ここに庄屋敷を元の主へ返還し、一族を伴って遠く去り、二度と侵すことはしない。
もし将来、再び平陽の地に入り、草木一本にでも害を及ぼしたならば、
いかなる処断も甘んじて受ける。
この誓約を立て、後日の証とする。
匡胤は読み終え、長者たちに回して見せた。
皆が口を揃えて言った。
「申し分ない。これでよい。もう放免してやりなさい」
匡胤はうなずき、韓通に命じた。
「すぐに家へ戻り、荷をまとめ、屋敷を明け渡せ。一刻も留まるな」
命が助かった韓通は、頭を抱えるようにして逃げ去っていった。
その場に居合わせた数人の長者は、心中でこう案じていた。
――韓通は誓約を書いて去ったとはいえ、気まぐれな男だ。
表向きは従っても、腹の底ではどう思っているか分からぬ。もし日を改めて戻ってきたら、どう防げばよいのか。
そこで皆そろって言った。
「二位の好漢、恐れながらお名前をお聞かせ願えませんか。老いた我らには、ぜひお願いしたいことがございます」
匡胤は答えた。
「拙者は趙と申す。こちらは義兄弟の鄭。皆さま、どのようなお話か、遠慮なく仰ってください」
長者は言った。
「我らは二位の英雄が不正を見逃さず、韓通を打ち倒し、この地から追い払ってくださったこと、まことに感謝しております。
ただ、あの悪党、面では従っても、心底では服しておらぬでしょう。もし二位が去った後、また戻ってきて毒を振るえば、我ら平陽鎮の百姓は、到底耐えられませぬ。
そこで勝手な願いではありますが、二位にしばらくこの地に留まっていただき、我らの“護り”となっていただけないでしょうか。
数か月もすれば、あやつが戻らぬこともはっきり致します。その後にお立ちになればと存じますが、いかがでしょうか」
匡胤は首を振った。
「韓通は、もう二度と戻る度胸はありますまい。皆さま、どうかご安心ください。
それに、拙者らにも果たすべき用向きがあり、ここに長居するわけには参りませぬ」
そう言って辞去しようとすると、人々は一斉に亭の外へ回り込み、行く手を塞いだ。
これを見ていた鄭恩は、もともと酒飯にありつくのが嫌いではない性分。
皆が真剣に引き留めるのを聞き、内心ひそかに喜び、声を上げた。
「二哥、俺たちは韓通を追い払って、確かに害は除いた。だが、俺たちが去った後、あの驢馬野郎が戻ってきたら、この百姓たちはどうやって耐える?こうして頼ってくる以上、連中にも筋は通ってる。
前に興隆荘で妖を鎮めた時だって、俺たちは何日か腰を据えただろう。数か月ここに留まったところで、大事が遅れることはない。護り役になってやるのも悪くないさ。
それに、ここは関西一帯の要路だ。時間があれば、柴大哥の行方を探るにも都合がいい」
匡胤は黙ってうつむき、しばし思案した。
(もとより、俺は大哥を探すために各地を巡っている。鄭恩の言うことも、もっともだ。ここで無理に断って、人情を踏みにじる必要もあるまい)
やがて顔を上げ、言った。
「皆さまの厚意、ありがたく受けましょう。ただし、あらかじめ申し上げておく。長くても一か月、短ければ半月。
その時が来たら、必ず旅立つ。どうかそれ以上、引き留めぬよう」
長者たちは大いに喜び、口々に言った。
「それで十分です。二位が数か月おられるだけで、我らは心強い」
こうして趙匡胤と鄭恩は、ひとまず七聖廟に身を寄せることになった。
人を遣わして招商店から行李や包み、武器をすべて運ばせ、馬は廟の奥の脇間につないだ。
それからというもの、朝昼晩の食事は百姓たちが交代で世話をし、二人は空いた時間に町を歩き、柴栄の消息を探し続けた。
この話は、ひとまずここまでにしておく。
さて一方、命こそ拾ったものの、韓通はまるで負け犬のように、慌てふためいて平陽鎮を逃げ出した。
野鶏林へ差しかかると、息子の韓天禄が弟子たちを連れて迎えに来ており、事の次第を尋ねた。
韓通は、誓約を書かされたことから何から、一部始終を語り、言った。
「もうこの地には住めぬ。今すぐ家へ戻り、支度をして、夜のうちに立つぞ」
一同は急ぎ屋敷へ戻り、妻にも事情を伝えると、用意していた“龍駒会”の酒宴を開き、別れの食事として腹いっぱい平らげた。
韓通は打撲の薬を取り出し、一服飲み下す。それから金銀や衣類、細々した財物をまとめ、荷駄に仕立て、家族は車に乗せた。
父子は弟子や家人を従え、荷車を守りながら、夜陰に紛れて出立する。
こうして平陽鎮の地を離れ、禅州へ向かう道を急いだのである。
この逃避行が、やがて――
旧縁を頼り、新たな策を巡らし、
大郡に風雲を呼ぶこととなり、
進路を改めた一人の男が、
後に王者を支える翼となる。
まさに――
策略と才覚さえあれば、
山野を越える苦労など、恐れるに足らぬ。
さて、韓通はこの先、どこに身を寄せることになるのか。
それは次回にて明らかにしよう。
独語。
韓通へのひどい仕打ちはさておき、その登場場面の紹介がこれまでのモブと違ってやはり一目置くような表現になっていますね。
それにあっさりと打ち殺されたりせず、生かされているあたりメイン級の登場人物なのだと伺えますね(ああ、早く柴栄に会ってくれ……)。
この物語上では渾名を「二虎」となってますが、《宋史》に記されている渾名「瞠眼」の方が、意味合いは非常に悪いけど、かっこいいと思うのは贔屓目だろうか。
