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第二十三回 匡胤嘗桃降舅母 杜公抹穀逢外甥

第二十三回 匡胤、桃をめて舅母きゅうぼくだし、杜公とこうこくまっして外甥がいせいに逢う。

 詩に曰く:

 遠く旅して寺に足止めされ、禅の間に身を置き、
 別れの言葉は名残惜しく、古道を急ぐ。
 土地の産物は眺めるほどに食欲をそそり、
 珍しいご馳走も、皿に盛れば舌を喜ばせる。
 その気象は厳然として千古にそびえ、
 その肝胆は烈々として万年に輝く。
 たとえ姻戚や年長者であっても、
 その鋭さは、行く先々で決して譲らぬ。

 さて、柴栄は帥府の内堂にあって、姑丈こじょう姑母こぼと親しい三人だけで、心ゆくまで酒を酌み交わしていた。酒席のさなか、郭威は日頃胸に秘めてきた思いを、包み隠さず打ち明け、国を興し基を立て、覇を唱えて王業を成さんとする志を語った。

 その言葉は、まさに柴栄の胸中と響き合うものである。
 柴栄は内心こう考えた。
(姑丈に討伐の志があるなら、ここで機を捉えて後押しし、根基こんきを築き、大事を成すべきだ。しかも姑丈はすでに高齢で、跡継ぎもない。いずれ大位は我が身に帰すはず。まずは言葉で探ってみよう。)

 そう決めて、口を開いた。
「姑丈さまには尊い相があり、かの不思議なものもお備えとか。小甥、身の程知らずながら、一度拝見したく存じますが、いかがでしょうか。」

 郭威はすでに三分ほど酔っており、この言葉を聞くと、髭をなでて大笑いした。
「賢い甥が見たいと言うなら、衣を脱いで見せぬ道理があるものか。もし雀が穀稔へ移ることがあれば、それこそわしが王となる時だ。その折には、お前を守闕太子しゅけつたいし(王太子)に立て、家業を継がせよう。」

 柴栄はこれを聞いて、胸中ひそかに喜び、急いで席を立って礼を述べた。
 郭威も大いに上機嫌となり、小者に命じて宴席を下げ、侍女二人を呼び、袍を緩め、下衣を脱がせ、左右の肩をあらわにした。

 柴栄が近づいてよく見ると、なるほど生まれつきの奇相で、左右の肉瘤は玉のように盛り上がり、五寸あまり隔たって、二つの峰が向かい合うようであった。

(姑丈はおだてに弱い。さきほど一言礼を言っただけで、あれほど喜ばれた。ここは思い切って持ち上げてみよう。)
 そう考え、左肩の“雀”を片手で押さえ、右肩の“穀稔こくねん”をもう一方の手で押さえ、両方から一斉に押し寄せた。すると、知らぬ間に雀がゆっくりと穀稔の中へ寄っていった。

 柴栄は声を張り上げた。
「姑丈さま、今日は雀が穀稔へ移りました!」

 さて読者よ。柴栄の言葉はもとより“金口玉言きんこうぎょくげん(天子のありがたいお言葉)”、しかも福運が心に宿る折であったから、たちまちその兆しが現れた。
 この一言が虚空を行き交う神々を動かし、ひと息吹きかけて、雀を穀稔の中へ移し、ぴたりと結び合わせたのである。これもまた天の定め、郭威がまさに興るべき時であったから、自然とそうなったのだ。

 郭威は言った。
「賢甥、今のは手で押したから一つになったのだろう。手を離せば、また離れるではないか。」

 柴栄が手を放すと、驚くべきことに、雀は穀稔の中に収まったまま、びくとも動かない。まるで初めからそう造られていたかのようで、どうしても引き離せない。

 柴栄自身も呆然とした。
(さきほどまで五寸も離れていたのに、なぜ本当に一つになっているのだ。)

 慌てて叫んだ。
「姑母さま、どうかご覧ください。雀は確かに穀稔とつながっております。小甥の虚言ではございません。」

 夫人が近づいてよく見ると、確かに寸分違わず結びついている。
「老爺、甥の言うとおりでございます。もし疑われるなら、姿見を持ってきて映してみれば、はっきりいたしましょう。」

 郭威は侍女に命じ、姿見を運ばせ、さらに自分で菱花りょうかの手鏡を取り、前後から映して確かめた。どこから見ても、二つはしっかり結ばれている。

 思わず手を打ち、踊るように笑った。
「妙だ、実に妙だ! 今日こそ我が願いが叶った。これは賢甥の福が、わしを守ってくれたのだ!」

 そう言って再び宴を設け、胸の内を語り合い、夜更けまで歓談して、その夜はそれぞれ休んだ。

 まさに、

 かつての限りない憂いも、
 今日に至っては喜びへと変わる。

 であった。

 翌日、郭威は堂に上り、配下の将校の拝礼を受け、柴栄を帳下参軍ちょうかさんぐんに任じ、軍略を預けた。

「本帥は王命を奉じ、この要地を守っているが、兵は少なく将も乏しい。今日、特に賢甥をこの職に任じる。各門に旗を立て、兵を募り、馬を集め、選抜訓練に備えよ。これは国家の大事である。決して怠るでない。」

 これは公の場での言葉で、真意を隠すための名目であった。郭威は密かに力を養い、時を待っていたのである。

 柴栄は命を受け、参軍の印を帯びて帥府を出ると、四門に旗を立て、兵を募り、馬を買い、英傑を選び集めた。四方の俊才は雲のように集まり、軍籍に名を連ね、訓練の日を待った。

 詩に曰く、

 命を受けて幕府を開けば、
 勇士壮夫は風を聞いて集う。
 その時は忠義のためと思えども、
 後に討伐の志が秘められていたとは、誰が知ろう。

 さて柴栄が密かに大事を図る一方、趙匡胤は興龍寺に一か月余り滞在し、この日、西へ向かって出立しようとした。長老は懸命に引き留めたが叶わず、酒を用意して餞別とした。

 別れの杯を終えると、匡胤は鞍馬あんばを整え、兜・鎧・荷物・包み・武具一式を携え、腰に神煞棍棒しんさつこんぼうを結び、山門を出て馬に乗った。長老は僧たちを率いて見送り、分かれ道まで同行し、互いに無事を祈って別れた。

 時は初冬、空気は次第に冷え込んでいた。
 匡胤は馬を駆り、道の左を進む。心が乱れていたその折、ふと顔を上げると、道端に一つの花園がある。中にはほかの木はなく、数十本の桃の木がまばらに植えられ、どの木にも碗ほどの大きさの桃が十数個ずつ実っている。赤と白がほどよく交じり、瑞々しく愛らしい。

(もう冬だというのに、なぜ桃があるのだろう。どういう方法で育てたのか。それともこの土地特有の品種なのか。)
 そう思ううち、自然と唾が湧き、気づけば馬を園内へ進めていた。

 木の下で馬をつなぎ、誰がいるかも構わず、手を伸ばして一つもぎ取り、かぶりつく。香り高く甘く、果汁が口いっぱいに広がり、実に見事な味であった。

 この桃は「雪桃」といい、三月に花を咲かせ、冬まで育てて食する。雪が降る頃には、いっそう美しく、眺めて良し、食べて旨し、天下に名高い珍果であった。だが後年、金人きんじんの乱(女真族の侵攻)で陝西せんせいが荒らされ、城も民も焼き尽くされたため、この桃は絶えてしまった。まことに惜しいことである。

 匡胤はゆっくりと一つ食べ終え、心身ともに爽快になった。もう一つ欲しくなり、さらに一個食べ、大いに満足した。

 ふと考えた。
(園に人はいなくとも、ただ食い逃げはならぬ。長い手間をかけて育てたものだ。桃一つ十文はするだろう。)

 そう思い、腰から二十文を取り出し、草に通して木に掛けた。
さらに、
(道中の慰みに、もう二つ持って行こう。)
 と、また二十文を置き、手を伸ばした。

 その時、奥から桃番の侍女が現れた。桃を盗む者がいるのを見て、声を立てず、そっと中へ引き返し、主人に知らせに行ったのである。

 その園の主というのが、またただ者ではなかった。
 女ながらの豪傑で、門内きっての英雄、年の頃は三十を少し越えたあたり。生まれつき力は並ぶ者なく、気性は烈火のごとし。火の中、水の中であろうと、少しも恐れぬ女である。
 ただし、容貌はひどく不細工で、粗野この上ないため、人々は半ばあだ名のように、彼女を「母夜叉ぼやしゃ」と呼んでいた。

 その時、母夜叉は部屋で手持ち無沙汰にしていたが、そこへ侍女が駆け込んできて、
「園の中で、賊が桃を盗んでおります!」
と告げた。

 これを聞くや否や、母夜叉は激怒し、すぐさま生鉄せいてつ棒槌ぼうついを二本つかみ、風のように園へ駆け出した。
 ちょうどその時、匡胤は雪桃を懐にしまっているところである。

 母夜叉は雷のような声で怒鳴った。
「どこの賊だ! この場で桃を盗むとは、いい度胸だ。者ども、取り押さえろ!」

 後ろには十数人の侍女がいたが、声をそろえて叫ぶばかりで、恐ろしくて一歩も前へ出られない。

 匡胤は馬に乗って立ち去ろうとしたところで、怒号を聞き、振り返ってよく見た。前に立つのは、いかにも凶相の女で、その姿は実に異様であった。

 両鬢りょうびんは乱れ、髪は三筋に分け、
 眉はそうのように逆立ち、目は妖光を放つ。
 けた黒い顔に肉は横にはみ出し、
 白粉を塗れば、まるで黒雲に雪をかぶせたよう。
 口は広く、顎は張り、黄色い歯が並び、
 血の穴に金を植えたかのごとし。
 黒衣は袖をまくって威を張り、しなやかさは皆無、
 緑の綾の裙は風にはためき、ただ凶暴あるのみ。
 七寸の金蓮を踏み開き、
 両手には凶器を握り締める。

 匡胤はこれを見て、にこやかに笑い、
大嫂たいそう(おばさん)、そう怒らないでください。私はただ食いしたわけではありません。」
と言った。

 母夜叉は怒鳴り返す。
「この赤面の賊め! 人がいないのをいいことに盗み食いしておいて、白を切る気か!」

 匡胤は落ち着いて答えた。
「どうか誤解なさらぬよう。私は旅の者で、通りがかりにこの見事な桃を見て、つい欲が出てしまいました。無人とはいえ、勝手に入ったのは非であります。そこで白食いはならぬと思い、代金はすでに置いてあります。あの木に掛けてありますから、ご覧ください。もし少ないとお思いなら、倍でもお返ししましょう。どうかそのようにお怒りにならず。」

 だが母夜叉は眉を吊り上げ、目をむいて叫んだ。
「戯言を! これは民間の果樹園ではない。進上用の雪桃だ。誰が勝手に手を出せるものか。左手で取れば左手を切り、右手で取れば右手を切る。一つ食えば歯を砕く。それが掟だ。金を出せば済む話ではない!」

 そう言いながら、棒槌ぼうついを振り上げ、匡胤の頭めがけて打ち下ろした。
 匡胤は身をひらりとかわす。
 さらにもう一撃。これもかわす。

 匡胤は言った。
「知らぬは罪にあらず、過ぎたことは咎めぬとも言います。非は認めました。それでもそこまでなさるのですか。」

 母夜叉は怒り狂った。
「禁じ物を盗んでおいて、まだ口答えするか!」

 棒槌を振り回し、滅茶苦茶に打ちかかる。
 匡胤もついに怒り、打ち下ろされた一撃をかわすと、足を払って母夜叉を地に倒した。
 そのまま踏みつけ、桃の枝を引き折り、顔も頭も構わず叩きつけた。

 母夜叉は雷のように叫び続ける。
 匡胤は喝した。
「この乱暴女、まだ旅人を侮るか!」

 母夜叉も負けじと叫ぶ。
「赤面の賊! 桃を盗んでおいて暴れるとは、今日打ち殺されても口は閉じぬ!」

 匡胤はさらに激怒し、容赦なく打ち据えた。
 とうとう耐えきれず、母夜叉は泣き声を上げた。
「紅顔の好漢、どうかお許しを。好きなだけ桃を持っていってください。」

 匡胤は大笑いし、
「詫びるなら許してやる。だが次に旅人を欺くような真似をすれば、今度こそ命はないぞ。」
と言って、
「起きろ!」
と放した。

 母夜叉はふらふらと立ち上がり、髪は乱れ、目は腫れ、鼻は曲がり、履物を引きずり、侍女二人に支えられて奥へ戻った。
 中へ入るなり、机や椅子を叩いて大泣きしたという。

 まさに、
 悩みは人が探すものではない。自ら寄って来るものなのだ。

 さて匡胤は母夜叉を放し、懐の雪桃二つをしまい、馬に乗って園を後にした。
 二里ほど行くと、道端に界牌かいはい(道標)があり、「千家店」と書かれている。
 そのまま馬で入り、招商酒店の前で下馬し、馬と荷を小二に預け、刀を提げて清潔な部屋を選んだ。

 やがて酒飯が出され、食事を終えると、店主が入ってきて話を始めた。
 匡胤が姓を尋ねると、
「姓は王、子は一人。この店は祖伝で、天の恵みもあり、まずまず繁盛しております。」
と言う。

 そこへ小二しょうじが慌てて飛び込んできた。
「親方、明日は十月十五日、太歳が山を下りる日です。さきほど触れがあり、三十石の穀を量って納めよとのこと。明日は必ず本人が“抹穀まっこく”を受けよ、代役は許さぬ、違えば罪に処すと申しております。」

 店主は聞くなり、手を揉み、ため息ばかり。
 匡胤は事情が分からず尋ねた。
「太歳とは誰で、大王とは何者ですか。三十石の穀は何に使うのですか。“正身抹穀しょうしんまっこく”とは何のことですか。」

 店主は語った。
「ここから二十余里に太行山たいこうさんという山があり、そこに威山大王いざんだいおう巡山太保じゅんさんたいほという二人の頭領がおります。手下は五千。最近さらに“抹穀大王”というのが加わり、三番目の頭領になりました。」

 匡胤は笑った。
「ずいぶん変わった名ですな。」

 店主は続けた。
「この男は犬肉好きで、香辛料を効かせて煮るのが得意です。山に入ってから、初一と十五ごとに犬肉を煮させ、村や宿を回って“抹穀”をさせる。
上戸は三十石、中戸は二十石、下戸は十石。犬肉を口にこすりつけて匂いを嗅がせるだけで、穀を取られるのです。これが新しい掟で、逆らう者はおりません。明日は我が千家店の番でして……。」

 匡胤は大笑いした。
「なるほど。では明日、私が代わりに出て抹穀を受けましょう。」

 店主は慌てて首を振ったが、匡胤の決意は固い。
 ついに
「では、あなたを親戚ということにしなければ……」
 となり、相談の末、
「外婆が老いて産んだ舅」
ということで話がまとまった。

 三人は声を上げて笑った。

 まさに、
 ひそかに仕掛けは整えられ、
 群がる狼を待つばかり。

 三人がひとしきり笑い合っているうちに、いつの間にか黄昏になった。店主と小二はそれぞれ引き下がり、匡胤は荷をほどいて休み、ひと晩を明かした。

 翌朝、朝食を済ませると、店主がまた部屋へ来て、くどいほど言い含めた。
 要は「くれぐれも用心し、事を荒立てるな」ということばかりである。
 ちょうどその時、外がどよめき、地を揺るがすほどの騒ぎとなって、声々に叫んだ。

「大王さまのお着きだ! 店主は出て来て抹穀せよ!」

 小二が飛び込んできて匡胤に付き添い、外へ出た。
 見ると、大王は馬上にあり、配下のならず者どもが左右から取り巻く。馬前には朱塗りの食盒しょくごう(おかもち)を捧げる者までいて、狐が虎の威を借りて庶民を脅し上げている。

 匡胤がよく見ると、大王はなるほど堂々たる大男で、身なりも威風も整っていた。

 頭には白絹の頭巾、
 身には紫の箭服せんふく
 腰には鸞帯らんたい、足には黒靴。
 眉は濃く目は星のように明るく、
 鼻は高く顔は月のように丸い。
 長い髭は風に揺れ、体つきも屈強。
 天の将が下界に降りたかと見まがうほど、
 ただの山賊の頭目とは思えぬ。

 匡胤は内心では感心しながらも、顔には出さず知らぬふりをした。
 すると配下が怒鳴った。

「その赤面の大男! さっさと跪け! 大王さまも分からぬのか!」

 匡胤は取り合わない。
 別の者が言った。
「こいつは目も耳も利かぬ阿呆だ。構うな、老王を呼べ。」

 そして一斉に叫ぶ。
「王店主! 大王さまがお着きだ、早く出て抹穀しろ!」

 大王は馬を進め、匡胤を見て配下に尋ねた。
「こいつが店の王か?」
「違います。老王の代わりに出てきた者でしょう。」

 大王は激怒した。
「戯言! 昨日言い渡したはずだ。本人でなければならぬ、代役は許さぬ! なぜ命令に背く。本人を出せ!」

 小二が慌てて跪き、
「店主の王は半身不随で起きられません。そこできゅう(おじ)に当たるこの方に代わって抹穀してもらい、穀を納めるつもりでございます。今回だけお慈悲を。」
と訴えた。

 大王は言った。
「病なら仕方あるまい。ならば、その舅を出せ。」

 配下が叫ぶ。
「老王の舅! 大王さまがお呼びだ、前へ出ろ!」

 匡胤は言い返した。
「穀が要らぬなら下がる。だが抹穀をさせる気なら、さっさと持って来い。俺がやってやる。」

 大王は命じ、朱塗りの食盒を開かせ、犬肉の腿を取り出して匡胤の前へ差し出した。
「これは法式どおりの五香犬肉だ。ひと拭きすれば厄が落ち、ふた拭きすれば病も退く。今日は運の良い日だ、さあ早くこすれ。」

 ところが匡胤、受け取るなり――そのままガブリと一口。二口三口と畳みかけ、あっという間に食べ尽くした。

 配下は大騒ぎである。
「おい! 誰が本当に食えと言った! 掟は“こする”だけだ! 一度抹れば三十石、口をつけたら六十石だぞ! しかも全部食い尽くした……代役どころか、老王の家一軒ぶんの罪だ!」

 匡胤は鼻で笑った。
「小物ども、器が小さい。俺が食ったからといって白食いすると思うか? “飯を売る者は大腹を恐れぬ”というだろう。食わせたいなら上等を持って来い。俺が気持ちよく食ってやる。六十石だろうが六千石だろうが、取りたければ付いて来て取れ。何を騒ぐ。」

 大王は馬上でその物言いを聞き、匡胤の体格や面構えからして厄介だと察した。
(犬肉二本くらいくれてやり、勘定は老王に付ければよい。)
 そう考え、配下に言った。
「こいつが大口を叩くなら食わせろ。帳尻は老王に合わせる。」

 配下は前腿・後腿、それに蜜壺まで、まとめて差し出した。
「大王さまの仰せだ。腹いっぱい食え。そのあと穀を量れ。」

 匡胤は大喜びで前腿を裂いて食べ、香りも味も見事だと舌鼓を打った。続けて後腿も蜜壺も平らげる。
 心の底では「こいつらに恥をかかせてやる」と思いつつ、口ではわざと騒いだ。

「足りねえ、足りねえ! その食盒ごと持って来い。まだ食い足りぬ!」

 配下は善し悪しも分からず、食盒を匡胤の目の前へ差し出した。
匡胤が覗くと、中にはまだ尻肉が一塊り残っている。

「お前ら、ずいぶん汚い真似をするな。良い肉を隠して食わせぬつもりか。これでどう帳をつける気だ!」

 すると配下の一人が、その尻肉を手に取って渡そうとした。
 匡胤はまさに難癖をつける機会を待っていたので、わざと手を緩め、肉を自分の衣にべたりと落とした。そして眉をしかめ、歯を食いしばり、怒鳴りつけた。

「この畜生ども! 俺の衣を汚しやがったな!」

 立ち上がるや、一掌でその配下を殴り倒した。

 大王はこれを見て激怒した。
「赤面の賊め! よくも我が手下に手を出したな!」

 拳をまくり、馬を飛び下りると、匡胤の顔めがけて一発叩き込んだ。
 匡胤は頭を低くして左腕で受け、すかさず一発返す。大王も身をかわす。

 匡胤は内心思った。
(こいつ、ただの脅し屋ではない。腕が立つ。ならば三合、勝負してみるか。)

 匡胤は喝した。
「犬賊! 手も足も出るなら、それなりに武芸を知っていよう。俺は先に三手譲ってやる。さあ来い、腕比べだ!」

 大王は笑った。
「赤面の賊め、口は利くようだな。お前も手ほどきを受けた口か。先を譲るなら、まずは俺が三手見せてやる。」

 そう言って場に跳ね、飛び蹴りを放ち、構えを崩して拳法を繰り出した。なるほど見事な型である。

 幼いころより五脚の術を修め、
 長拳短打で英を競う。
 まず四平の構えを開き、
 次いで身を翻して洞蛟どうこうのごとく出る。

 大王は三手、三つの構えを示し、丁字立ちで叫んだ。
「赤面の賊! できるなら来い。勝つのはどちらだ!」

 匡胤は向かいに立ち、膝を沈めると、いきなり双竜の飛び蹴り。地を離れて八尺あまりも跳ね上がった。続いて構えを広げ、跳び、転じ、身を捌く――先ほどとは別次元の身の軽さである。

 太祖の神拳は少林に出づ、
 己の技一つで乾坤けんこんを定む。
 先哲の気概を発揚し、
 華夷四百春かいしひゃくしゅんを永く鎮めん。

 匡胤も三手、三つの構えを見せ、怒鳴った。
「犬賊! 好きなだけ来い。俺が踏み潰して泥にしてくれる!」

 大王は怒り、左拳を伸ばして右手を添え、斜めに踏み込むと、左足を踏みしめて右脚を面門へ蹴り上げた。
 匡胤は身をひらりとかわし、流れで足の甲を一掌打つ。大王は一撃を食らい、型を変えて長い脚で「泰山圧頂たいざんあつちょう」。匡胤はまたかわす。

 続けて「飢虎撲食きこぼくしょく」「夜叉探海やしゃたんかい」――いずれも匡胤にかわされる。
 大王は苛立ち、拳も脚も乱れ打ちとなった。
 匡胤はそこを見て取り、構えを開き、手を合わせて打ち合いに持ち込んだ。

 その刹那――
 バン、と一つ大きな音がして、二人のうち一人が倒れた。

 この勝負、ここに因縁がある。
 顔を合わせた時は親疎しんそも分からず、二つの勢力は並び立てぬ。
 だが跡を辿れば黒白が分かれ、情の糸は一本につながっている。

 まさに、

 手を上げぬのが情けと言うが、
 いったん手を上げれば情けは容赦せぬ。

 さて、勝ったのはどちらか。
 それは次回にて明かされる。

独語。
 何事も唐突に始まるこの物語。
 今までは棍を振るって縦横無尽だったのが、一転しての肉弾戦。
 これが世にいう「太祖長拳」。
 少林拳のうちのひとつの流派で、趙匡胤が考案したものと言われていますが、今は大部分が失われているようです。


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