第三十六回 再博魚計賺天祿 三折銼義服韓通
第三十六回 再び博魚し天禄、計りて賺し、三たび折銼し韓通、義にて服す。
詩に曰く:
香を焚けば鬱金の屋に満ち、
笛を吹けば鳳凰台に響く。
春の朝は雨を迎えて去り、
秋の夜は河を隔てて来たる。
珠をはじくは繁華の子、
金のくつわを負うは遊侠の人。
酒に酔えば白日は暮れ、
馬を走らせて紅塵に入る。
――右、庾信・孟浩然の二絶を録す。
さて、鄭恩は、趙匡胤と韓素梅の二人が親しげに語り合い、男女授受不親の道(男女は過度に触れ合ってはいけないという道徳)を外れているように見えたため、事情も分からぬまま、各々別の道を行こうとして、匡胤を二言三言なじり、そのまま外へ出ようとした。
匡胤はあわてて追いすがり、腕をつかんで言った。
「三弟、そなたはまだ事情を知らぬのだ。この人こそ、かねてより話していた二嫂嫂――韓素梅だ。長く離れていたが、今日たまたま巡り会えたので、あのようになったのだ」
鄭恩は驚いて言った。
「なにっ! あの大名府の二嫂子か?
なるほど、あれほど親しげなのも無理はない。正真正銘の夫婦なら、そうあって当然だ」
そう言って踵を返し、
「二嫂子、楽子がご挨拶申し上げます」
と、腰を折って半身の礼をした。
素梅もあわてて礼を返した。
それを見て、禄哥はうれしさのあまり目を細め、にこにこしながら言った。
「いやあ、今日は本当に運が向いてきました。昨日は乾爹(義理の父)を認しただけなのに、今日は本当の父親が家に戻ってきたのですから」
素梅は叱りつけた。
「この子、勝手なことを言うでない。早く茶を持ってきなさい」
禄哥は「はい」と答えて奥へ引っ込んだ。
素梅はあらためて匡胤と鄭恩を座らせた。
匡胤が尋ねる。
「そなたは子をもうけたことがなかったはずだが、この子はどこから来たのだ?」
素梅は答えた。
「この子は、姉の産んだ子でございます。八つの時に母を亡くし、頼るところもなく、私も独り身で世話する者がおりませんでしたので、養子として迎えました。年は幼いものの、実に利発で、しかも大変に孝行で、私の心を慰めてくれる子でございます」
匡胤はうなずいて言った。
「なるほど、まことに賢い子だ。ただ、我が実の血を引いていないのが惜しい」
鄭恩は舌打ちして言った。
「二哥、その言い方は、この子の胸を冷やすぞ。血がどうした、骨がどうした。息子として迎えたなら、それでよいではないか。
もし二嫂子が子をもうければ、その子の翼になる。そうでなくとも、家を支える跡取りには違いない」
この言葉に、韓素梅は口元を押さえてくすりと笑い、匡胤もつられて大笑いした。
――この何気ない言葉が、後に当たるとは、その時は誰も思わなかった。
のちに南清宮の八大王(趙徳昭)は、まさに韓妃の産んだ子であったが、母の出自が低かったため、天下を継ぐことはできなかった。
さらに太后の遺命により、太祖崩御の後は、幼主が位に就いて簒奪を招くことのないよう、兄弟の匡義に大位を譲ることとされた。
五代の再現を防ぐための、太后の深謀遠慮であり、その慎重さは、古来の后妃にも比類なかったのである。
――この後の話は、ここでは措く。
補足。
唐朝中期から五代十国時代にかけて、仮子や義児などが主に宦官や軍首領の間で流行っていました。有望そうな若者を見つけては、実子と同列の扱いにし、姓と名を与えて軍列に並べたのです。
そして親の地位を実子でなく、こうした養子が継ぐということも、この時代ことさら珍しいことではなかったのです。
鄭恩のセリフは実にこの時代の風に合っていていいですね。
そこでこの韓素梅。もうはっきり言いますが、架空の人物です。
その姉の子、禄哥ももちろん架空の人物です。
そして「八大王」という称号がでてきていますが、趙徳昭のことですね。
趙徳昭は趙匡胤の次男で、史実ならこの物語の今の年代くらいに生まれています。母は正妻・賀氏ですね。ちなみに長男は若くして亡くなっていました。
順当に行くなら北宋の皇位は趙徳昭に継がれるべきでしたが、若年ということもあり(26歳のとき)、趙匡胤の年の離れたすぐ下の弟である、趙匡義(38歳)が後を継いだのは周知のとおりです。
『斧声燭影』だの『千載不決の議』などと後を継ぐのに黒いことやったのではないかと言われていますが。
さて、三人が和やかに語らっていると、禄哥が茶を運んできて、二人に勧め、脇に立って言った。
「父上、今や他人行儀ではありません。この家は小さいとはいえ三間あります。十分お住まいになれます。
どうか荷物をこちらへ移し、三叔と一緒に住んでください。飯店に泊まるより、人の世話も受けられ、出費もかかりません」
匡胤は大喜びし、まさに我が意を得たりと言った。
「我が子の言うとおりだ。実に道理にかなっている」
鄭恩は言った。
「二哥がここに住むのは、二嫂子の夫だから分かる。だが楽子は他人だ。どうして一緒に住めようか」
匡胤は言った。
「三弟、それは他人行儀というものだ。
我らは姓こそ違えど、実の兄弟にも勝る仲。どうして彼此を分ける必要がある。
さあ、禄児と一緒に店へ行き、勘定を済ませ、荷物をすべて運んでこい」
鄭恩は逆らえず、禄哥とともに外へ出た。
ほどなくして、荷物・武具・馬をすべて引き取り、馬は槐の木陰につなぎ、行李や武器は一間の部屋に収めた。
匡胤は銀を二枚出して禄哥に渡し、鶏・魚・肉・酒を買わせた。
素梅は台所で手際よく整え、卓に並べる。
兄弟二人は向かい合って酒を酌み交わした。
草堂茅屋とはいえ、静かで趣があり、飯店の客房のような喧騒とはまるで違う。
まさに――
家は小さくとも天地は広く、
軒は低くとも日月は高し。
二人は杯を重ね、語らい尽くし、夜も更け、人も静まるころ、興も酒も尽きて、ようやく残り肴を下げた。
涼を少し楽しんだ後、それぞれ床に就いたのであった。
翌日、匡胤が起きて言った。
「禄児、今日は暑い。馬は水が欠かせぬから、池へ引いて行って、たっぷり飲ませてやりなさい」
禄哥は言いつけを聞くと、馬を引いて近くの池へ連れて行き、水を飲ませてから家へ戻った。
その途中、古い馬槽を売っている者に出会い、値を決めて人に運ばせ、家の樹の下に据え、馬をつないだ。
匡胤が尋ねた。
「その馬槽は、どこから持ってきたのだ」
禄哥は答えた。
「道で見かけたので買ってきました。これがあれば、餌をやるのに便利です」
ほどなく、馬槽売りが代金を取りに来た。
禄哥はすぐに八分の銀を量って渡した。
鄭恩は感心して言った。
「楽子の甥っ子、なかなか気が利く。馬の槽まで考えるとは、ほんとうに使えるやつだ」
すると馬槽売りも口を挟んだ。
「お宅のこの子は、まことに賢い。私のこの馬槽は、もとは五銭の銀で作ったものだが、この子は最初に八分まで値切って、もう一文も足してくれなかった。
実はこの槽、柴殿下に取り上げられて官馬の槽にされ、代金は一文ももらえなかったのです。それで損を承知で売ったのです。でなければ、こんな値で手放すはずがありません」
匡胤は「柴」という字を聞くなり、すぐに尋ねた。
「その柴殿下とは、名は何というのだ。どんな顔立ちか、知っているか」
売り手は首を振った。
「暖轎(駕籠)に乗り、人を前後に従え、出入りは厳重で、道行く者は遠くに避けるばかり。誰が目を凝らして顔など見られましょう。
名も口にすれば命が惜しい。客人も、あまり詮索なさらぬがよい。災いを招きます。どうか銀を少し足してくだされば、それで失礼します」
匡胤は、この男が正直者だと見て取り、銀を一枚添えてやった。売り手は礼を言って去った。
匡胤は言った。
「三弟、今の話を聞いたか。あの柴殿下、もしや柴大哥ではないか。だが名も分からず、顔も見ていない。どこから探ればよいものか」
鄭恩は言った。
「話を聞く限り、柴姓の人物は、この近くにいるのは間違いない。
楽子に一案ある。明日、街をぶらぶらして、暖轎に乗った者に出くわしたら、捕まえて簾をめくり、顔を見ればよい。違っていれば、その時また考えればいい」
匡胤は言った。
「また乱暴なことを言う。これは慎重に探らねばならぬ」
そんな話をしているうちに日が傾き、夕方になる。
韓素梅が再び酒肴や果物を整え、二人はそれを食べ、休む支度をした。
匡胤は素梅と再会したとはいえ、あくまで節を守る君子であり、その夜も鄭恩と同じ部屋で休んだ。
その夜は何事もなかった。
翌日、禄哥は身支度を整え、また街へ博魚に出かけようとした。
匡胤が言った。
「禄児、今は家にいて衣食にも困らぬのだ。もうあの稼業をせずともよいではないか」
禄哥は答えた。
「家にいても暇ですし、少し外へ出て銀を稼ぎ、よい酒を買って三叔に差し上げるのも、悪くありません」
鄭恩はそれを聞いて大喜びし、
「二哥、この孝行な甥っ子は楽子の福だ。好きにやらせてやろう」
と言った。
禄哥はうれしそうに家を出、街で生きた魚を一尾買い、柳の枝で通して手に提げ、また博魚(賭け)を始めた。
不思議なことに、誰が相手でも、銅銭を投げるたび、北新関(清朝の関)の税取りのように勝つ一方で負けがない。
これは金口玉言で定められたもの。
「河」と言えば河、「字」と言えば字。
賭けを見張る神々が、きちんと守っているのだから、狂いようがない。
禄哥は銀を勝ち取り、魚を売って美酒を買い、家へ駆け戻る。
菜を整え、匡胤と鄭恩とともに酒を飲んだ。
鄭恩は大喜びして尋ねた。
「甥っ子、今日はどれほど勝った?」
禄哥は満面の笑みで答えた。
「父上のご恩、三叔のご運のおかげです。
これまではせいぜい数分の銀でしたが、今日は喝銭神法があるので、誰とやっても、叫べば必ず当たります。七、八人がかりで来ても、全部勝ち、五銭の銀を得ました」
匡胤はそれを聞いて、心中ひそかに喜んだ。
それから三日続けて、禄哥は連日勝って帰り、鄭恩はすっかり上機嫌で、酔いしれていた。
ところが四日目、昼になっても禄哥が帰ってこない。
鄭恩は言った。
「二哥、この子はまだ戻らぬ。今日は相当勝っているのだろう。楽子の酒運も強い。あとで入れる器が足りなくなるぞ」
そう言っていると、扉がきしりと開き、禄哥が胸をはだけ、髪を乱し、涙の跡を残し、力なく入ってきた。
鄭恩が尋ねた。
「どうした、今日は勝てなかったのか」
禄哥は答えない。
何度聞いても、目を覆ったまま黙っている。
鄭恩はいらだって罵った。
「この生意気な子め。楽子が聞いているのに、返事もせぬとは何事だ。勝ち負けは世の常、声くらい出せ」
それでも禄哥は黙ったまま、涙をぽろぽろとこぼした。
匡胤はその様子を見て言った。
「禄児、今日は人にひどい目に遭わされたのか。もし誰かに欺かれ、虐げられたのなら、言ってみよ。父が代わって仕返ししてやる」
禄哥は唇を尖らせて言った。
「父上のご推察どおりです。ただ、この悔しさは並ではありません。
私を欺いたのは、都根子の主(身分の高い人)で、とんでもなく手強い相手なのです」
鄭恩は慌てて聞いた。
「甥っ子、その都根子の主とは何者だ。どんな野郎だ。早く言え、楽子が相手をしてやる」
禄哥は言った。
「言っても仕方のないことですが、私を欺いたのは、この地の韓元帥の公子なのです。
今日は博魚に誘われ、五十回以上も勝負させられたのに、銀は一文も払わず、そのうえ私の魚まで奪っていきました。
あの都根子の主、誰が逆らえるでしょうか」
鄭恩はそれを聞くや、腹の底から怒りが込み上げ、胸の中は煙が立ち、こめかみには火が噴くようであった。
外を指さして大声で罵る。
「この驢球入れめ! 熊の肝でも食ったか、豹の胆でも飲んだか! 太歳の頭に手を出すとは!
博ちをして金を払わぬどころか、楽子の甥っ子をいじめるとは何事だ。
たとえ奴が犬元帥だろうが、都の皇帝老子だろうが、楽子は指一本も怖れぬ。必ず一勝負してやる。
さあ、甥っ子、楽子について来い。奴の家へ行って、きっちり勘定をつけてやる!」
匡胤は言った。
「待て。禄児、まず聞かせてくれ。その韓元帥の名は分かるか」
禄哥は答えた。
「名は知りません。ただ、人々が“通臂猿”と呼んでいるのを聞きました」
匡胤は鄭恩に向かって言った。
「三弟、もしや、韓通というあの男ではないか」
鄭恩は言った。
「あの驢球入れが、元帥にまで出世できるものか」
匡胤は言った。
「人は見かけによらぬものだ。海の水は斗で量れぬ。
奴の腕前は、我らに劣るとも思えぬし、縁を得てその地位に就いたとしても不思議ではない。
事は小さくとも、放ってはおけぬ。
明日、禄児にまた博魚をさせ、我らは身を隠して様子を見る。まずはその息子をおびき出し、正体を確かめてから、どうするか決めよう」
相談はまとまり、一夜が明けた。
翌朝、三人は朝食を済ませ、鄭恩は棗棍を手に取り、匡胤とともに禄哥に付き添って街へ出た。
一尾の鮮魚を買い、帥府の門へ向かう。
すると、まだ門に着かぬうちに、韓通の息子が道端の楊の木の下に座り、軍士に馬を洗わせているのが見えた。
禄哥が指を差して言う。
「──あれです」
鄭恩は目を凝らして見て、叫んだ。
「二哥、あれは確かに韓通の息子だ。
楽子がこの驢球入れを二、三発ぶちのめして、甥っ子の恨みを晴らしてやる!」
匡胤は言った。
「三弟、性急になるな。
まず禄児を前に出して博魚をさせよう。私は脇に控える。
お前が前に出て息子と事を構えれば、親の韓通が必ず出てくる。
その時こそ、私が前に出て、あの男だけを打つ。小僧を打つより、そのほうが筋が通る」
鄭恩はうなずいた。
「もっともだ」
そこで禄哥を先に行かせた。
禄哥は鮮魚を手に、楊の木の下へ進み、声をかけた。
「公子、今日はまた博を打とう。昨日のようにごまかすなよ」
韓天禄はそれを見ると、鼻で笑った。
「この小僧、よく来たな。昨日の魚は新しくなかった。今日はこの魚で帳消しにしてやる」
そう言うと、手下の小者に命じて魚を奪わせた。
禄哥は放すまいとして叫ぶ。
「三叔、助けて!」
鄭恩はその声を聞くや、飛ぶように駆け寄り、大喝した。
「この犬め! どうしてこの驢球入れどもが、楽子の甥っ子を傷つける!」
棗棍を振り上げ、先頭の者から叩き伏せる。
たちまち三、四人が倒れ、血と脳漿が飛び散った。
韓天禄はそれを見て、野鶏林で馬を放った黒漢だと気づき、顔色を変えた。
「しまった!」
そう叫んで逃げようとするが、鄭恩が逃がすはずもない。
追いついて衣の襟をつかみ、棗棍を捨て、拳で容赦なく打ち据えた。
韓天禄は悲鳴を上げるばかりで、逃げ出すことができない。
この騒ぎはたちまち轅門を守る役人の目に入り、
「公子が打たれている!」
と慌てて帥府へ駆け込んだ。
その時、韓通は堂上で軍馬を集め、教場での訓練に出る準備をしていた。
報告を聞くや激怒し、兵を先に教場へやり、自らも身支度を整え、手勢を率いて轅門を出た。
楊の木の下に駆けつけると、息子が黒漢に打ち据えられている。
怒りは頂点に達した。
目を凝らしてその黒漢を見ると、相手は鄭恩。
まさに仇敵相まみえ、分外に目が冴える。
「黒賊! よくも暴れたな!
今日こそ恨みを晴らしてくれる。向こうから来るとは好都合だ!」
そう叫び、拳を振るって鄭恩に襲いかかった。
その瞬間、匡胤がそれを見て、
鸞帯を風にひるがえして神煞棍棒に変え、飛び込んで喝した。
「韓通、力に任せるな。俺が相手だ!」
肩口めがけて棍を振り下ろす。
韓通は振り返って仰天し、
「まずい!」
と叫んで身をかわす。棍は空を切り、韓通は逃げようとした。
だが匡胤は容赦しない。
追いすがって脚払いの一棍を放つ。
――ドサッ。
韓通は地に倒れた。
匡胤は棍を放り出し、上から押さえつけ、拳を振り上げて顔面を打ち続ける。
鄭恩はそれを見るや叫んだ。
「二哥、逃がすな! 楽子も加勢する!」
そう言って、わざと手を放し、韓天禄を逃がすと、自分は駆け寄って草履を脱ぎ、韓通の顔も頭も見境なく殴りつけた。
韓通は痛みに耐えかね、哀れな声で叫んだ。
「趙公子、どうかご容赦を! 今の私は元帥の職にあります。
もはや大名府や野鶏林の頃とは違うのです。どうか体面だけはお残しください……」
さて、ここで一つ問おう。
韓通は元帥として兵を統べ、配下には多くの将兵がいる。
それなのに、なぜ元帥がこれほどまでに痛めつけられているのに、誰一人として前に出て助けようとしないのか。
それは、事情を知らぬ者の疑問にすぎぬ。
昔から言うではないか。
役人は顔色を見て動き、
船乗りは風向きを見て帆を操る。
もしこの場で、韓通が匡胤を見て激しく罵り、
「出でよ、打ち倒せ!」
と号令をかけていれば、軍士たちはこぞって前に出ただろう。功を立てる好機だからである。
しかし、今はどうだ。
元帥本人が、
「どうか体面だけは……」
と哀願している。
これを見て、誰もが悟ったのだ――
今、上風に立っているのは韓通ではない、と。
しかも匡胤は、身なりは行伍(兵卒)の者そのもの。ただ者ではない相貌、口音は明らかに東京なまり。その来歴の知れぬ人物である。
ここで手を出して、もしうまくいけば、ただ無事で済むだけ。
もししくじれば、大禍を招く。
韓通があとで顔色を変え、
「誰が手を出せと命じた!」
と言い出せば、軽くて縛打、重ければ斬首である。
ましてや勝負はすでに決している。
下手に手を出せば、投鼠忌器、かえって元帥を殺しかねない。
補足。
「投鼠忌器」とは、悪人を退治したいが、周りへの被害を鑑みて思い切ったことはできない。というほどの意味です。
だからこそ――
助けるよりも、退くほうが賢明。
軍士たちは皆、動かずにいたのである。
さて、韓通が打たれている話はここまでにしておこう。
一方――
晋王・柴栄は、勅命を受けて姑母の養生に当たり、あわせて監軍を代行していた。
この日、府中に特段の用もなかったため、供の者に命じ、元帥府へ見舞いに向かうことにした。
ちょうど帥府に近づいたその折、韓天禄が隙を見て逃げ出してきて、王の行列を見つけ、前へと走り出た。
従者たちは、それが韓公子と分かっていたため、止めることができない。
天禄は轎の前にひれ伏し、声を上げた。
「千歳! 臣は韓天禄、父は元帥・韓通にございます。
本日、二人の無頼が押し寄せ、父を毒打ちし、命は風前の灯。
どうか千歳、御裁断をもって凶悪を討ち、父の命をお救いください!」
そう言って、ただひたすら頭を地に打ちつけた。
柴栄はその訴えを聞くと、たちまち怒りを含み、轎を止めさせて命じた。
「御林軍(近衛)、急ぎその凶徒を捕えよ。孤(父を亡くした孤児の一人称。柴栄自身のこと)が自ら取り調べる」
御林軍は命を受けるや、縄を手に取り、匡胤と鄭恩を取り囲んだ。
そのうちの一人が、鄭恩の背後に回り、襟首をつかんで引き倒そうとした。
ところが――
蜻蛉(トンボ)が石柱を揺るがすがごとく、びくともしない。
鄭恩は、なおも靴で韓通を打つのに夢中であったが、背後で強く引かれたのを感じ、振り向いて見た。
「この驢球入れめ! 誰が楽子を捕えようとする!」
怒号とともに、拳を振るう。
狙いも定めぬ一撃だったが、それがちょうど御林軍の頭に命中した。
「ぐはっ!」
呻き声を上げ、その軍士はその場に倒れ伏した。
まさに――
金石のごとく堅き者、
仇もまた忽ち解かる。
と言うべきか。
すなわち――
親疎で善悪を量るな。
恩と怨みのみで、是非を決せよ。
さて、この倒れた軍士の命はどうなるのか。
その結末は、次回に譲ろう。
独語。
韓通、こころを入れ替えたと思っていたのに。
そして柴栄も今一つ評判が良くなさそう。なぜなのか……。
しかし「驢球入れ」とはどういう意味の罵倒語なのだろうか。ロバの玉入れ?
鄭恩、口が悪すぎてよくわからん。
