第三十七回 百鈴關盟友談心 監軍府元帥賠禮
第三十七回 百鈴関に盟友 心を談じ、監軍府に元帥 礼を賠う。
詞に曰く:
蜉蝣が仮の世に身を寄せるように、
この身もむなしい花に似ている。
富貴ははるかにかすみ、
薄絹の帳に包まれた幻のようだ。
高くそびえる軒と冠は貴人の家を飾り立てるが、
思い返せば、初めて出会ったのは土の坂の下で、
ほんの幾日かのうちに金の階段を踏み上がる身となった。
雁が列をなして飛ぶように、
手を取り合ったことは誇るに足る。
むだに嘆くこともあるが、
夕日はすでに傾いている。
貧富や成否の得失など泥や砂のようなもの、
ただ願うのは金蘭の契りを篤く育み、
気心の通う交わりが栄華に勝ることだ。
――右、《江神子》の調。
さて、鄭恩が韓通を殴りつけて調子に乗っていると、突然、軍士たちが駆け寄ってきて、彼を捕らえて縛ろうとした。
それを見た鄭恩は腹の底から怒りがこみ上げ、
「この驢球入れども、韓通の手下か。誰がこの俺を捕まえられると思ってるんだ」
と怒鳴った。
言い終わらぬうちに拳を繰り出し、御林軍の兵の頭を一発殴りつけると、その兵は地に倒れ、血を噴き出した。
軍士たちは一斉に叫んだ。
「大変だ、この黒大男は怪力無双だ。人を打ち殺しかねないぞ。」
そう言って皆で一斉に取り囲んだが、鄭恩は少しも恐れず、両拳を振り回して四方八方に打ちかかりながら、
「来い、来い。一人残らず叩き潰してやる」
と怒鳴り散らした。
軍士たちは近づけず、ただ周囲を囲んで騒ぎ立て、
「黒大漢、無茶をするな。我らは王爺の命を受けて来たのだ。人に告発され、韓元帥を打ちのめしたと聞いたから捕えに来た。命に従わず御林軍まで傷つけたとなれば、王爺のお耳に入ったら命はないぞ」
と言い合った。
鄭恩は生まれつきの乱暴者で、香油を売ることくらいしか知らず、一升二升の勘定は分かっても、国の法や役人の規矩など知る由もない。
そこで吐き捨てるように、
「何が黄爺だ黒爺だ。その野郎を連れて来い。俺が直接聞いてやる」
と罵った。
ここで騒ぎになっている間、匡胤は様子を聞きに来ず、これを韓通の手下だと思い、鄭恩が倒したのを見て内心喜んでいた。
ところが、軍士たちが「王爺の御林軍だ」と言うのを聞いて、はたと考え込んだ。
「禅州から柴殿下が来ていると聞く。もしや、その配下ではないか。しかも人も多い。ここは放してやるか。」
そう思って手を緩めると、韓通は隙を見て起き上がり、人混みに紛れて一目散に逃げていった。
それを見て鄭恩が叫んだ。
「二哥、あの韓通の野郎、逃げやがった。」
匡胤は言った。
「三弟、もういい。今の韓通は前とは違う。十万の兵を掌中にし、将佐も多い。向こうは権勢があり、こちらは勢力が乏しい。お前は御林軍まで殴った。これは大事だ。人が少ない今のうちに立ち去ろう。
もし手間取って韓通が兵を集めて来たら、多勢に無勢だ。捕まれば、これまでの名折れになる。」
鄭恩はうなずいた。
「二哥の言う通りだ。」
二人が歩き出そうとした、その時、ちょうど柴栄の轎(駕籠)が到着し、御林軍が左右に並んだ。
轎の中から匡胤の姿を見た柴栄は心の中で喜び、急いで轎を止めさせ、ゆっくりと降りてきて匡胤の手を取った。
「二弟、どうしてこんな騒ぎをしているのだ。」
匡胤は振り返り、柴栄と分かると、慌てて礼を取り、満面の笑みで言った。
「禅州から王子がお越しと聞いていましたが、まさか兄上とは思いませんでした。今日お会いできたのは天の導きです。どうか無礼をお許しください。」
すると鄭恩が、その威厳ある姿を見て大声で笑った。
「柴大哥、久しぶりだな。前は車を押して傘を売ってたのに、いつの間に王子様だ。ははは、こりゃ愉快だ。」
匡胤は慌てて制した。
「三弟、余計なことを言うな。」
だが鄭恩は気にせず言う。
「二哥、柴大哥が王子なら、俺は王弟だろ。楽しくないわけがない。」
柴栄は、かつての情を思い、内心わだかまりはあったが、それを口に出すわけにもいかず、左右に馬を用意させた。
そして匡胤に言った。
「賢弟、まずは私の役所へ来てくれ。久闊を語り合おう。」
鄭恩は柴栄が自分を顧みないのを見て、袍をつかみ、
「大哥、待ってくれ。韓通の手下が俺の新鮮な魚を一本奪っていった。取り返してくれ。酒を飲むんだからな」
と言った。
柴栄は腹にたまった不機嫌を抑えつつ、事情も分からぬまま、
「三弟、相変わらず魚が好きだな。私の役所に魚がないとでも思うか」
と答え、轎に乗って先へ進んだ。
匡胤は棍棒を取り、鸞帯を整えて腰に結び、鄭恩は酸棗の棍を手にし、それぞれ馬に乗って柴栄の王駕に従って進んでいった。
韓天禄は、王子の行列に従って来て賊を捕らえ、恨みを晴らしてこそ願いが叶うと、期待に胸を膨らませていた。
ところが柴栄が轎から降り、匡胤の手を取って、口を開けば「二弟、二弟」と親しげに呼ぶのを見て、とても前へ出て言い分を述べる勇気などなかった。
やむなく身を引き、そのまま引き返すしかなかったのである。
その場にいた軍士たちは、ただ心の中でひそかに仏に祈り、
「助かった。さっきもし本気で手を出していたら、今ごろは腕に縄を掛けられていたに違いない」
と言い合った。
「見ろ、打ち倒されたあの兵は、地面に横たわったままだ。今さら是非を論じることなどできるものか。」
そう言って、生き死になど構っていられぬとばかりに、その兵を担ぎ上げ、外へ運び出していった。
韓通はというと、またしても大きな屈辱を受けたが、仇の相手が柴王の親友だと分かり、打たれ損だと知りつつも、この恨みを晴らすことは到底できないと悟った。
そればかりか、今度は逆に詫びを入れに行かねばならぬ立場である。
しかし、いきなり頭を下げて非を認めるのは、どうにも腹の虫が収まらない。
かといって行かなければ、相手が王子の権勢を頼みに言いがかりをつけてくるかもしれず、それもまた耐えがたい。
ましてや配下の兵たちの目もある。
体面を思えば、なおさら行かぬわけにはいかなかった。
しばらく逡巡した末、ついに腹を決め、「一度行ってくるしかない」と帥府へ引き返した。
急いで顔を洗い、冠と帯を整え、部下に命じて馬を用意させ、監軍府へ向かった。
部下たちは承知して、支度を整えたが、その詳細は省く。
一方、禄哥は物陰に身を潜め、遠くから柴栄と匡胤が再会する様子を見ていた。
すでに馬を用意し、二人と共に行くつもりであったが、事情はよく分からない。
それでも、きっと良い話に違いない、危ないことはあるまいと見当をつけ、踵を返して家へ走り、知らせに行った。
さて、その時、兄弟三人は府の前に到着した。
門をくぐり、趙匡胤と鄭恩は馬を下りて大堂へ進み、柴栄も輿を降りた。
三人は手を取り合って書房に入り、改めて礼を交わし、それぞれ席に着いた。
まず匡胤が口を開いた。
「兄上、木鈴関で別れて以来、終日兄上を思いながら、会う術もありませんでした。
先日、興隆荘で三弟と再会し、連れ立って兄上を探していたところ、今日こうして再びお目にかかれた。これで私の願いは叶いました。」
「それにしても、別れてからの間に、どうしてこれほどまでに栄達なさったのですか。
まことに喜ばしい限りです。」
柴栄は答えた。
「二弟、義盟を結んでからというもの、賢弟には何かと助けてもらっていた。それが道半ばで別れ、天を隔てて散り散りになった。
三弟が同行してくれたのはありがたかったが、私の言うことを聞かず、勝手気ままに振る舞ったため、関所を越える際、賢弟から預かった銀を失ってしまった。
泌州に下って宿を取ったところ、不運にも重い病にかかり、命も危うかったが、幸い死は免れ、ようやく持ち直した。
体が治り次第、商いを再開し、賢弟を探そうと思っていたのだが、三弟が先に荷を売り払い、酒食に使い果たしてしまった。
私が少し咎めると、腹を立てて罵り、挨拶もなく出て行き、病の私を宿に残したまま去ってしまった。
身一つで養生もままならず、異郷の病人として頼る者もなく、ただ床に伏して死を待つばかりであった。」
ここまで語ると、柴栄は思わず涙を流し、胸が詰まってその場で気を失った。
匡胤は大いに驚き、慌てて呼びかけ、しばらくしてようやく目を覚ました。
柴栄はさらに続けた。
「病の苦しみは筆舌に尽くせぬ。故郷へ帰ろうにも金はなく、商いをしようにも、誰一人引き立ててはくれなかった。
追い詰められ、やむなく姑父を頼ったところ、実の子同然に遇してくれ、今日に至ったのだ。
だが漢主は無道で、藩臣を害そうとし、ついに姑父は挙兵し、都に迫って幼主を退け、即位するに至った。
姑母がまだ禅州にいたため、私は命を受け、監軍を兼ね、后の輿を迎える役を務めている。
思いもよらず、今日ここで二人の賢弟に会えた。これで生涯の願いはすべて叶った。」
この話を聞き、鄭恩は落ち着かなくなり、匡胤に向かって言った。
「二哥、あんたは公平な人だ。俺のことも、ひとつ裁いてくれ。
あの時、俺が前で手綱を引き、大哥が後ろで車を押していたのに、あの野郎に銀を盗まれた。
それを俺の落ち度だと言われた。
大哥が病で宿に倒れた時も、俺は多少の金を使った。それなのに、全部使い切ったと言われた。
だが、俺が食わなきゃ、とっくに餓死していたはずだ。
今日まで生きてこられたのは、俺が食ったからじゃないか。二哥、俺はそんなに悪かったのか。」
匡胤は答えた。
「三弟、金を使ったこと自体は、大した罪ではない。」
「だが大哥は年長で、しかも病に伏していた。弟として、もっと心を尽くして看病し、無事を守るのが道理だ。
少し叱られたからといって、宿に置き去りにし、一人で前途を求めて行ったのは、情にも理にも背いている。その点は、お前が悪い。」
鄭恩は言った。
「二哥の言う通りだ。そこは俺が悪い。」
「だが大哥が病の時、俺は医者を呼び、薬を煎じ、水を運び、身の回りの世話をした。
それらは全部無かったことにされ、悪い話ばかり持ち出される。
今や王子になったから、俺たち苦労を共にした仲間など、もう不要だと思っているんだろう。
二哥、あんたがここに残るなら、俺は行く。」
そう言い捨て、怒りに任せて外へ出ようとした。
柴栄は慌てて引き止めた。
「三弟、どうしてそんなに短気なのだ。
今日再会できたのが嬉しくて、昔のことを語ったまでではないか。
昔から言うだろう。財は糞土、仁義は千金だ。こんなことで縁を切るつもりか。
黄土坡の前で誓った言葉を忘れたのか。官は共に就き、馬は共に乗ると。
誓いは今も生きている。途中で変える心などない。
それを違えれば、神明も守ってはくれぬ。三弟、軽々しく振る舞うものではない。」
鄭恩はこれを聞き、ようやく言った。
「そこまで言ってくれるなら、俺は行かない。」
柴栄は大いに喜び、すぐに宴を設けさせた。
兄弟三人は心ゆくまで酒を酌み交わした。
席中、柴栄はさらに言った。
「賢弟、私は今、王爵を拝し、勅命を受けて国母を迎えている。」
「だが姑母の病がまだ癒えず、京へは入っていない。
賢弟も、ここにしばらく留まり、病が治ったら一緒に入京しよう。
私は駕前(皇帝の前)で、必ず賢弟の才を推薦する。富貴を得られぬはずがない。」
匡胤は深く礼を述べた。
話の最中、忽然と「韓元帥がお目にかかりたい」との報が入った。
鄭恩は韓通が来ると聞くや、
「あの野郎が俺を探しに来たのか。もう一度ぶちのめしてやる」
と言って、立ち上がろうとした。
柴栄はこれを制して言った。
「賢弟、それはならぬ。韓通は国境を預かる重臣だ。お前は官位もなく、礼の上から言っても打ってよい相手ではない。
どうか愚兄の顔を立て、これまでのことは水に流してくれ。
向こうは詫びを入れに来ているのだ。ここでまた乱暴に及んではならぬ。」
匡胤は言った。
「韓通という男は、かつて大名府で横暴の限りを尽くし、小弟が一度打ちました。その後、平陽鎮で王税を私的に取り立て、民を苦しめていたところに出会い、また打ちました。
今は高い地位にありながら改心せず、だからこそ先ほども打ったのです。
こういう者なら、打っても過ぎたことではないはず。兄上が止めるのは、なぜですか。」
柴栄は静かに答えた。
「賢弟、そこは知らぬところがある。韓通は過失も多いが、開疆の将として戦場に身をさらし、幾度も功を立て、上からも信任が厚い。
お前がさらに辱めれば、朝廷はかえって愚兄を責めるだろう。
今、彼は身を低くして詫びに来ている。すでに悔いている者を、そこまで責める必要があろうか。」
匡胤ははっと悟り、
「兄上がそこまで言われるなら、小弟も従います」
と答えた。
まさにこうである。
辱めることが多すぎれば、かえって服さぬことを恐れる。
すでに過ちを知ったなら、和をもって当たるべきである。
柴栄はすぐに伝令に命じ、韓元帥を府内へ通すよう言いつけた。
韓通は招きを受けると、すぐに入り、大堂を抜け、二堂から書房近くまで進んだ。
左右の者が報せると、柴栄は席を立って迎えに出た。
韓通は匡胤と鄭恩が微動だにしないのを見て、怒りを覚えつつも口に出せず、柴栄に深く一礼し、
「千歳、臣韓通、愚かにも趙公子が千歳のご旧交とは知らず、無礼を働きました。ここにお詫びに参りました」
と言った。
柴栄は笑顔で応じた。
「元帥、どうか過分に謙遜なさらぬよう。この趙・鄭の二人は、孤(わたし)の義兄弟で、仁義に厚い人物です。今日ここで会った以上、皆友として遇すべきでしょう。
いずれは同じ殿堂に仕える身、互いに助け合うことになります。過去のいさかいは、孤が取りなします。どうぞ礼を交わしてください。」
韓通が顔を上げると、鄭恩は虎のように目をむき、眉をひそめて睨みつけている。
礼をせずに済ませたい気持ちはあったが、ここで鄭恩が荒れれば、かえって体面を失うと考え、やむなく匡胤の前に進んだ。
「公子、私、韓通が一時の無礼で虎威を犯しました。どうかお許しください。」
匡胤はすぐに席を立ち、礼を返して言った。
「韓元帥、過ぎたことはもう申しますまい。これからは改め合い、互いに侮らぬようにいたしましょう。」
韓通は「肝に銘じます」と答え、続いて鄭恩の前へ進んだ。
「鄭兄、先ほどは多くの無礼をいたしました。どうかご寛恕ください。」
しかし鄭恩は幼い頃から礼を学ばず、言葉の分別もつかない。
ただ睨みつけたまま身も動かさず、
「詫びに来たなら、もう殴らねえ。それでいいだろ」
と言うだけで、取り合おうとしなかった。
韓通は恥ずかしさに顔を真っ赤にした。
柴栄は鄭恩の粗野な物言いに気まずさを覚え、脇から取りなして場を繕った。
韓通は鄭恩を横目で見て、顔色も言葉遣いも険しいのを察し、長居は無用と判断した。
「千歳、本日は三六九の大操の日に当たり、兵の訓練がございます。これにて失礼いたします」
と言って、早々に辞去した。
柴栄もその意を察し、軍務を理由に引き留めず、見送った。
まさに、
酒は知己に逢えば千杯も少なく、
話が合わねば半句も多い。
である。
さて、韓通が去って|操練《そうれん)に向かったことはさておく。
柴栄は書房へ戻り、兄弟三人は改めて杯を重ね、それぞれ胸中を語り合った。
別離の思い、再会の喜びを尽きることなく語り、夜も更け、やがて時は、
銅壺の滴り三更を告げ、
席前の月影は西へと移った。
夜気は清らかで、三人は喜びのうちに、並んで休んだ。
翌朝、夜が明けると三人は起き出し、身支度を整えて朝食を済ませた。
柴栄が言った。
「二人の賢弟、幸い姑母の病も回復に向かっている。そこで、愚兄はこれから禅州へ戻ろうと思う。賢弟たちも一緒に来て、姑母に一度顔を見せるとよい。明日には入京し、皇上の御前で取り立ててもらえるよう、取り成そう。」
鄭恩は首をかしげて言った。
「大哥、その姑母ってのは、俺にとって何の人だ。」
柴栄は答えた。
「賢弟、我らは義兄弟だ。私の姑母は、そのままお前の姑母でもある。」
鄭恩はにやりと笑った。
「それなら、その姑母に会ったら、俺も“おばさん”と呼べばいいんだな。」
柴栄は苦笑して言った。
「賢弟、ただし禅州に着いて姑母に会う時は、少しは言動を慎め。我ら兄弟同士のように、“俺がどうした”だの“俺がこうだ”だのと、荒っぽい口は慎んだ方がよい。」
鄭恩は言い返した。
「じゃあ、俺は何て呼べばいいんだ。」
柴栄は言った。
「難しく考えるな。愚兄がどう呼ぶかを聞いて、それに倣えば間違いない。」
鄭恩はうなずいた。
「分かった、分かった。お前の言う通りにする。」
こうして話はまとまり、その夜は休んだ。
翌日、柴栄は役人たちに命じ、鑾駕の準備と轎馬の手配を整えさせた。
兄弟三人は書房を出て大堂に上がった。
鄭恩は、大きな轎が一つと駿馬が二頭、月台の下に並んでいるのを見て叫んだ。
「大哥、その大轎をもう一つ用意してくれ。」
柴栄は笑って言った。
「賢弟は馬が嫌いで、轎に乗りたいのか。」
鄭恩は首を振った。
「俺はこんな窮屈な轎はごめんだ。ただ、二嫂が乗るから、もう一つ要るんだ。」
柴栄は怪訝に思って言った。
「賢弟、その二嫂は今どこにいるのだ。」
鄭恩が口にした以上、匡胤も隠すわけにいかず、大名府で流刑に服していた折に出会った韓素梅という女性が、賢く心ある人物であったため夫婦となり、軍役が終わって帰郷してから二年離れ離れになっていたが、近ごろ百鈴関で再会し、数日共に暮らしていたことを一通り話した。
柴栄はすぐに部下に命じ、小さな轎を一つ用意させて韓素梅を迎えに行かせた。
さらに先触れを禅州に送り、住まいの支度を整えさせた。
その後、兄弟三人はそれぞれ轎や馬に乗り、百鈴関を出て禅州へ向かった。
やがて到着間近となり、大清河を隔てただけのところまで来たが、まだ日が落ちぬうちに禅州城へ入ることができた。
すでに部下たちは、王朴の空き屋敷を整えており、その奥には広くて幽雅な花園も備わっていた。
柴栄は轎を降り、匡胤を花園へ案内して言った。
「賢弟、今日はもう遅い。ここでゆっくり休むがよい。愚兄は今夜は相伴できぬが、明日あらためて迎えに来よう。」
匡胤は答えた。
「兄上、お気遣いなく。」
一礼すると、柴栄は再び轎に乗り、帥府へ戻っていった。
匡胤と鄭恩が広間で腰を下ろしていると、ほどなく韓素梅の轎も到着し、禄哥も同行していた。
荷物はすべて花園に運び込まれ、赤兔馬は空き部屋につながれて餌を与えられた。
素梅と禄哥は奥の部屋に落ち着き、匡胤は轎役に褒美を与えて帰した。
さらに、柴栄から派遣された料理役や従者たちが挨拶に現れ、その晩の食事が整えられた。
一同は夕餉を済ませ、それぞれ休みに就いた。
翌朝早く、柴栄が花園を訪れた。
兄弟が礼を交わすと、柴栄は言った。
「二人の賢弟、朝のうちに帥府へ行き、愚兄とともに姑母にお目にかかろう。」
二人は承知し、そろって花園を出た。
轎と馬が並んで進み、帥府に入って柴氏夫人に拝謁した。
ここに教えがある。
青雲に取り立てられても、まだ道は許されず。
金闕に登らんとしても、なお時を待つべし。
まさに、
皇家にて風雲いまだ会せず、
帥府にてまず龍虎の群れ盟す。
さて、柴夫人に会ってどのような話があったのか。
それは、次回に譲ろう。
独語。
鄭恩の無礼な物言いは、そのように伝えられているので、そうした個性なのでしょう。
ぶっちゃけ韓通よりもよっぽど短気で暴力的だと思うのですが、愛されキャラになっているのはイマイチ納得がいかないが、趙匡胤に対しておとなしくなるから万事は休する、といったところでしょうか。
さてここで唐突にドヤ顔で「万事休」など持ち出してきました。
そして誤用ではなく、これは唐の詩人・白居易の「老熟詩」である「一飽百情足、一酣萬事休。」(腹いっぱい食えば気分は満足、酔いが回ればすべてよし)それともうひとつ、この五代十国時代の群雄のひとつであった、荆南の高従誨が大国に挟まれた小国ゆえに常に多忙で感情の起伏も激しく、よく周囲に怒鳴り散らしていたけど、幼い息子を見ると怒りを収めたので、群臣はその息子(高保勗)のことをすべてを収めるという意味で「万事休」と呼んだという逸話に拠っています。
現在伝わってる「進退窮まった」「もうおしまいだ」の意味での「万事休す」とは「万事窮す」となるわけですが、これはその荆南の勢力が北宋によって飲み込まれる結果になったとき、「万事休」の意味は一転して「はい、おしまい」という意味として使われ、史書には皮肉のように書かれてしまったからです。
とはいえ、それでまるっきり意味が変わって伝わったというわけではなく、唐代にはやはり詩人の沈佺期の詠んだ「棄置一身在、平生萬事休。」(自分独り捨てられ、人生おしまいだ)があるので、もとから二つの意味で伝わっていたのでしょう。
