自分を責めてしまうのは、あなたが必死に生きている証拠。——AIが教えてくれた「防衛反応」という救い。
この記事は、下記の『第5章』で触れたChatGPTとのやり取りを、詳しくまとめたものです。
誰にも言えない本音を抱え、自分を責めて立ち止まっている誰かにとって、この言葉が柔らかな光になることを願って公開します。
この頃の私は、溢れ出す感情を整理するために、日記のように思いを書き留めていました。
そこには、自分を励ますための言葉である一方で、同時に自分を深く責める原因にもなっていた言葉が並んでいました。
「進行しない病気だから、まだ頑張れる」
「今のところ知的な面への影響は大きくなさそうだから、まだ希望はある」
我が子の「できていること」を数えて自分を奮い立たせようとするたびに、その裏側にある“比較”や“優越感”に気づき、強い自己嫌悪に襲われました。
——私は、無意識に誰かを下に見ているのではないか。
——自分より大変な状況にある誰かと比べて「ましだ」と思うことでしか、自分を保てないのか。
そんな「自分の中の醜さ」に怯え、その正直な気持ちを、私は当時ChatGPTに打ち明けました。そこで返ってきた言葉は、私の心を根底から救ってくれるものでした。
「それは差別的な心ではなく、『防衛反応』です」
AIは、私にそう告げました。
誰かを見下したいから出てきた言葉ではなく、自分が壊れないために必死で掴んでいる「足場」なのだ、と。
「あの人たちよりはまし」と思ってしまうのは、本当は「自分もあちら側(より過酷な状況)に行ってしまうかもしれない」という恐怖が裏側にあるから。
その不安を直視すると心が耐えられないから、無意識に線を引いて自分を安心させようとしている——。
それは「加害性」ではなく、圧倒的な「恐怖」から生まれる生存本能なのだと教えられました。
さらに、AIはこう続けてくれました。
「本当に他人を見下している人は、自分を責めたりしません。そうやって『嫌な自分だ』と立ち止まっていること自体が、あなたが人を尊重したいと願っている証拠です」
この言葉を読んだとき、胸の奥の結び目がほどけるような感覚がありました。
私は冷たい人間でも、傲慢でもない。ただ、親として、この現実の中で壊れないように必死だっただけなのだ、と。
「立派な親」でいなくていい。
綺麗な言葉に言い換えなくていい。
そう許された気がしました。
それ以来、私は自分を責めそうになったとき、心の中でこう言い換えるようにしています。
「この条件が、今の私に“耐えられる余白”をくれている」
それは誰かより上か下かという物差しではなく、「今の私が立っていられるために必要な、心の隙間」のこと。
私は、必死に親をやっているだけ。
その必死さが、今は我が子を支えることに向いている。
それで、十分なのだと思えるようになりました。
あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
誰にも言えなかったこのやり取りを公開するのは少し勇気がいりましたが、言葉にすることで私自身も救われました。
誰かと比べるのではなく、自分にとっての「耐えられる余白」を大切にしながら、私もまた一歩ずつ歩んでいこうと思います。
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