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第5章 PVLのわが子と選ぶ「SDR手術」の記録。病院ごとの考え方の違いと、親としての後悔の先に見つけた足場。

※この記事を読み進めていただく前にお伝えしたいこと
ここに記すのは、あくまで「我が家」が、今のタイミングで出会った一つの選択肢と、その時の感情の記録です。医療の進歩は日進月歩であり、数年前の「最善」が今の「最善」と同じとは限りません。また、お子様の状態やご家庭の状況によって、何が正解かは千差万別です。
(この記事は2026年1月時点の記録です)



【我が子の状況について】
この記事を初めて読んでくださる方へ、簡単に状況をお伝えします。

我が家の子ども(ココ)には、出生時の影響によるPVL(脳室周囲白質軟化症)があり、両足に痙性(けいせい)麻痺(筋肉がつっぱって動かしにくい状態)があります。

現在は歩行補助具や車椅子を使いながら、こども園で元気に過ごしています。この第5章では、そんな我が子が年中さんの終わり頃、将来の選択肢の一つとして「SDR手術」という言葉に出会い、親である私が自分の心とどう向き合ってきたかを綴っています。

「もっと早く知っていれば」という後悔や、「あの時の選択は正しかったのか」という不安は、親であれば誰もが抱くものです。しかし、どの親御さんも、その時、その瞬間にできる精一杯の選択を、我が子のために重ねてこられたはずです。

この記事が、誰かの過去の選択を否定したり、今の状況を悲観させたりするものではなく、あくまで「こういう一つのケースがあった」という、誰かの足元を照らす小さな灯火になればと願っています。

※本記事は長文です。時間に余裕のあるときに、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです🌿


我が子が年中の終わり頃、私は自分の中にずっと潜んでいた、ある感情の正体と向き合うことになりました。
それは、これまで自分には無縁だと思っていた「無意識の偏見」でした。


1.「かわいそう」という偏見と、障害の定義への問い


我が子を産む前の私は、障害のある方に対して、特別な感情を抱いているつもりはありませんでした。
困っている人がいれば、できることがあれば手を貸す。
それくらいの距離感で、十分に「差別はしていない側」だと思っていました。

我が子が生まれてからもしばらくは、その感覚は変わらなかったように思います。

けれど、こども園で同じクラスの子どもたちと活動する我が子の姿を目の当たりにしたとき、
自分でも予想していなかった感情が、胸の奥から湧き上がってきました。

「歩けないと、かわいそう」
「みんなと同じように遊べないと、かわいそう」

そんな言葉が、頭の中をぐるぐると回っていました。

小学校に上がったらどうなるんだろう。
多感な時期になったら、もっとつらい思いをするんじゃないか。

まだ起きてもいない未来を勝手に想像して、
私は一人で不安を膨らませ、泣いていました。

そのとき、隣にいたパートナーが、静かにこう言いました。

「それってさ、“かわいそう”って思ってるのは、ママなんじゃない?」
「ココは足に障害があっても、生まれたときからそれが当たり前なんだから、
本人は、実はそんなふうに思っていないかもしれないよ。」

その言葉を聞いた瞬間、腑に落ちました。

私は心配しているつもりで、
いつの間にか我が子を「かわいそうなさ存在」として
見てしまっていたのかもしれない、と。

それは責めるような言い方ではなく、
私が自分では気づけなかった
“無意識の偏見”を、そっと照らしてくれる言葉でした。

実際の我が子は、その身体で、その特性で、
精一杯生きていて、友だちと関わろうとしていました。

それなのに私は、「普通」という枠を勝手に当てはめ、
「できていないこと」を基準にして、
「かわいそう」と決めつけていたのです。

そのとき、ふと、こんな考えが浮かびました。

——それは、その子の特性であり、個性なんじゃないか。

「かわいそう」と見るのではなく、
その子が持って生まれた一つのあり方として、受け取れたらいい。

そう心に決めた瞬間でした。



環境が変える「障害」の定義


この偏見と向き合う中で、私は「障害とは何か」という問いにぶつかりました。

もし、世界中の人が生まれつき歩けなかったとしたら。
「歩けない」という特性は、障害と呼ばれるでしょうか。

それは、ただの“個性”になるかもしれません。

昔、メガネやコンタクトレンズがなかった時代、
視力が弱いだけで生活に大きな支障が出て、
「障害」と見なされていた人もいたはずです。

でも今は、環境や道具が整い、
視力の弱さは「障害」として扱われなくなりました。

そう考えると、
障害は、その人の中だけにあるものではなく、
環境との関係で生まれるものなのではないか

と思うようになりました。

我が子は、自分で「身体」を選んで生まれてきたわけではありません。
でも、社会や環境の側が変われば、生きづらさは減らせるかもしれない。

そんな希望を持つようになった頃、
絵本『みえるとか みえないとか』に出会いました。

「知らないものは、怖くて、不安になる」

我が子の障害も、私にとっては「知らないもの」だった。
だからこそ、無意識に「かわいそう」というフィルターをかけてしまっていたのかもしれません。

知ることで、恐怖は少しずつ形を変える。
そう信じたいと思いました。


2.ChatGPTとの対話が教えてくれた「防衛反応」


この頃の私は、感情を整理するために、日記のように思いを書き留めていました。
そこには、当時の私を支えていた一方で、
自分を責める原因にもなっていた言葉が並んでいました。

「進行しないから、まだ頑張れる」
「今のところ、知的な面への影響は大きくなさそうだから、希望はある」

自分を励ますための言葉なのに、
その裏にある“比較”や“優越感”に気づいてしまい、
強い自己嫌悪に襲われました。

——無意識に、誰かを下に見ているのではないか。

この正直な気持ちを、私は当時、ChatGPTに打ち明けました。
返ってきた言葉は、私にとって大きな救いでした。

それは「差別的な心」ではなく、「防衛反応」です。

自分が壊れないために、必死で掴んでいる“足場”。
誰かを見下したいからではなく、
「自分も、そちら側に行ってしまうかもしれない」という恐怖から生まれるものです。

この言葉を読んだとき、
胸の奥がほどけるような感覚がありました。

私は冷たい人間でも、傲慢でもない。
ただ、親として、この現実の中で壊れないように必死だっただけ。

「立派な親」でいなくていい。
綺麗な言葉に言い換えなくていい。

そう許された気がしました。

それ以来、私はこう言い換えるようにしています。

「この条件が、今の私に“耐えられる余白”をくれている」

誰かより上か下かではなく、
“今の自分が立っていられる場所”。

私は、必死に親をやっているだけ。
その必死さが、我が子に向いている。
それで、十分なのだと思えるようになりました。

この時、ChatGPTとのもっと詳しいやり取りについては、こちらの記事にまとめました。もし今、自分を責めて苦しい方がいたら、併せて読んでみてください。


3.治療という選択肢を「知る」こと


そんな中で、私はSDR手術という治療法があることを知りました。

※SDR手術(選択的後根神経切断術):脊髄の神経(後根)を一部切断することで、筋肉のつっぱり(痙縮)を和らげる手術。

受ける・受けないは別として、
「こういう選択肢が存在する」という事実を知ることは、
私にとって大きな意味がありました。

実際に話を聞くため、県外の小児医療センターにも足を運びました。
私の住んでいる県内には、この手術を行える病院や先生がいなかったからです。

SDR手術には、医師の専門や考え方によって、
アプローチの違いがあることも知りました。

ただ、これは「どれが正解か」「どれが良いか」を語る話ではありません。
家庭ごとに、子どもごとに、考え方も選択も違います。


けれど、知らなかった頃の私と比べると、
「何もわからない不安」からは、確実に一歩離れることができました。

知らないことは、怖い。
でも、知ることで、選ぶ・選ばないを含めて、
自分の足で立てるようになる。

この章で書きたかったのは、
治療の話そのものよりも、
“知ることが足場になる”という感覚でした。


ここから先は、有料公開とさせていただきます。私たちがSDR手術という選択肢を知り、実際に専門の医療機関を訪ねて先生のお話を聞く中で感じたこと、そして「2年待ち」という現実を前に、私たちがどのような覚悟で待機を決めたのかという具体的な記録です。

・私たちがSDR手術を検討するに至った具体的な経緯
・「2年待ち」という現実にどう向き合ったか
・複数の医療機関を調べて見えてきた「考え方の違い」
・手術を「受ける・受けない」の先にある、親としての覚悟

医療情報は非常にデリケートであり、同じ診断名でもお子様ごとに適応や判断は異なります。あくまで「我が家の場合」の主観的な記録であるため、誤解を避けるためにも、本当にこの情報を必要とされている方や、私たちの歩みを静かに見守ってくださる方にだけお届けしたいと考え、有料という形をとらせていただきました。

同じように選択肢の前で立ち止まり、悩んでいる方の、一つの小さな参考になれば幸いです。

※この記事は、SDR手術をすでに受けた体験談ではありません。
※現時点では、手術を「選択肢として知り、検討し、待機している段階」での記録です。

4.SDR手術という選択肢を知ったとき、希望より先に来たもの


SDR手術という選択肢を知ったとき、
正直に言えば、「希望」より先に浮かんだのは焦りでした。

適応年齢は、おおよそ6歳まで。
——もっと早く知りたかった。

「知っていれば、もっと違う選択肢があったのではないか」
そんな思いが、頭をよぎりました。

実は、我が子が生まれたとき、
私はそれなりに必死で情報を調べていました。
PVLについて、リハビリについて、
できることは何か、選択肢はないか。

それでも、SDR手術という言葉には、
その頃、一度も出会いませんでした。

あとから知ったのは、
SDR手術が日本で脳性麻痺の子どもたちに
少しずつ知られ始めたのは、ここ数年のことだという事実でした。

我が子が生まれてからの数年で、
ようやく情報が広まり始めた。
そう考えると、
「知らなかった自分」を責めきれない気持ちと、
それでもやっぱり悔しい気持ちが、同時にありました。

以前、先天性内斜視のときにも感じた、
あの独特の後悔に似た感覚でした。

——でも、今知れたことも、
きっと今の私たちにとっての最善なのだと思うしかない。

そう自分に言い聞かせながら、
私は本格的にSDR手術について調べ始めました。


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