荷物の多さは『いま』の解像度に比例する
街に溢れるインバウンドが、スーツケースを引く姿を見て、いつも感じることがある。
私は、「今」の解像度が、そのままその人の鞄(持ち物)の量に現れる。と思っている。
「何を持っているか」ではなく、「何を信じて手放せているか」
鞄の中身の余白は、そのままその人の心の余白であり、「今」という瞬間を味わい尽くすための器そのもの…
不安な人は「未来の不特定多数のトラブル」にフォーカスするがゆえに、あれもこれもと鞄に詰め込む。
結果として「いま」という瞬間を、重たい荷物と、それを気にするノイズで埋め尽くしてしまう。
逆に、「いま」の解像度が高い人は、自分がこの瞬間に何を必要とし、何を味わいたいかがクリアに見えている。
だからこそ、余計なものを削ぎ落とせる。
アフリカにいる息子は、とにかく荷物が少ない。
きっと、普通の人が困る場面でも困らないから、アフリカでもいれるのだろう。
息子は、幼稚園からつい最近まで、呆れるほど忘れ物が多い子供だった。
忘れ物をしても、まったく困らないから何度でも永遠に繰り返す。
ちなみに私は、息子の忘れ物を届けたことが一度もない
最終的に。
「困る」レベルは、人によって違うのだなぁ…と。
私の方が、この経験の「プロセス」を通して息子から学んだほどだ。
私は、子育ては、「親の胆力」が試されていると思っている。
毎日が仮説と検証。
どんなトラブルも「ほう、そう来たか」とデータに変えていく場所だ。
「胆力(たんりょく)」とは、ひと言で言えば「物事に恐れず、おじけづかない気力や度胸」のこと。
忘れ物の多さに、頭を痛めた時期もあったけれど。
いつの間にか、身の回りのことは自分1人でちゃんと出来るようになり、こうやって留学も出来ているのだから。
「忘れ物を届けない」という、あの頃の私の見極めは、
「あれはあれで…良かったのかも知れない」と、今では思っている。笑
「いま」を生きる為に、必要なものだけを持つ
モノも思考も…
それが、わが家には心地よく
「自然体」のようだ。
風のように… 軽やかに
この時代を通り抜けていきたい。
荷物が少ない人とは…
「その瞬間の自分が、最適なしなやかさで生きていける」と信じ切れている人
なのだと思う。
いつも読んでくれてありがとう。
ステキな夢を🍀
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援📣お願いします。いただいたチップはよりたくさんの方に『気づき』をお届けできるように書籍代や活動費に当てさせて頂きます。子供達が生きる未来が少しでも『希望のある世界』になるように、微力ながら活動を継続していきたいと思います。