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【連載】アトラスの解剖学 ―― 美談に潜む合理を暴く

第43回:ピーター・ドラッガー編

――「マネジメントの父」か、人の強みを社会への貢献へつないだ「組織と成果の設計者」か

ピーター・ドラッガー。

20世紀を代表する経営思想家であり、その影響は、21世紀の企業経営、組織論、リーダーシップ、知識労働のあり方にも及んでいます。

彼は、「マネジメントの父」と呼ばれます。

現代のマネジメントの考え方に、大きな基盤を与えた人物。

企業が成果を上げるための方法を示した、経営者の指南役。

組織社会を読み解いた、知の巨人。

もちろん、その見方には大きな意味があります。

しかし、『アトラスの解剖学』としてピーター・ドラッガーを見直すなら、そこには、もう一つの姿が浮かび上がります。

それは、企業をうまく運営するための技術を教えた、単なる経営学者ではありません。

現代社会では、多くの人が、組織を通じて社会へ貢献する。

その現実を見抜き、

人間の強み。

責任。

目的。

成果。

顧客。

社会への貢献。

それらを、組織という器の中で結びつけようとした人物。

ドラッガーは、人の強みを社会への貢献へつないだ、組織と成果の設計者でした。

前回取り上げた孔子は、古い秩序が揺らいだ春秋時代に、人間関係と社会を支える原理原則を削り出しました。

仁。

礼。

徳。

恕。

過猶不及。

自分を律すること。

相手との関係を切らないこと。

過剰を避け、調和を探ること。

複雑な乱世の中から、余計なものを削ぎ落とし、二千年以上にわたって通用する短い言葉へ凝縮した。

一方、ドラッガーが向き合ったのは、近代以降の複雑化した組織社会です。

企業。

学校。

病院。

行政。

大学。

非営利組織。

地域社会。

多くの人が、何らかの組織に属し、組織を通じて社会へ価値を届ける時代です。

孔子とドラッガーは、生きた時代も、場所も、扱った問題も違います。

孔子が見つめたのは、人間関係と政治の秩序でした。

ドラッガーが見つめたのは、組織と成果の秩序でした。

しかし、両者の思想には、不思議なほど響き合う部分があります。

人を治める前に、自分を治める。

力を持つ者ほど、責任を引き受ける。

個人の能力を、自分だけの利益へ閉じ込めない。

表面的な技術ではなく、長く機能する原理原則へ戻る。

余計なものを削ぎ落とし、本当に大切なものへ集中する。

ドラッガーは、日本文化や日本の経営にも強い関心を持ち、その中から多くを学びました。

彼の思想を、単純に孔子の延長として扱うことはできません。

しかし、マネジメントを、単なる支配や効率化の技術ではなく、人間の強みと責任を社会への貢献へつなぐ働きとして捉えた点には、東洋思想とも響き合うものがあります。

孔子が、仁という内面を、礼という行動へつないだのだとすれば。

ドラッガーは、人間の強みと責任を、組織という器を通じて、社会への貢献へつなごうとした。

二人が探したものは、表面的な技術ではありません。

人間と社会が、長く機能するための原理原則だったのです。


1. 組織社会を見抜く:現代人は、組織を通じて貢献する

ドラッガーが見抜いた大きな現実。

それは、現代社会では、多くの成果が、組織を通じて社会へ届くということです。

一人の人間の善意。

一人の人間の才能。

一人の人間の努力。

もちろん、それらには大きな価値があります。

しかし、現代社会は複雑です。

医療。

教育。

交通。

物流。

情報通信。

行政。

研究。

飲食。

福祉。

防災。

一人の力だけで、すべてを支えることはできません。

医師は、病院という組織を通じて、患者を支えます。

教師は、学校という組織を通じて、子どもを育てます。

技術者は、企業や研究機関を通じて、社会に製品や技術を届けます。

行政職員は、制度と組織を通じて、市民の生活を支えます。

飲食店もまた、小さな組織です。

料理人。

サービススタッフ。

仕入れ。

衛生管理。

予約管理。

広報。

教育。

顧客体験。

一つひとつの役割が結びついて、初めて、お客様へ価値が届きます。

つまり、個人の才能や善意は、それだけでは十分ではありません。

社会へ届く形に、組み立てる必要がある。

ここに、組織の意味があります。

ドラッガーは、組織を、単なる企業経営の問題として見ませんでした。

現代社会において、人間が貢献するための器として見ました。

人間は、何のために働くのか。

組織は、何のために存在するのか。

マネジメントは、誰のためにあるのか。

ドラッガーは、それらを、内部の効率だけの問題にはしませんでした。

組織には、目的がある。

そして、その目的は、組織の内部にはない。

企業であれば、顧客。

病院であれば、患者。

学校であれば、生徒。

行政であれば、市民。

非営利組織であれば、支援を必要としている人々。

組織が存在する意味は、外部への貢献にあります。

ここで、組織を見る目が変わります。

組織は、自分たちの都合のために存在するのではない。

組織を存続させることだけが、目的なのでもない。

社会に、何を届けるのか。

誰の現実を、どのように変えるのか。

そこに、組織の存在理由がある。

この視点を失うと、組織は、簡単に自己保存の装置へ変わります。

会議のための会議。

報告のための報告。

規則のための規則。

上司のための資料。

内部評価のための仕事。

顧客を忘れた管理。

誰も理由を説明できない慣習。

組織が、組織のために動き始める。

人間が、組織を動かすのではない。

組織を維持するために、人間が疲弊していく。

ドラッガーは、その病理を見抜いていました。

だからこそ、問い続けます。

われわれの使命は、何か。

顧客は、誰か。

顧客にとっての価値は、何か。

成果は、どこに現れるのか。

組織社会において、この問いを失ってはならないのです。


2. マネジメント:人を支配するのではなく、強みを生かす

マネジメント。

この言葉には、ときに冷たい響きがあります。

管理。

統制。

数字。

評価。

命令。

効率。

生産性。

人を動かす技術。

人を使う技術。

組織を支配する技術。

しかし、ドラッガーにとって、マネジメントとは、人間を機械のように動かすことではありませんでした。

むしろ、人間の強みを、成果へつなぐための知恵でした。

人には、弱みがあります。

苦手なこと。

欠点。

感情の揺れ。

未熟さ。

集中力の限界。

視野の狭さ。

自分では気づきにくい癖。

組織の中では、どうしても、人の弱みに目が向きます。

あれができない。

これが足りない。

ここが悪い。

もっと直せ。

もっと平均的になれ。

もっと、周囲と同じように動け。

しかし、ドラッガーは、人の弱みを直して平均点にそろえることだけでは、大きな成果は生まれないと考えました。

人間は、弱みをなくすことで、大きな成果を出すのではありません。

強みを生かすことで、成果を生み出します。

ある人は、分析に強い。

ある人は、顧客との関係をつくることに強い。

ある人は、現場の改善に強い。

ある人は、企画に強い。

ある人は、人を育てることに強い。

ある人は、細部を丁寧に守ることに強い。

ある人は、混乱した現場で判断することに強い。

強みは、同じではありません。

だからこそ、組織に意味がある。

同じ型の人間を並べるのではない。

異なる強みを、共通の目的へ向けて配置する。

一人ではできないことを、複数の強みを組み合わせることで可能にする。

これが、マネジメントです。

もちろん、弱みを、すべて放置してよいわけではありません。

安全を損なう弱み。

倫理を傷つける弱み。

周囲へ深刻な影響を与える欠点。

仕事の基本を損なう未熟さ。

それらは、補う必要があります。

しかし、人を平均的な型へ押し込めるだけでは、組織は弱くなります。

違いを消すのではない。

違いを生かす。

弱みを責め続けるのではない。

強みが成果へ変わる場所をつくる。

ドラッガーは、人間を、単なるコストや交換可能な部品として見ませんでした。

一人ひとりが、異なる強み、知識、経験、判断力を持ち、社会へ貢献できる存在として見ました。

人間は、歯車ではない。

しかし、一人で完結する存在でもない。

異なる強みを持った人間同士が、共通の目的へ向かう。

そこに、組織の合理があります。


3. 成果:頑張ったかではなく、何が届いたか

ドラッガーの思想で、最も厳しく、最も重要なもの。

それが、「成果」です。

忙しい。

頑張っている。

長時間働いている。

会議を重ねている。

資料を作っている。

細かく報告している。

真面目に取り組んでいる。

手間をかけている。

組織の内部では、こうしたものが評価されやすい。

努力には、意味があります。

誠実に働くことにも、価値があります。

しかし、ドラッガーは、努力と成果を混同しませんでした。

その努力は、本当に、外部へ価値を届けているのか。

顧客は、満足しているのか。

患者の状態は、良くなったのか。

生徒は、学んだのか。

支援を必要としている人へ、届いたのか。

社会に、どのような変化が起きたのか。

組織が存在する意味を証明する成果は、最終的には外部に現れます。

これは、厳しい考え方です。

「自分は頑張った」

だけでは、終われない。

「相手へ、何が届いたのか」

まで、問わなければならない。

しかし、この厳しさは、冷たさではありません。

むしろ、深い利他です。

なぜなら、成果とは、自分たちの満足ではなく、他者にとっての価値だからです。

自分が、どれだけ努力したか。

自分が、どれだけ忙しかったか。

自分が、どれだけ苦労したか。

それだけではなく、

相手の現実が、どう変わったのか。

そこを見る。

仕事を、自己満足で終わらせない。

善意を、美談で終わらせない。

社会へ届く貢献へ変える。

ここに、ドラッガーの成果の思想があります。

ただし、成果を短期的な数字だけに置いてはいけません。

売上。

利益。

件数。

効率。

数字は必要です。

数字がなければ、現実を正確に見ることは難しい。

しかし、数字は、成果の一部を測る道具です。

数字そのものが、目的ではありません。

顧客に、どのような価値が届いたのか。

働く人が、育っているのか。

組織が、健全に続いていくのか。

社会への信頼を、損なっていないか。

未来にも、価値を届けられるのか。

外部への成果を持続させるためには、内部の人材育成、信頼、健全性も必要です。

成果とは、目先の数字を追いかけることではありません。

社会へ価値を届け続ける責任なのです。


4. 知識労働者:自分の貢献を、自分で定義する

ドラッガーが、早い時期から注目していた存在。

それが、知識労働者です。

かつて、多くの仕事は、決められた作業を、決められた手順で行うことを中心としていました。

上司が命令する。

部下が実行する。

作業量を増やす。

速度を上げる。

効率を高める。

そのような管理が、一定の成果を生む時代もありました。

しかし、知識、専門性、判断力が価値を生む仕事では、それだけでは機能しません。

医師。

教師。

研究者。

エンジニア。

デザイナー。

編集者。

経営者。

そして、専門的な技術、経験、感性、判断力を生かし、顧客体験をつくる料理人やサービスの担い手。

知識労働では、命令されたことだけを実行しても、十分な成果には届きません。

自分で考える。

判断する。

学ぶ。

改善する。

相手の状況を見る。

何を優先するかを決める。

自分の仕事が、誰へどのような価値を届けるのかを考える。

ここで、ドラッガーは、個人へ責任を求めました。

組織に所属していても、命令を待つだけではいけない。

自分の貢献を、定義する。

自分の強みは、何か。

どのような働き方で、成果が出やすいのか。

何を学ぶ必要があるのか。

どの領域で、責任を引き受けるのか。

自分の時間を、何へ使うのか。

誰に、どのような価値を届けるのか。

これらを、自分で問う。

コヴィーが、

自分の人生の主権を、外側から内側へ戻せ。

と説いたのだとすれば。

ドラッガーは、

自分の強みを、外側への貢献へ向けよ。

と問いかけました。

自分は、何者なのか。

その問いは大切です。

しかし、それだけでは足りない。

自分は、何に貢献するのか。

この問いによって、個人の自己統治は、社会への利他へ接続されます。


5. 顧客の創造:企業の利己を、社会への価値へ接続する

ドラッガーの有名な考え方に、

事業の目的は、顧客の創造である。

というものがあります。

一見すると、少し冷たく聞こえるかもしれません。

顧客を増やす。

売上を上げる。

人を買い手に変える。

そのような意味にも見えます。

しかし、顧客を創造するとは、人を操作して、無理に買わせることではありません。

相手が抱えている問題。

相手が感じている不便。

相手が求めている喜び。

相手がまだ言葉にできていない願い。

それらを理解し、価値を届ける。

その結果として、初めて、顧客との関係が生まれる。

これが、顧客の創造です。

企業は、自分たちが作りたいものだけを作ればよいわけではありません。

自分たちが、どれほど優れていると思っていても。

自分たちが、どれほど努力したとしても。

顧客にとって価値がなければ、事業としては届いていない。

顧客は、何を必要としているのか。

何に困っているのか。

どのような時間を過ごしたいのか。

何を価値として受け取るのか。

顧客の現実は、どのように変わるのか。

この問いを、事業の中心へ置く。

ここにも、ドラッガーの原理原則があります。

事業とは、自己表現ではない。

内部の都合でもない。

他者への貢献である。

もちろん、利益は必要です。

利益がなければ、企業は存続できません。

働く人の生活を支えることもできません。

新しい挑戦もできない。

設備を整えることも。

人を育てることも。

未来へ価値を届け続けることもできない。

しかし、利益は、目的そのものではありません。

社会へ価値を届け続けるための条件です。

利益だけを目的にすれば、企業は、短期的な利己へ傾きます。

顧客を忘れる。

働く人を、消耗品として扱う。

社会への影響を、無視する。

未来を削って、目の前の数字を作る。

それでは、長く続きません。

企業には、利己があります。

生き残りたい。

利益を出したい。

成長したい。

競争に勝ちたい。

それ自体は、悪ではありません。

しかし、その利己は、顧客への価値提供と結びつく必要があります。

顧客へ価値を届ける。

その対価として、利益を得る。

その利益によって、組織を維持し、働く人を支え、さらに価値を届ける。

この循環が生まれたとき、企業の利己は、社会への利他へ接続されます。

この考え方は、日本の経営思想とも響き合います。

渋沢栄一は、利益を否定しませんでした。

しかし、利益を、自分だけのものとして閉じ込めることも否定しました。

経済と道徳を切り離さず、事業を社会全体の発展へつなごうとした。

松下幸之助もまた、企業を、単なる利益追求の場とは見ませんでした。

事業とは、人々の暮らしを豊かにし、社会へ役立つためにある。

利益は、その使命を果たし続けるために必要な条件である。

言葉も、時代も、立場も違います。

しかし、共通しているものがあります。

企業の利己を、そのまま肯定しない。

企業が生き残ること。

利益を得ること。

成長すること。

それらを、顧客や社会への貢献へ接続する。

ここに、成熟した利己があります。

ドラッガーの思想もまた、その流れの中で読むことができます。


6. 非営利組織:善意を、美談で終わらせない

ドラッガーが見ていたのは、企業だけではありません。

病院。

学校。

教会。

非営利組織。

地域団体。

社会福祉の組織。

利益を第一の目的としない組織にも、深い関心を持ちました。

非営利組織には、使命があります。

困っている人を支えたい。

子どもを育てたい。

地域を守りたい。

社会を、少しでも良くしたい。

その思いは、尊いものです。

しかし、思いが尊いからこそ、注意しなければならないことがあります。

良いことをしている。

使命がある。

困っている人のために動いている。

だから、成果を問わなくてもよい。

そのように考えてしまうことです。

善意は、尊い。

しかし、善意だけでは、社会は変わりません。

誰のために存在しているのか。

何を、成果とするのか。

限られた資源を、どこへ集中するのか。

何を、続けるのか。

何を、やめるのか。

誰を、育てるのか。

どのような変化を、社会へ起こすのか。

これらを、問い続けなければならない。

使命は、成果によって、社会へ現れなければならない。

ここに、ドラッガーの厳しさがあります。

これは、冷たい合理主義ではありません。

むしろ、本当に人を助けるための、利他の厳しさです。

思いがある。

しかし、届いていない。

努力している。

しかし、相手の現実は変わっていない。

善意がある。

しかし、継続する仕組みがない。

それでは、支えたい人を、長く支えることはできません。

利他の心を、利他の成果へ変える。

そのために、マネジメントが必要になる。

ドラッガーは、善意を否定しませんでした。

善意を、社会へ届く形にしようとしたのです。


7. やめる勇気:組織から、余計なものを削ぎ落とす

組織に必要なのは、何かを始める力だけではありません。

やめる力も必要です。

新しい企画を始める。

新しい会議を始める。

新しい制度を作る。

新しい報告書を増やす。

新しいルールを加える。

始めることは、前向きに見えます。

何かをしている感覚もあります。

しかし、組織は、放っておけば、重くなります。

会議。

報告。

規則。

慣習。

過去の成功体験。

誰も理由を説明できない作業。

始めたときには、意味があったのかもしれません。

しかし、役割を終えた後も、残り続けます。

なぜ、続けるのか。

誰のために、続けているのか。

どの成果へ、つながっているのか。

誰も、答えられない。

それでも、続く。

人間は、始めることには熱心です。

しかし、やめることは苦手です。

自分が作った仕組みを、手放したくない。

過去の成功を、否定したくない。

今まで費やした時間を、無駄だと思いたくない。

だから、目的を失った仕事まで、抱え続ける。

すると、組織は、内部の活動に追われます。

忙しい。

しかし、成果は届かない。

会議は増える。

しかし、顧客の満足は増えない。

報告は細かくなる。

しかし、現場の判断力は落ちる。

人は疲れる。

しかし、社会の現実は変わらない。

ここで必要になるのが、やめる勇気です。

今も、本当に必要なのか。

誰のために、続けているのか。

外部への成果へ、つながっているのか。

もっと重要なことへ、時間と力を使えないのか。

そう問い直す。

孔子は、複雑な乱世を観察し、余計なものを削ぎ落とし、人間と社会を支える原理原則を、短い言葉へ凝縮しました。

ドラッガーもまた、複雑化した組織の中から、余計な活動を削ぎ落とし、社会への貢献へ集中することを求めました。

始めることだけが、前進ではない。

やめることも、前進です。

余計なものを削ぎ落とし、本当に大切なものへ力を集中する。

ここにも、ドラッガーの原則中心の合理があります。


解剖結果:組織を、人間の貢献を広げる器へ変えた

では、ピーター・ドラッガーの合理は、どのように利他へ変換されたのでしょうか。

組織の目的を、外部への貢献へ向け直した

ドラッガーは、組織の目的を、内部の都合に置きませんでした。

顧客。

患者。

生徒。

市民。

支援を必要としている人。

社会。

組織が存在する意味は、外側へ何を届けたかによって問われます。

この視点によって、組織は、自己保存の装置ではなく、社会への貢献の器として見直されました。

人間の強みを、成果へつないだ

ドラッガーは、人間を、管理されるだけの存在として見ませんでした。

一人ひとりに、異なる強みがある。

知識がある。

経験がある。

判断力がある。

責任を引き受ける力がある。

組織の役割は、人間の違いを消すことではありません。

違いを、成果へつなぐことです。

人間は、歯車ではない。

強みを持ち、責任を持ち、社会へ貢献できる存在である。

この視点は、組織の中で働く人間に、尊厳を与えました。

善意を、社会へ届く成果へ変えた

ドラッガーは、非営利組織にも、成果を問いました。

使命があるからこそ、成果を問う。

良いことをしているからこそ、届いているかを確認する。

善意を、自己満足で終わらせない。

社会へ届く形にする。

これは、冷たい合理ではありません。

本当に人を支えるための、利他の合理です。

余計なものを削ぎ落とし、貢献へ集中した

組織は、放っておけば、内部の活動を増やします。

会議。

報告。

規則。

慣習。

過去の成功体験。

しかし、それらが、目的ではありません。

目的は、外部への貢献です。

必要なものを、始める。

役割を終えたものを、やめる。

限られた時間と力を、本当に大切なものへ集中する。

この選択が、組織を軽くし、強くします。

成熟した利己を、社会への貢献という利他へ接続した

ドラッガーは、利益を否定しませんでした。

成果も否定しませんでした。

効率も否定しませんでした。

組織が存続するには、利益が必要です。

限られた資源を生かすには、効率も必要です。

人間の努力を社会へ届けるには、成果も必要です。

しかし、それらを、目的として絶対化しませんでした。

利益は、顧客へ価値を届け続けるための条件である。

効率は、限られた資源を、社会への貢献へ集中するための手段である。

成果は、内部の数字だけではなく、外部へ何が届いたかによって問われる。

ここで、組織の利己は、社会への利他へ変わります。

企業が、生き残りたいと願う。

成長したいと願う。

利益を出したいと願う。

それ自体は、悪ではありません。

しかし、その利己は、顧客と社会への価値提供へ接続されなければならない。

自分たちだけの利益へ閉じない。

顧客。

働く人。

地域。

社会。

未来。

より大きな関係の中で、成果を考える。

ドラッガーは、成熟した利己を、社会への貢献という利他へ接続したのです。


「マネジメントの父」ではなく、組織と成果の設計者

ピーター・ドラッガーは、単に、経営者のための技術を教えた人物ではありません。

彼は、現代社会の本質を見抜きました。

人間は、多くの場合、組織を通じて社会へ貢献する。

だから、組織が腐れば、人間の貢献も届かなくなる。

組織が目的を見失えば、個人の努力も空回りする。

組織が人間の強みを潰せば、社会は、大きな価値を失う。

組織が内部の活動だけに追われれば、顧客も社会も忘れられる。

ドラッガーは、その危険を見抜きました。

組織の目的を、外部への貢献に置く。

人の弱みを責め続けるのではなく、強みを生かす。

努力を美談で終わらせず、成果へつなぐ。

知識労働者へ、自分の貢献を定義する責任を渡す。

企業の利己を、顧客への価値提供へ接続する。

善意を、社会へ届く成果へ変える。

目的を失った活動を、やめる。

余計なものを削ぎ落とし、本当に大切なものへ集中する。

これは、強烈な思想的意志です。

現代社会において、人間は、どうすれば貢献できるのか。

組織は、どうすれば人間を殺さず、その強みを生かせるのか。

利益は、何のために必要なのか。

成果は、誰のために存在するのか。

忙しさと貢献を、混同していないか。

善意を、自己満足で終わらせていないか。

その問いに対して、ドラッガーは、マネジメントという答えを差し出しました。

彼にとって、マネジメントとは、支配の技術ではありません。

人間の強みを、社会への貢献へ接続するための知恵です。

孔子が、複雑な乱世から、時代を越える原理原則を削ぎ出したように。

ドラッガーもまた、複雑化した組織社会から、長く機能する原理原則を削ぎ出しました。

そして、その思想は、日本の経営思想とも静かに響き合います。

渋沢栄一が、経済と道徳を切り離さなかったように。

松下幸之助が、事業を社会的使命と捉えたように。

ドラッガーもまた、企業と組織の存在理由を、内部の利益だけには置きませんでした。

忙しさに、逃げるな。

内部の都合に、閉じるな。

人の強みを、見つけよ。

自分の貢献を、定義せよ。

成果が、誰へ届いたのかを見よ。

役割を終えたものを、手放せ。

組織は、人間が社会へ価値を届けるために存在する。

ピーター・ドラッガーとは、マネジメントの父であるだけではありません。

人間の強みと責任を、組織という器を通じて、社会への貢献へ接続した、組織と成果の設計者だったのです。


次回の『アトラスの解剖学』は……

人間の強みを、組織の成果と社会への貢献へ接続したドラッガーから。

生命そのものの奥にある、冷徹な継承の合理を見つめた生物学者へ。

リチャード・ドーキンス。

『利己的な遺伝子』という言葉によって、人間中心の生命観を揺さぶった科学者です。

しかし、その言葉は、生命を貶めるためのものではありません。

遺伝子そのものに、意思や目的があるわけではない。

それでも、遺伝子を単位として生命を見たとき、保存と継承をめぐる冷徹な合理が浮かび上がります。

そして、その合理は、個体の行動としては、

子を守る。

血縁を助ける。

仲間と協力する。

ときに、自分を超えて、他者へつながる。

そのような姿となって現れる。

利己は、本当に、利他の反対なのでしょうか。

それとも、生命の深い場所では、利己が利他へ接続される道があるのでしょうか。

次回は、リチャード・ドーキンスに潜む、継承と協力の合理を解剖します。

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