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【短編】『コンピュータが見る悪夢』(中編「密売人」三十二)

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コンピュータが見る悪夢
(中編「密売人」三十二)


 点滅する街灯の黄色い光が、数秒おきにオレンジに染まるヴァンのルーフを照らし出す。窓の方を見るともう若い女たちの顔はなく、部屋の中はカーテンで覆い隠されていた。次々とシャッターの閉まる音が響きわたる通りは、まるでこの事件に関与したくないという意思表示にも見てとれた。あの叫び声から一分と経たぬうちに、混沌としていた通りは元の日常を取り戻した。何か怪しげなことが再び行われようとしている異様な静けさだった。

 男は胸を撃たれたらしい。なぜヴァンの上で死んでいるのかはわからない。やりあった形跡もない。大の字に放置された死体からは、誰かに見てもらいたいという犯人の偏った欲望さえ感じられる。――まるで殺しが自分の功績なんだと言わんばかりに。しかし無線ではここで殺人が起きると言っていた。つまりは、この男は通りのどこかで撃たれてここまで運ばれたということになる。現場に着いた時には、逃げていく者などいなかった。野良猫一匹さえ見かけなかった。フィルはこの不自然な状況をなんとか自分なりに推理しようと試みたが、考えれば考えるほどその不自然さが際立つだけだった。

「死体はあったか?」

「あった。ヴァンの上に」

「ヴァン? 車のヴァンのことか?」

「そうだ」

「なんでそんなところに?」

「さっぱり・・・」

「そうか。わかった。指示があるまでそこで待機しててくれ」

「――」

「聞こえてるか?」

「ああ、聞こえてる。了解した」

 フィルは無線を切ると、ついさっきまで生きていたとされる男の死体をまじまじと見つめた。点滅する光があたる瞬間、暗闇の中に目を大きく見開いた男の恐怖の顔が浮かび上がる。もう何度この顔を目の当たりにしてきたことか。毎度現場に駆けつけた時には誰かが死んでいる。自分はまるでこの者たちを殺している連続殺人犯みたいじゃないか。そう検察に訴えられても反論できそうにない。しかし一つ気に食わないのは、犯罪を未然に防げないのは警察のせいだと遠回しに非難してくるスーパーコンピュータだ。アレは未来予測が完璧であることに慢心して我々人間を見下しているんだ。社会に貢献することよりも、人間が役に立たないことに貢献しようとしているんだ。人間の方がよっぽど尊いというのに――。

 ヴァンの上から降りようと、死んでいる男の隣に尻をついた時、ふとフィルの目にあの黒い拳銃がうっすらと映った。そういえば銃声は聞こえなかった。こんな集合住宅で発砲すれば反響して気づくはず・・・。ますますこの事件はおかしい。遠くを走る車のライトがその黒い銃に当たって白く光った。その光は銃の形を鮮やかに縁取り、妙な美しさを放っていた。フィルは、その一瞬の光景が自分に何かを囁いているかのように感じた。しかし再び闇に包まれると、今まで通り黄色がかった淡い光が数秒ごとに血に染まったルーフを反射させた。今見たものはなんだったんだ? あの白い光の奥に、自分は何かを見たような気がした。事件の真相か、あるいは犯人の素顔・・・。

 フィルは知らぬ間に、その銃を右手に持っていた。なんだか手触りが気持ちよかった。太く縁取られたグリップに、細長い鉄製のバレル。先端には小さなフロントサイトが取り付けられている。旧型のハンドガンだ。一度も使ったことがないのに、どこか懐かしさを感じる。

 ジリジリッ。

 右手が痺れ、咄嗟に銃を握っていた指を離した。

 なんだ? 静電気か? 

 フィルは小さなことに怯えてしまった自分を鼻で笑った。気がつくと、死んだ男の周りには大きな池みたく血が広がり、今にもフィルの体に触れようとしていた。すぐにヴァンの上から降りてアスファルトに着地する。その時、若干の痛みが右足首を襲った。高い場所から飛んだせいで足を挫いたようだ。次第に痛みは引いていき、フィルは安堵の息をついた。死体処理班の連中はいつになったら到着するんだ。どうやら死体の回収より、犯人追跡の方が大事らしい。パトカーのサイレンの近づく音さえ聞こえない。フィルはそっとヴァンのそばに腰を下ろし、通りに吹く夜風に耳を澄ませた。なんて静かなんだろうか。殺人が起こったとは到底思えない。すぐ近くに死体があることすら忘れてしまいそうなくらいだ。

 ふと、さっき見た白い光のことを思い出した。あれはいったいなんだったんだ――。銃を持った時の感触。誰かが握っていた時の体温を感じた。あの銃はまるで生きているようだった。そう物思いに耽りながら点滅する黄色い街灯を眺めていると、なんだか妙な感じがした。治まったはずの痺れの症状が再び右手に戻っていた。するとその痺れは、次々と全身のそこかしこを転々としていく。なにかがおかしい・・・。思い込みなのだろうが、なぜか点滅する街灯と同じ間隔で体が刺激される。深く息を吸ってもその痺れが治まることはない。

 とその時、とてつもなく大きく、硬い、そして殺意を持ったなにかが勢いよく自分の頭上に落っこちたような気がした。それは、フィルの予想だにしないものだった。ずっとフィルに疑問を抱かせていた、あの白い光そのものだった。光は一瞬にして、頭上一点からフィルの視界全体を真っ白に覆った。

 なにが・・・、起こった?

 フィルの思考は何かに乗り移られたかのように、次第に制御が効かなくなっていく。目の前に映るのは、白、それだけだ。その純白が表すのは、無であり、すべてだった。同時にフィルの脳内には、ないはずの記憶が走馬灯のように瞬く間に蘇っていく。盗みを働いていた日常も、父が刑務所に送られた理由も、サンフランシスコで親しくなった友人たちのことも、その一人に紹介してもらった運び屋の仕事も、そして仕事中に乗っていたヴァンが事故を起こしたことも、何もかも。驚きのあまり、フィルの目からは涙が勝手に放出した。生まれてから感情というものを初めて認識した時のように、その感動は泣くことでしか表せなかった。

 なぜ忘れていたんだ、こんなに大事なことを――。この数年間、自分は誰かに言われたことだけを忠実にこなしてきた。ただし、なんの意味や、やりがいもなくだ。なぜ叔父は教えてくれなかったんだ。自分がいかに無知であったかを。やはりあの時の手錠は冗談などではなかった。病室で警察から聞かされた話も信憑性はないがどうやら本当らしい。自分が助けていたと思っていた移民たちを、むしろ自らの手で奈落に突き落としていたなんて――。考えるだけで吐き気がした。人のために生きろ、そして手段を選ぶな。それが父の唱えた言葉だ。それを信じてここまでやってきた。それが間違っていたということなのか――。いいや、そんなはずはない。きっと間違っているのは、この国なんだ。この国が間違いだらけなんだ。父は、それを正そうとしただけなんだ。フィルの頭の中では、感動と困惑、そして強い憤りが一気に押し寄せた。するとすぐにその渦の中心に、一筋の冷静さが芽生えた。

 そうか、思い出した。

 ヴァンの上に横たわる男を殺した銃は、父が昔作ったものだったんだ。だから握った時の感触に懐かしさを覚えたんだ。良かった――。フィルはこれまでの人生で経験したことのないほどの喜びを感じていた。と同時に、この数年間自分に欠けていたものの正体がようやくはっきりしたような気がした。つまりは、あの銃は誰かの役に立ったということだ。そして、自分も父の役に立てた。やはり自分に必要だったのは、この盲信できるほどに信じた父の教えだったんだ。フィルの脳内には大量のエンドルフィンが分泌されていた。殺人を食い止められなかった自分と、殺人の武器である銃を作った父とが間接的に共謀し、この事件がようやく現実となったように思えた。この男を殺したのは、現場から逃げた犯人などではない、我々親子だったんだ。我々は人のために生きられたんだ――。その言葉を最後に、フィルの思考はゆっくりと停止していった。テンダーロインの闇夜を照らす黄色い街灯は、なおも点滅を続けていた。死体処理班が現場に到着した時、そこにフィルの姿はすでになかった。ただ、ヴァンをオレンジに染める血の上に、一人の男が静かに眠っているだけだった。通りの静けさはパトカーのサイレンをより鮮明に響かせた。――まるでテンダーロインの鐘の音のように。


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