日本に弱者女性は存在しないのか? 彼女たちがホームレスにならない残酷な経済学的理由
不可視化される貧困と生存バイアス
SNSを開けば、弱者男性の怨嗟の声が溢れている。誰からも選ばれず、社会から疎外された彼らの苦しみは可視化されやすい。一方で、弱者女性の姿は見えにくい。
都内の公園に並ぶブルーシートを見ても、その住人の9割以上は男性だ。ネットカフェ難民も男性が多数派を占める。
では、日本に弱者女性は存在しないのか?
フェミニストが主張する女性差別による貧困があるのか、それともアンチフェミニストが嘲笑するように、女性には生まれつきイージーモードが備わっているのか。
経済学の視点から言えば、どちらも正解であり、同時に間違っている。
結論から言おう。
弱者女性は確実に存在する。だが、彼女たちは社会から排除されている弱者男性とは異なり、社会システムによって骨の髄までしゃぶり尽くされるために、ギリギリで生かされているのだ。
1. 性的資本という名の、呪われたセーフティネット
なぜ女性の路上生活者が圧倒的に少ないのか。
それは、女性には男性にはない最後の換金資産が存在するからだ。
すなわち、若さと性である。
どんなに学歴がなく、職歴がなく、コミュニケーション能力が欠如していても、若くて五体満足な女性であれば、風俗やパパ活といった夜のセーフティネットが口を開けて待っている。
これは男性には絶対に利用できない、女性特有の緊急避難回路だ。
弱者男性は、金がなければ即座に路上に放り出され、社会の産業廃棄物として処理される。しかし、弱者女性は、金がなくなれば性産業の労働力として市場に再吸収される。
彼女たちが路上にいないのは、社会が優しいからではない。彼女たちを安価な性処理リソースとして使い潰す需要が、この国に溢れているからだ。
2. 減価償却資産としての若さ
体を売れば生きていけるなら、それはイージーモードではないかと問う者がいる。だが、これは経済学的に見てあまりに短絡的な思考だ。
なぜなら、性的資本は強烈な減価償却資産だからだ。
時間とともに価値は暴落する。20代のうちは、その資産を切り売りして平均以上の生活水準を維持できるかもしれない
しかし、その間に職業スキルやキャリアを積まなかった代償は、30代半ばを過ぎ、性的価値が暴落した瞬間に利子をつけて襲いかかる。
この見えない負債こそが、弱者女性の正体だ。
彼女たちは、いま路上で震えていないだけで、将来の貧困を先食いしているに過ぎない。若さという資源が枯渇した時、彼女たちは何のスキルも貯金もないまま、本当の意味での弱者として社会に放り出される。
3. 搾取の永久機関
さらに残酷なのは、彼女たちが体を張って稼いだ金の行方だ。
今後の記事でも触れるが、孤独な弱者女性は、ホストクラブやスピリチュアル、そして地下アイドルの太客としてターゲットにされる。
弱者男性が性欲と承認を求めて金を払うように、弱者女性は共感と優しさを求めて金を払う。
夜職で心を病み、そのストレスを埋めるためにホストに依存し、そのホスト代を稼ぐためにさらに過激な店で働く。
この搾取の永久機関に組み込まれている状態こそが、現代日本の弱者女性のリアルだ。
彼女たちは貧困層に見えないかもしれない。ブランド物を持ち、小綺麗な服を着ているかもしれない。
だがその内実は、稼いだ金が右から左へ心の鎮痛剤代として消えていく、自転車操業の多重債務者なのだといえよう。
結論:廃棄物か、家畜か
弱者男性と弱者女性、どちらが不幸かという議論は無意味だ。
地獄の種類が違うだけだからだ。
弱者男性: 社会から不要と烙印を押され、無視され、透明人間として孤独死する産業廃棄物。
弱者女性: 社会から有用と見なされ、若いうちは性的に消費され、金銭的に搾取され続ける家畜。
社会は弱者男性を見殺しにし、弱者女性を生かさず殺さず利用する。
この国にあるのは、男女平等などという美しい概念ではない。
あるのは、性差に基づいた最適な搾取形態の違いだけである。
この残酷なエコシステムの中で、我々は一体何を消費し、何に消費されているのか。それを自覚しない限り、誰かの養分として生きることになるだろう。
