【応募作品】影が語る、名もなき休日 伊藤洋子(旧shizuka)様【名前のない休日】
影が語る、名もなき休日
北欧の夏は、夜がなかなか訪れない。
太陽は地平線のすぐ上をゆっくりと滑り、森の針葉樹たちの影を長く、淡く引き伸ばす。
村の子どもたちは、夕食を終えると、自然と森の縁に集まり始めた。
誰が声をかけるでもなく、ただ、毎年この季節になると、そうするのが当たり前のように。
森の入り口には、まだ日差しが残っている。
けれど、木々の間を抜けると、そこには淡い光と深い影が織りなす、静かな舞台が広がっていた。
子どもたちは、地面に落ちる自分たちの影を見つめ、手を伸ばし、指を曲げ、鳥や狐、時には想像上の生き物を作り出す。
影が重なり合い、踊り、森の床に物語が生まれる。
「ほら、見て。これはトナカイだよ」
一番年上のアストリッドが、両手を頭の上に掲げて角を作る。
ほかの子たちが笑いながら真似をする。
誰かが足元で小さなウサギを作り、また別の子が大きなクマを作ろうと手を広げる。
やがて、大人たちもぽつりぽつりと集まってくる。
手にはまだ温かいコーヒーのカップ。
遠くから子どもたちの声を聞きつけて、自然と足が森へ向かうのだ。
誰も「今日は何の日?」とは尋ねない。
ただ、みんながここにいることが、何よりの祝祭だった。
大人たちは木の幹にもたれ、子どもたちの遊びを見守る。
時折、誰かが懐かしそうに手を動かし、子どもたちに混じって影絵を作る。
昔は自分たちも、こうして遊んだのだと、柔らかな微笑みがこぼれる。
森の奥からは、鳥のさえずりがまだ聞こえる。
風が針葉樹の枝を揺らし、葉の隙間からこぼれる光が、影の輪郭を揺らめかせる。
アストリッドのトナカイが、誰かのクマと出会い、森の床で静かに向き合う。
影たちは、まるで自分たちだけの物語を紡いでいるようだった。
ふと、年配の女性が静かに歌い始める。
古い北欧の子守唄。
誰もが知っているその旋律に、子どもたちの声が重なり、森の中に穏やかなハーモニーが広がる。
影絵の動きがゆっくりと、優しくなっていく。

太陽は、ようやく森の向こうへと沈みかけている。
それでも、空はまだ明るい。
子どもたちは名残惜しそうに、最後の影絵を作る。
大人たちは、そっと肩を寄せ合い、今日という一日を心に刻む。
「また明日もできる?」
小さな声が聞こえる。
「もちろん。明日も、明後日も、好きなだけ。」
この村には、特別な名前のついた休日はない。
でも、こうしてみんなが集まる日が、何よりも大切な「名前のない休日」なのだ。
森の影と光が織りなす、静かでやさしい祝祭。
誰の記念日でもないけれど、誰もが心に残す、北欧の夏のひとときだった。
作者紹介!
編集部より
なんでもない夏の日の、いつもの日暮れ前の時間、いつもの顔ぶれ。そんな心の安らぐ日にわざわざ名前を付けるのは少し野暮なのかもしれませんね。(はるさめとも)
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