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「その歌声、内緒につき。」④ -私は最強-

【主な登場人物】

  • 虹咲音羽(にじさきおとは):ロックシンガーを目指す高校1年生。コンタクトにしないのは「目に入れるのが怖い」から。同じような理由でピアスも開けられない

  • 桜井玲奈(さくらいれいな):音羽のクラスメイト。長めの髪に赤のインナーカラーを入れたギャル。中学生の時からピアスを開けている

 前回の内容
https://note.com/nijisakiotoha/n/n68715bb59a7e


 🎤
 カラオケ店へ向かう道すがら、虹咲音羽はずっと同じことを考えていた。

 ――カラオケで、何を歌えばいいんだろう。

 桜井さんたちは楽しそうに並んで歩いている。誰かが最近流行りの曲の話をして、別の誰かが「それサビしか知らない」と笑う。その輪の少し後ろで、音羽は曖昧に笑いながら、胸の中だけでため息をついた。

 好きな曲を歌えばいい。たぶん、それがいちばん自然だ。

 でも、自分の好きな曲をそのまま持っていっていいのか、音羽にはわからなかった。

 ブルーハーツは好きだ。強くて、まっすぐで、胸の奥に溜まった何かを蹴破ってくれるような歌ばかりだ。けれど、みんなの前で歌って、もし「知らない」と微妙な空気になったらと思うと怖かった。
 
 カラオケにはあまり行ったことがないけど、なんとなく“盛り上がる曲を入れるべき”というイメージがする。流行りの曲も、まったく知らないわけではない。学校で耳に入るし、動画サイトでもよく流れてくる。

 問題は、その中から何を選べば、みんなが楽しめるのかということだった。考えれば考えるほど、わからなくなる。

 そんなふうに迷っているうちに、カラオケ店の看板が見えてきた。

「あっ、着いたー!」「思ったより早かったね」

 みんなが一気に明るい声を上げる。その中で、音羽だけが心臓をきゅっと縮めた。

 もう着いてしまった。歌う時が、来る。

 中学3年の、あの日以来だった。

 人前で歌った、あの日。今まで感じたことのない楽しさで、それがロックをやるきっかけになった。

 しかし、ステージに上がるまでは不安で逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 あの時と同じだ、と音羽は思う。逃げ出したいくらい不安だけど、逃げたらきっと、後悔する。

 部屋に通され、みんながソファに座っていく。リモコンを手に取る子、ドリンクバーに行く子。賑やかな空気の中で、音羽はどこか現実感の薄いまま、画面を見つめていた。

「音羽、大丈夫?」

 ふいに声をかけられて顔を上げると、桜井さんがこちらを見ていた。

「え……?」

「なんか、緊張してない?」

 図星だった。音羽は一瞬ごまかそうとして、それから小さく笑った。

「……少しだけ」

「少しどころじゃなさそうだけど」

 桜井さんはやわらかく笑って、気負わなくていいよ、とでも言うみたいな顔をした。

「カラオケって、別に上手く歌う場所じゃないし。楽しければそれでよくない?」

「そうそう、好きなの入れなよー」

「知らない曲でも全然聴くし!」

「むしろ新しく知れるのうれしいかも」

 ほかの子たちも、自然にそんな言葉をくれた。

 優しい、と思った。

 その優しさが、逆に少しだけ苦しかった。期待に応えられなかったらどうしよう。場を白けさせたらどうしよう。変に思われたらどうしよう。そんな不安ばかり膨らんでいく。

 それでも、音羽はそっと息を吐いた。

 逃げたい。

 今すぐ、ドリンクバーにでも行って、そのまま時間が過ぎてくれたらいいのにと思う。

 でも、逃げたくないとも思った。

 せっかく、みんながこんなふうに声をかけてくれているのだから。

 最近好きなアーティストは何組かいる。その中でも、とくに好きなのはAdoだった。曲が好きなのはもちろんだけれど、それ以上に、あの圧倒的な歌唱に憧れていた。あんなふうに歌えたらいいのにと思って、家で何度も何度も練習してきた。誰もいない部屋で、ひとりで、夢中になって。

 だったら――せめて、いちばん歌いたい曲を入れよう。

 音羽は端末でAdoの曲を検索した。カラオケランキングが表示される。その中に、ちょうど自分がいちばん好きな曲があった。

「……あ」

 指先が止まる。

 少しだけ迷ってから、音羽はそれを押した。予約完了の表示と同時に、画面に曲名が出る。

「わっ、『私は最強』だ!」
「いいじゃん!」
「虹咲さん、その曲好きなんだ?」

 一気に空気が明るくなる。

 その反応を見て、音羽は胸をなで下ろした。少なくとも、選曲は間違っていなかったらしい。

 ただ、音羽は少しだけ笑いそうになった。

 「(歌詞の内容、今の私と全然違うな)」

 「最強」なんて、いちばん遠い言葉。おまけに、怖さと不安でいっぱいだ。

 けれど、だからこそ歌いたかったのかもしれない。自分にないものだから、憧れるのかもしれない。

 画面にタイトルが表示され、音羽はマイクを持って立ち上がる。

 視線が集まる。

 今でも怖い。逃げ出したい気持ちは消えていない。それでも、音羽は胸の中で言い聞かせた。

 「(……とにかく、全力で歌おう。もうどうにでもなれ!)」

 👚
 ほんの短いイントロだった。

 それなのに、その一瞬で空気が変わったことを、桜井玲奈はたしかに感じ取った。

 さっきまで不安そうに座っていた音羽が、静かに立ち上がる。俯きがちだった背筋が、すっと伸びる。伏せられていた目が、まっすぐ前を向く。

 別人、とは違う。けれど、眠っていた何かが、そこだけ急に目を覚ましたような変化だった。

「さぁ 怖くはない 不安はない――♪」

 玲奈は「えっ」と小さく声を漏らした。

 うまい。思った以上、どころじゃない。想像を軽々と飛び越えてきた。

 ただ音程が合っているとか、声量があるとか、そういう話ではなかった。声が出た瞬間、部屋の空気が一気に引き寄せられる。音羽の細い体のどこに、こんな力が隠れていたのかと思うほど、まっすぐで、強くて、でもどこか切実な歌声だった。

「……マジ?」

 玲奈は思わずつぶやいて、周囲を見渡した。

 ほかのみんなも、似たような顔をしていた。誰もが一瞬言葉を失い、思わず互いの顔を見合わせている。

 そんなことにはまるで気づかず、音羽は歌い続ける。

「大丈夫よ 私は最強――♪」

 さらに声が伸びる。

 言葉に勢いがあって、感情が乗っていて、聴いている側の胸まで熱くなる。ふだんの控えめな彼女からは想像もつかないような解放感が、そこにはあった。

 玲奈は目を離せなかった。

 「(音羽、こんなふうに歌うんだ。こんな声を持っていたんだ)」

 教室で小さく笑っている時とも、遠慮がちに話す時とも違う。けれど、こっちのほうが本当の彼女に近いのかもしれない。

 「……ハハっ」

 思わず笑みがこぼれた。すごいものを見ると、人は笑ってしまうのものなのか。

 「(やっぱ、私の勘は正しかったよ)」
 
 玲奈は喜びと興奮が同時に来たような、そんな感情を抱きながら音羽が歌う姿に魅せられていた。


 🎤
 曲が終わる。

 最後の余韻が消えて、画面の映像だけが流れ続ける。歌い終えた音羽は、胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 高揚感だった。

 やっぱり、歌うのは楽しい。
 ああ、そうだ。私はこれが好きなんだ――と、全身で思い出しているような感覚だった。

 けれど、ふとみんなの様子を見る。

 全員、ぽかんとしていた。

 「(え。なに、この空気……もしかして、やってしまった?)」

 張り切りすぎた? 変だった? 痛かった? 選曲は大丈夫そうだったのに、歌い方が浮いていたんだろうか。頭の中で不安が一気に膨れ上がる。

「あ、あの……」

 恐る恐る声を出しかけた、その瞬間だった。

「やばっっ!!」
「え、ちょっと待って、うますぎない!?」
「鳥肌立ったんだけど!?」
「虹咲さん、そんなの聞いてないんだけど!?」

 一斉に歓声が弾けた。

 さっきまで固まっていた全員が、我に返った途端に堰を切ったように喋り出した。

「最初の一声でびっくりした!」
「サビ強すぎるって!」
「ねえ次これ歌って、これも絶対似合う!」
「ミセスもいける? King Gnuは!?」

 次々と飛んでくる感想とリクエストに、音羽は目を丸くした。

 こんなふうに、自分の歌を聴いた人のリアルな感想を浴びるのは初めてだった。

 うれしい。その気持ちが、じんわりと胸いっぱいに広がっていく。

 恥ずかしさもある。信じられない気持ちもある。けれど、それ以上に、誰かが自分の歌を聴いて、こんなふうに笑ってくれることが、ただ純粋にうれしかった。

「……そ、そんな、大したことじゃ」

「あるから!」

 桜井さんが即座に言い切った。

「めちゃくちゃあるから。音羽、すごい」

 名前を呼ばれて、音羽は少しだけ目を見開いた。

 桜井さんの顔は本気だった。驚きと、興奮と、まっすぐな称賛がそのまま浮かんでいる。

 自分の歌は、ちゃんと届いたのだ。

「……ありがとう」

 小さくそう言うと、また次の曲の予約が入る。

「次これ!」
「その次これにしよ!」
「もう今日、虹咲さんメインでよくない?」
「賛成!」

 そんな言葉に、みんなが笑う。冗談めかした空気だったけれど、気づけば本当にそうなっていた。

 リクエストされた曲を音羽が歌い、そのたびに部屋が盛り上がる。不思議ともう最初ほどは怖くなかった。
 マイクを握るたび、自分の中の何かが少しずつほどけていく。歌うほどに声はのびやかになり、表情もやわらいでいく。

 桜井さんたちは、もう遠慮なく歓声を上げた。サビで手を振り、知っている曲では一緒に歌い、終わるたびに感想をぶつけてくる。

「それ低音も綺麗なんだ……」
「ロック系ほんと強いね」
「次は絶対これ歌って!」
「虹咲さんの十八番は何?」

 音羽は笑っていた。

 さっきまで、何を歌えばいいのかと悩んでいたのが嘘みたいだった。場をしらけさせるんじゃないかと怖がっていたのも、みんなの前で歌うことにおびえていたのも、今は少し遠く感じる。

 歌っている間、自分はちゃんとここにいて、ちゃんと息ができていた。

 曲が終わるたびに次のリクエストが飛び、みんなはすっかり“虹咲音羽のライブ”を楽しむ客席みたいになっている。

 その光景が、音羽には少しくすぐったくて、でもたまらなくうれしかった。

 最初に入れた曲のタイトルを、ふと思い出す。

 『私は最強』

 今の自分とは全然違うと思って、少し笑いそうになった曲。

 けれど、もしかしたら――ほんの少しだけ。

 歌っている間だけなら、自分もあの言葉に近づけるのかもしれない。

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