Palantirという怪物——商品・思想・人物から読む監視帝国の正体
はじめに
Palantir Technologies(パランティア・テクノロジーズ)という企業の名前を聞いたことがある人は、日本ではまだ少ないかもしれない。GAFAのように日常に溶け込んだサービスを提供しているわけではない。iPhoneのように手に取れる製品があるわけでもない。Palantirが売っているものは、目に見えない。しかしその「目に見えないもの」が、今この瞬間も、世界中で人間の生死を左右している。
この記事では、Palantirが何を売っているのか(商品)、どのようにして生まれたのか(成り立ち)、どのような知的伝統を裏切って作られたのか(思想)、そしてどのような人間たちが作ったのか(人物)を、順を追って描く。全てを読み終えたとき、「商品は設計者の人格を映す」という一文の意味が、身体に落ちるはずだ。
第一章 商品——Palantirは何を売っているのか
三つのプラットフォーム、そしてMaven
Palantirの製品は三つのプラットフォームから成る。
一つ目はGotham(ゴッサム)。2008年から運用されている、政府機関・軍・情報機関向けのデータ分析プラットフォーム。衛星画像、ドローン映像、通信傍受、人間の情報提供者からの報告、公開情報——あらゆる種類のデータを一つの画面に統合し、パターンを見出し、標的を特定する。アメリカの国防総省、CIA、FBI、NATO、そして後述するICE(移民税関捜査局)が主要な顧客。
二つ目はFoundry(ファウンドリー)。2016年から提供されている民間企業向けのデータ統合プラットフォーム。製薬会社、エネルギー企業、金融機関、製造業が顧客。フェラーリ、メルク、エアバス、BPなどが利用している。
三つ目はAIP(Artificial Intelligence Platform)。2023年に登場した最新製品で、大規模言語モデルを軍事的意思決定に統合するプラットフォーム。ドローン偵察や敵の通信妨害といった作戦を、AIが支援する。
そしてこれらを軍事領域で統合したのが、Maven Smart System(MSS)だ。今Xで話題になっているMavenはこれを指す。MSSを理解するには、その前身であるProject Mavenの経緯を知る必要がある。
Project Mavenは2017年にペンタゴンが立ち上げた軍のAI導入プロジェクトだ。ドローンや衛星からの膨大な映像をAIに解析させ、標的を自動検出する。当初はGoogleが参加していた。しかし2018年、Googleの社員たちが大規模な抗議を起こした。「自社のAI技術が殺人に使われる」ことに対する反発だった。ストライキの結果、Googleは撤退した。
Googleが「殺人には使えない」と言って去った場所に、Palantirが入った。
Palantirは自社のGothamプラットフォームとAIP(AIプラットフォーム)をProject Mavenに統合し、「Maven Smart System」として商品化した。GothamがProject Mavenのインフラになり、AIPが頭脳になった。Gothamが「データを集めて見せる」段階だったのに対して、MSSは「データを集めてAIが分析し、どの爆撃機とどの弾薬をどの標的に割り当てるべきかまで提案する」段階に進化したものだ。
MSSの拡大速度は異常だ。2025年時点で、Palantirによれば、MSSはINDOPACOM(インド太平洋軍)、EUCOM(欧州軍)、CENTCOM(中央軍)、NORAD/NORTHCOM(北方軍)、SPACECOM(宇宙軍)、TRANSCOM(輸送軍)、AFRICOM(アフリカ軍)、統合参謀本部で「本番運用レベル」に達している。SOCOM(特殊作戦軍)を除く全ての米統合軍司令部に展開済み。2025年3月にはNATOがMSSを採用し、NATO史上最速の調達の一つとされた。
そして2026年のイラン戦争。Mavenによって初日だけで1000以上の標的が攻撃された。将来的には1時間で1000以上の標的を攻撃可能にする計画だという。
つまりPalantirは、AI企業というよりも、AIと人間の間に立つ「翻訳者」であり、より正確に言えば、あらゆるデータを一つの画面に集約して「この人間を殺すか殺さないか」「この地域を爆撃するかしないか」の判断を効率化し、さらにはAIがその判断を提案するところまで自動化する装置を売っている企業だ。Googleの社員にすら耐えられなかった仕事を、Palantirは喜んで引き受け、商品化し、世界中の軍に売り込んでいる。
Anthropicの排除——「殺人に使うな」と言った企業の末路
ここで一つ、重要なエピソードを挟む。
Palantirのプラットフォーム上でMavenに組み込まれていたAIモデルの一つが、AnthropicのClaudeだった。2024年末、ClaudeはPalantirのAIプラットフォーム上でMavenに統合され、機密環境で稼働し始めた。
しかしAnthropicは二つのレッドラインを設定した。大規模な国内監視に使うな。完全自律型兵器に使うな。
ペンタゴンはこの条件を拒否した。2026年2月末、対立が決定的になり、国防長官ヘグセスがAnthropicを「サプライチェーンリスク」に指定。全連邦機関にAnthropicの技術の使用停止が命じられた。「人殺しの機械を作らない」と言った企業が、国家安全保障上のリスクとして排除されたのだ。
その数時間後、OpenAIがペンタゴンと契約を締結した。
このエピソードが意味することは明確だ。Palantirのプラットフォーム上で稼働するAIに倫理的制限をつけようとした企業は排除された。Palantirが求めているのは、無制限に使えるAI。標的選定に口を出さないAI。人間を殺す判断の効率化に異議を唱えないAI。Googleは2018年に自ら去った。Anthopicは2026年に追い出された。残ったのは、倫理的ブレーキのない企業だけだ。
ウクライナ——代理戦争の戦場を「実験室」にする
Palantirの技術が実戦でどう使われているかを鮮明に示すのが、ウクライナでの展開だ。しかしこの話をする前に、ウクライナ戦争の構造そのものを見る必要がある。
ソ連崩壊後、アメリカとNATOはロシアに対して「NATOを東方に拡大しない」という約束をした。しかしその約束は反故にされた。ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト三国、ルーマニア、ブルガリア——NATOは次々と東に拡大し、最終的にウクライナのNATO加盟が議論の俎上に載った。ロシアにとってこれは、自国の国境にNATOの軍事インフラが直接配置されることを意味する。ロシアの軍事行動を全面的に肯定するつもりはないが、この戦争の背景にアメリカとNATOの約束の反故がある事実は無視できない。
そしてウクライナ戦争の構造。アメリカはロシアと直接戦争したくない。核保有国同士の直接衝突は双方にとって壊滅的だからだ。しかしロシアを弱体化させたい。そこでウクライナに代理戦争をやらせる。「援助」の名目でアメリカの軍需産業が製造した武器をアメリカ国民の税金で購入し、ウクライナに与えて戦わせる。ウクライナの若い男たちが前線で死に、アメリカの軍需産業が潤い、ロシアが消耗する。ゼレンスキーはこの構造の中で、アメリカの意に沿って戦争を継続する役割を担っている。
Palantirはこの構造の中に入り込んだ。2022年6月、PalantirのCEOアレックス・カープはロシア侵攻後に西側大企業のCEOとして初めてキーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。以来、Palantirはウクライナ軍に「無償で」Gothamを提供している。各大隊にPalantirのソフトウェアエンジニアが一人ずつ埋め込まれ、衛星画像、ドローン映像、信号情報、同盟国からの機密情報を統合して標的を特定している。カープ自身が「Palantirのソフトウェアがウクライナにおける標的選定の大部分を担っている」と認めている。
「無償提供」という言葉に騙されてはいけない。TIMEの記事のタイトルそのものが「テック企業はウクライナをAI戦争の実験室にした」だった。ウクライナはPalantirにとって、実際の戦場でAI戦争システムを試験し、データを蓄積し、精度を向上させるための実験場だ。攻撃の結果はフィードバックされ、AIは学習し、次の標的選定の精度を上げる。一回の攻撃ごとにシステムが賢くなる。ウクライナの兵士と市民の血で技術を磨き、その「実戦で実証済み」の実績をもってNATOや他の国に売り込む。2026年1月にはウクライナ国防省とPalantirが「Brave1 Dataroom」というプラットフォームを立ち上げ、戦場のリアルタイムデータを使ってAIモデルを訓練する環境を構築した。将来的にはこのデータと技術を「同盟国と共有する」と公言されている。
つまり「無償提供」は善意ではなく投資だ。ウクライナ人の身体が実験材料であり、ウクライナの戦場が開発環境であり、そこで磨かれた技術が世界中に輸出される商品になる。
TIMEの記者がロンドンのPalantirオフィスを訪れた際の記述が、この構造を象徴している。記者は画面の前に立ち、衛星軌道から戦場を見下ろす視点を見せられた。AIが衛星画像とドローン映像と信号情報を統合し、ロシア軍の車両や部隊の移動パターンを検出し、最適な攻撃オプションを提示する。記者はこう書いた——「興奮もある。しかし謙虚さもある。行動は千マイルも下で起きている。戦闘の全ての勇気と苦しみがあまりにも遠くて、人間的な意味をほとんど失うほどに」。
「人間的な意味をほとんど失う」。ロンドンのオフィスの画面上では、爆撃される側の人間はデータポイントにすぎない。身体を持ち、家族を持ち、名前を持つ人間が、画面上ではドットになる。そのドットを消すかどうかを、千マイル離れたオフィスで判断する。代理戦争で死ぬ人間の身体的現実が、画面の上では蒸発する。Palantirのインターフェースは、殺す行為から身体的現実を剥ぎ取る装置だ。
そしてこの構造は、ウクライナだけで完結しない。ウクライナで実証された技術は、イランの空爆にも、メキシコ国境の移民追跡にも、そして——後に詳述するが——日本にも向かっている。
ICE——子供を親から引き剥がすソフトウェア
Palantirは2014年からICE(移民税関捜査局)に「ICM(Investigative Case Management)」というソフトウェアを納入している。Palantirは長年、「ICEの中でも犯罪捜査部門(HSI)とだけ仕事をしており、国外退去を担う部門(ERO)とは関わっていない」と主張してきた。
これは嘘だった。
2019年に公開された文書が、Palantirのソフトウェアが国外退去部門による親の逮捕と家族分離に直接使われていたことを暴露した。2017年の「同伴者のいない未成年の人身密輸撹乱イニシアチブ」という作戦では、Palantirのシステムが子供の親族を特定、追跡し、逮捕を可能にした。この作戦で443人が逮捕された。2019年のミシシッピ州の一斉摘発では、ICEが工場を急襲して労働者を大量逮捕し、両親が逮捕された後に二人の子供が8日間放置された事例が記録されている。
2025年、トランプ政権下でさらにエスカレートした。ICEはPalantirに3000万ドルで「ImmigrationOS」という次世代プラットフォームの開発を発注した。パスポート記録、社会保障番号、IRS(内国歳入庁)の税務データ、さらにはナンバープレート読取装置のデータまで、政府機関のあらゆるデータベースを横断的に検索し、移民を特定、追跡、国外退去させるシステム。しかもICEは「Palantirだけがこのシステムを開発できる唯一のソース」と公式に認定している。つまりPalantirなしにはアメリカの移民政策が回らない状態が、既に作られている。
ここにもう一つの情報を加える。トランプ政権の移民政策を設計した中心人物スティーブン・ミラーが、Palantirに相当額の株式を保有していることが報じられている。移民を追い出す政策を作る人間が、その政策を実行する技術企業に投資している。需要を自分で作り、供給側にも投資する。政策と利益が一体化した構造だ。
アムネスティ・インターナショナルは2020年にPalantirとICEの契約に関する報告書を発表し、Palantirの技術が「移民と庇護申請者に対する人権侵害を可能にしている」と結論づけた。Palantirの広報担当者は、具体的な質問への回答を拒否した。
ゲーム画面と殺人の連続性
Palantirのインターフェースには、意図的な設計思想がある。
軍事オペレーションのUI(ユーザーインターフェース)は、ゲーム画面に酷似している。これは偶然ではない。ゲームの画面で育った世代の兵士が、違和感なく操作できるように設計されている。幼少期からFPS(一人称シューティングゲーム)やRTS(リアルタイムストラテジー)で敵を「排除」する操作に慣れた手が、Palantirの画面でも同じように敵を「排除」する。画面上の操作は同じ。違うのは、Palantirの画面で「排除」のボタンを押したとき、千マイル先で実際の人間が死ぬということだけだ。
ゲームは殺人のシミュレーターではない——少なくとも、設計者はそのつもりで作っていない。しかしゲームの画面操作に慣れた身体が、同じ画面操作で実際の殺人を行うとき、殺人に対する心理的障壁は構造的に低下する。殺す相手が画面上のドットであれば、「人を殺している」という認識に自分の心が直面しなくて済む。心が直面しなければ、葛藤は生じない。葛藤が生じなければ、命令に服従できる。
Palantirの技術は、殺人を効率化するだけでなく、殺人の心理的コストを削減する装置でもある。
カープの言葉——「戦術核に相当する」
Palantir CEOアレックス・カープは自社の技術について、こう語っている。
「先進的なアルゴリズム戦争システムの力は今や非常に大きく、通常兵器しか持たない敵に対して戦術核兵器を持つのと同等だ」
自分の商品を「戦術核兵器」に喩える企業のCEO。この言葉は誇張ではなく、自社製品の破壊力に対する正直な認識だ。そして実際に、2026年のイラン戦争では初日に1000以上の標的を攻撃した。問題は、戦術核兵器を売る人間に、戦術核兵器を売る自覚と覚悟があるのかということだ。そしてその問いに答えるためには、この企業がどのようにして生まれたかを知る必要がある。
第二章 成り立ち——パランティーアの石はなぜ作られたか
名前の意味
Palantirという社名は、J.R.R.トールキンの『指輪物語』に登場する「パランティーア(palantíri)」——「遠くを見通す石」——に由来する。トールキンの物語の中で、パランティーアは遠隔地の出来事を見ることができる水晶球のような道具だ。
しかしトールキンの物語を知っている読者なら気づくだろう。パランティーアを使ったのは誰か。サウロン——物語の敵役——がパランティーアを通じて他者を監視し、操り、支配した。賢者サルマンはパランティーアを覗き込んでサウロンに支配され、堕落した。デネソール卿はパランティーアを通じて絶望に陥り、自殺した。トールキンの物語において、パランティーアは「善の道具」ではない。それを使う者を腐敗させ、支配する者に従属させる危険な道具として描かれている。
Palantirの創業者たちがこの含意に気づいていなかったはずはない。共同創業者のピーター・ティールは『指輪物語』を10回以上読み返したと公言している人物だ。自社の名前に「使う者を腐敗させる監視の道具」の名を選んだのは、自覚的な選択だったのか、それとも無自覚な自己暴露だったのか。
Palantirのオフィスにもトールキンの地名がつけられている。Palo Altoのオフィスは「The Shire(ホビット庄)」——物語の中で平和なホビットたちが暮らす牧歌的な村。McLean(CIAの本部があるバージニア州の街)のオフィスは「Rivendell(裂け谷)」——エルフの知恵の拠点。Washington D.C.のオフィスは「Minas Tirith(ミナス・ティリス)」——人間の王国の首都。全て「善の側」の拠点の名前だ。自分たちを善の側に位置づける物語化。しかしその善の側が売っているのは、サウロンの道具なのだ。
CIAの資金、9.11の文脈
Palantirは2003年に設立された。創業者は五人。ピーター・ティール、アレックス・カープ、ジョー・ロンズデール、スティーブン・コーエン、ネイサン・ゲティングス。
設立の背景には9.11同時多発テロがある。2001年のテロ後、アメリカの情報機関は「なぜテロを防げなかったか」を問われ、答えの一つが「データが分散していて統合できなかった」だった。FBI、CIA、NSA、国防総省がそれぞれ別のシステムでデータを管理していて、点と点を繋げなかった。Palantirは「分散したデータを一つのプラットフォームで統合する」技術として、この問題への解答として位置づけられた。
初期資金の出所が重要だ。CIAの傘下にあるベンチャーキャピタルIn-Q-Tel(インキューテル)がPalantirに投資した。CIAが公式に出資したスタートアップ。Palantirは最初から情報機関と一体化して設計された企業であり、民間企業の形態を取った国家の監視機能だ。
ティールの着想は、PayPalで開発した不正検出技術を国家安全保障に転用することだった。PayPalでは、大量の取引データの中から不正なパターンを検出するソフトウェアが使われていた。同じ技術を、大量の人間のデータの中から「テロリスト」のパターンを検出するソフトウェアに転用する。不正検出と人間検出。技術的には同じことだ。違うのは、PayPalで検出した不正には「取引の停止」が、Palantirで検出した人間には「逮捕」や「殺害」が続くということだ。
Googleが去り、Palantirが来た
Palantirの成長において決定的だった瞬間がある。2018年のProject Maven事件だ。
ペンタゴンが2017年にProject Mavenを立ち上げたとき、最初のパートナーはGoogleだった。しかしGoogleの社員たちが「自社のAI技術が殺人に使われる」ことに対して大規模な抗議を起こした。数千人の社員が署名し、ストライキを行い、Googleは最終的にProject Mavenから撤退した。
この撤退は、テック企業の倫理の分岐点だった。Googleの社員たちは「AIを殺人に使うことに加担したくない」と言った。Googleの経営陣はその声に応えた。
Palantirは喜んでその場所を引き受けた。Googleが「やらない」と言った仕事を、Palantirは自社の中核事業にした。そしてMaven Smart Systemとして商品化し、全ての米統合軍司令部に展開し、NATOに売り込み、ウクライナの戦場で実地試験を行った。
2026年にはAnthropicも同じ構造で排除された。「殺人に使うな」と言ったAnthropicが「サプライチェーンリスク」として追い出された。Googleは自ら去り、Anthopicは追い出された。残るのは、倫理的ブレーキのない企業だけだ。Palantirのプラットフォームから、殺人に異議を唱える声が一つずつ消えていく。
「テロとの戦い」から「あらゆる戦い」へ
9.11後の「テロとの戦い」は、Palantirの誕生の文脈であり正当化の根拠だった。しかしPalantirの技術は、その文脈をはるかに超えて拡大した。
テロリストの検出から、移民の追跡へ。移民の追跡から、戦場の標的選定へ。戦場の標的選定から、民間企業のデータ分析へ。そしてMaven Smart Systemによって、全ての統合軍司令部の作戦基盤へ。Palantirは「テロを防ぐ」という大義名分で生まれ、その大義名分を維持したまま、監視と暴力のインフラを世界中に拡大した。
2024年の売上は約29億ドル。顧客は政府機関だけでなく、製薬、エネルギー、金融、製造業に広がっている。2025年にはTIME誌がカープを「世界で最も影響力のある100人」に選出した。トランプ政権が発足して以来、Palantirが連邦政府から受注した契約額は9億ドルを超える。カープの個人資産は180億ドルに達した。
そして2026年1月、ベネズエラでのマドゥロ政権転覆作戦。共同創業者ロンズデールは「共産主義者は爆破すべき」という投稿をリポストし、「まさにそうだ。Palantirの創設が何のためだったと思っていた?」と書いた。
「テロとの戦い」のために作られた企業の共同創業者が、2026年に「共産主義者を爆破するために作った」と公言した。テロリストの定義は、共産主義者に、移民に、そしておそらく——カープの発言から推測すれば——高学歴の女性にまで拡大しうる。Palantirの技術は、標的を選ばない。標的を選ぶのは、技術を使う人間だ。そして技術を使う人間たちがどのような人物なのかを知るためには、まず、ある知的伝統の話をしなければならない。
第三章 フランクフルト学派とは何だったか——支配の解剖図、あるいは設計図
なぜここで哲学の話をするのか
Palantirの「商品」と「成り立ち」を見てきた。次に「人物」に入る前に、一つの知的伝統について話す必要がある。フランクフルト学派。
「なぜ監視企業の記事で哲学の話をするのか」と思うかもしれない。理由は単純だ。PalantirのCEOアレックス・カープは、この知的伝統の内部で10年近く学んだ人間だからだ。フランクフルト学派が何を目指していたかを知らなければ、カープが何を裏切ったかが見えない。そしてその裏切りの構造を理解しなければ、Palantirという企業がなぜこれほど洗練された形で暴力を正当化できるのかが見えない。
少し長くなるが、付き合ってほしい。この章を読み終えたとき、第四章の人物分析が全く異なる深度で見えるようになるはずだ。
始まり——ナチスの台頭と「なぜ人間は支配に従うのか」
フランクフルト学派は、1923年にドイツのフランクフルトに設立された「社会研究所」を拠点とする思想家たちの総称だ。マックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼ、エーリッヒ・フロム、ヴァルター・ベンヤミン、そして後の世代のユルゲン・ハーバーマスらがその中心にいた。
彼らの問いの出発点は、こうだ。
マルクスは「労働者はやがて資本主義の矛盾に気づき、立ち上がる」と予言した。しかし現実にはそうならなかった。20世紀のヨーロッパで労働者階級が立ち上がった先は、社会主義革命ではなく、ファシズムだった。ドイツの労働者はヒトラーを支持した。イタリアの労働者はムッソリーニを支持した。抑圧されている側の人間が、自分を抑圧する側の権力を自ら支持した。なぜか。
フランクフルト学派の仕事は、この「なぜ」を解明することだった。なぜ人間は支配に従うのか。なぜ人間は自分を抑圧するシステムを支持するのか。なぜ「啓蒙」——理性の光で迷信と暴力から解放される——はずだったヨーロッパ近代が、人類史上最大の暴力装置であるナチスを生んだのか。
フランクフルト学派の思想家の多くはユダヤ系であり、ナチスの台頭によってドイツを追われ、アメリカに亡命した。彼らの問いは学問的な知的好奇心からではなく、「自分たちを殺そうとしている社会がどのようにして作られたか」という、生存をかけた問いから出発している。
『啓蒙の弁証法』——解放は支配に転化する
フランクフルト学派の最も重要な著作の一つが、ホルクハイマーとアドルノが1947年に出版した『啓蒙の弁証法』だ。
「啓蒙」とは何か。ヨーロッパ近代を支えた思想——理性の力で自然を理解し、迷信から解放され、人間が自律的に生きる社会を作る。科学、民主主義、人権、法の支配——これらは全て啓蒙の産物とされている。西洋近代文明の根幹。
ホルクハイマーとアドルノは、この啓蒙そのものに罠があることを暴いた。
啓蒙は「理性で自然を支配する」ことから始まった。自然の法則を理解し、予測し、操作する。これが科学の基盤だ。しかし「理性で自然を支配する」思考回路は、やがて「理性で人間を支配する」思考回路に転化する。自然を操作対象として見る目が、人間を操作対象として見る目に変わる。工場の生産ラインで原料を効率的に加工するのと同じ論理で、人間を効率的に管理する。啓蒙が約束した「解放」が、「より洗練された支配」に転化した。これが「啓蒙の弁証法」——解放を目指す運動が、その内部の論理によって、新しい支配を生む逆説。
ナチスの強制収容所は、この逆説の極端な帰結だ。鉄道の時刻表を正確に管理し、人間を番号で分類し、殺害を工業的プロセスとして効率化した。これは「非理性的な狂気」ではない。むしろ理性の極致——徹底的に合理化された暴力。啓蒙理性が暴走した姿。
この分析が重要なのは、西洋近代文明を「善いもの」として前提にしない点にある。「民主主義は独裁より善い」「科学は迷信より善い」「西洋は非西洋より進んでいる」——こうした前提を、フランクフルト学派は根底から疑った。西洋近代文明そのものが、支配の装置を内蔵している。「自由」「民主主義」「理性」という言葉の下で、支配は続いている。むしろ、言葉が美しいからこそ支配が見えにくくなっている。
文化産業——同意を製造する装置
アドルノとホルクハイマーは、もう一つの重要な概念を提示した。「文化産業」だ。
なぜ人間は自分を抑圧するシステムを支持するのか。フランクフルト学派の一つの答えは「文化産業が同意を製造するから」だ。
映画、ラジオ、テレビ、音楽、広告——大衆文化は一見、娯楽であり自由な選択の産物に見える。しかしアドルノは、大衆文化が実際には工業製品と同じ論理で生産されていることを暴いた。映画のプロット、ポップソングの構造、テレビ番組のフォーマットは標準化されていて、消費者の感情反応を予測可能な形で設計している。「楽しい」「感動する」「スカッとする」——こうした感情は、文化産業によって製造され、消費者に供給される。そして消費者は、自分が「自由に楽しんでいる」と思いながら、実際には製造された感情を消費しているにすぎない。
これは現代で言えば、SNSのアルゴリズムが「あなたへのおすすめ」としてコンテンツを供給し、ユーザーが「自分で選んで見ている」と思いながら実際にはアルゴリズムに誘導されている構造と同じだ。アドルノが1940年代にラジオと映画を分析して暴いた構造を、今のSNSが大規模に再現している。
そしてこの「同意の製造」の最も重要な機能は、支配に対する抵抗を無力化することだ。一日の仕事で疲弊した人間がテレビの前で(あるいはスマホの前で)「楽しい」コンテンツを消費する。消費によって一時的に満足し、不満が麻痺する。明日もまた同じ一日が来る。文化産業は「麻酔」として機能し、社会の構造に対する疑問を生まれる前に消滅させる。日本のバラエティ番組がいじめの快楽化装置として機能し、視聴者を「笑い」で麻痺させているのも、アドルノが記述した構造のバリエーションだ。
『権威主義的パーソナリティ』——支配に従う人間はこう作られる
フランクフルト学派のもう一つの重要な業績が、アドルノらが1950年に発表した『権威主義的パーソナリティ』だ。
ファシズムを支えたのはヒトラーやムッソリーニだけではない。彼らに従った何百万もの「普通の人間」がいた。フランクフルト学派は「なぜ普通の人間がファシズムに従ったか」を心理学的に分析した。
権威主義的パーソナリティの特徴は、おおよそこうだ。権威に対する無批判な服従。自分より「下」と見なす集団への攻撃性。善悪の二元論——世界を「味方」と「敵」に分け、灰色の領域を認めない。あいまいさに耐えられない硬直性。「強いリーダー」への渇望。
アドルノらはこのパーソナリティが、特定の家庭環境——厳格で懲罰的な親、感情表現の抑圧、権威への絶対服従を求める教育——の中で形成されることを示した。しかし家庭だけではない。社会全体が権威主義的パーソナリティを製造する装置として機能しうる。メディア、教育、職場、宗教——これらの制度が一貫して「権威に従え」「敵を攻撃しろ」「疑うな」というメッセージを送るとき、権威主義的パーソナリティは社会的に量産される。
この研究が重要なのは、「ファシズムは特殊な悪人が引き起こすもの」ではなく、「ファシズムは普通の人間を特定の条件で形成すれば再現できるもの」であることを示した点だ。つまりこの研究は、ファシズムの「作り方」の解剖図でもある。ワクチンを作るためにウイルスの構造を解明するのと同じ論理で、ファシズムを防ぐために権威主義の構造を解明した。
しかしここに危険がある。ウイルスの構造を解明した知識は、ワクチンにも生物兵器にも使える。「権威主義的パーソナリティはこう形成される」という知識は、その形成を防ぐためにも、その形成を意図的に行うためにも使える。
ハーバーマス——対話による解放の可能性
フランクフルト学派の「第二世代」の中心人物がユルゲン・ハーバーマスだ。1929年生まれ、2026年に96歳で亡くなった。20世紀後半から21世紀にかけて最も影響力のある哲学者の一人。
アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』は、啓蒙理性が支配に転化する構造を暴いたが、そこから先の「ではどうすればいいのか」については、かなり悲観的だった。理性が支配を生む。文化産業が同意を製造する。権威主義的パーソナリティが量産される。出口はあるのか。
ハーバーマスは出口を模索した。彼の答えが「コミュニケーション的理性」と「公共圏」だ。
ハーバーマスは、理性には二つの種類があると区別した。一つは「道具的理性」——目的を達成するための手段を合理化する理性。自然を支配し、人間を管理し、効率を最大化する理性。アドルノが批判したのはこの道具的理性だ。もう一つが「コミュニケーション的理性」——対等な人間同士が対話し、互いの主張を検討し、合意に到達する理性。暴力や権力ではなく、言葉と対話による合意形成。
ハーバーマスは、コミュニケーション的理性が機能するための条件——「理想的発話状況」——を精密に描いた。全ての参加者が対等であること。暴力や脅迫がないこと。嘘や操作がないこと。誰もが自由に発言できること。こうした条件が満たされれば、対話を通じた真の合意が可能になる。
これは理想論に見えるかもしれない。そしてハーバーマス自身も、この条件が完全に満たされることは現実にはないと認めている。しかし重要なのは、この条件が「規範的基準」として機能すること。つまり「現実の対話がどれだけこの条件から逸脱しているか」を測る物差しとして使える。権力者が情報を独占していれば、それは理想的発話状況からの逸脱であり、その対話の結果は正統性を欠く。メディアが一方的に情報を流し、受け手に応答の機会がなければ、それは対話ではなく支配だ。
ハーバーマスの思想は、フランクフルト学派の悲観主義に対する応答だった。アドルノが「理性は支配を生む」と暴いたのに対して、ハーバーマスは「支配を生まない理性の形態がある」と応じた。それが暴力でも操作でもない、対等な対話による合意形成。
この思想がPalantirのCEOアレックス・カープとどう関わるか。カープは、ハーバーマスのもとで博士号を取ろうとした人間だ。コミュニケーション的理性——暴力ではなく対話による合意——を思想の核に据えた哲学者の弟子になろうとした。そして最終的に、暴力のインフラを売る企業のCEOになった。その道筋を次の章で辿る。
解剖図は設計図にもなる——フランクフルト学派の宿命的な逆説
この章を閉じる前に、一つの根本的な問題を指摘しておく。
フランクフルト学派は支配構造を暴露するための知的伝統だった。文化産業が同意を製造するメカニズム。権威主義的パーソナリティが形成されるメカニズム。啓蒙理性が支配に転化するメカニズム。これらを精密に分析することで、支配からの解放を目指した。
しかし解剖図は設計図にもなる。
「文化産業はこうして同意を製造する」という分析は、「同意をこうして製造すればいい」という設計図として読める。「権威主義的パーソナリティはこうして形成される」という分析は、「権威主義的パーソナリティをこうして形成すればいい」という製造マニュアルとして読める。「コミュニケーション的理性の条件はこれだ」という分析は、「この条件を破壊すれば対等な対話を不可能にできる」という破壊マニュアルとして読める。
フランクフルト学派のテクストを読んだ人間は、二つの方向に行ける。「だから支配に抵抗しなければ」という方向と、「なるほど、支配はこう設計すればいいのか」という方向。テクストそのものは、どちらの読みも排除できない。
この逆説が、次章の核心に直結する。フランクフルト学派で10年近く学んだ人間が、その知識を使って何をしたか。支配に抵抗したのか。支配を設計したのか。答えはPalantirの存在そのものが示している。
第四章 設計者たち——ティール、カープ、ロンズデール
三人の男
Palantirには五人の共同創業者がいる。しかしこの企業の性格を決定づけているのは三人だ。ピーター・ティール、アレックス・カープ、ジョー・ロンズデール。残る二人——スティーブン・コーエン(社長)とネイサン・ゲティングス(初期エンジニア)——は公的な発言が少なく、企業の「顔」としては機能していない。
この三人は、表面的には全く異なるタイプの人間に見える。ティールは右翼リバタリアンを公言する投資家。カープは「社会主義者」「進歩的」を自称するCEO。ロンズデールは保守系ベンチャーキャピタリストで、公開絞首刑を主張する男。政治的スペクトラムも、語彙も、自己提示の仕方も全く違う。
しかし三人がやっていることの方向は同じだ。軍事監視インフラの構築、民主主義の迂回、暴力の制度化。表面のトーンが異なるだけで、設計している建物は同じ。そしてその建物がPalantirだ。
一人ずつ見ていく。
ピーター・ティール——権力の建築家
形成期:移動、孤立、トールキン
1967年、西ドイツ・フランクフルト生まれ。父は化学エンジニア。1歳で渡米するが、父の仕事で南アフリカ、ナミビア(当時の南西アフリカ)を転々とし、10歳までに小学校を7回変わっている。
幼少期に7回の転校を経験した人間は、コミュニティに帰属することの不安定さを身体で知っている。どこに行っても「新参者」。ティールはこの経験から「どこにも属さないことを強みに変える」方向に進んだ。
少年時代にトールキンの『指輪物語』を10回以上読み返し、アイン・ランドの極端な個人主義に傾倒した。チェスで全米ランキング、数学で州大会優勝。知的競争における圧倒的な勝者としての自己認識。
スタンフォード:ジラールとシュトラウス
スタンフォード大学で哲学を専攻し、ルネ・ジラールに師事した。ジラールの模倣欲望理論——人間の欲望は本質的に模倣的であり、他者が欲するものを欲する。この模倣的欲望が競争を生み、競争が暴力に至る——は、ティールの知的基盤の核心を形成する。
しかしティールはジラールの理論を決定的に転換した。ジラールは模倣的欲望が暴力を生むメカニズムを暴露し、そこからの超克を目指した。ティールはそれを「だから競争を避けて独占を築け」という経営戦略に変換した。師の暴力批判を、独占の正当化に転用した。PayPal、Palantir、Facebookへの初期投資——全てが独占の構築。
もう一つの知的影響がレオ・シュトラウス。シュトラウスは古典テクストの「表面的な読み」と「隠された読み」を区別する読解法で知られる。偉大な哲学者は、検閲を避けるために、表面的には無害なテクストの中に少数の「理解できる読者」だけが解読できる隠された教えを埋め込んだ、とシュトラウスは主張した。ティールがシュトラウスから受け取ったのは、この「二層構造」の戦略——表面的には民主主義を支持しているように見せながら、実際には民主主義の外側で権力を構築する方法。
2009年にティールは「自由と民主主義は両立しない」と明言した。これは放言ではなく、シュトラウス的な「隠されたテクスト」を一瞬だけ表面に出した発言。ティールにとって民主主義は「大衆が愚かな判断をする制度」であり、自由を実現するためには民主主義を迂回する必要がある。
PayPalマフィアからPalantirへ
1998年にPayPalを共同創業。2002年にeBayに15億ドルで売却。PayPalの本当の意義は金ではなく、人的ネットワーク——「PayPalマフィア」——の形成にある。イーロン・マスク、リード・ホフマン、デイヴィッド・サックス(現トランプ政権)などが含まれる。フリードマンの門下生がチリ政府に配置されたシカゴボーイズの構造と同型。ティールの同僚たちがテック業界の要所に配置された。
2003年にPalantirを創業。CIAのIn-Q-Telから出資を受け、PayPalの不正検出技術を国家安全保障に転用した。2016年にはドナルド・トランプを支持し、J.D.ヴァンス(現副大統領)のメンターかつ最大の資金提供者となった。
ティールの全体像を一言で表すなら、「権力を意図的に設計する建築家」。ジラールから独占の論理を、シュトラウスから二層構造の戦略を、PayPalから人脈のネットワークを抽出し、Palantirで情報権力を制度化し、トランプとヴァンスで政治権力に接続した。全ての行動が計画的であり、全ての計画が権力の集中に向かっている。
アレックス・カープ——フランクフルト学派の裏切り者
形成期:異人種間家庭、ディスレクシア、アウトサイダー
1967年10月2日、ニューヨーク市生まれ。フィラデルフィアで育つ。父ロバートはユダヤ系の小児科医、母リアはアフリカ系アメリカ人のアーティスト。
1960年代後半から70年代のアメリカにおいて、ユダヤ系の白人男性と黒人女性の間に生まれた子供は、どちらのコミュニティにも完全には属さない。白人コミュニティからは黒人として見られ、黒人コミュニティからはユダヤ系の白人の息子として見られる。両親は公民権運動や労働権運動のデモに参加する政治的に活発な家庭だった。
幼少期からディスレクシア(読字障害)を抱え、文字を通常の形で処理できなかった。学校社会で居場所のない少年——知的には優秀だが、文字処理に障害があるから成績は安定しない、人種的に中間だからどのグループにも入れない。アメリカの学校文化において、このポジションは「弱者」だ。
ハヴァフォードからスタンフォード、そしてフランクフルトへ
ハヴァフォード・カレッジ(クエーカー系のリベラルアーツ・カレッジ、平和主義と社会正義の伝統が強い)で哲学の学士号。スタンフォード・ロースクールで法務博士号。ここでティールと出会い、ルームメイトになる。
その後、カープはドイツに渡る。ゲーテ大学フランクフルト——フランクフルト学派の本拠地、アドルノとホルクハイマーが教壇に立ち、ハーバーマスが現役で教えていた場所——で博士号を取得するために。
カープはハーバーマスに師事する目的でフランクフルトに行った。前章で述べた通り、ハーバーマスは「コミュニケーション的理性」——暴力や操作ではなく、対等な対話による合意形成——を思想の核に据えた哲学者だ。カープがこの哲学者の下で学ぼうとしたことの意味は重い。「権力によって歪められない公共的対話」の理念に、思想的基盤を置こうとした人間のはず。
しかしハーバーマスとの関係は途中で破綻した。何らかの「意見の相違」があったとされているが、詳細は公表されていない。最終的にカープの博士論文の指導教官は、フロイト精神分析を社会学に組み込む研究者カロラ・ブレーデに変わった。
博士論文——「攻撃性」の解剖図
カープの博士論文のタイトルは「生活世界における攻撃性——ジャーゴン、攻撃性、文化の関連性の記述によるパーソンズの攻撃性概念の拡張」。ドイツ語で書かれた。アドルノの『本来性という隠語』——ハイデガーの実存主義用語がいかにして文化的な欺瞞装置として機能するかを分析した著作——を参照し、言語(ジャーゴン)が攻撃性と文化を媒介するメカニズムを分析した論文だ。
つまりカープは「どのような言語的操作が、どのような攻撃的パーソナリティを、どのような文化的条件の中で産出するか」を研究した。前章で述べた『権威主義的パーソナリティ』の言語面からの精密化。攻撃性のメカニズムを精密に記述した人間は、攻撃性を精密に設計できる。
ハーバーマスはなぜカープを切ったか
ハーバーマスとカープの決裂の理由は公式には明かされていない。しかし構造的に推測することはできる。
博士論文の指導は数年にわたる密接な知的対話の過程だ。その過程の中で、カープの知的関心が「支配構造の暴露」ではなく「支配構造の応用」に向かっていることを、ハーバーマスが感知した可能性は高い。カープの研究テーマ——言語と攻撃性のメカニズム——は、そのメカニズムを暴露して抵抗するためにも、そのメカニズムを設計して利用するためにも使える。ハーバーマスが「この学生は自分の思想を兵器化する方向に行く」と見抜いたとすれば、決裂は必然だった。
そしてPalantirの存在が、この推測を裏付ける。カープがフランクフルトで学んだこと——文化産業が同意を製造するメカニズム、権威主義的パーソナリティが形成されるメカニズム、言語と攻撃性の媒介構造——は、Palantirの製品設計の中に影を落としている。ゲーム画面に酷似した軍事UIは、殺人の心理的障壁を除去する装置だ。権威主義的パーソナリティの特徴——権威への服従、あいまいさへの不耐性、善悪二元論——を操作者に人為的に誘導する設計。アドルノが「こういう人間が作られる」と警告したことを、カープの企業が「こういう人間をこう使う」に変換している。
「自称社会主義者」の正体
カープは自分を「社会主義者」「進歩的」と定義し続けている。2016年にはヒラリー・クリントンに投票した。「woke」を批判しつつも民主党支持者であることを長く公言していた。
しかしカープの「社会主義」とは何か。CIA出資の企業を経営し、ペンタゴンに監視プラットフォームを売り、ICEとの契約を擁護し、年間報酬が68億ドルに達し、ニューハンプシャーとマイアミに不動産を持つ。マルクスが構想した社会主義——生産手段の共有、搾取の廃止、労働者の自己解放——とは何の関係もない。
カープの「社会主義」は、ソ連や中国が「社会主義」を名乗ったのと同じ構造だ。「人民のため」と言いながら人民を支配する。語彙と実態が正反対。カープにとって「社会主義」とは「社会を設計する権利を自分が持っている」の同義語であり、その「設計」の内実はPalantirのプラットフォームによる監視と暴力の効率化だ。
弱者男性の逆恨み——「高学歴の女性の経済的権力を削ぐ」
2026年3月12日、カープはCNBCのインタビューでこう述べた。「この技術は、人文学系の教育を受けた——大部分が民主党支持の——有権者の経済的権力を弱め、職業訓練を受けた労働者階級の、多くの場合男性の有権者の経済的権力を強める」。
翻訳する。「うちの技術は、高学歴の女性の経済的権力を削ぎ、労働者階級の男性の経済的権力を増す」。
カープは「female voters(女性の有権者)」という語を使った。ジェンダーではなく性別。身体としての女性の経済的権力を、技術で削ぐ。そしてそれを肯定的な文脈で語った。
なぜカープ個人がこれを「やりたい」のか。カープの形成期を思い出してほしい。ディスレクシアで文字が読めない少年。異人種間家庭のアウトサイダー。学校社会で居場所のない「弱者」。その少年の目に、成績が良くて言語能力が高くて社会的にも適応できている女子はどう見えたか。「恵まれた側」に見えた。
この認識が成人後も残っているとすれば、カープにとって「高学歴の女性」は、少年時代の自分を見下していた(と感じた)側の延長線上にいる。「あいつらは恵まれていた。俺は文字も読めなかった。それなのにあいつらは今も権力を持っていて、俺たちのやることに口を出す」。
ネットで「女は恵まれている」「フェミは特権階級」と吠えている男たちの構造と同じだ。自分の苦しみの本当の原因——身体障害、人種差別的な社会構造——に向き合う代わりに、攻撃しやすい対象——高学歴の女性——に攻撃性を転移させる。アドルノが『権威主義的パーソナリティ』で分析した「アウトグループへの攻撃性の転移」そのもの。カープは自分が分析した心理メカニズムを、自分自身の中で無自覚に発動させている。
違いはスケールだけだ。ネットの弱者男性はキーボードで吠える。カープはデータ分析プラットフォームで吠える。前者の射程は個人への嫌がらせ。後者の射程は数十億人の女性の経済構造の再編。
しかも「高学歴の女性」は、Palantirのようなデータ監視企業にとって最も手強い批判者層でもある。データプライバシー、監視社会、軍事利用、倫理的懸念——これらの問題を言語化し、社会的に可視化し、政治的圧力に変換する能力を持つのが「高学歴の、人文学系の教育を受けた」人間だ。カープが「高学歴の女性の経済的権力を削ぐ」と言ったのは、自社への批判能力を持つ層の足場を崩す宣言でもある。
カープの本質——「倫理的外装」としての機能
カープの真の機能は何か。Palantirの技術を作っているのはカープではない。営業をしているのも、資金を出しているのも、本質的にはカープの機能ではない。ティールが資金を出し、エンジニアが技術を作り、軍が買う。
カープの機能は「倫理的カバー」の提供だ。ハーバーマスの弟子、フランクフルト学派で学んだ哲学者、自称社会主義者、ディスレクシアを克服した異人種間家庭の出身者。この経歴が、Palantirという監視企業に「倫理的な深み」の外観を与える。「こんなに教養のある、倫理に敏感な人物がCEOをしている企業なのだから、きっと倫理的な配慮がなされているはずだ」という推論を誘発する装置。
ティールがカープをCEOに選んだ理由はここにある。ティール自身がCEOだったら、「右翼の権力設計者が監視企業を運営している」と見える。カープを据えれば、同じ企業が全く異なる印象を与える。カープはPalantirの倫理的外装であり、ティールにとってのカバーストーリーだ。
ショーペンハウアーを引用し、瞑想を実践し、太極拳の剣をオフィスに飾り、ニューハンプシャーの小屋に住み、テレビを一切見ないと公言する「哲学者CEO」。その装飾の下に、CIA出資の監視プラットフォームを運営し、ICEの家族分離を可能にし、イランの空爆の標的選定を支援し、高学歴女性の経済的権力を削ぐと公言する人物がいる。
ジョー・ロンズデール——暴力の素顔
経歴:ティールの直系
1982年または1983年、カリフォルニア州フリーモント生まれ。アイルランド系カトリックの父とユダヤ系の母。スタンフォード大学でコンピュータサイエンスを専攻し、在学中にティールが創設した保守・リバタリアン系学生新聞Stanford Reviewの編集長を務めた。ティールの思想的直系。
スタンフォード在学中にPayPalでインターンを経験し、卒業後ティールのヘッジファンドClarium Capitalに入社。2004年にティール、カープ、コーエン、ゲティングスと共にPalantirを共同創業。2009年にPalantirの運営から離れ、ベンチャーキャピタル8VCを創業。
ロンズデールはティールとカープの間の「翻訳不要な接続」だ。ティールの思想をそのまま受け取り、哲学的装飾なしに実行する。カープが「社会主義者」の衣で包むものを、ロンズデールは裸で出す。
発言の記録
ロンズデールの公的発言を並べる。
2025年12月。公開絞首刑の復活を主張。「三度の暴力犯罪で有罪になった者を公開で絞首刑にすべきだ」と述べ、これを「男性的リーダーシップ」と呼んだ。「我々の社会には女性的なエネルギーが都市と法廷を動かしている」とも述べ、慈悲や寛容を「女性的」として否定した。
2026年1月。ベネズエラのマドゥロ捕獲後、「共産主義者は爆破すべき」という投稿をリポストし、「まさにそうだ。Palantirの創設が何のためだったと思っていた?」と書いた。
ハーバード大学共和党クラブでの講演では、アメリカ政府を「機能不全」と呼び、「woke思考ウイルス」が政府を「愚かにしている」と述べた。カマラ・ハリスを「マルクス主義的なアイデアに基づくwoke的なものを常に推進している」と批判した。
保守系シンクタンクCicero Instituteを創設し、University of Austin(UATX)を共同設立した。いずれも「反woke」「知的多様性」を掲げるが、実態はティールの思想ネットワークの制度化だ。
性的暴行の告発
2013年、ロンズデールの元交際相手エリス・クラファティが、スタンフォード大学に対してロンズデールによる性的暴行とハラスメントを報告した。クラファティはスタンフォードの学部生であり、ロンズデールは起業講座のメンターだった。二人の間には教える側と教わる側という権力の非対称性があった。
スタンフォードはメンターと学生の関係を禁止する規則に違反したとして、ロンズデールに10年間の学内メンター活動禁止処分を下した。
教える立場にある男が教え子に性的暴行を行う構造は、権力の非対称性を利用した暴力だ。そしてこの男が「男性的リーダーシップ」を叫び、公開絞首刑を主張し、「Palantirは共産主義者を爆破するために作った」と言う。自ら暴力を行使する人間が、暴力を制度化しようとしている。
ロンズデールの機能——カープの仮面の裏側
ロンズデールの発言は、カープの「進歩的社会主義者」の仮面を剥がしたとき、その下に何があるかを示している。
カープは「民主主義の防衛」「倫理的なデータ利用」「西側の価値観」と言う。ロンズデールは「共産主義者は爆破すべき」「公開絞首刑は男性的リーダーシップ」「woke思考ウイルスを排除しろ」と言う。語彙のトーンは全く異なるが、やっていることの方向は同じだ。カープの言葉を全てロンズデールの言葉に翻訳すると、Palantirの本質が見える。
「民主主義の防衛」→「俺たちに逆らう奴を排除する」。「倫理的なデータ利用」→「俺たちが使いたいように使う」。「西側の価値観」→「暴力の比較優位性を維持する」(これはカープ自身が著書で書いていることだ)。「高学歴の女性の経済的権力を削ぐ」→「俺たちに口出しする女を黙らせる」。
カープが哲学で包装するものを、ロンズデールは裸で叫ぶ。どちらが本音に近いかは、言うまでもない。
三者の比較——無知、意志、知りながらの加担
ここで、Palantirの三人と、以前分析したサム・アルトマン(OpenAI CEO)を含めた四人の構造を整理する。
アルトマンは承認欲求と金に駆動されている。歴史も哲学も持たない。自分が何をやっているかの射程が見えていない。無自覚のマキャベリスト。危険だが、危険の種類は「無知ゆえの暴走」。
ティールは政治哲学を持っている。ジラール、シュトラウス、ランドから独占の論理、二層構造の戦略、エリート支配の思想を構築した。自分が何をやっているかを完全に理解している。自覚的な権力設計者。危険の種類は「意志による支配」。
ロンズデールは哲学を持たない。ティールの思想をそのまま受け取り、哲学的装飾なしに実行する。「共産主義者は爆破すべき」「公開絞首刑は男性的リーダーシップ」。暴力への衝動が剥き出しだ。危険の種類は「暴力の素朴な肯定」。
カープは、四人の中で最も複雑で、最も不気味な存在だ。アドルノを読んでいる。ハーバーマスに師事しようとした。権力が言語を通じて作動するメカニズムを知的に理解している。空虚な語彙が暴力の正当化に使われるメカニズムをアドルノから学んでいる。にもかかわらず——あるいはそれゆえに——まさにそのメカニズムを行使している。
アルトマンが危険なのは無知ゆえ。ティールが危険なのは意志ゆえ。ロンズデールが危険なのは衝動ゆえ。カープが危険なのは知っていてやっているから。支配の構造を見る目を持ちながら、支配する側に立った。フランクフルト学派が「二度と起こしてはならない」と分析したものを、技術的に実装した。解剖図を設計図に転用した。
これが、「哲学者CEO」という装飾の下にある構造だ。そしてこの構造を持つ企業が、今、日本に来ている。
第五章 日本への浸透——「指揮権の売却」は始まっている
Palantir Technologies Japan
Palantirは既に日本にいる。
2019年11月、SOMPOホールディングスとPalantirの合弁会社「Palantir Technologies Japan株式会社」が東京都中央区に設立された。代表取締役CEOはSOMPOのグループCDO(最高デジタル責任者)だった中﨑宏。SOMPOは日本の保険業界最大手の一角であり、その傘下にSOMPOジャパン(損害保険)、SOMPOケア(介護事業)などを抱える巨大グループだ。
2020年から、SOMPOはPalantirのFoundryプラットフォームを日本全国の介護施設に導入した。高齢者の介護データ、患者の状態報告、行政への報告——これらのデータがPalantirのプラットフォームに流れ込む。日本の高齢者の身体データが、CIA出資の企業が作ったデータ分析基盤の上を通過している。
2023年には5000万ドル(約75億円)の契約拡大が発表された。SOMPOジャパンの保険営業担当1万人以上にFoundryが展開され、不正検出、保険金請求の審査、引受リスクの評価をAIが支援する体制が構築された。2025年にはさらに数年分の契約更新が行われ、8000人以上のSOMPO社員がPalantirのプラットフォームを日常業務で使用している。
SOMPOの奥村幹夫グループCEOは「Palantir Foundryは我々のビジネスの全セクターで重要性を増し続けている。このソフトウェアは効率性と収益性を高め続け、我々のビジネスの将来において主要な役割を果たす」と述べた。Palantir側のケヴィン・カワサキ(事業開発グローバル責任者)は「SOMPOでは8000人以上が日本でPalantirを積極的に利用している」と述べた。
ここで立ち止まって考えてほしい。SOMPOが「効率性と収益性」のために導入したプラットフォームは、同じ企業がアメリカではICEの移民追跡に使い、ウクライナでは標的選定に使い、イランでは空爆の支援に使っている、あのPalantirのプラットフォームだ。日本の介護施設の高齢者データと、イランの爆撃対象のデータが、同じ企業の同じ技術基盤の上にある。「民間利用」と「軍事利用」を分ける壁は、Palantirの内部には存在しない。同じFoundry、同じGotham、同じAIP。用途が違うだけで、データを集め、統合し、分析し、行動を提案する機能は同じだ。
ティールの日本訪問——「表敬」という名の指揮権の売却
PalantirのSOMPOとの合弁は、民間企業同士のビジネスパートナーシップに見える。しかしこれを、ティールの地政学的戦略の中に置いて見ると、景色が変わる。
ティールは繰り返し日本を訪れている。2024年には当時の高市早苗経済安全保障担当大臣と面会した。そして2026年3月5日——つい2週間前——、ティールは再び来日し、今度は総理大臣となった高市と官邸で会談した。約25分間。「日米の先端技術分野の現状及び展望等について意見交換を行った」と公式に発表され、高市自身がSNSに写真付きで公開した。外務省も「表敬訪問」として記録している。
「表敬訪問」。この語に欺かれてはいけない。一回きりの表敬訪問であれば、大臣時代に一度会えば十分だ。しかしティールは高市が大臣のときに会い、総理になったらまた会いに来た。人物ではなく肩書きを追っている——のではない。高市という個人を追っている。高市の肩書きが大臣から総理に上がったから、ティールのアクセスも大臣レベルから首相レベルに格上げされた。しかも高市はティールと会った2週間後の3月19日にワシントンのホワイトハウスを訪問する予定だった。ティール→高市→トランプ。ラインが一直線に繋がる。
ウクライナでカープがゼレンスキーに直接会いに行ったのと同じ構造が、日本で再現されている。違いは、ウクライナでは戦時中の緊急訪問として行われ、日本では「表敬訪問」として平時に粛々と行われていることだ。
Palantirが売っているのはソフトウェアだ。しかしそのソフトウェアが「意思決定を支援する」プラットフォームであるとき、それは単なる道具ではない。意思決定のプロセス自体がPalantirのプラットフォーム上で行われるようになれば、Palantirなしには意思決定ができなくなる。軍がPalantirのGothamに依存して標的を選定し、保険会社がFoundryに依存してリスクを評価し、行政がFoundryに依存してデータを管理する。依存が深まるほど、Palantirの影響力は増す。
ウクライナの事例を思い出してほしい。Palantirは各大隊にソフトウェアエンジニアを埋め込み、標的選定の大部分を担った。ウクライナ軍の意思決定はPalantirのプラットフォーム上で行われている。これは「支援」に見えるが、構造的には「指揮権の一部をPalantirに委譲している」ことに等しい。Palantirのプラットフォームが提示する攻撃オプションの中から選ぶとき、選択肢を設計しているのはPalantirだ。選択肢を設計する者は、選択を支配する。
日本に同じ構造が来ている。SOMPOの8000人の社員がPalantirのプラットフォーム上で日常業務を行う。現時点では保険と介護の分野だが、Palantir Technologies Japanは「日本の企業、政府機関、社会のDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進する」と明言している。「政府機関」が対象に含まれている。
日本の防衛省や自衛隊がPalantirのプラットフォームを導入したとき何が起きるか。ウクライナと同じだ。意思決定のプロセスがPalantirの上で行われる。データがPalantirのサーバーを通過する。選択肢をPalantirが設計する。「日本の防衛」のためのはずの意思決定が、アメリカの民間企業のプラットフォーム上で行われる。指揮権の売却。技術協力を装った命令権の移譲。
ウクライナとの違いは一つ。ウクライナの場合は「援助」の名目でアメリカ国民の税金が使われた。日本の場合は、日本国民の税金で買わされる。費用を自分で負担して、自国の指揮権を他国の民間企業に渡す。
「Real Data Platform」——日本社会のデータ基盤をPalantirが握る
SOMPOとPalantirが共同で構築しているのが「Real Data Platform(RDP)」だ。介護データ、保険データ、健康データを統合し、研究機関、政府機関、民間企業が共同で利用できるデータ基盤。「セキュリティ、健康、ウェルビーイングの向上」を掲げている。
美しい言葉だ。しかし冷静に見れば、これは日本の社会インフラのデータ基盤をPalantirが握るということ。介護施設のデータ、保険契約のデータ、健康データ——日本人の生活の根幹に関わるデータが、Palantirのプラットフォーム上に蓄積される。そしてPalantirのプラットフォームは、アメリカの国防総省、CIA、ICEが使っている同じ企業の同じ技術基盤の上にある。
日本のデータ保護法制が十分に機能するとしても——そして現状、十分に機能しているとは言い難いが——構造的な問題は残る。日本社会のデータ基盤を、アメリカの軍事・情報企業が握る。そのデータが直接アメリカ政府に渡るかどうかは法的に争える。しかし「日本社会がPalantirなしには意思決定できない状態」が作られることの危険は、データの流出とは別の次元にある。依存そのものが支配だ。
終章 商品は設計者を映す
全てを並べる
ここまで見てきたものを並べる。
商品——人間をデータポイントに還元し、画面上で殺すか殺さないかを判断する装置。移民の親子を引き剥がすソフトウェア。「戦術核兵器に相当する」と自社CEOが語るシステム。Googleが「殺人には使えない」と言って去り、Anthopicが「大量監視と自律兵器には使うな」と言って排除された後に残った、倫理的ブレーキのないプラットフォーム。
成り立ち——CIAの資金で生まれ、9.11を正当化の根拠とし、PayPalの不正検出技術を人間検出技術に転用し、「テロとの戦い」から移民の追跡、戦場の標的選定、民間企業のデータ分析、そして日本の介護施設にまで拡大した。自社の名前に「使う者を腐敗させる監視の道具」の名をつけ、オフィスに「善の側」の地名をつける自己物語化。
思想——フランクフルト学派は「なぜ人間は支配に従うのか」を解明し、支配からの解放を目指した。文化産業の同意製造、権威主義的パーソナリティの形成、啓蒙理性の支配への転化。しかし解剖図は設計図にもなる。
設計者たち——ティールは哲学を権力の設計に使う建築家。「自由と民主主義は両立しない」と言い、民主主義を意図的に迂回する。カープはフランクフルト学派で支配構造の解剖図を学び、それを設計図に転用した裏切り者。「社会主義者」を名乗りながら180億ドルの資産を持ち、「高学歴の女性の経済的権力を削ぐ」と公言する。ロンズデールは暴力の素顔。公開絞首刑を「男性的リーダーシップ」と呼び、教え子への性的暴行を告発され、「共産主義者は爆破すべき」「Palantirはそのために作った」と公言する。
三者の表面のトーンは全く異なる。哲学者、社会主義者、保守主義者。しかしやっていることの方向は同じだ。軍事監視インフラの構築、民主主義の迂回、暴力の制度化。そしてその暴力が、今、日本に来ている。
商品は設計者の人格を映す
Palantirのプラットフォームが人間をデータポイントに還元するのは、設計者たちが人間をデータポイントとして見ているから。ゲーム画面に酷似したUIが殺人の心理的障壁を除去するのは、設計者たち自身がその障壁を持っていないから。ロンズデールが「共産主義者は爆破すべき」と言えるのは、爆破される側の人間の身体が彼の認知の中に存在しないから。カープが「高学歴女性の経済的権力を削ぐ」と言えるのは、削がれる側の女性の生活が彼の認知の中に存在しないから。
商品は設計者を映し、設計者は商品を通じて自分の人格を世界に実装する。Palantirは五人の男の人格——他者を操作対象として見る、暴力への心理的障壁がない、権力の集中を正義として正当化する——を、世界規模のインフラとして実装した装置だ。
この装置が日本の介護施設にも、保険会社にも、やがてはおそらく防衛省にも入り込もうとしている。8000人のSOMPO社員が既に日常業務で使っている。「効率性と収益性」のために。
身体のない設計と、身体のある被害
Palantirの設計者たちに共通するのは、被害者の身体が認知の中に存在しないことだ。
ティールは幼少期に7回の転校を経験したが、暴力の被害者ではない。カープは異人種間家庭のアウトサイダーだったが、身体への直接的な暴力の記録はない。ロンズデールは暴力の告発を受けた側であり、被害者側ではない。三人とも、画面上のドットの向こうに生身の人間がいることを、身体で知らない。
身体で暴力を知らない人間が設計した装置が、身体を持つ人間を殺し、引き剥がし、追跡し、排除する。設計者の認知に存在しない身体が、設計者の製品によって破壊される。この非対称性が、Palantirという企業の根底にある。
人間の身体構造が支配社会を再生産する。身体の物理的非対称性が、あらゆる暴力構造の基盤となっている。そしてテクノロジーは、その非対称性を加速させる。カープが「高学歴の女性の経済的権力を削ぐ」と公言したとき、それは技術による身体的非対称性の強化の宣言だった。女性の身体を持つ人間の社会的防壁を、技術で削ぐ。防壁を失った身体はむき出しになる。
イランの女子小学校にトマホークが撃ち込まれたとき、そのデータはPalantirのプラットフォームを通過した可能性がある。ICEが工場を急襲して両親を逮捕し、二人の子供が8日間放置されたとき、親の所在を特定したのはPalantirのソフトウェアだ。カープは「戦術核兵器に相当する」と言った。その戦術核は、設計者の認知に存在しない身体を、設計者の認知に存在しない場所で、設計者の認知に存在しない方法で破壊する。
Palantirの商品を見れば、設計者が見える。設計者を見れば、商品が見える。そしてその商品が、今、日本に来ている。
こんな商品を作る人間たちが、まともなわけがない。
あとがき——「民主主義の民主が俺」
この記事をnoteに置いた日、2026年3月20日。偶然にも、記事が描いた構造がリアルタイムで作動していた。
3月5日、ピーター・ティールが来日し、高市早苗総理大臣と官邸で会談した。「日米の先端技術分野の現状及び展望について意見交換」したと、外務省が発表した。
3月19日——記事を置いた前日——、高市がワシントンのホワイトハウスを訪問し、トランプと会談した。イラン戦争への日本の支援が主要議題だった。ホルムズ海峡の安全確保のために、日本に500億ドル規模の金融的支援を求める構想が、トランプ陣営の元ホワイトハウス上級顧問から公開されていた。
会談の席でトランプは高市に向かって真珠湾を持ち出した。「サプライズについて日本より詳しい国はないだろう?」。1945年の東京大空襲で10万人の民間人を焼き殺し、広島と長崎に原爆を落としたことには一切触れず、真珠湾だけを持ち出して日本の総理大臣を辱めた。
高市は笑顔で受け流し、「世界中の平和を達成できるのはドナルド、あなただけだと私は固く信じている」と述べた。
ティール→高市→トランプ。ラインが一直線に繋がっている。3月5日にPalantirの設計者が日本の首相と会い、2週間後に日本の首相がアメリカの大統領に金融支援を提案しに行く。記事で描いた「指揮権の売却」が、技術だけでなく金の面でも進行している。
記事を書き終えた後、一つの言葉が浮かんだ。
カープが「民主主義を守る」と言うとき、ティールが「西側の価値観」と言うとき、トランプが「アメリカを再び偉大にする」と言うとき——彼らが使う「民主主義」の「民」は、国民全体を指していない。
民主主義の「民主」が「俺」なのだ。
「民主主義を守る」は「俺の支配を守る」。「西側の価値観の防衛」は「俺の側の暴力の維持」。「高学歴の女性の経済的権力を削ぐ」——これはもう置換する必要すらない。そのまま。
「民」の座を簒奪し、「民主主義」の語彙を維持したまま、民主主義の実質を空洞化させる。「女性」の語を維持したまま女性の定義を破壊するのと、同じ構造。外から壊すのではなく、内側から定義を乗っ取る。
Palantirはその簒奪を技術的に支援するインフラだ。誰が「民」で誰が「民」でないかを、データで選別する装置。プラットフォーム上で「標的」として選別された人間は、「民」から排除される。画面上のドットになり、消される。
記事の中で描いた問い——「商品は設計者の人格を映す」——をもう一段深く掘れば、こうなる。
Palantirの商品が映しているのは、設計者の人格だけではない。「民主主義」の語彙を使いながら「民」の座を簒奪する、この時代の権力構造そのものを映している。
その商品が、日本に来ている。8000人のSOMPO社員が日常業務で使い、ティールが日本の首相と会い、高市がアメリカの大統領に媚びて笑う。
こんな商品を作る人間たちが、まともなわけがない。そして、こんな商品を嬉々として受け入れる国の権力者も。
