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ユニクロ、結局また勝つんか

今日も違和感を見つけた。

不景気になるたび、ユニクロ強くなるやん。

そう思った。

もちろん、ユニクロはずっと強い。

今さら強いと言うまでもない。

ただ、景気が悪くなったり、物価が上がったり、生活に少し不安が増えたりするたびに、ユニクロの強さが別の形で見えてくる。

おしゃれだから買う。

流行っているから買う。

個性的だから買う。

そういう服とは少し違う。

ユニクロは、もっと生活に近い場所にいる。

失敗したくない。

損したくない。

でも、ちゃんとして見えたい。

安すぎて不安なものは嫌だ。

高すぎて後悔するものも嫌だ。

その間に、ユニクロがいる。

ここに違和感がある。

人は景気が悪くなると、なぜ個性より安心を買うのか。

ユニクロの数字は、普通に強い

まず、数字から見てもユニクロは強い。

ファーストリテイリングの2025年8月期決算では、連結売上収益は3兆4005億円。4年連続で過去最高業績だったと発表されている。

さらに、ユニクロ国内事業は売上収益1兆260億円となり、初めて年間売上1兆円を超えた。

ファーストリテイリング公式の決算資料では、ユニクロ国内事業について、既存店売上も伸び、国内で過去最高業績になったと説明されている。

さらにセグメント別で見ると、2025年8月期のユニクロ海外事業は売上収益1兆9102億円である。

つまり、ユニクロは日本だけで強いブランドではない。

国内でも強い。

海外でも強い。

日常着のグローバルブランドになっている。

https://www.fastretailing.com/eng/ir/financial/segment_5yrs.html

ここで面白いのは、ユニクロが単に安い服として勝っているわけではないことだ。

安いだけなら、もっと安い選択肢はある。

SHEINもある。

GUもある。

古着もある。

フリマアプリもある。

量販店もある。

それでもユニクロが選ばれる。

なぜか。

ユニクロは、安さだけではなく、失敗しにくさを売っているからである。

景気が悪い時、服は自己表現ではなくなる

服は自己表現だと言われる。

何を着るかは、自分がどう見られたいかである。

黒を着る。

古着を着る。

スーツを着る。

ブランドを着る。

ロゴを見せる。

ロゴを消す。

それらは、たしかに自己表現である。

私もこれまで、ファッションは自己分析に近いと書いてきた。

服を選ぶことは、似合う服を探すだけではなく、自分が何を信じ、何を拒み、どんな距離で世界と関わりたいのかを探る行為ではないか、という話である。

しかし、景気が悪くなると、服は自己表現である前に生活防衛になる。

これはかなり大きい。

人は余裕がある時、自分らしさを買える。

少し変な服も買える。

失敗するかもしれない服も買える。

高い服も買える。

一回しか着ないかもしれない服にもお金を出せる。

でも、生活に不安がある時、人は失敗を避ける。

この服、結局着なかったな。

サイズが微妙だったな。

合わせにくかったな。

洗濯が面倒だったな。

思ったより安っぽかったな。

そういう失敗を避けたくなる。

服は、自分を表現する道具であると同時に、失敗するとかなり面倒な消費でもある。

だから不景気になると、人は冒険より安心へ向かう。

個性はコストがかかる

個性的であることには、コストがかかる。

これはお金だけの話ではない。

時間もかかる。

知識もかかる。

失敗もかかる。

説明もかかる。

勇気もかかる。

変な服を着るには、ある程度の余裕が必要である。

似合わなかった時に笑える余裕。

周囲と違っても平気でいられる余裕。

失敗しても次を買える余裕。

その服をどう着るか考える時間。

手入れする体力。

自分の美意識を説明しなくても耐えられる精神。

個性は、無料ではない。

だから、生活が厳しくなると、人は個性より安心を選ぶ。

無難な服。

合わせやすい服。

洗いやすい服。

ちゃんとして見える服。

それなりに品質がある服。

価格に納得できる服。

つまりユニクロである。

ここでユニクロは、ただのベーシックブランドではなくなる。

個性を休ませる場所になる。

ユニクロは服の正解を売っている

ユニクロの強さは、服を売っていることではない。

服の正解を売っていることにある。

白Tならこれ。

ニットならこれ。

シャツならこれ。

パンツならこれ。

インナーならこれ。

ダウンならこれ。

ヒートテックならこれ。

エアリズムならこれ。

この正解感が強い。

もちろん、ファッションとして見れば面白くないと感じる人もいる。

尖ってはいない。

強い世界観があるわけでもない。

着るだけでその人の思想が見える服でもない。

しかし、日常生活ではそれが強い。

毎日、思想を着ていられる人は少ない。

朝、学校へ行く。

仕事へ行く。

スーパーへ行く。

移動する。

洗濯する。

暑い。

寒い。

疲れる。

時間がない。

そういう生活の中で、服に毎回強い意味を求めるのは重い。

だから、人は服の正解を欲しがる。

迷いたくない。

外したくない。

でも、雑には見られたくない。

その欲望に、ユニクロはものすごく強い。

価値を求める消費者

BoFとMcKinseyのState of Fashion 2025では、消費者がより価格に敏感になり、価値を求める行動を強めていることが整理されている。

BoFの記事では、2024年第3四半期に米国の買い物客の64%がトレードダウン、つまりより安い選択へ移る行動をしていたと紹介されている。また、可処分所得が増えた場合でも、70%以上がファッション購入において一部のトレードダウン行動を続けると答えている。

さらに、BoFとMcKinseyのState of Fashion 2026でも、ファッション業界は低成長や経済変動、消費者の価値志向に向き合っているとされている。消費者は価格上昇の中で価値を求め、企業側も効率化や価格設定、商品価値の再設計を迫られている。

https://www.mckinsey.com/industries/retail/our-insights/state-of-fashion?sid=8317436956

ここで言う価値とは、単に安いという意味ではない。

払った金額に対して納得できるか。

使う頻度があるか。

生活に馴染むか。

失敗しないか。

長く着られるか。

ちゃんとして見えるか。

こういう複数の条件がまとまって、価値になる。

ユニクロは、その価値設計がかなりうまい。

ユニクロは個性の敵ではない

ここでユニクロを個性の敵として描くのは違うと思う。

ユニクロを着るから個性がない、という話ではない。

むしろ、ユニクロは生活の土台として機能している。

全部を個性的にする必要はない。

毎日の服をすべて表現にする必要もない。

インナーまで思想で選ばなくてもいい。

靴下まで世界観にしなくてもいい。

生活の多くは、もっと地味で、もっと反復的で、もっと疲れる。

だから、土台は安定していていい。

ユニクロの服は、個性を消すというより、個性を出さなくても済む場所を作っている。

これはかなり大事である。

人は常に自分らしくいなければならないわけではない。

毎日、自己表現を求められるのはしんどい。

今日はもう何も考えたくない。

でも、変には見られたくない。

その時にユニクロがある。

この強さは、かなり人間的である。

服がインフラになる

以前、服は自己表現から気候適応装置へ変わるのか、という記事を書いた。

猛暑が進むほど、服はおしゃれ以前に身体を守る装置になるのではないか、という話である。

ユニクロの強さも、ここに近い。

ユニクロは、服をインフラにしている。

ヒートテック。

エアリズム。

ウルトラライトダウン。

感動パンツ。

ウォッシャブルニット。

ブラトップ。

こうした商品は、ファッションというより生活の設備に近い。

暑さを処理する。

寒さを処理する。

洗濯を楽にする。

身体の不快感を減らす。

職場や学校や街で浮かないようにする。

これは服であると同時に、生活インフラである。

電気や水道ほどではない。

しかし、現代の生活にかなり深く入り込んでいる。

だから、ユニクロは不景気に強い。

景気が悪い時、人は贅沢品を減らす。

でもインフラは減らしにくい。

ユニクロは、ファッションでありながら、生活インフラに近い場所を取っている。

ユニクロは静かな制服である

最近、私服の時代に、なぜ人はもう一度制服を作るのか、という記事を書いた。

自由に服を選べる時代ほど、人はなぜ同じ服を選ぶのかという話である。

ユニクロも、ある意味では静かな制服である。

学校から強制される制服ではない。

会社から指定される制服でもない。

自分で選んでいる。

でも、結果として多くの人が同じような服を着る。

白T。

黒パンツ。

グレーのスウェット。

ネイビーのニット。

ベージュのチノ。

ダウン。

シャツ。

見慣れた形。

安心する色。

説明のいらない服。

現代の制服は、外から強制されるものではなく、自分で選び取る安全圏である。

ユニクロは、その安全圏を大量に供給している。

これは怖い話でもある。

誰も同じ服を着ろとは言っていない。

でも、失敗しない服を選ぶと、結果的に似ていく。

自由に選んでいるのに、制服化していく。

ここに現代の服の面白さがある。

個性を買う時代から、安心を買う時代へ

景気が良い時、人は個性を買いやすい。

高い服。

変な服。

流行の服。

一回しか着ない服。

持っているだけで気分が上がる服。

自分を少し別の人間にしてくれる服。

でも景気が悪くなると、人は安心を買う。

使える服。

失敗しない服。

清潔に見える服。

長く着られる服。

合わせやすい服。

コスパの良い服。

ここでユニクロが強くなる。

個性より安心。

冒険より安定。

思想より生活。

この流れは、少し寂しい。

でも、かなり現実的でもある。

人間は、余裕がない時にずっと表現者ではいられない。

まず生活を守る。

そのうえで、余裕がある場所だけで個性を出す。

全身を尖らせるのではなく、靴だけ高くする。

メガネだけこだわる。

時計だけ選ぶ。

バッグだけ別にする。

この話は、一点豪華主義の記事にもつながる。

全部を豊かにできない時代、人は人生の核だけに異常投資する。

それ以外の部分は、ユニクロで整える。

これはかなり現代的な服の使い方だと思う。

ユニクロが勝つ時代に、ファッションは終わるのか

では、ユニクロが強くなるとファッションは終わるのか。

私はそうは思わない。

むしろ、ファッションは二極化する。

日常着はインフラになる。

機能。

価格。

安心。

洗いやすさ。

失敗しにくさ。

この領域では、ユニクロのようなブランドが強い。

一方で、ファッションは儀式化する。

特別な日に着る服。

自分の美意識を確認する服。

不便でも着たい服。

他人には分かりにくいが、自分には必要な服。

長く持ちたい服。

直してでも着たい服。

ここに、ファッションの濃さが残る。

毎日すべての服が自己表現である必要はない。

むしろ、日常がインフラ化するほど、特別な服の意味は濃くなる。

ユニクロが強くなることは、ファッションの死ではない。

生活着と思想の服が分かれていくということなのだと思う。

ユニクロは勝っている。でも全部ではない

ユニクロは強い。

数字でも強い。

生活の中でも強い。

不景気や不透明な時代には、さらに強く見える。

でも、ユニクロがすべてを回収するわけではない。

ユニクロでは満たせないものもある。

異物感。

偏愛。

不便さ。

狂気。

身体への違和感。

時間の痕跡。

ブランドの物語。

作り手の思想。

そういうものは、ユニクロの外側に残る。

だから、ユニクロを着ることと、ファッションを諦めることは同じではない。

ユニクロで生活を整えながら、別の場所で自分の美意識を持つ。

これはかなり現実的な態度である。

むしろ、今の時代にはその方が自然かもしれない。

全部をブランドで固める余裕はない。

全部を思想にする体力もない。

でも、全部を諦める必要もない。

土台はユニクロでいい。

その上に、自分の核だけを乗せればいい。

結論

不景気になるたび、ユニクロ強くなるやん。

最初はそう思った。

でも考えていくと、これはユニクロだけの話ではない。

景気が悪くなると、人は個性より安心を買う。

変な服で失敗したくない。

高い服で後悔したくない。

でも、ちゃんとして見えたい。

その全部を、ユニクロがちょうどよく受け止めている。

ユニクロは、個性の敵ではない。

生活の不安を受け止める服である。

服が自己表現ではなく、生活防衛になる瞬間がある。

その瞬間に、ユニクロは強い。

そしてたぶん、これからのファッションは二つに分かれていく。

日常着はインフラ化する。

ファッションは儀式化する。

毎日の服は安心へ向かう。

特別な服は意味へ向かう。

ユニクロが勝つことは、ファッションが終わることではない。

むしろ、服が生活と思想に分かれていくサインなのかもしれない。

Void Labについて

Void Labは、服に現れる時代の変化を観測する小さな研究室です。

ブランドはなぜ物語を売るのか。ラグジュアリーはなぜ生活へ広がるのか。流行はなぜ市場に回収されるのか。

週刊服飾観測・月刊服飾観測を中心に、ファッション、ブランド、消費、カルチャーの違和感を読み解きます。

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完成した答えより、まだ名前のない変化に興味がある人へ。

明日も違和感を書きます。

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