見出し画像

Gucci、ついに服じゃなくてF1になったんか

今日も違和感を見つけた

今日も違和感を見つけた。

Gucciが2027年からAlpine F1のタイトルパートナーになるというニュースを見た。

Gucci、ついに服じゃなくてF1になったんか。

最初は少し笑った。

でも、よく考えるとこれはかなり大きな変化に見える。

Formula 1公式は、Gucciが2027年からAlpineのタイトルパートナーになり、チームがGucci Racing Alpine Formula One Teamとして走る予定だと発表している。さらにGucciは、Gucci Racingを、ラグジュアリーとスポーツの交差点にある新しいビジネスと体験のプラットフォームとして位置づけている。

Reutersも、Gucciが2027年からAlpine F1チームのタイトルパートナーになると報じている。

https://www.reuters.com/sports/gucci-will-partner-with-alpine-formula-one-team-starting-2027-gucci-says-2026-05-27/

これは、単なるスポンサー契約ではないと思う。

Gucciが服を売るためにF1へ広告を出す、という話だけではない。

ラグジュアリーが、商品から体験へ、体験から熱狂へ移動している。

そんなサインに見える。

ラグジュアリーは商品で世界観を作ってきた

ラグジュアリーは長い間、商品で世界観を作ってきた。

服。

バッグ。

靴。

香水。

時計。

店舗。

広告ビジュアル。

ランウェイ。

ショー。

キャンペーン。

ロゴ。

素材。

縫製。

これらを通して、ブランドは自分たちの世界を作ってきた。

GucciならGucciの世界がある。

Louis VuittonならLouis Vuittonの世界がある。

ChanelならChanelの世界がある。

HermesならHermesの世界がある。

人はその商品を買うことで、その世界の一部に触れる。

バッグを持つ。

靴を履く。

香水をつける。

店舗へ行く。

ショーの映像を見る。

広告を眺める。

そうやってラグジュアリーは、商品を通して憧れを作ってきた。

つまり、ラグジュアリーはモノを売っていた。

でも、本当はモノだけを売っていたわけではない。

そのモノに付随する世界観を売っていた。

そのブランドを持つ自分。

そのブランドが似合う生活。

そのブランドの物語に触れている感覚。

ラグジュアリーとは、商品でありながら、商品を超えた世界観でもあった。

でも今、商品だけでは足りなくなっている

最近のラグジュアリーは、商品だけで完結しなくなっている。

スポーツ。

音楽。

ホテル。

レストラン。

アート。

映画。

イベント。

リゾート。

カフェ。

ライフスタイル。

ブランドは、物を売るだけではなく、人が集まる場所へ名前を置き始めている。

これはかなり重要な変化だと思う。

服を売るだけでは、ブランドの物語を支えきれなくなっている。

バッグを売るだけでは、顧客との関係が続きにくくなっている。

ロゴを見せるだけでは、熱狂が生まれにくくなっている。

だからブランドは、体験の場へ向かう。

人が集まる場所。

感情が動く場所。

勝敗がある場所。

物語が生まれる場所。

SNSで拡散される場所。

記憶に残る場所。

そこへブランドが入っていく。

F1は、その条件をかなり満たしている。

速度。

技術。

危険。

競争。

観客。

スポンサー。

国際性。

ドライバーの物語。

チームの物語。

シーズンを通した浮き沈み。

勝つこと。

負けること。

事故。

戦略。

熱狂。

そこにGucciが入る。

これは服を売るというより、速度と熱狂の中にブランドを置く行為である。

GucciとF1の違和感

GucciとF1には、少しズレがある。

そこが面白い。

Gucciは、ラグジュアリー、装飾性、イタリア、ファッション、歴史、欲望、アイコニックなイメージを持つ。

F1は、速度、精密さ、エンジニアリング、競争、テクノロジー、危険、国際スポーツのイメージを持つ。

一見すると違う世界である。

でも、その違いがむしろ強い。

F1は、ただのスポーツではない。

巨大なブランド装置である。

車体にはスポンサーが並ぶ。

ドライバーはスターになる。

チームにはファンがつく。

サーキットには都市や国家のイメージが重なる。

そこには、スポーツ、テクノロジー、富、スピード、国家、メディア、セレブリティが全部混ざっている。

ラグジュアリーにとって、これほど都合のいい舞台は少ない。

なぜなら、F1にはすでに熱狂があるからである。

Gucciは、ゼロから熱狂を作る必要がない。

すでにある熱狂の場へ、自分の名前を置く。

ここが大きい。

ラグジュアリーはなぜスポーツへ向かうのか

では、なぜラグジュアリーはスポーツへ向かうのか。

理由はおそらく、スポーツが物語の装置だからである。

スポーツには、勝敗がある。

シーズンがある。

チームがある。

スターがいる。

ライバルがいる。

挫折がある。

復活がある。

観客がいる。

応援がある。

グッズがある。

現地観戦がある。

映像配信がある。

SNSがある。

つまり、スポーツはすでに物語経済として完成している。

以前、「なぜ今、ブランドは商品ではなく物語を売るのか」で書いた。

人は商品だけを買っているのではない。

物語へ参加している。

推し活もそうである。

人はグッズだけを買っているのではない。

推しの時間、成長、関係、共同体へ参加している。

F1も近い。

ドライバーを推す。

チームを推す。

シーズンを追う。

勝敗に感情を動かす。

グッズを買う。

現地へ行く。

SNSで語る。

これは、ほとんど推し活の構造である。

Gucciは、そこへ入る。

つまりGucciは、服を売る前に、物語へ入ろうとしている。

ブランドは、熱狂の場に名前を置き始めた

これからのブランド競争は、商品競争だけではなくなる。

もちろん、商品は必要である。

服もバッグも靴も香水もなくならない。

でも、それだけでは記憶されにくくなっている。

商品は増えた。

ブランドも増えた。

広告も増えた。

SNS投稿も増えた。

世界観も増えた。

みんなが語る。

みんなが見せる。

みんながストーリーを作る。

その中で、商品単体で記憶に残ることは難しくなる。

だからブランドは、熱狂の場を探す。

どのスポーツへ入るか。

どの音楽シーンへ入るか。

どの都市へ入るか。

どの共同体へ入るか。

どのイベントに名前を置くか。

どの観客席に接続するか。

これが競争になる。

何を作るかだけではない。

どの熱狂に乗るか。

どの物語へ接続するか。

どの場面で見られるか。

どの感情と結びつくか。

ここがブランドの記憶を作る。

GucciがF1へ行くことは、その象徴に見える。

Quiet Luxuryの次に来るもの

少し前まで、ラグジュアリーの流れはQuiet Luxuryだった。

ロゴを消す。

説明を減らす。

静かに高級性を示す。

分かる人だけ分かる。

情報量を抑える。

これは、SNS時代の過剰な見せ方への反動だった。

情報が多すぎる時代に、静けさが高級に見えた。

以前、ミニマルモードについて書いた時にも、削ることの怖さについて考えた。

ミニマルとは、単に削ることではない。

削った後に、何を残すかを決める責任である。

Quiet Luxuryも同じだった。

ロゴを消した後に、何を残すのか。

素材か。

シルエットか。

余白か。

階級性か。

時間か。

しかし、Quiet Luxuryもまた市場化された。

分かる人だけ分かる、は、みんなが知る言葉になった。

静けさは、SNSで解説されるトレンドになった。

ロゴを消すことすら、分かりやすい記号になった。

では、その次は何か。

私は、静けさの次に起きているのは、熱狂への接続だと思う。

Quiet Luxuryは、静けさで差をつけた。

Gucci×F1は、熱狂で記憶されようとしている。

これはかなり対照的である。

静かに分かる人へ届けるのではなく、世界中の観客が見ている場所へ入る。

ロゴを消すのではなく、車体とチーム名に入る。

説明を減らすのではなく、レースという物語の中で何度も見られる。

ラグジュアリーは、静けさの後に、また熱狂へ向かっているのかもしれない。

ラグジュアリーの翻訳ともつながる

この流れは、最近のラグジュアリーの翻訳ともつながる。

Stella McCartneyはH&Mへ行く。

Victoria BeckhamはGapへ行く。

GallianoはZARAと組む。

その話では、ラグジュアリーは大衆化しているのではなく、自分たちの美学を翻訳しているのではないかと考えた。

ラグジュアリーの美学を、別の価格帯、別の市場、別の顧客へ変換する。

Gucci×F1も同じである。

ただし、今回は価格帯への翻訳ではない。

熱狂の場への翻訳である。

Gucciの美学を、服やバッグの中だけでなく、F1という速度と競争の場へ翻訳する。

これはかなり大きい。

ラグジュアリーは、もはや商品だけで自分を説明しない。

別のカルチャーへ入る。

別の観客へ入る。

別の熱狂へ入る。

そして、その場所で自分の名前を再解釈させる。

これが、これから増えると思う。

カルチャーは市場化される

ただし、ここには別の問題もある。

カルチャーは市場化される。

この話は、「カルチャーは、勝った瞬間に少し死ぬ」でも書いた。

パンク。

ヒップホップ。

ストリート。

オタク文化。

アニメ。

地下音楽。

古着。

タトゥー。

最初は外側にあったものが、広がると市場に接続される。

商品になる。

広告になる。

ブランドになる。

行政や制度にも接続する。

その瞬間、最初にあった違和感や危うさは少し薄まる。

スポーツも同じである。

F1はもともと商業的なスポーツであり、スポンサー文化とも深く結びついている。

だから、Gucciが入ること自体は不自然ではない。

むしろF1らしいとも言える。

しかし、ラグジュアリーがスポーツの熱狂へ入る時、その熱狂はさらに商品化される。

レースを見る。

チームを応援する。

ドライバーに感情移入する。

そこにGucciの名前が入る。

感情の動く場所へ、ブランドが入る。

これは強い。

でも同時に、少し怖い。

熱狂は、純粋な感情のようでいて、かなり簡単にブランドの場所になる。

人が集まるところに、ブランドは来る。

人が感情を動かすところに、ブランドは来る。

人が語るところに、ブランドは来る。

そう考えると、Gucci×F1はかなり現代的である。

服を売らないラグジュアリーの時代

ラグジュアリーは、服を売らなくなるわけではない。

でも、服だけでは足りなくなっている。

これからのラグジュアリーは、服を売るだけでなく、場を作る。

体験を作る。

熱狂へ入る。

コミュニティへ入る。

都市へ入る。

スポーツへ入る。

音楽へ入る。

ホテルやレストランへ入る。

つまり、ラグジュアリーは商品から環境へ広がっている。

以前、服が気候適応装置へ変わる話を書いた。

そこでは、服は自己表現だけではなく、気候や生活に適応する装置になっていくのではないかと考えた。

今回の話は、その逆側にある。

日常着が機能やインフラへ向かう一方で、ラグジュアリーは体験と熱狂へ向かう。

日常の服は、暑さや快適性や洗いやすさを求める。

ラグジュアリーは、物語や場や感情を求める。

この二極化は進むと思う。

日常着はインフラ化する。

ラグジュアリーは熱狂化する。

Gucci×F1は、その流れのかなり分かりやすいサインである。

これからのブランドは、どの熱狂に乗るかで記憶される

これからのブランドは、何を作るかだけではなく、どの熱狂に乗るかで記憶される。

これは、少し危うい。

なぜなら、ブランドが熱狂を探し始めると、あらゆるカルチャーがブランドの接続先になるからである。

スポーツ。

音楽。

アート。

ゲーム。

アニメ。

都市。

フェス。

学校。

コミュニティ。

地下文化。

ブランドは、そこに入ろうとする。

そして、うまく入れたブランドは記憶される。

ただ広告を出すのではなく、その熱狂の一部になる。

GucciがF1へ入ることは、この方向を示している。

服を作る。

広告を打つ。

店舗へ誘導する。

それだけではない。

F1という巨大な熱狂の中で、何度も名前が呼ばれ、映像に映り、SNSで語られ、グッズや体験へ広がる。

ブランドは商品ではなく、場に宿る。

これからは、そういう競争になるのかもしれない。

結論

GucciがF1へ行くことは、単なるスポンサー契約ではない。

ラグジュアリーが、商品から体験へ、体験から熱狂へ移動しているサインに見える。

これまでラグジュアリーは、服、バッグ、靴、香水、店舗、広告ビジュアルで世界観を作ってきた。

しかし今、ブランドは人が集まる熱狂の場へ名前を置き始めている。

F1にはすでに物語がある。

チームがある。

ドライバーがいる。

勝敗がある。

技術がある。

速度がある。

観客がいる。

国際性がある。

Gucciはそこへ入る。

商品を後から売るのではなく、物語の中に入る。

Quiet Luxuryは静けさだった。

ロゴを消し、説明を減らし、分かる人だけ分かる方向へ進んだ。

しかし、その静けさも市場化された。

次に起きているのは、静けさではなく、熱狂への接続かもしれない。

これからのブランドは、何を作るかだけではなく、どの熱狂に乗るかで記憶される。

服を売る時代が終わるわけではない。

ただ、服だけではブランドの物語を支えきれなくなっているのかもしれない。

Gucci、ついに服じゃなくてF1になったんか。

その軽い違和感の奥に、ラグジュアリーのかなり大きな移動が見えている。

Void Labについて

Void Labは、服に現れる時代の変化を観測する小さな研究室です。

ブランドはなぜ物語を売るのか。ラグジュアリーはなぜ生活へ広がるのか。流行はなぜ市場に回収されるのか。

週刊服飾観測・月刊服飾観測を中心に、ファッション、ブランド、消費、カルチャーの違和感を読み解きます。

月額980円で有料記事はすべて読み放題。掲示板では自由に話せます。

完成した答えより、まだ名前のない変化に興味がある人へ。

明日も違和感を書きます。

いいなと思ったら応援しよう!

Void 地下活動の燃料になります。いただいたチップは、生地代、糸代、絵の具代、画用紙代、制作や執筆のための活動費として大切に使わせていただきます。

この記事が参加している募集