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なぜ私たちは、作品より先に売上構造を語るのか

今日も違和感を見つけた。

ラグジュアリーブランドがF1や美術館や工芸へ向かっている話をしたら、多くの人は売上の話を始めた。

バッグが儲かる。
ライセンスが儲かる。
昔からブランドはそうやって文化を利用してきた。
結局は富裕層向けのビジネスだ。

たしかに、どれも間違っていない。

でも、そこで少し引っかかった。

私が見ていたのは、収益構造そのものではなかった。
ブランドが、ただ服やバッグを売る存在から、文化の編集者のように振る舞い始めていることだった。

以前、「私は、なぜ毎日書くのか。書かないと、観測が理解に変わらないからだ。」で、私はこう書いた。

「書くことで、観測が理解へ変わる。」

今回も同じだと思う。

売上構造を否定したいわけではない。
むしろ、それは見た方がいい。

でも、私がまず観測したかったのは、ブランドがどこで儲けているかではなく、なぜ今ブランドが文化の場所へ移動しているのかだった。

なぜ現代人は、文化の話をするとすぐにビジネスモデルを見ようとするのか。

ラグジュアリーは、もう服だけではない。

GucciはF1へ向かう。
Louis Vuittonは美術館へ向かう。
Pradaは工芸へ向かう。

それぞれの動きは、もちろんマーケティングでもある。
ブランド認知を広げるため。
顧客接点を増やすため。
商品以外の場所で欲望を作るため。

そう説明することはできる。

でも、それだけで終わらせると、何かを見落とす気がする。

いま起きているのは、単なる商品展開ではない。
ブランドが、文化の置き場所を作り始めている。

F1という速度と階級の文化。
美術館という記憶と権威の文化。
工芸という手仕事と時間の文化。

そこにラグジュアリーブランドが入っていく。

これは、ブランドが商品を売るだけでなく、「何を価値あるものとして見るべきか」を編集している現象ではないかと思う。

以前、「A' Design Award 受賞について」で、私はByakuyaの出発点についてこう書いた。

「問題は服の形や美しさではなく、所有の仕組みにある」

今回の話も近い。

ラグジュアリーの問題は、服やバッグの形だけではない。
それをどこで見せるのか。
どんな文化と接続するのか。
どんな場所に価値を置くのか。

ブランドは、商品だけではなく、価値の置き方そのものを設計している。

しかし、その話をすると、多くの人はすぐに裏側を見ようとする。

バッグが儲かるからでしょ。
ライセンスが儲かるからでしょ。
富裕層向けのブランディングでしょ。
昔からそうだったでしょ。

それは事実として正しい。

でも、私が気になったのは、その正しさの速さだった。

あまりにも早く、売上構造へ着地する。

作品を見る前に、
場所を見る前に、
表現を見る前に、
なぜそれが今選ばれているのかを考える前に、

まず「で、どこが儲かるの?」と見る。

この反応自体が、今の時代っぽいと思った。

今の私たちは、作品を見る前に裏側を見てしまう。

映画なら興行収入。
音楽なら再生回数。
ブランドなら売上構成。
YouTuberなら案件単価。
アーティストなら事務所やスポンサー。
学校なら偏差値と就職率。
街なら再開発と地価。

文化を味わう前に、まず構造を見ようとする。

もちろん、構造を見ることは大事だ。

何も知らずに夢だけを信じるのは危うい。
ブランドの物語に酔いすぎると、その裏にある労働や資本や排除を見落とすこともある。

だから、構造を見る目は必要だ。

でも、それだけになった時、文化は少し痩せていく。

映画を観る前に興行収入を見てしまう。
音楽を聴く前に再生回数を見てしまう。
服を見る前に粗利を考えてしまう。
ブランドを見る前に売上構成を確認してしまう。

すると、何かを素直に受け取る力が弱くなる。

これは、私たちが知的になったというより、物語を素直に信じられなくなった状態なのかもしれない。

夢を見る前に、夢の採算性を確認してしまう。
美しさを見る前に、その利益率を考えてしまう。
感動する前に、誰が得をしているのかを探してしまう。

それは賢さでもある。
でも同時に、防御でもある。

騙されたくない。
乗せられたくない。
消費者として利用されたくない。
ブランドの物語に簡単に飲み込まれたくない。

そういう警戒心が、私たちの中にある。

だから文化を見る時、まず裏側を見る。
夢を信じる前に、夢を作っている会社の決算を見る。
物語に入る前に、その物語の収益モデルを確認する。

でも、人がブランドに惹かれる理由は、それだけではない。

人は利益率に憧れているわけではない。
売上構成に感動しているわけでもない。
ライセンス収入を見て、美しいと思っているわけでもない。

人が惹かれているのは、そのブランドが見せる物語だ。

速さ。
歴史。
手仕事。
都市。
旅。
階級。
自由。
洗練。
反抗。
記憶。

そういう言葉になりきらないものを、ブランドは編集している。

だから、ラグジュアリーを語る時、売上構造だけを見ると半分しか見えない。

たしかに、文化は利益に利用される。
でも同時に、利益だけでは文化は動かない。

人がそこに意味を感じるから、文化になる。
誰かがそれを信じるから、ブランドになる。
ただ高いだけの商品が、物語を持った瞬間に、ラグジュアリーになる。

以前、「Void Labを始めます」で、私はこう書いた。

「単なる有料記事の置き場ではありません。」

今回の話も同じだ。

Void Labで扱いたいのは、正解としてのブランド論ではない。
「結局バッグが儲かるよね」で終わる話でもない。

なぜ私たちは、文化を見る前に売上構造を見てしまうのか。
なぜブランドの物語を信じたいのに、同時に疑ってしまうのか。
なぜ美しさや憧れを語ることが、少し恥ずかしくなっているのか。

そういう途中の違和感を考える場所にしたい。

この問いをもう少し深く考えたい人は、Void Labへ。

Void Labは、完成した答えではなく、途中の違和感を持ち寄る研究室です。

ブランドが文化を編集し始めた時代に、私たちはその文化をどう受け取るのか。

売上構造を知ることは重要だ。
ビジネスモデルを見ることも大事だ。
ブランドの裏側を疑うことも必要だ。

でも、それだけではなぜ人がそのブランドに惹かれるのかまでは説明できない。

文化は、利益だけではなく、信じられる物語によって動いている。

そして今の私たちは、その物語を信じたい気持ちと、信じたくない気持ちのあいだにいる。

だから、作品より先に売上構造を語ってしまうのかもしれない。

信じる前に、疑う。
感動する前に、分析する。
夢を見る前に、採算を確認する。

それは現代人の賢さであり、疲れでもある。

私は、ブランドの売上構造を無視したいわけではない。
むしろ、そこは見た方がいい。

でも、その構造を見たうえで、なお残るものがあるはずだ。

なぜそれが美しく見えるのか。
なぜその場所に行きたくなるのか。
なぜそのブランドの物語に、人はまだ惹かれるのか。

その問いを手放したくない。

Void Labは、服に現れる時代の変化を観測する小さな研究室です。

ブランドはなぜ物語を売るのか。ラグジュアリーはなぜ生活へ広がるのか。流行はなぜ市場に回収されるのか。

週刊服飾観測・月刊服飾観測を中心に、ファッション、ブランド、消費、カルチャーの違和感を読み解きます。

月額980円で有料記事はすべて読み放題。掲示板では自由に話せます。

完成した答えより、まだ名前のない変化に興味がある人へ。

ファッション、AI、カルチャー、生活、働き方。
完成した答えではなく、「これ、なんか気になるよね」という途中の感覚を持ち寄る場所です。

売上構造を否定するのではなく、
その構造を見たあとにまだ残る物語について考えたい。

明日も違和感を書きます。

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