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なぜアパレル産業の組織図は美しく見えないのか

今日も違和感を見つけた。

アパレルメーカーの組織図を見ていて、少し気持ち悪さが残った。


アパレルメーカーの組織図

もちろん、よくできている。

デザイナーがいる。

パターンメーカーがいる。

グレーダーがいる。

生産管理がいる。

工場がある。

検品がある。

物流がある。

販売がある。

一見すると、服が生まれて店頭へ届くまでの流れがきれいに整理されている。

産業としては合理的である。

むしろ、この流れがなければ服は大量に作れない。

サイズ展開もできない。

価格も抑えられない。

全国の店舗へ安定して届けることもできない。

だから、この組織図は間違っていない。

でも、美しくは見えなかった。

なぜか。

そこに、服を着る人の時間がほとんど存在しないからである。

1. 服を着る人が、最後にしか出てこない

一般的なアパレル産業の流れを見ると、中心にあるのは作る側である。

企画。

デザイン。

パターン。

グレーディング。

裁断。

縫製。

検品。

物流。

販売。

この流れの中で、服を着る人はかなり最後に登場する。

しかも、販売で終わる。

ここに強い違和感がある。

服は、販売された瞬間に完成したものとして扱われる。

商品としては、それでいい。

売れた。

在庫が減った。

売上になった。

顧客へ届いた。

企業のシステムとしては、そこで一区切りである。

しかし、服そのものから見れば、そこで終わるわけではない。

むしろ、そこから始まる。

着られる。

汗を吸う。

皺になる。

洗われる。

擦れる。

破れる。

直される。

似合わなくなる。

体型が変わる。

誰かに譲られる。

古着になる。

捨てられる。

あるいは、ずっと手元に残る。

服の人生は、販売後に始まる。

でも、アパレル産業の組織図には、その時間がほとんど描かれていない。

2. この構造は間違いではない

ここで大事なのは、アパレル企業の組織図を批判したいわけではないということだ。

あの構造は、かなり合理的である。

大量生産を成立させるためには、分業が必要である。

デザイナーだけでは服は量産できない。

パターンメーカーだけでも無理である。

グレーディングがなければ、サイズ展開できない。

工場がなければ、まとまった数量を作れない。

検品がなければ、品質を保てない。

物流がなければ、店舗へ届かない。

販売がなければ、生活者へ届かない。

この流れは、服を市場に流すための完成された仕組みである。

ユニクロもZARAも、この構造の上にある。

以前、ユニクロについて書いた。

ユニクロは、服を自己表現ではなく生活防衛のインフラとして成立させている。

その強さは、まさに産業構造の強さでもある。

安定して作る。

安定して届ける。

安定して売る。

失敗しにくい服を、手に取りやすい価格で供給する。

これは美しい。

ただし、それは産業としての美しさである。

作品としての美しさとは、少し違う。

3. 中心にあるのは、服ではなく流通である

一般的なアパレル企業の組織図を見ると、中心にあるのは衣服そのものではないように見える。

中心にあるのは、生産効率である。

もっと正確に言えば、服を大量に流通させるための構造である。

服を作る。

数を作る。

サイズを展開する。

品質を均一化する。

納期に間に合わせる。

店頭に並べる。

売る。

この一連の流れに最適化されている。

だから、服は人間の時間から切り離される。

商品番号になる。

SKUになる。

在庫になる。

サイズになる。

原価になる。

納期になる。

売上になる。

それは必要なことだ。

企業が服を扱う以上、服は管理されなければならない。

しかし、管理されるほど、服は生き物ではなくなる。

人が着るものというより、流通される単位になる。

ここで、服の中にあった時間が消える。

4. 組織図に存在しないもの

アパレル産業の組織図には、いくつか存在しないものがある。

時間。

所有。

修復。

経年変化。

記録。

愛着。

継承。

これらは、服にとってかなり重要な要素である。

しかし、産業の組織図では扱いにくい。

なぜなら、販売後の出来事だからである。

販売後、誰がどう着たのか。

何年着たのか。

どこが擦れたのか。

どこを直したのか。

どんな記憶と結びついたのか。

誰に譲られたのか。

古着としてどう流通したのか。

こうしたものは、企業の通常の生産フローには入りにくい。

しかし、服の意味はそこにある。

新品の服は、まだ時間を持っていない。

もちろん、新品の美しさはある。

素材の張り。

未使用の緊張感。

店頭に並んだ時の完成度。

それも価値である。

しかし、服が本当にその人のものになるのは、着られてからである。

身体の癖を吸う。

生活の匂いを持つ。

時間の跡が残る。

服は、販売後にその人の時間へ入っていく。

組織図は、そこを描けていない。

だから美しく見えなかったのだと思う。

5. パターンメーカーの役割への違和感

もう一つ気になったのは、パターンメーカーの役割である。

一般的なパターンメーキングは、人体へ服を最適化する作業である。

身体に合うようにする。

動きやすくする。

量産しやすくする。

サイズ展開できるようにする。

縫製しやすくする。

美しいシルエットを作る。

これは極めて重要である。

服は身体に触れる。

身体を無視して服は作れない。

平面の布を、立体の身体へ合わせる。

この技術は本当にすごい。

だから、パターンを軽視したいわけではない。

むしろ学ぶほど、パターンの重要性は分かる。

しかし同時に、少し疑問もある。

服は本当に人体へ従うべきなのか。

この問いである。

人体に最適化された服は、着やすい。

動きやすい。

売りやすい。

量産しやすい。

でも、作品としての服は、必ずしも人体に従順である必要があるのか。

身体に合うことだけが、服の正しさなのか。

服が身体に違和感を与えること。

身体の輪郭をずらすこと。

動きを制限すること。

姿勢を変えること。

身体と距離を作ること。

そういう服も存在する。

そこには、産業としての合理性とは別の美しさがある。

6. 産業の服と作品の服

ここで、産業としての服と、作品としての服が分かれる。

産業としての服は、販売される必要がある。

着やすい必要がある。

サイズ展開できる必要がある。

縫いやすい必要がある。

価格が成立する必要がある。

返品されにくい必要がある。

量産できる必要がある。

この視点では、組織図は非常に合理的である。

デザイナー。

パターンメーカー。

グレーダー。

工場。

検品。

販売。

この流れは、服を商品として社会に届けるためには必要である。

しかし、作品としての服は少し違う。

作品は、販売で終わらない。

所有される。

摩耗する。

修復される。

記録される。

誰かの記憶と結びつく。

時には、次の人へ渡る。

そこに時間が存在する。

作品としての服には、販売後の時間が含まれる。

むしろ、その時間によって完成していく部分がある。

新品の時点で完成しているように見えても、着られることで別の意味を持つ。

皺が入る。

色が抜ける。

穴があく。

直される。

身体に馴染む。

それは劣化であると同時に、服が時間を通過した証拠でもある。

7. 服は販売後に消えてはいけない

現在のアパレル企業の組織図は、販売までを中心に設計されている。

これは当然である。

企業の売上は販売で発生する。

だから販売までの工程が可視化される。

しかし、服を本当に考えるなら、販売後も設計の対象に入れるべきではないかと思う。

修理。

記録。

二次流通。

所有履歴。

経年変化。

メンテナンス。

手放し方。

継承。

これらが、服の設計に入ってきてもいい。

もちろん、すべての服に必要なわけではない。

インナーや日常着まで、すべて所有履歴を持つべきだとは思わない。

ユニクロのような生活インフラとしての服には、別の役割がある。

しかし、作品としての服。

ブランドとして思想を持つ服。

長く残したい服。

所有そのものを問い直したい服。

そういう服には、販売後の時間が必要である。

服は、売ったら終わりではない。

むしろ、売った後にどう存在するかが、ブランドの思想になる。

8. Byakuyaと所有の時間

この問いは、Byakuyaにも接続する。

Byakuyaは、服や物の所有を、購入の瞬間だけではなく、時間の中で積み重なる参加として捉え直すために考えている仕組みである。

誰が買い、使い、修理し、手放し、受け継いだのか。

その履歴や痕跡を、価値の一部として扱えないかという問いから始まっている。

一般的なアパレル産業の組織図では、服は販売後にシステムから消える。

しかしByakuya的に考えるなら、販売後こそが始まりである。

Creation。

Purchase。

Patina。

Witness。

作る人。

買う人。

使う人。

修理する人。

見届ける人。

それらを、服の時間として扱う。

この発想は、従来のアパレル組織図とはかなり違う。

従来の組織図では、服は販売される商品である。

Byakuya的な組織図では、服は時間を通過する存在である。

ここに大きな違いがある。

9. TOAとして考えたいこと

TOAを考える時にも、この違和感は大きい。

単に服を作るブランドにしたいわけではない。

服がどう時間を持つのか。

どう所有されるのか。

どう修復されるのか。

どう記録されるのか。

どう次の人へ渡るのか。

そこまで含めて考えたい。

もちろん、最初からすべてを実装できるわけではない。

服を作る技術も必要である。

素材も必要である。

パターンも必要である。

縫製も必要である。

販売も必要である。

産業の基本を無視して、理想だけで服は作れない。

しかし、産業の組織図だけを正解にしてしまうと、服の販売後の人生が抜け落ちる。

TOAで考えたいのは、その抜け落ちた時間である。

服が売れた後。

誰かの身体に触れた後。

摩耗した後。

修理された後。

手放された後。

その時間を、どうブランドの中に戻すか。

ここに、自分が考えている服の核心がある気がしている。

10. 未来の服飾設計

もし未来の服飾設計があるとすれば、それは販売以前だけではなく、販売以後の時間を中心に再構成される可能性がある。

これまでの服飾設計は、販売前に集中していた。

企画。

デザイン。

パターン。

グレーディング。

生産。

検品。

販売。

そこまでは非常に整っている。

しかし、これからは販売後も設計に入る。

どう着られるか。

どう劣化するか。

どう修理されるか。

どう記録されるか。

どう二次流通するか。

どう所有の痕跡が残るか。

どう次の人へ渡るか。

この視点が入ると、服の設計は変わる。

素材選びも変わる。

縫製仕様も変わる。

パターンの考え方も変わる。

販売方法も変わる。

ブランドと顧客の関係も変わる。

服は単なる商品ではなく、時間の中で変化する媒体になる。

11. 結論

アパレル産業の組織図は、美しくないわけではない。

産業としては美しい。

大量生産を成立させるための合理性がある。

服を安定して作り、届け、売るための構造としては非常によくできている。

しかし、作品としての服を見ると、そこには欠けているものがある。

時間。

所有。

修復。

経年変化。

記録。

愛着。

継承。

服は販売された瞬間に終わるのではない。

むしろ、販売後に始まる。

だから、現在のアパレル企業の組織図は、服を作る組織図というより、服を販売する組織図なのだと思う。

服の中心は、本当に生産なのか。

それとも、所有されてから始まる時間なのか。

この問いは、服飾学校で学ぶ産業としての服と、自分が考えている時間の中の服の違いをかなりはっきり見せてくれる。

服を作ること。

服を売ること。

服を着ること。

服を直すこと。

服を受け継ぐこと。

それらは、本来ひとつの時間の中にある。

でも産業の組織図では、販売で線が切れている。

その線の向こう側を、もう一度服の設計に戻したい。

たぶん、自分がByakuyaやTOAで考えているのは、そのことなのだと思う。

Void Labについて

Void Labでは、こうしたファッション、所有、時間、ブランド、制作の違和感を、記事で終わらせず、ラボメン同士でDiscordでも議論している。

服は販売で終わるのか。

それとも、所有されてから始まるのか。

産業としての服と、時間の中の服はどう違うのか。

こういう問いを一緒に考えたい人へ。

Void Labはこちら。

明日も違和感を書きます。

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