「お前はINFPだから仕事できない」と決めつける奴、全員バカです。
近頃、世の中は二種類の人間に分かれているらしい。
MBTI診断をやったことがある人間と、まだやっていない人間だ。
何を隠そう、あたしゃ最近まで後者だった。
しかし、私の知り合いに、それはもう見事なまでの「MBTI信者」がおりましてね。
彼女と話していると、どうにもこうにも、その話題を避けては通れないのだ。

「あ、それって君がISFJだからじゃない?」
「この仕事、ENTPの〇〇さんにお願いしたほうがスムーズかも」
会話の節々に、呪文のようなアルファベット四文字が挟み込まれる。
まるで、血液型占いが大流行した時代の女子高生さながらの熱っぽさである。
最初は「へえ、そんなのが流行っているのか」と生温かく見守っていたのだが、ある日、彼女は私にこう言い放った。
「君は努力家だよね。やっぱりISTJは真面目で責任感が強いからなあ」
ありがたいような、ありがたくないような。
いや、褒められているのだから、ありがたいのだろう。
しかし、私の心の中では、小さな私が地団駄を踏んでいた。
「違う!違うんだ!私がこの仕事をやり遂げられたのは、寝る間も惜しんで資料を読み込み、徹夜でパワポを修正し、胃に穴が開きそうな思いでプレゼンの練習をしたからなんだ!私の血と汗と涙の結晶を、得体の知れないアルファベット四文字で片付けないでおくれ!」と。

この一件以来、私は決意した。
世間を席巻するこの「MBTI」というものの正体を、きちんと見極めてやろう、と。
そもそも、MBTIとはなんぞや。

小難しく言えば、スイスの心理学者ユングの理論を元にした自己申告型の性格診断テスト、ということらしい。
興味の方向(外向E/内向I)
ものの見方(感覚S/直観N)
判断の仕方(思考T/感情F)
外界への接し方(判断J/知覚P)
この4つの指標の組み合わせで、人間を16タイプに分類するのだという。
ふむ。なるほど。
自分の心の「利き腕」や「癖」を知る、一種の自己分析ツール。
そう聞けば、なんだか便利そうじゃないか。
事実、これだけ流行ったのには、明確な理由がある。
まず、私たちは「自分は何者なのか」を知りたい生き物だ。
「あなたは論理学者タイプ(INTP)です」と言われれば、なんだか自分が特別な存在に思えてくる。
これは、マズローの言う「承認欲求」がくすぐられる、実に心地よい体験なのだ。
それに、「私は〇〇タイプです」と名乗ることは、複雑な自分を説明する手間を省いてくれる、便利な自己紹介ツールにもなる。
「あなたは何タイプ?」という会話は、初対面の人との距離を縮める潤滑油としても機能するだろう。
コロナ禍で自分と向き合う時間が増えたことも、この自己探求ブームに拍車をかけたに違いない。

だが、しかし。である。
あたしゃ、どうしても言いたいことがある。
たった16タイプで、この地球上にいる80億人もの人間を、本当に分類できるというのかね。
マーケティングの世界では、ペルソナ設定といってターゲット顧客を類型化することがある。
何かものを売るときのフックとして、MBTI診断を用いるのは、確かに有効なのだろう。
しかし、私個人の感覚から言わせてもらえば、これは朝のニュース番組でやっている「今日の星座占い」と、さして変わらないように思えるのだ。

「今日のうお座は運気最高!ラッキーアイテムは黄色いハンカチ!」
そう言われて、本当に黄色いハンカチを握りしめて一日を過ごす人がどれだけいるだろうか。
それと同じレベルで、「あなたは〇〇タイプだから」という言葉を受け流すくらいの距離感が、本来はちょうどいいのではないか。
いや、むしろ星座占いのほうが、まだマシかもしれない。
あちらは一応、何万光年も彼方にある星々の配置がどうとか、壮大な宇宙の法則を根拠にしている(らしい)。
それに比べてMBTIは、いくつかの質問に自分でポチポチ答えただけじゃないか。
その日の気分で、結果が変わることだってあるだろうに。
私が本当に懸念しているのは、ここからだ。
それは「自分につけるレッテル」の恐ろしさである。
「私は内向型(I)だから、大勢の前で話すのは苦手だ」。
そう思い込んでしまったら、本当はできたはずのプレゼンの機会を、自ら手放してしまうかもしれない。
「私は知覚型(P)だから、計画を立てるのが下手なんだ」。
そう自分に言い聞かせれば、締め切りギリギリの行動を「仕方ない」と正当化する言い訳になってしまう。

これは、他者からの決めつけも同様だ。
「あいつはINFPだから、繊細で傷つきやすい」。
そんなレッテルを貼られた人間は、無意識のうちに「繊細で傷つきやすい人間」として振る舞ってしまうかもしれないのだ。
あなたの想像以上に、ラベリングの効果は大きい。
それは、可能性の芽を摘む呪いにもなり得る。
結論。
MBTIは、自分を知るための「きっかけ」としては、とても面白いツールだ。
地図を持たずに人生の荒野をさまようよりは、一枚の古びた参考書があったほうが、いくらか心強いだろう。
だが、それを自分の「取扱説明書」や「すべて」だと思い込んではいけない。
あなたは、たった四文字のアルファベットに収まるほど、単純な存在ではないのだから。
あなたの努力も、涙も、気まぐれも、矛盾も、すべて含めて、あなたなのだ。
だから、もし誰かが「お前は〇〇だから」と決めつけてきたら、心の中でこう言ってやればいい。
「うるせえ、あたしゃあたしだよ」と。

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