ストロベリーフィールド:第六幕 グリーングラスの戦い
《七色の蝶が天に繋がり虹に変わる時、金色に輝く天空より龍(Ryu)が舞い降りる》
ハンナがこの村に来てすぐ、村の子供たちから教えてもらったこの唄は、伝説をもとにした内容だと、村の精霊使いのパトラからハンナは聞かされていた。
村のお祭りの時、子供たちは輪になってこの歌を歌い、その輪を大きくしたり小さくしたりして回転しながら踊る。最後には両手を高く上げ天を仰ぐポーズをするのだが、ハンナが何度唄っても、踊っても、共に舞い踊っている七色の蝶たちは一向に虹には変わらなかった。
ハンナは《龍》というものの実物も見たことは無かったが、姿形はなんとなく知っていた。
ずいぶん前に村の図書館でその刺繍絵を見かけたのだ。
村の図書館の入り口、入ってすぐ左手に曲がったところの壁には大きなタペストリーが掛けてあった。赤い土台の布地が金の糸で縁取られていて、その布には全体的に細かな刺繍が無数に施されていた。ずっしりと重そうな布だ。
その大きさはハンナの家にある一番大きな出窓の大きさよりもずっと大きく、中央には二匹の蛇のような生き物が描かれている。その生き物は互いに背中合わせの状態で、右の金色の生き物は、その口から赤い炎を、左の銀色の生き物は青い炎を吐いていた。
右の生き物の背中には、身体よりも大きなコウモリのような羽があって、立派な太い二本の脚と尻尾で身体を支え、空に立つように浮いている。頭が八つもあって全身が鎧のように見える鱗で覆われている。見るからに怖そうで強そうだ。
左側の青い炎を出している生き物は、頭がひとつだけで、羽も随分小さく、脚も小さく弱々しかった。その代わりに胴体がかなり長く、その長い胴体は、ぐるぐると大きく渦を巻いている。その身体にもやはり鱗が沢山描かれていている。その鱗の様子は蛇にそっくりで、このふたつの生き物が蛇のように見えるのはそのためだった。
ふたつの生き物の周りには、逃げ惑う人々や、焼け落ちる家などが、緻密な刺繍で描かれている。タペストリーの上の方には、連なる山々が刺繍されていて、その山のうちの一つの山だけが随分と高く尖っている。山の中腹には、小さな羽のついた精霊たちも飛んでいる。
下の方には青と白の糸で海と波が表され、その上を飛ぶ聖獣ユニコーンたちは、海の上を逃げ惑っているようだ。
右端には大きな川があり、逃げるように向こう岸に向かう船は、どれも朱色の炎に包まれ、何隻もの船が川に沈んでいく様子が描かれている。川の向こう岸からは丸い炎が幾つも空に上がっている。
下の方には、緊迫した光景とはかけ離れたカラフルな蝶が立体的に刺繍されていて、今にも飛び立ちそうに見える。
タペストリーの下には、説明書きが貼ってあった。
《グリーングラスの戦い》
三歳の頃、この村に越してきて初めてそのタペストリーを目にした時、ハンナは吸い寄せられるようにその前に立ち、その細かな刺繍の一つ一つを長い時間眺めていた。
どれくらい眺めていたのかは定かではないけれど、図書館で働くリンジーお姉さんに声を掛けられるまで、言葉も発せずにずっと立ち尽くしていたのだ。
「それね。金のドラゴンと、銀の龍よ。私もまだ、実物見たことないの」
ハンナが振り向くと、そこにはブルネット色の大きなウエーブのかかった髪の女性が立っていた。
だあれ?……。
幼いハンナは驚き、少し身構えた。
その人はとても背が高く、手足も指先も長い。ハンナには、その人が発した言葉の意味が半分ほどしか分からなかった。
「この辺の子じゃあないね。ママはどこ? 迷子かな?」
ハンナが聞き取れた数少ない単語の中から、その質問に答えた。
「ママと来たの。……龍ってなあに?」
そのたどたどしい受け答えを聞くと、女性は別の言語でゆっくりとハンナに話しかけた。
「ママは、どこ? 随分長い間それ見てるね。刺繍の技術に興味があるならいい学校紹介するよ? お裁縫は、好き? あ、まだ無理かなぁ」
ハンナは、お姉さんの顔と口をひたすら見つめた。
その眉間には皺が寄っている。
「ママと、来たの。オサイホウ、って何?」
ハンナが首を傾げると、お姉さんは、また言語を変えた。
「ああ……えっと、年はいくつ? お名前言える?」
ハンナは右手の指を三本、その女性の前にぐいっと出して、はにかみながら答えた。
「ハンナっていうの。三歳。もうすぐ四歳なの。ママね。一緒に来たよ」
女性は、ふふと笑うと、ハンナとタペストリーの間に立ち、右の赤い火を噴くドラゴンをその長い指で指差して今度はようやくハンナがよくわかる言語で話し始めた。
「こっちは、火を噴くドラゴン。そして、こっちが、水を吐く龍」
ハンナが青い炎だと思っていたものは、水だったようだ。
「悪いやつ?」
「どうかなぁ。どっちも悪いとも良いとも言えないかな」
ハンナには、その答えの意味がよく判らなかった。難しい顔をして考え込んでいると、お姉さんはどこかに姿を消した。
ハンナがきょろきょろとお姉さんを探していると、建物内でアナウンスが響き始めた。
《迷子のお知らせでございます。入り口受付カウンター前に、ハンナちゃんという女の子が、お母さんを探しております。ハンナちゃんのお母様、おられましたら、一階、入り口前受付カウンターまでお超しください》
自分の名前が呼ばれたなとハンナが思っていると、誰かが慌てて走って来るのが前方に見えた。
「あれが……ママかな?」
ハンナの隣にはさっきまで姿を消していたお姉さんが、ハンナの横で腰をかがめていた。指さされた方向には、髪を振り乱し、緊張した表情のハンナのママがいる。
「うん! ママ!」
ハンナが声を掛け終わらないうちに、ハンナのママは、受付カウンター前へバタバタと駆け込んで行った。
「……迷子の…あの、さっきの、館内……放送」
受付のおじさんに襲い掛かりそうな勢いだ。
受付のおじさんは、幾分のけぞりながら、事務的に答えている。
「ええと……先ずは、あなたの名前と、お子さんとの関係、そして念のためお子さんのお名前と年齢、お答えいただけますか」
お姉さんとハンナは、その様子を、少し離れた斜め後ろの位置から見つめていた。
たどたどしく、この国の言葉で話すママが、必死な顔で質問に答えている。その時、辺りを激しく見まわしているハンナのママとハンナの目が合った。
「ハンナ!」
「ママ!」
ハンナが笑顔で駆け寄ると、ハンナのママはハンナのことを強く一度抱きしめてから腕を伸ばし、ハンナの目を見つめ怖い顔をした。
そうして、小さなひそひそ声でハンナを叱った。
古い国の言葉で。
「勝手にうろうろしちゃ駄目って、何度言ったら分かるの? ママだって、まだ、ここの村のこと、よく知らないんだから、前までみたいにすぐに見つけられないのよ! もし悪い人に連れて行かれたら、二度とママには会えないよ。それでもいいの?」
ママの目が涙でいっぱいになっているのに気が付いて、ハンナは何も言えなくなって体を固くした。
いつも何かに夢中になると周りが見えなくなってママに叱られていたのだ。
二度とママに会えなくなる。そう言われて、幼いハンナの目には見る間に涙が溢れ出した。
「ごめんなさい……。ママ……ごめんなさぁい」
ハンナの少し後ろに立っていたお姉さんは、ふたりが外国語でひそひそと話しているのを黙って聞いていたが、しばらくその様子を見計らってから、ハンナたちが話しているのと同じ古い言語でハンナのママに話しかけた。
「とにかく、何事もなくてよかったです。この村も、昔ほど物騒ではありませんが、最近はよそから来る悪い人も増えているので、気を付けてくださいね。おっと……失礼しました」
よそ者のママに向かって、言ってはいけない言葉を言ってしまい焦ったのか、お姉さんは慌てて自己紹介を始めた。
「あの、わたし、ここで働いている司書のリンジー・ファレルといいます。観光マップ類ならカウンターにありますよ。村の歴史などはD列の棚あたりに関係する書籍があります。中には古語で書かれている文献も少ないですがあるにはありますし、この村の暦とか、慣習、語学や会話の本なんかも……」
そこまで言ってから、リンジーは、ハンナのママが手に持っていた本に目を止めた。
「あぁ、もう、ご確認済みでしたか」
「ええ、おおかたの本は見つけることができました。本当にこの子は一体いつはぐれたのか……」
リンジーは、より一層焦った様子で頭を掻くような振りをしながら、今度はハンナのことをフォローしだした。
「あ、お嬢さん、このタペストリーが気に入ったみたいで、奥の通路から出て来てからはずっと、ここでじっとしていましたよ。悪いことは何もしていなかったです。とてもお利口さんでした。私、小さな子がひとりでいるのが気になってて、ずっと向こうのカウンターの中から、お嬢さんのこと見ていたので」
ママは、リンジーが見つめた先のタペストリーに目をやった。
「グリーングラス、の、戦い……」
「ええ、かなり前の話なんですけど。もう百年近いんだったか。とにかく、すんごい昔の話らしいので事実かどうかは分かりませんけれど。この村の者は皆信じています。村人全員で、と言っても高齢者ばかりですが、当時のことを忘れないようにと、二十年毎にこれ、作り直すんです。
毎年、お祭りに花火もあって、子供達はもっぱらそっちに……」
リンジーの話を聞きながら、ママはハンナを抱きしめて背中を摩っていたのだが。しゃくりあげ続けていたハンナは、その《花火》という単語に反応して、リンジーを見上げた。
「ハンナ、これが見たかったのね。ママ、気が付かなくてごめんね」
「ママ、ほんとう、に、ご……めん、な、さぁ……あい」
ハンナのママは、しゃがんだ姿勢のままでハンナが落ち着くまでハンナを抱きしめ続ける。
少しハンナが落ち着いたところで、ハンナのママはようやく顔を上げた。
「ご迷惑をおかけしました。あの、リンジーさん、とおっしゃったかしら?」
「はい」
「とても流ちょうに私の国の言葉を使われるので、驚きました」
「言葉なら私よりもハンナちゃんの方がすごいと思いますけれど? 最初はグリーングラスのお子さんかと。それからいくつかの言語で話しかけましたが、どの言葉にも反応されたので、どこから来た子だろうかと驚いたくらいです」
「あの、この娘は、なんというか、いろんな国に連れて行っているせいか…」
「ああ、ご旅行ですか。良いですね。こんなに小さなうちから親子で長期で旅なんて羨ましい家庭環境です」
ハンナのママは、少し戸惑う様子を見せ、すぐに話題を変えた。
「ところで……このグリーングラスの戦いについての記録も、この図書館にあるのでしょうか。見当たらなかったので」
「え? この話、ご存じだったんですか。村の若い者は、もうあまり話したがらないんですけど、他の国でも有名だなんて、なんだか妙な気分です。
今や刺繍だって、できる者はほとんどいませんから……。
そうですね、関連する書籍は、もうここにはないかもしれません。以前は、ここの保管庫に沢山記録された本があったようなんですけれども、火事で殆ど燃えてしまったみたいです。前の図書館、木造だったんですよ。で、今、このように石造りに造り替えた時に、残っていた資料なんかは、村長の指示で南の島にある保管庫に眠っていると聞いています。
貸し出しはしてもらえると思うんですけれど、調べてみましょうか?」
ママが、お願いしますと言うと、リンジーお姉さんは急いでカウンターの奥へと戻って行った。
ママは、再び目線をハンナに戻した。
「ねぇ、ハンナ、どうしてこのタペストリーが気になったの?」
ママにそう聞かれても、どうしてと言われても、勝手に足が止まったのだから、ハンナに理由など分かる訳がない。
上手に説明できそうになくて、ハンナは首をかしげてしまった。
「ふふ。分からないのね。じゃあ、赤い火を噴くドラゴンと銀の龍、どっちが好き?」
「……んとね。青いお水を出してるほう」
「どうして?」
ママは意外そうな顔をしている。
「赤いほうはね、強そうだから」
ハンナのママは、一層分からないという顔になった。ハンナの言葉を理解しようとママがハンナに何かを言いかけた時、リンジーが戻って来た。その手には黄色い紙を持っている。
リンジーは、それをハンナのママの目の前に差し出した。
(第七幕へつづく)
