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ストロベリーフィールド:第七幕 フラワーバレー《南の島保管庫》

「お待たせしました。申し訳ありませんが、保管庫にある資料は村長の許可なく見ることが出来なくなったそうなんです。ただ、ご希望であれば、閲覧申請は出来ますので」

「記録……閲覧……申請書、ですか」

リンジーは頷きながら、『ご希望であれば、そこのカウンターでご記入ください』とハンナのママを案内した。
ハンナのママはその用紙に目を通してからカウンターへ移動すると、指示を受ながら、何やら沢山の文字を書き始めた。

「この国の文字を、良くご存じなんですね」

リンジーが、不思議そうにママを見つめる。

「ええ、読む、のと、書く、のは、好きだったんです。ずっと昔、に、習っていて。昔は、もう少し、話せたんですけれど、ここは、グリーングラスの言葉と似ていますね。いくつかの単語が、違う、くらいで。でも使わないと、言葉って、数年で、話せなく、なる、もの、なんですね」

この国の言葉で、ママがたどたどしく答えると、リンジーは、笑顔になった。

「それくらい話せたら、十分ですよ。この国の言葉のレッスンが必要な時は、いつでも声かけてください。レッスン料は、ケーキとお茶で結構ですから!」

ママは笑顔になり、お礼を言い頭を下げた。
その日から、図書館司書でマルチリンガルのリンジーお姉さんは、この村でハンナのママの一番の理解者になった。古い言葉が話せる人がいたことで、ハンナのママは心が許せたのかもしれなかった。

それからしばらくして、リンジーから、資料の閲覧ができる日程の連絡がハンナのママ宛にあったのだが、希望していた書物は村の図書館では見ることが出来ないという事だった。

『あいにく資料が古すぎて、持ち運ぶと破損する可能性があるので、外へ貸し出すことはできないが、南の島の保管庫まで行けば閲覧は可能だ』と聞くと、ハンナのママは『ではそちらに向かいます』と答え、指定された日にハンナを連れて南の島へと出向くことになった。

ママが何をしたいのかよくわかっていなかったが、その日のハンナは、また馬車に乗れることが嬉しくて朝から興奮していた。

三時間ほどかけて、リンジーの書いた地図を頼りにようやくたどり着いた島は、島というには名ばかりの小さな出島だった。

ママが馬車を送り返したのを観て、ハンナはもう元の場所には戻らず、また旅を続けるのだろうと思っていた。これまでずっとそうだったように。

島の前にはメガネ型のアーチがふたつある小さな石造りの橋が架かっていて、ちょっとやそっとの嵐では壊れなさそうな頑丈な造りだ。島の周りには見たこともないくらいの数の精霊たちが羽をひらひらさせて飛んでいるのがハンナには見えていた。

花々が咲き乱れ、ハンナには南の暖かい風が、とても心地よかった。目の前には海が広がっているのだけれど、海の匂いがしないのがハンナには不思議だった。

保管庫と呼ばれているその建物は、どう見ても普通の民家だった。出島の前の小さな橋を渡り、ハンナとハンナのママが木でできた門扉のところまで来た時、あたり一帯の草花が大きく揺れ始めた。

門扉には、《フラワーバレー記録保管庫 南島別館》と書かれた札がかかっている。

ハンナのママは、ここよねぇ、と、首をかしげながら、暫くの間、門扉の内側に大きく広がる花畑を見回し、右から左へと、垣根の外側から覗くようにしていた。
ハンナは、その間、門の外で飛び回っている無数の精霊たちを捕まえようと家の前ではしゃぎまわり、明るい声を出してひとり笑っていたのだが、暫くすると奥に見えていた建物のドアがバン!と大きな音を立てて開いた。

「まったくうるさいねぇ。今日は、あたしの百歳の誕生日なんだがねぇ!」

あまりにも大きな声だったので、ハンナとママは一瞬動きを止めて固まった。ハンナと遊んでいた精霊たちは一瞬で姿を消している。声のする方にふたりが目をやると、銀髪のおばあさんがいた。

その銀髪のポニーテールには紫のシュシュが結ばれていて、カラフルな花柄の半袖ワンピースの上からフリルいっぱいのエプロンをつけている。

「ここに何か用かい?」

おばあさんに見つめられたハンナのママは、どぎまぎした様子で手に持った地図と《閲覧許可証》と書かれた紙を慌てて鞄から取り出して、おばあさんの前に差し出した。

「あの、こちらで、グリーングラス、の、戦い、について、の、貴重な資料が、閲覧、できると、伺いまして。あの、これ、許可証、です」

たどたどしいママの言葉を聞いて、おばあさんは、怪訝な顔になった。

「物好きだねぇ。まぁ、いいわ。精霊たちが歓迎しているところを見ると、なんか意味があって来たんだろうさ。さ、おはいり」

おばあさんが手招きをしてから、背中を向けて玄関から部屋の中へ向かうと、ハンナたちの目の前にあった庭の門扉がするするっと内側に開いた。

ハンナは一瞬、機械仕掛けの自動ドアなのかと不思議そうにそれを見つめていたが、木の門扉の外側から精霊たちが一生懸命押している姿がハンナの目に入った。

その様子があまりに可愛いらしくて、ハンナは笑顔になった。ハンナたちが門扉をくぐり抜けると、精霊たちは今度は一生懸命に内側から門扉を閉じ始める。

手で押す者、お尻で押す者、頭で押す者、指先だけでふざけたように押している者、応援だけをしている者、どの精霊も楽しそうだ。仕事をしているというよりは、遊んでいるように見える。

ハンナは応援している精霊と共に手を叩いて応援した。その音に反応してガッツポーズをしながらハンナに手を振り返す精霊たちに向かって、ハンナも手を振り返す。

「……この子、精霊使いかい?」

おばあさんは振り返りもせずに歩きながらママに尋ねた。背中に目でもあるようだ。

「いえ、私の、ウエストエンドの、ユラの血を、継いだのかと、思います。この子、は、グリーングラスとの、混血、です」

おばあさんは、目を見開いて振り返り、その動きを止めた。
目を細めて、ハンナをじっと見つめている。

「……なんだか、厄介なことになりそうな、匂いがプンプンしてきたね。
少し前からこのあたりの風向きが渦を巻くように変わったのは、あんた達のせいだったのか……」

ハンナのママは何かを言いたそうな顔をしたが、おばあさんが玄関の扉を開けたままそれを押さえて待っているので、頭を下げ中へ入っていった。後ろからそれを追うようにハンナもママに続く。

ハンナはスキップをしながら鼻歌を歌い、ママの後に続いて玄関の敷居をまたいだ。

が、その次の瞬間には、落とし穴に落ちたように身体が動かなくなった。
穴は深く、いつまでも落ちるような感覚だ。

何が起こったのかわからず、穴など無かったのに、どこで足を踏み外したのかとハンナは下を見たが、上下左右が真っ暗だ。
身体は、まだ着地しない。

ハンナは怖くなって、ようやくママ!と叫んだ。
が、その声は水の中で話すようにくぐもって聞こえる。

水の中?

上に上がろうともがけばもがくほどハンナは息ができなくなった。ママ!と、もう一度助けを呼ぶと、大きな空気の丸い球が口から出て上に向かって登って行った。底なしの沼に沈むように、身動きが取れないまま、ハンナの意識は徐々に薄れていく。

ハンナの頭上のはるか彼方、口から出て昇って行った丸い空気玉の上方には、ステンドグラスのような色がモザイク状にキラキラと輝いているのが見えていた。それは次第に色ごとに分かれて列になり、揺れる虹になる。

いや、虹ではない。蝶の大群が作っている帯だ。

ハンナがそれに気づいた瞬間、蝶の虹のさらに向こう側に、銀色のまっすぐな光がひとすじ光るのが見えた。
光はどんどん強く大きくなり、渦を巻き始める。

これは……なに? 
蛇みたい、でも小さい足が……。
龍……?

薄れる意識の中で、ハンナの耳に悲しげな旋律が響き始めた。誰かが歌っているようにも聞こえるし、風が鳴っているようにも聞こえる。

その声のようなトーンは、柔らかく透き通る音だった。悲しい音階の音と不思議と静かな調和をみせている。

子供たちの透き通る歌声のような音が、幼いハンナの耳に繰り返し遠く響く。すると、息ができずに苦しかった身体が動くようになり、ハンナは上に上がろうとして手を伸ばした。

「待って……!」

銀色の生き物は、渦を巻きながら空高く飛んで行く。

ハンナが高く飛び去る生き物を目で追っていると、それを遮るように大きな顔が突然目の前に現れた。目の前に緑色の目をした人がこちらを見つめているということに気づくや否や、ハンナの身体は再び全く動かなくなった。

いや動かないのではない、その人に突然力強く抱きしめられたせいで、動けないのだ。
深い緑色の服を身にまとったその人は、力を緩めると視線を合わせてきた。眉毛を下げ、今にも泣きだしそうな瞳をして視線を合わせ見つめているのだが、その口元は震えながらも微笑んでいる。

その人の肩ごしに精霊たちが飛びまわっているのが見えた。どの精霊たちも安堵と喜びにあふれた表情をしている。
緑色の服を着たその人は、まるで王冠のようにずらりと繋がる様々な虫たちを頭に載せていた。王冠のセンターには左右の羽が紅色と赤紫色の2色に分かれた蝶がいて、自分を見つめている。ハンナは左右の羽の色が異なる蝶を見るのは初めてだった。その両隣にはテントウムシが二段に重なっている。

その隣はハチ……白いチョウもいる。みんなこっちを見てる……。

虫たちでできた奇妙な冠を頭に乗せたまま、その人が慌てふためく様子で頭を左右に振った。そのせいで振り回されることになった頭上の虫たちが目を回している姿を見て、ハンナは自然と小さく微笑んだ。中心にいた紅色と赤紫の羽の蝶だけが、ふわりと宙に浮いた。

意識が途切れようとする中、ハンナはその不思議な色の蝶に手を伸ばそうとした。その時、その人にその手を掴まれ何かを話しかけられたのだが、それは聞いたことのあるような、ないような、記憶の端に少し残っているような言語だった。

遠くに歌うような音が聞こえる。
その意味は幼いハンナには解らない。

その音の音階が僅かに変わった。そしてその響きは、やがてはっきりと言葉のように繋がって聞こえ始めた。唄声は明るさを得て、温かく、力強くなっていく。

繰り返し波打つようにリピートされる旋律を聴きながら、ハンナの視界は途切れて霞んでいった。繰り返される音色はまるで子守唄のようにハンナの心に響き続けた。

《七色の蝶が天に繋がり虹に変わる時、金色に輝く天空より龍が舞い降りる》

(第八幕へつづく)


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