ストロベリーフィールド:第三幕 宿命
ユラ神であっても、見たい未来は自分で選ぶことは出来なかった。
天から突然降ってくる未来の映像を、自分の言葉で口にする。
それが人々に予言と呼ばれていたものだ。
突然にメッセージが降って来る、そのタイミングは様々で、往々にしてそのメッセージは、災いに繋がるかもしれない事柄か、人々を幸せへ導くためのものだった。
それは突然目の前に映像として広がり、その中に自分がいるかのような感覚になるのだ。
サラは、幼いころからユラの血に繋がる一族の子として様々な修行を受けてきたが、幾つかの能力は生まれながらにして備えていた。
虫たちと普通に会話したり、精霊を操ったりすることは、母親と会話するより早かったはずだ。
様々な薬草から薬を作りだしたり、精霊にしか見えないインクを作ったり、そんなことを母親から学んだが、それもいとも簡単だった。
幼い頃、サラはそういったことは誰でもできるものだと思っていたので、出来ない人の方が殆どだということを知った時には驚いた。
けれど千里眼を得られたのは、母から譲り受けた多面体水晶を使いこなせるようになってからだったし、未来を見る力にいたっては、いつになったら母親のように見えるようになるのだろうか、自分にはできないのではないかとサラはずっと不安だった。
十五歳になって初めてそれを得ることが出来た時は、サラは最初、夢を見ているのだと思った。自分が観た不思議な夢のような映像のことを話した時、サラの母親は、普段とはまるで別人のような声をあげ、喜びとも悲しみともわからぬ笑顔を我が子であるサラへ向けた後、天を仰いで涙を流していた。
その知らせを聞いた村人達と共に、長く待ち望んでいた新たなユラ神の誕生を国中で祝ったのは二十年ほど前のことだ。
あの怯えたように私を見つめた眼差しを私は一生忘れない。
あれは間違いなく喜んでいた……。
私が覚醒したことに対してではなく、自分が役目から解放されたことを。
キッチンから、野菜スープと香草が混ざり合う美味しそうな香りと、パンが焼ける香ばしい香りが漂ってきた。
またどたどたと足音がして、バックヤードの扉が開く音が聞こえ、部屋に夏の終わりの風が通り抜ける。洗濯石鹸のすがすがしい香りが、枯れた夏草の香りに交じって吹き抜けてリビングまで届く。
どうやら洗濯も終わったようね。
ここに来てから僅かな時間で、ライラは五つ以上の家事を終わらせた。この国にマルチタスク選手権というものがあったら、きっとライラはぶっちぎりの速さで優勝できるだろう。
あの娘にも、もっといろいろなことを教えてから送り出すべきだったのか。
けれど精霊達が言うように、あの娘が生贄となる運命ならばそれも不要か。
娘に何もさせてこなかったことをサラは少しだけ後悔していた。ユラ神の血を引く者には、そんなことなど不要だと思っていた。自分と同じように。
けれど、男系一族出身のライラよりも、自分の娘は何故かユラ一族の能力に乏しかった。
精霊や虫たちと話すことさえ、ろくにできない不器用な娘だった。もう少し待てば何とかなったのかもしれないが、精霊たちは待ってはくれなかった。
大柄で豪快なライラは、自分の娘から見れば従妹にあたる。
サラの長兄の娘だ。サラは兄と十五歳以上も年が離れていたので、ライラの年齢は、サラの娘よりサラの年齢の方に近かった。
サラの母は、男兄弟ばかりを七人産んでいて、なんとかユラの血筋を絶やすまいとして八人目の子供でようやく生まれたのがサラだ。子供たちを育てながらユラとしての務めも果たしていたサラの母は、無理がたたったのか、とても早くに亡くなった。
それはサラがユラ神として覚醒したすぐ後のことだ。サラが母と過ごした時間は、とても短かった。
そのせいか、サラは自分の子供にどう接すれば良いかが分からなかった。
出来の悪い子ほど可愛いというが、そんなことは無いとサラは思っていた。
事実、姪のライラの方が何でもそつなく上手にできるので、そのぎこちない仕草さえ可愛いと思えた。サラの娘はそれをまねようともせず、ただぼおっと見つめているだけだった。
「ライラは何でもできるわねぇ。すごいねぇ」
サラはいつもそうやって、何気なくライラを褒めた。それを隣で聞いていた自分の娘が何も言わず自分を見つめる目が、怯えたような自分の母親と同じ瞳であることが、サラの神経を逆なでした。
どうして、この子を可愛いと思えないのだろう。
その理由の一つは、サラが子供を身ごもるとすぐに、夫が亡くなったことにあった。夫、というよりは生活を共にしたパートナーと言った方がいい。
夫となることを拒んで消えた相手は、寒い冬、慌ててこの国から逃げだした。そして逃げ込んだ村はずれの農具小屋の中で暖を取ろうとして使用した毒草の煙を吸い込み、帰らぬ人となっていた。
そのことを多面体の水晶の千里眼映像で見たサラは、何日も泣き続けた。
母親が亡くなった時以上に、一度知った幸せを手放す苦しさに苛まれた。
そして数日たって、村人がどうでもいいつまらない相談にやって来た時には、これは「宿命だ」と自らを呪うしかなかった。
ユラ神は、「覚醒する頃には皆、育ててくれた家族から離れる運命だ」と、サラは小さい頃から母に教えられていた。その言葉の通り、自分が覚醒した翌年には母が消え、突然に神と崇められはじめた。
誰もが遠巻きに自分から遠ざかる中、辛い境遇の中でようやく出会えたと思えた一人の旅人、その人こそ運命の相手だと思っていたその男はすぐに姿を消した。
「神の夫となる者は必ず命が尽きる」という歪められた情報を聞いて逃げ出したのだ。その遺伝子だけを娘に残して。
サラには日増しに大きくなるお腹が忌々しかった。我が子が産まれて腕に抱いた時でさえ、何の感情も浮かばなかった。
自らの身にどんなに辛いことがあろうが、人々の打ち明け話につきあわされ、悩みを聞き、未来の判断について彼らから迫られる日々、お供え物で生きるしかない自分をサラは呪った。
そういう人生しかないと思い込ませた母親を恨んだ。
サラが娘と過ごす時間はほとんどなかった。
子育ては全てライラの仕事だった。
だが不思議なもので、何をやっても不出来で、一族の能力がこれっぽっちもなく、可愛いとは思えないその娘が話し始めた頃には、親の情と言うものが芽生え始めた。
あの娘に、こんなことはさせない。
そもそも教えがいのない、能力のない娘で良かった。
ユラ神の歴史もここまで。
それでも最後に少しは役に立ってくれた……。
あの娘を褒めるどころか、叱った記憶もない。
あの眼、あの髪の色。愛おしい気持ちを感じた瞬間を思い出せない。
けれど、この気持は……。
罪悪感?
何も言われなくても、てきぱきと動いているライラを見つめながら、精霊に差しだした自分の娘を想うと、サラの気持ちは沈んだ。
「この国、どうなっちゃうんでしょうねぇ。
最近じゃ、もう手に入らなくなっている東の国の商品が、法外な値段で取引されているそうですよ」
ひと通りやるべきことを終えたライラは、そう言いながら再びサラの所までやって来て、サラの隣にどすりと腰をかけると、美味しそうなお菓子をお皿に並べ出した。サラよりも先に、一口かじって嬉しそうに笑っている。
「これは毒見です。この前、命を狙われるかもって気にされていたので。あ、大丈夫そうですね。てか、これ、すんごく美味しいや」
ユラ神を信じる者の中で、そのユラ神であるサラの隣に座り、先にお菓子を食べる度胸のある者は、おそらくライラくらいだろう。
菓子を頬張りながら、ライラはサラに注意事項をまくし立てる。
「夕食、作っておきました。オーブンの中です。消化にいいスープも必ず召し上がってくださいね。
パンは全粒粉で、ユラ様がお好きな木の実をいっぱい入れてます。昨日から仕込んでおいたので、いい感じに仕上がってます。
あと、ミルクと自家製のチーズとバター、家で漬けたピクルスと私が作ってきたレモンのジャムも冷蔵庫に入れてあります。
父が今年の畑はとても良いズッキーニとトマトが採れたと言っていたので、昨日作ったラタトゥイユも、お裾分けで冷蔵庫に入れてます。温め直して食べてくださいね。
カゴの中の葉物野菜は、早めに召し上がってください。腐らせると、父にまた叱られますよ。来月はキノコを沢山持ってきますから楽しみにしていてください。
お洗濯物は今日の日差しだと二時間あれば乾くので帰る前に取り込んでおきますね。
それとキッチンの床、ワックスがけしているので、暫く滑るかもしれませんから気を付けてください。
裏庭の雑草は刈り取って、たい肥ポストに入れてますけどそろそろいっぱいです。次来た時には、花壇の花を植え替えます。
軒下の鳥のエサかご、空っぽでしたよ。補充しましたけど、ストックが無いので次に来るとき持ってきます。今はまだいいとして、木の実がなかったら冬に赤い鳥のロビンが来なくなっちゃいます」
サラは、ろくに聞いてはいなかったが、ライラは気にも留めず、クッキーが詰まった白い箱を見せながら話を続けた。
「で、今並べたこれは、さっきお伝えしたやつで、ユラ神様へのお供え物です。珍しいお菓子ですよね。スミレの花びらの砂糖づけが入っているんです。スミレの香りが広がってなんだか幸せな気分になりますよ。
とっても美味しいです。私は、バラのクッキーよりこっちの方が好きです。
荷物が多くて、甘いお菓子が持って来られなかったから、ちょうど良かったです。ついさっき、玄関に置いてあったのを見つけたんですよ。
あと、これ、添えてあったお手紙です」
ライラは少しほっとした表情になると、次から次へとクッキーを口に運び始めた。《言っておかねばならないこと》を全て言い終えたのだろう。
ライラが口を開く度、スミレの香りが部屋中に広がっていく。
遠い、異国の香りだ。
(第4幕へと続く)
