ストロベリーフィールド:第十幕 友達
《経験者求む!》
村の図書館横の掲示板に貼ってあったポスターを見つめ、ハンナは大きな溜息をついた。ポスターには心躍らせるような文字が並んでいる。
《ストロベリーフィールドでの一日だけの配達のお仕事です。《経験者》は一日百万グランドル。収穫のお仕事だけなら《候補者》可。《候補者》は一日一万グランドル。あなたも一緒に働きませんか?》
今年ようやく十二才になる予定のハンナはこれに申しこむことができない。まだ資格がないのだ。
「経験者か、候補者だけかぁ……」
ハンナは、再びポスターを残念そうに見つめた。
「一万グランドルでも、ママ、喜んでくれるだろうなあ」
残念そうに俯いて、ハンナは、右手の中指に付けているリングを見つめた。石と石の間が、一部分だけ大きく開いているのを見て、ハンナは再び「はぁ」と溜息をつき、とぼとぼと学校の方向に向かって歩きはじめた。
山あいの村の冬は厳しく、特に今年の冬は寒いなんてものではなかった。雪の国から氷の精霊が大挙して押し寄せたのではないかと思えたほどだった。このまま暖かくならないのではないか、今年の花は不作かもしれないと村人たちは心配していたのだが、春のお祭りが近づくにつれ暖かくなって、例年より少し遅れたものの、今では徐々に村全体が花々で埋まってきている。
村の北側の広大な畑、ストロベリーフィールドは、少し前から赤い花が満開で、風に乗ってやって来たいい香りが村には充満している。
数日前から七色の蝶々たちが、例年どおりにたくさん飛んでいた。もうすぐ花の収穫が始まるサインだ。ハンナは毎年多くの人々が、このストロベリーフィールドで働いているのを見ていた。
不思議なことにその美しい花々は、殆どが村には残らずに隣の国へ送られている。噂ではこの村の花は、他国ではとても高価な値段で取引されているという話だ。この特殊な香りを発する花を作ることは困難らしい。
「香水でも作るのかなぁ。それにしても配達だけであんなにお給料がもらえるなんて、どんな仕事なんだろう……」
ハンナがストロベリーフィールドの方向を見るともなく見つめていると噂好きの黄色テントウムシがやってきて、ハンナが手に持っていたカゴの持ち手のところにふわりと止まった。
「ふう。今日は暑くなりそうね。畑のお掃除の仕事もほとんど終わったし、まぁ、お仕事のおかげでお腹いっぱいなんだけど。もう飛ぶ気にもなんないわ。ちょっとだけ休ませてくださる?
ああ、あなたの今日のその恰好、正解よ」
黄色のテントウムシは、軽く身づくろいを済ませるとそう言い残し、また羽を猛スピートで羽ばたかせて高速のヘリコプターのように飛び去っていった。
今日は暑いくらいの気温になる、と虫たちが朝から窓辺で話しているのをハンナは聞いていた。だから今日は白い半そでブラウスを身に着け、顔にかかる額の両側の髪だけを三つ編みにし、更に後ろにまとめて大きなリボンをつけた。スカートとお揃いの色だ。コンプレックスの耳は隠したいので、後ろと横の髪は下ろした。いつものことだ。
右手に抱えた茶色のカゴには、お弁当のサンドイッチと、青いリンゴが入っていて、その上から赤と白のギンガムチェックの布が被せてある。
この辺り一帯を飛んでいるお腹を空かせた風鳥《ウインドバード》たちに見つかったら、きっと食べられてしまうからだ。
「ハンナ! おはよう! ずいぶん薄着だけど寒くないの?」
「ハンナ、それ、朝ごはん?」
後ろから元気な声がしてハンナが振り返ると、大きな本を脇に抱えたマルグリットが立っていた。隣には笑顔のニーナもいる。ハンナよりもひとつ年上のふたりはハンナよりも少し背が高い。学校に通い始める前から仲良く遊んでいた友達だ。
はるか遠くの国からやって来たハンナに、最初に声をかけてきてくれたのがニーナで、その隣に住んでいるのがマルグリットの家族だった。
マルグリットはいつも何かの本を抱えて歩いている。沢山のメガネをコレクションしているらしいのだが、今日は、青いフレームの細い眼鏡をかけていた。まっすぐな髪とスレンダーな身体、長い手足はマルグリットの自慢だ。その長い足が目立つように、体にぴったりとしたパンツをいつも履いていた。胸にフリルがいっぱいついたブラウスを着ていて、細い黒リボンを胸のところで結んでいる。長い脚にぴったりフィットしたパンツにはサイドにラインが入っていて、余計に足の長さを強調していた。
マルグリットと対照的な丸い体形のニーナは、最近、ちょっと、というか、かなりぽっちゃりしてきたのを気にしているはずなのだが、今日も朝から手には大きな菓子パンを持っていた。
透き通るようなプラチナブロンドの髪を、肩の所で二つに分けて、丸いおだんご髪にして結び赤い水玉毛様のリボンを付けている。大きく広がるバルーンスカートは、その体型をカバーするどころか、丸い体型をさらにいっそう強調させていた。
ウエストあたりからスカートがパラシュートみたいに広がっていて、そのサイズは毎月少しずつ大きくなっているようだ。おそらく外国製の、複雑な地模様があるスカートは、太陽の光にあたって玉虫色にきらきらと光っている。
「あ、おはよう。これね、ランチだよ。ニーナ、それは?」
「ブランチよ!」
得意げにそう答えたニーナのその言葉に、マルグリットが反応した。
「あんたさぁ、ブランチは、朝ごはん《ブレックファースト》と《ランチ》を一緒にしたってことだよ。だから、「ブ」+「ランチ」なの。
その場合は大抵の場合、一日二食の人のことを言うの。朝ごはんもランチも昼に食べて、晩ご飯も食べて、その間にも食べてるんだから、それは、《間食《スナック》》。
ダイエットする気、絶対ないよね。それに、そのスカートじゃ、早く走れないでしょ。《経験者》どころか、《守り人》にもなれないよ」
笑いながらそう言ったマルグリットに、ニーナはムキになって怒った。
「《経験者》や《守り人》になるのに、服装のきまりや、体重制限なんて無かったじゃない!」
ニーナが怒りに任せて、右手に持った菓子パンを振り上げたその時だった。はるか高い空から風鳥《ウインドバード》がニーナの右手めがけて滑空してきて、あっという間に菓子パンを掴み、また空高く飛んで行ったのだが、その間、危険を察知して自然に立ち上がっていたハンナの耳には、低い声がずっと響いていた。
『おはよう!お馬鹿さん。ほんと、こいつ、学習能力ってもんがねえな。精霊たちの言うとおりだね。相変わらず朝っぱらから随分脂っこいもん食ってんな。口の中で動物の脂がギトギトするぜ。どうせなら生きたフレッシュなもんを口にしたかったのに。
それにしてもあんた、聞こえてんだろ? 精霊に口止めされてっけどよ。あんたのためを思って、親切心から教えてやるが、言っとくが、こんな奴と仲良くしても良いことなんて何もないぜ』
ハンナは、ウィングバードを地上から睨みつけた。隣で涙を目にいっぱいため空を見上げているニーナが気の毒になり、持っていたカゴからサンドイッチの半分をニーナに差し出そうとしたのだが、マルグリットがハンナのその腕を掴んだ。マルグリットは首を左右に振っている。
「ニーナ、これってきっと精霊のメッセージだよ。た、べ、す、ぎってね」
ニーナは顔を真っ赤にし、目を吊り上げてマルグリットを睨みつけている。
「ふん。ダイエットすればいいんでしょ! 明日からするもん!」
「明日からねぇ。そのセリフ、もう何回聞いたかわかんないけどね。ダイエットって《今日までは、ご飯をいっぱい食べる》って意味だったっけ?」
「そんなに意地悪なことばっかり言ってたら、《守り人》になってくれる人は出てこないよ! 痩せてたって、本で勉強ばっかりしたって、経験者》になんかなれないよ!」
ハンナは、二人が口げんかをしているのを、ただ黙って見ているしかなかった。いつもの光景だ。
このふたりは、何か話題を見つけては口論している、なのに、ずっと仲良しだから、ハンナにはそれが不思議で仕方がなかった。
いつだったか、マルグリットにニーナのことが嫌いなのか好きなのかとハンナが尋ねた時、『好きに決まってるよ。ニーナは一緒に育った姉妹みたいなもんだからね』とマルグリットは笑って答えていたが、姉妹のいないハンナには、その意味がよく分からなかった。
ハンナの年齢が、ふたりよりも一つ下という事もあるのだろうが、ふたりの友達同士としての距離感は、ハンナとの距離感とは全く違っている気がして、ハンナは二人といるといつもなんとなく疎外感を感じるのだが、かといって二人が嫌いなのかというとそうではないし、ふたりの方もハンナを友達だと周りに話していた。
ハンナは友達っていうものは、《ただの知り合いよりは話をするが、一定の距離感を保つ人たち》のことをいうのだと思っていた。だから、ふたりとは喧嘩などしたことが無かった。
この日、新たに分かったことは、《友達の悪口を誰かが言っているのを聞くと嫌な気持ちになる》と言うことだ。
お互い好きでも、友達でも喧嘩ってするんだなぁと、ハンナが呆れながら、ふたりの言い争いを見ていると、再びハンナの後ろから声がした。
「朝っぱらから、騒々しいねぇ。どっか、よそでやっとくれ」
頭から紫のフードをすっぽりかぶった老婆が後ろに立っていた。精霊使いのパトラだ。
「悪い気と言霊のせいで、精霊たちが飛んで行っちまったじゃないか。今日は、あたしの、百歳の誕生日なんだがねぇ」
いつも音もなく現れるパトラは、村の南の外れに暮らしている。こんなに朝早い時間に、村の真ん中で会うことは珍しい。どこかへ出かけた帰りか、これから向かうところなのか、手にはリボンの付いた小さな黒い箱を持っている。
小柄なパトラの顔は、三人の顔の位置よりもずっと低いところにあった。深く被ったフードの下から白い眼を光らせながら、パトラは三人を下から上目遣いにギロリと見つめた。
三人は顔を見合わせ、パトラのただならぬ妖気に圧倒されて後ずさりする。そしてニーナが真っ先に言葉を発し、ハンナもつられて思わず謝ってしまった。何もしていないのに。
「す……みません。パトラばあ様」
「ごっ、ごめんなさい」
「はい、よそでやります!」
三人は大急ぎでその場を立ち去った。学校が見えるところまで逃げるように走って来て、ようやくマルグリットが後ろを振り返った。
大きなパラシュートスカート姿のニーナが、とても遅いスピードでハンナとマルグリットに追いつこうとしているのを見て、マルグリットが遠くから声をかけた。
「ニーナ、大丈夫?」
「うん。ごめんね。マルグリット」
先に謝るのは、いつだってニーナの方だ。
マルグリットが、息を切らせて追いついたニーナに尋ねた。
「ねぇ、パトラばあ様、今日、お誕生日だっけ?」
「先月、確か、お祝いしていたような……」
「うん。先月も、その前の月も百歳だった」
ハンナの言葉に、三人は声を上げて笑った。これで何度目か分からない。パトラは絶対嘘をつくと分かっているのに、また騙されてしまう。全ては、あの妖気のせいだ。けれど、村で一番の精霊使いのパトラばあ様の機嫌を損ねたら、この村では《経験者》になることは難しい。
ひとしきり笑った後、三人はまた学校へ向かってゆっくりと歩き出した。
「ね、今日の授業、マイクが発表する日だよね」
ニーナが恥ずかしそうに尋ねる。マイクはニーナの想い人だ。ハンナはマイクという人に会ったことは無いが、ふたりの話では、かなりの好青年らしかった。ニーナはとにかく、王子様系のキラキラ男子が好きなのだそうだ。
「うん。マイク、昨日、十二歳になったからね」
「どうだったかなぁ。まさか、すぐに石が光ったりしてないよね」
「それは難しいと思うけど。私たちも、きっと、もうすぐだよ」
いつの間にか、ふたりは、また仲良さそうに並んで歩いている。
「ハンナも、もうすぐだね」
振り返り、尋ねてきたマルグリットに、ハンナは右手の指輪を見せながら黙って頷き返した。
真ん中の石が欠けた指輪は、そこにあるべきはずの石を待ち続けている。
ハンナの心の中には強いひとつの思いがあった。
早く《経験者beyond(ビヨンド)》になりたい。
ニーナとマルグリットが、少し急ぎ足で学校に向かう。
このふたりが、お互いを必要とする《守り人》と《経験者》にならないのは何故だろう。
自分にも姉妹がいればよかったのに、そんなことを思いながら、ハンナも2人の後に続いて小走りで学校へと向かった。
(第十一幕へ続く)
