ボット先生 【第19話/全35話】
明るい通路だった。段差は低く、坂も緩やかで歩きやすい。ケンタとマミちゃんは、小声で話しながら先を歩いた。別に、ボクを仲間外れにしたいわけじゃなくて、今、知っておかなければいけないことを確認し合っている感じだ。でもボクは、ムスッと唇を曲げて二人の背中を見た。ケンタは、いつの間にマミちゃんと仲良くなったんだろう? いままで、ケンタが彼女と話しているところなんて見たことがなかった。ケンタは頭が良くて、ボクよりもいろんなことを知っているけど、学校でも、それ以外でも、いつもボクの後ろにいて、前に出ようとすることはなかった。ボクは、体の弱いケンタが、人前に出てうまくしゃべれなかったり、体調を崩して急に発作を起こしたりしないように、いつもケンタの前にいたんだ。学校でも塾でも、ボクが先生に怒られることはあっても、ケンタが怒られることはなかった。ボクがいじめられることはあっても、ケンタはいじめられなかった。それは、ボクとケンタが一緒のときは、ボクが二人の間の表だったからだ。
それは別に、ボクがケンタをいじめていたというわけじゃない。ボクは、一人で何かをすることはほとんどない。あっち向いてポイを考えたのはケンタだ。リレーのときだって、ケンタの言う通りに練習した。何かするとき、ボクは必ずケンタに相談し、ケンタは必ず自分の意見を言った。ボクは意見がないから、ケンタの言う通りにした。だからボクらは、二人で一人なんだ。
階段が途切れて、前に扉があった。ケンタがノックした。顔の高さくらいのところが、郵便ポストの口みたいに開いて、ぎょろッとした目玉が二つ現れた。目玉は、ケンタと、マミちゃんと、ボクを、頭からつま先まで、その中まで見通しそうな目つきで睨んだ。
小窓は閉じた。その後、扉が開いた。
広い、明るい部屋。中に三人の人がいた。真ん中は女の人で、両隣は男。オジサンだ。ボクらから見て右が禿げ、左は白髪だけどふさふさだ。オバサンは、黒ぶちメガネをかけていた。ボクら三人は、急に注目されてバツの悪くなった猫みたいにそわそわした。
「お掛けください」
真ん中のオバサンが言った。彼らは机を前に座っていて、ボクらの方には、三脚の椅子があった。右端にケンタが掛けた。真ん中はマミちゃん。ボクは左端だ。
オバサンが喋り出した。
「硬くならないでね。気持ちを楽にして、頭に浮かんだことを、素直に口にしてください。難しいことは聞きません。ここでは、アナタたちが、どんな気持ちでここに来たのか、それを確かめたいのです」
「まずは、鼻からゆっくり息を吸って、口からすうっと吐いてみましょう」
禿げた頭が照明の光を反射している、顔の真ん中に四時四十分のようなひげを生やした右のオジサンが、大げさに両手を振り上げた。
「そう。そうしたら次は、両手を上げて。まっすぐ、天井に向けて。それから、ゆっくり息を吐きながら、横に開いてみましょう」
言われたとおりにやった。口から疲れが抜けて、頭が軽くなったような気がした。
「質問は、全部で三つです」左の、白髪が額の上で波打っているオジサンが言った。この人は、肘を机に突いて、手を前で組み、その上に顎を近づけていたので、顔と手しかない人に見えた。
「ではまず、お名前をおっしゃってください」オバサンが言った。ケンタから順に答えた。
「ムラタ、テツヤ君?」
オバサンは手元の書類をめくった。右のオジサンは腕組みをしてボクを睨み、左のオジサンは白い眉を開いた。
何で? 何で、名前を言っただけで、あんなふうになるの?
「エーと、ムラタ君」オバサンが言った。「アナタの、生年月日は?」
ボクはまじめに誕生日を答えた。また、オバサンは書類をめくり、となりのオジサンたちと何やら小声で話した。
ボクは、ひどく居心地が悪くなった。ひょっとして、ボクがここにいるのは、何かのまちがいなんじゃないだろうか。
そうかも知れない。ボクはこれまで、外国に行きたいなんて考えたことはない。マミちゃんはちがう。マミちゃんは、外国に行きたがっていた。ケンタとは、そんな話をしたことはなかったけど、お父さんがアメリカにいるケンタは、日本よりも外国がいいと思うこともあったかも知れない。
でもボクは、外国がいいなんて思ったことは一度もない。外国がどんなところかも知らないんだから。
「えー、では、次の質問です」
おや、何だ? ボクの話はすっ飛ばされたのか。
「アナタたちの行きたい国はどこですか?」
ケンタは、アメリカ合衆国と言った。マミちゃんは、イギリス。ボクの番だ。
「ボクは、ブタジルです」
オバサンが、眉を上げて口をまん丸く開いた。なんか、変なこと言ったかな?
「えっと、なぜ、ブラジルに行きたいんでしょう?」
「おいしいから」
豚汁は好物だ。ニンジンはいらないけど、ゴボウが入っている方がいい。豆腐もだ。また三人は、なんだかんだど相談を始めた。
疲れるなあ。次の質問は、「将来、何になりたいか」。ケンタもマミちゃんも、さっきと同じことを答えた。
「ムラタ君は、どうですか」
ボクは、何も答えなかった。
「将来の夢とか、やりたいこととか、ありませんか? なければ、無いでも結構ですよ」
ボクは黙った。右のオジサンが、笑顔になって身を乗り出した。
「何でもいいんだよ。キミの、希望が聞きたいんだ。サッカー選手とか、漫画家とか。最近は、何とかチューバーなんてのも、流行っているよね?」
まだ、何も言わない。そりゃボクだって、夢はあるさ。いろいろ、あれやこれや、やりたいことがある。早く大人になりたいくらいだ。
でも、言わない。唇を固く結んで、絶対に開かないと決めた。別に、言いたくないわけじゃないんだけどね。
大人たちはまた、ひそひそ相談を始めた。三人が顔を寄せて、眉の間に皺を寄せて話し合っている。面倒くさい人たちだなあ。ただ座っているだけでも、結構疲れるんだけど。ボクはケンタを振り返った。ほら、やっぱり。ケンタはまた、発作が出掛かって、辛そうに顔を赤くしていた。マミちゃんは、人形みたいに固まっていた。
「えー、では、これで終了にします」
オバサンが言った。
なんだよ。散々相談したくせに、終わりかよ。ボクらは階段を上がって、元の部屋に戻った。
