ボット先生 【第3話/全35話】
塾に行くなんて、言わなければよかった。ボクは夏休みの間から後悔していた。お母さんが、一人で家に置いておくのは心配だから、昼間だけでも出掛けられる場所を作りたい、と言った。児童クラブで、夏休みの間、両親が働いている子を預かってくれるから行きなさい、と勧められた。でもボクは、苦手な子のいるクラブはイヤだった。そうお母さんに言うと、「なら、塾ね」と決めつけられた。
塾?
勉強するところじゃないか。夏休みってのは、勉強を休む期間なんじゃないの? 宿題はあるけども、それは、普段の土日にもあるわけで、いつもの続きと思えば、諦められる。でも、せっかく勉強を休んでいい時なのに、わざわざ勉強しに行くのって、おかしいよ。
というようなことを言いたかったけど、うまく言えなかったので、ジッと黙ってお母さんを見つめていたら、「いやなら児童クラブだよ」と冷たい笑顔を返された。目は笑っていないのに、口元だけで薄く笑った、不気味な笑顔だ。ボクはこの顔が苦手だ。この顔を見ると、ひょっとしてこの人は、本当のボクのお母さんじゃないんじゃないだろうか、と思うことがあった。本当のお母さんなら、自分の子どもに、こんな顔をするだろうか。
塾には、ウーちゃんも来る、とお母さんは言った。
「ウーちゃんは、お前が行くなら行くって言ってるんだって。一緒に行ったらどう?」
うむむ? ボクは考えた。ウーちゃんが来るなら、行ってもいいかな?
ところが、塾の夏期講習の初日、なぜかウーちゃんは怒っていた。
ウーちゃんは、同じ団地に暮らす女の子だ。ボクんちのようにお母さんと二人暮らしで、低学年の頃から、敷地の広場で一緒に遊んでいた。逆立ちが得意で、ベンチでも、鉄棒の上でも、平気でニョキッと足を伸ばしていた。しかも、その足を背中の方に曲げて、足の指で自分のお下げの髪を掴んでしまうような、ちょっと気味の悪い子だ。
ウーちゃんは、お母さんに言われたそうだ。
「テッチャンは、お前が行くなら行ってもいいって、言ってるんだってよ」
言ってねーよ、そんなこと!
これだから、大人は危険だ。ボクはウーちゃんに弁解したが、自分の言いたいことは何でも言うくせに、人の話は滅多に聞かないウーちゃんは、すっかりボクを悪者扱いだ。
で、結局ボクらは、夏休みが終わった後も、塾に通い続けることになった。放課後、家に帰って、おやつを食べてから、塾用のカバンを持って駅前に出掛ける。ウーちゃんは、なかなかボクを許してくれなかったけど、二学期になった頃には機嫌が直っていた。別に、大人のウソに気づいたわけじゃない。塾の先生が気に入ったのだ。
塾のタクト先生は、襟のある白いシャツを着た、髪の長い、背の高い若者だ。夏らしく日焼けしていた。英語の授業の担当で、『ドー、ユー、アンダスタン?』が口癖だ。例えば「オケ、エベリバディ、トゥデイズスタディ、イズ、バディー」という具合に、ボクらにはチンプンカンプンな英語で畳み掛ける。これが、ウーちゃんたちには分かるらしいのだ。先生が音楽をかける。すると、女子の何人かが立ち上がって、曲に合わせて踊り出す。
「イエス、レッツ、ダンス!」
先生が、細い黒ズボンに包まれた腰をくねくね振ると、女子たちも、その場で同じように踊る。ウーちゃんなんかもう、その時には机の上に上がっている。軽快な音楽に教室が包まれ、男子も乗せられて踊り始める。
ボディーイングリッシュと言うんだそうだ。
「ヘイ、テツヤ! ドー、ユー、アンダスタン? レッツ、ダンス!」
とうとう、一人で座っているボクを指差して、タクト先生は言った。
分かんねーのか、テメーは。踊れよ!
塾なんて、大嫌いだ。でも、いくら嫌いでも、来てしまったら逃げられない。仕方ない。踊るよ。先生に合わせて、レッツ、タッチ。ヘッド、ショルダー、ニー、アンド、トウ。頭、肩、膝、つま先。ああ、こんなことして、何になるんだろう。ボクはとなりのケンタを見た。やっぱり。ケンタも、実につまらなそうに、リズムなんか関係なく、くたくた踊ってる。ケンタは勉強が嫌いだ。ボクよりもっと嫌いだ。イヤイヤやっているから、肩を触って、膝に手を伸ばして屈んだ時に、机に頭をぶつけた。
ボクとケンタは、顔を見合わせて笑った。
「ヘイ、ユー! マジメにやりな」
タクト先生、怒ってボクらを指差した。
塾はこんな調子だ。若い、元気な先生が大騒ぎして、ボクらを乗せようとする。ウーちゃんはそれが気に入ったらしい。彼女がやめると言わなかったので、ボクも、二学期も続けて通うはめになった。放課後、いつもボクと遊んでいたケンタも、ボクが行くなら、ということで、通うことになった。
ケンタ、ごめんね。
