自己紹介|無口でコミュ障で学校で空気みたいな存在でした。
はじめまして。無口おばけです。
無口で存在感なさすぎた学生時代の自分を表して
「無口おばけ」と名乗ってます。
今は35歳で3年前から農業やってます。
note始めた理由ですが、簡単に言うと
過去の自分みたいな人のための本を書きたくて。
具体的には
コミュ障、HSP、アダルトチルドレン(AC)、INFJなど、
生きづらさで悩んでる人のための本。
その本書く前の練習というか下書き?
みたいな感じで、noteを書いていこうと思ってます。
簡単にこれまでの人生振り返るんで読みたい人だけ読んでね。
無口おばけの過去
幼稚園入学まで
人見知りすぎて家族以外の人と会ったら親の後ろに隠れてました。
そして一言もしゃべりませんでした。
幼稚園~
幼稚園に入るの嫌がって校門の前で泣きまくって年中から入園しました。
幼稚園でもやはり極度の人見知り発揮して誰ともしゃべらず。
いつも教室で一人遊びするか、何もせずボーっとしてたのを覚えてます。
1人だけしゃべらないのに仲いい人がいて、その子に対してトイレで2人きりのときに1回だけしゃべった記憶があります。
でもしゃべったのはその1回だけでした。
小学生~
小学生時代は幼稚園で仲良くて唯一1回だけしゃべった子とは違う学校。
やはりシャイすぎて誰ともしゃべらず。幼稚園のときの私を知ってる人が何人かいて
「おばけちゃんはしゃべらない」って他の子に教えてくれてしゃべらないキャラとして定着。
場面緘黙症(家庭などでは話せるのに、学校や職場など特定の場面で1ヶ月以上話せなくなる不安障害)というものにになってしまいました。
場面緘黙症は高校卒業まで続きます。
中学入学するときも高校入学するときも
「絶対しゃべるぞ!」
って思って入学するけど私がしゃべらないことを知ってる子がたくさんいるせいか、強烈なブレーキがかかってしゃべろうとしても声が出ず、しゃべれませんでした。
いじめ
普通の子と違うのでいじめられたこと、何度かあります。
ただテレビドラマで見るような集団いじめではなく、相手は個人だったので人によってはいじめと呼ばないかもしれません。
トイレ掃除で2人きりになったときに何度も殴られたり、蹴られたり、つねられたり…。
当時の私はメンタル的にはそんなに弱いわけではなかったしいじめられて腹が立っていつか反撃してやる!って思って筋トレもしてたので1対1なら喧嘩すれば勝てると思って何度も何度も相手を殴り返そうと思いました。
でも当時見てたキッズウォーみたいないじめのある学生ドラマではいじめられて反撃する人のイメージが「ふざけんなコノヤロー!」みたいに大声を上げてブチギレて殴り返す姿でした。
でもしゃべれない私はこのブチギレの一声を言えません笑
無言でキレて殴るのはなんか違うような気がするんだよなーって思って反撃できませんでした笑
今思えば普通に無言で殴り返せばよかったと思います。
孤独
学生時代のしゃべらない私を理解してくれる存在は、親含めて、誰もいませんでした。
もちろん場面緘黙症なんて誰も知りません。
しゃべれるのにしゃべらない、こいつは俺らのことが嫌いだからしゃべらないんだ、とよくみんなから誤解されてました。
だから学生時代はずっとぼっちでした。
特に中学の多感な時期の孤独は精神的にきついものがあります。
中学時代の私は卓球部に所属してたんですが、部活内にいじめてくる人が一人、そして一番最悪だったのが顧問の先生。
しゃべれない私は卓球の練習相手を見つけるために声をかけることができません。
なのでいくら練習したくても自分からは練習できませんでした。
それを見た顧問の先生は私にやる気がないと判断し、怒鳴りつけました。
そして私はそのときレギュラーだったのにレギュラーを外されました。
さらに部活中にその顧問の先生の目がうざすぎて他人の目を気にしすぎる視線恐怖症にもなってしまって。
対人恐怖症に近いけど視線(見られてる)という感覚が怖い病気。
これがうつ病以上につらかったです。
なぜなら好きだった卓球に思いっきり影響してイップスになり、サーブが打てなくなり、普通にラケット振る動作すらおかしくなったからです。
イップスになるまでの私はそこそこ卓球強くて新人戦地区大会ベスト4とかまでいったのに、イップスになってから全試合1回戦負け。
ベスト4まで行った時に私をライバルとして見てた他校の人にゴミを見るような目で見下されながら「見損なった」と蔑まれました。
唯一少しだけあった自信を失い、これをきっかけにうつ病に。
自殺未遂とかまではしてないですが、毎日死にたいと考えるようになり、リストカットしようとして、カッターがサビてて変な病気に感染したら嫌だと思ってやめました。
うつ病は軽度だったためか、無口でぼっちで暇だったので昼休みとかに毎日図書室で自己啓発本読みまくったりしてるうちに治りました。
少し救われた高校時代
高校でも卓球やりたかったんですが、イップスで弱くなった自分をこれ以上見られるのが嫌だったので弓道部にチェンジ。
これが実はめちゃくちゃいい選択でした。
弓道やる人は優しくて穏やかな人が多いんですね。先輩たちがみんなとても優しくてまるで天国に来た気分でした。
はじめてこんなに人から優しくされて、人間嫌いになりかけてて、人殺しになってもおかしくなかった私はここで人間を取り戻せました。
相変わらず場面緘黙症は治らずしゃべれないままでしたが、人の温かさに触れられて本当によかったです。
ただし、修学旅行ではしゃべらないなりにいつもお昼を一緒に食べてる人が2人いたんですが、自由行動のときにその2人に存在を忘れられてぼっちになってしまい、その2人に対して殺意が芽生えました^^
やはり私はぼっちなんだなと再認識しました。
さらなる地獄を見た大学時代
大学は地獄過ぎて書くと長くなるのであとで別記事書く予定。
社会人時代
地元で就職
→フリーター
→派遣社員
→ブログアフィリエイトで独立
→半ニート
→農業始める←今ココ
社会人前半はコミュ障が全然治ってなくて、そして地元の栃木が田舎なので出会いがまったくなく、孤独街道まっしぐら。
学生時代ずっと無口で、大学でしゃべり始めたと思ったら友達がいないので会話する機会がほとんどなく、そのまま社会人になっちゃったので本当に当時は超ド底辺レベルのコミュ障でした。
でも友達作らないことには会話する経験って積めないよな、友達作らなきゃって思って出会い探すも地元の英会話教室行ったら60歳以上の人しかいない。
仕方ないから栃木から電車で2時間半かけて東京のガールズバーに通って会話の練習したり、東京の英会話サークルに参加したり。
田舎にいたら東京に行くのにお金と時間がかかって仕方ないので、仕事を辞めて東京でフリーターになりました。
転換期
転換期は25歳くらいの時。
この時に何があったとかではなく、それまでの人生経験と読んだ本の蓄積を頭の中でぐるぐるしながら考えてるうちに人生の真理にたどり着きました。
あれ、なんで私こんなにコミュ障で悩んでたんだろう。
変わりたい変わりたいって思って努力してたんだろう。
悩まなくていい。変わらなくていい。
そう思えたときから、人生が変わり始めました。
ひと言で言ったら自己受容ができたんだと思います。
note書く理由
最初に言ったけど私がnote書く理由。
それは
コミュ障こじらせて悩みまくってる人とか、
自己肯定感低くて人生詰んでる人とか
過去の自分みたいな人が
人生を変えるための道しるべを
残してあげたいから。
親ガチャって言葉があるけど
人生がハードモードになるか
イージーモードになるかは
親だったり先生だったり
子どもの頃に出会えた大人の質とか、
育てられた環境によると思う。
その環境に
恵まれなかったというだけで
つらい人生を歩むことになるのは
フェアじゃないと思ってて
そういう人が生きづらさを抱えたまま
うつになったり自殺しちゃうのは
本当にもったいないと思う。
だって人生ハードモードの人の方が
それを乗り越えたときに
絶対魅力的な人間になれるから。
そのために必要なのは「気づき」。
行動変えなくても心を変えるだけで
人生はがらっと変わります。
でも気づけなければずっと苦しいまま。
そのままで生きてたら人生損します。
私はたまたま若いうちにその変容を
体験できたから
人生イージーモードの
期間が長くなってよかったけど、
変われなければハードモードがずっと続きます。
一瞬で
ハードモードからイージーモードになれる
秘密の鍵を渡すんで、
人生変えたい人はぜひ、
私のnoteを読んでいただきたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
もしよかったら、私と繋がりませんか?フォローお待ちしてます。
私も積極的につながりたいと思ってます。
