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信頼したい。それが私の『好き』だった。

第2弾では、私にとって推しへの“好き”は、憧れであり、尊敬であり、「幸せでいてほしい」と願う気持ちだと書きました。

では、友達への“好き”はどうなんだろう。

推しとは違って、友達は同じ時間を過ごす存在です。一緒にご飯を食べたり、何気ない話をしたり。くだらないことで笑ったり、悩みを打ち明けたり。同じ“好き”という言葉を使うのに、その感情は推しへの“好き”とは少し違います。今回は、そんな友達への“好き”について書いてみようと思います。

私は、人を好きになることよりも、人を信頼することの方が難しかったのかもしれません。人見知りということもあって、人間関係を築くのは昔から得意ではありませんでした。
あ、この人、あまり楽しそうじゃないな。
あの人といる方が楽しそう。
そんな相手の小さな変化に気づいてしまうことがあります。気づかなくてもいいことまで気づいて、一人で考え込んでしまうこともありました。
相手は何も考えていないかもしれない。
私の考えすぎかもしれない。
それでも、一度気になり始めると、頭の中でぐるぐる考えてしまいます。だから、人と仲良くなることは嬉しい反面、少し怖さもありました。
嫌われたくない。変に思われたくない。
そんな気持ちが、いつもどこかにありました。
年齢を重ねるにつれて、友達同士で恋愛の話をすることも増えました。みんなは自然に、自分の好きな人のことや恋愛の話をしてくれます。私は笑って聞いていました。でも、そのたびに思うことがありました。
私にも話したいことはある。だけど、話せない。
話さないことを選んでいるだけなのに、小さな嘘を重ねているような気持ちになることがありました。

対等な関係でいたいと思うほど、その距離が少しだけ遠く感じられました。だから、人と深く関わることが嬉しい反面、どこか怖さもありました。

私は昔から、自分の考えを理解してもらえないと感じることが少なくありませんでした。
それは違う。
そんな考え方、おかしい。
そんなふうに言われるたびに、自分のことを話す前に立ち止まるようになりました。
こんなこと言ったら変に思われるかな。
引かれたらどうしよう。
言わない方が楽かもしれない。
そんなことばかり考えていました。

でも、違う人がいました。どんな話でも最後まで聞いてくれました。考え方が似ていることもあれば、違うこともありました。それでも、その人は私の考えを否定しませんでした。
「そういう考え方もあるんだね」
ただ一つの考え方として受け止めてくれました。だから気づけば、今まで誰にも話したことのないことまで自然と話していました。話したあとも、その人は今までと何も変わりませんでした。今まで通り笑って、今まで通り接してくれました。その「何も変わらない」が、私には何より嬉しかったです。

この人になら、なんでも話せる。

そう思えたのは、その人が初めてでした。

何があっても、この人の味方でいたい。

そう思えたのも、その人が初めてでした。

それと同じくらい、私の中にはもう一つの基準があります。
何か嬉しいことがあったとき。 
少し落ち込むことがあったとき。 
どうしたらいいか分からなくなったとき。
そんなとき、私は自然と
「あ、この人に話したい。」
と思います。きっと私にとって大切な友達とは、一番長く一緒にいる人でも、一番たくさん連絡を取る人でもありません。
何かあったときに真っ先に顔が浮かぶ人。
 嬉しい気持ちも、不安な気持ちも、「まずはこの人に伝えたい」と思える人。
そんな存在だからこそ、私もその人にとって、何かあったときに思い出してもらえるような人でありたいと思っています。

私にとって、心を許せているかどうかには、ひとつの小さな基準があります。少し変な話かもしれません。
一緒に出かけたり、ご飯を食べに行ったりすると、途中でトイレに行きたくなることがあります。心を許せている相手なら、「ちょっとトイレ行ってくるね。」と、そのタイミングで自然に言えます。でも、まだどこかで気を遣っている相手だと、なぜか言えません。相手がトイレに行くタイミングに合わせてしまう自分がいます。合わせようと思っているわけではありません。気づけば、そうしていました。
きっと私は、そんな小さなところでも無意識に相手へ気を遣っているんだと思います。だから、何も考えずに「トイレ行ってくるね。」と言える相手は、それだけ心を許せているということなんだと思います。私にとって“自然体でいられる”というのは、こういう何気ないことの積み重ねなのかもしれません。

私にとって‘‘自然体でいられる’’というのは、こういう何気ないことの積み重ねなのかもしれません。
私にとって友達への‘‘好き’’は、「信頼できる」という場所にたどり着くまでの気持ちなのかもしれません。
何でも話せる。
 無理をしなくていい。
 ありのままの自分でいられる。
そう思えたとき、「この人のことが大好きだな」と感じます。
だから私にとって、友達への‘‘好き’’は、信頼することがひとつのゴールでした。
でも、この頃の私はまだ知りませんでした。 同じ信頼という言葉でも、恋愛では少し意味が変わるということを。

だから私は、恋人にもそんな関係を求めています。もちろん一緒にいてドキドキすることも素敵だと思います。でも、それ以上に安心できることの方が大切です。
恋人だから何か特別なことをするのではなく、お互いが息のしやすい環境で過ごせること。
着飾らなくていい。
好きなことを好きだと言える。
一人で過ごす時間もお互いに大切にできる。
無言でも心地いい。
そんな友達のような恋人が、私の理想です。

第2弾で書いた推しへの“好き”は、遠くから見守る“好き”でした。
幸せでいてほしい。
笑っていてほしい。
その願いが届かなくてもいい。
ただ、その人らしく生きていてくれたら嬉しい。
友達への“好き”は少し違います。
隣で笑っていたい。
ご飯を食べに行って、くだらない話をしたい。
困ったときは相談したいし、相談してほしい。
でも、不思議なことに最後に願うことは同じでした。
幸せでいてほしい。
私の“好き”は、いつもそこにたどり着きます。
もし、大切な友達に恋人ができたら。
私は心の底から“おめでとう”と言います。もちろん、少し寂しい気持ちはあります。今までよりも会える回数は減るかもしれません。でも、それ以上にその人が幸せなら嬉しいです。

恋人と過ごす幸せと、友達と過ごす幸せは、きっと違うものだから。

できることなら、その恋人とも仲良くなれたら嬉しいです。私の大切な人の大切な人を、私も大切にできたらいいなと思います。

もし私に恋人ができたとしても、友達は今までと変わらず、大切で大好きな存在です。恋人ができたからといって友達が二番になるとは思えません。もちろん恋人のことも大切です。でも、友達のことも同じように大切です。それは、どちらが上とか下とかいう話ではありません。
私にとって恋人と友達と家族は、衣食住みたいなものだからです。
ご飯だけでは生きていけません。眠る場所だけあっても暮らせません。服だけでも毎日は成り立ちません。それぞれ役割が違うからこそ、どれも欠かせない存在です。
恋人も。友達も。家族も。
今の私をつくってくれた、大切な存在です。

だから、人との関係に順位をつけたいとは思いません。好きの大きさを比べたいわけでもありません。
ただ、“好き”の向いている方向が違うだけなんだと思っています。

第1弾で、“好き”という2文字だけでは足りないと書きました。
第2弾では、推しへの“好き”は、憧れであり、尊敬であり、生きる理由であり、「幸せでいてほしい」と願う気持ちでした。
そして今回書いた友達への“好き”は、信頼であり、安心であり、「このままずっと笑っていてほしい」と願う気持ちでした。同じ“好き”という言葉なのに、その意味は少しずつ違います。

では、恋愛の“好き”は何なんだろう。

私はまだ、その答えを探している途中です。次は、私が一番大切にしたい“好き”について書いてみようと思います。

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