【第4章】 第97話
【第4章】 第97話 届くかたち
「馬っ鹿もーん‼︎」
潮騒の魔女の家に戻った瞬間、開口一番に飛んできた怒声だった。
テレシアの視線は、真っ直ぐレオンハルトに突き刺さっている。
空気がまだ“海の外側”から完全には戻っていないまま、その声だけが現実を殴りつけた。
「……っ」
レオンハルトは言い返せない。
膝をついたまま、肩で息をしている。
剣はもう握っていない。
握れない。
雷の残滓が、体内で焼け焦げたまま消えきっていない。
「無茶をしたわね……」
テレシアの声が低くなる。
怒りというより、呆れと危機感が混ざった声だった。
「リオの力を“使えた”からって、それを自分のものだと思った?」
レオンハルトの指が微かに動く。
否定しようとして、できない。
ヴィクトルが一歩前に出かけて、止まる。
真琴は息を呑む。
セラフィナだけが、状況を静かに見ていた。
「身体が持たないわよ、あの使い方は」
テレシアはレオンハルトの腕を一瞥する。
そこにはまだ、雷の焼き跡のような痕が残っていた。
テレシアの視線が、ゆっくりとレオンハルトから外れる。
怒りはもう、言葉にはならなかった。
代わりに残ったのは、静かなため息だった。
「……無茶をしたわね、本当に」
レオンハルトは答えない。
いや、答えられない。
腕が、まだ震えている。
剣を握る感覚が遠い。
自分の身体なのに、自分のものではないような違和感だけが残っていた。
セラフィナがそっと視線を落とす。
「……しばらくは、無理ね」
その言葉に、誰も否定しなかった。
ヴィクトルは唇を結び、真琴は目を伏せる。
クラリスもフィオナも、言葉を探さなかった。
リオだけが小さく笑う。
「まあ……代償なしに使える力なんて、ないからね」
その声も、どこか遠い。
潮騒の魔女の家に、波の音だけが戻ってくる。
外の世界は静かだった。
まるで何も起きていないように。
だが――
誰も、それを信じてはいなかった。
⸻
マリーナに戻ってきて、
真琴はずっと作業をしていた。
心配して、クラリスが声をかける。
「帰ってきてからずっとどうしたの?」
町で買ってきたペンに魔石を組み込んでいる。
「今回ほど、自分の非力を感じた事がなかったの」
「そんな事をないでしょう?真琴はずっと…」
クラリスが言い終わらないうちに、
クラリスの腰に抱きついて、真琴は声を殺して
泣き出してしまった。
「私…こんなに…弱いつもりなかった…のに…」
クラリスは、真琴の背中をポンポンと軽くたたきながら
「一人って怖いよね。私も古代遺跡で一人になった時
本当に怖かった。魔物に会うことじゃない、このまま仲間に再会出来なかったらって方がね。本当に辛いって思ったよ」
真琴は、グズグズ鼻を鳴らしながら頷いた。
⸻
クラリスの腕の中で、真琴の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
鼻をすする音が小さくなり、代わりに、魔石ペンを握る指だけがまだ強く力んでいた。
クラリスはそれに気づいていたけど、無理に離さなかった。
「……真琴」
「……うん」
「弱いって思ったの、初めて?」
真琴は少し間を置いてから、小さく首を振る。
「違う……本当は、ずっと怖かったのかも」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が少しだけ静かに沈む。
真琴はクラリスから顔を離し、目をこすった。
「でも、今までは“なんとかなる”って思えてたの。誰かがいて、レオンハルトがいて、セラフィナがいて……」
そこで言葉が詰まる。
「でも今回……何もできなかった」
魔石ペンを見つめる。
「あれだけ近くにいたのに、何も届かなかった」
クラリスは少しだけ視線を伏せる。
そして、ゆっくり言った。
「届かなかったんじゃないよ」
真琴が顔を上げる。
クラリスは淡々と続ける。
「届く形じゃなかっただけ」
「……形?」
「剣とか魔法とか、そういう“外に出す力”だけが力じゃないから」
真琴は、まだ納得しきれない顔をする。
クラリスは小さく息を吐いて、言葉を選ぶように続けた。
「私の両親もね。遺跡の奥で、ずっと研究してた」
真琴の動きが止まる。
「救われなかったんじゃない。“救いの形がズレてただけ”だったのかもしれないって、今でも思う」
その言葉は、どこか痛みを含んでいた。
クラリスは真琴の手元を見た。
魔石ペン。
まだ未完成のままの、それ。
「真琴は今、“届かない側”にいるんじゃなくて、“届く形を作る側”にいるんじゃない?」
真琴の指が、少しだけ緩む。
「形を……作る側?」
クラリスは頷く。
「そう。だから今、作ってるんでしょ?」
魔石ペンを指差す。
真琴はそれを見て、ようやく少しだけ息を吐いた。
でも、まだ完全には晴れない。
そのとき――
部屋の扉が軽く叩かれた。
部屋の扉が軽く叩かれた。
「入るよ」
リオだった。
いつも通りの声。軽い。
クラリスが振り向くより早く、リオは部屋の中の空気を一度だけ見て、小さく息を吐いた。
「……まあ、そうなるよね」
真琴の手元、魔石ペン。
そして、まだ乾ききっていない感情の跡。
リオはそれ以上深くは踏み込まず、肩をすくめた。
「レオンハルトは、数日は無理」
その言い方は淡々としているけど、どこか“当然の報告”というより“確認”に近い。
クラリスが眉をひそめる。
「あなた、どこまで関わってるの?」
リオは一瞬だけ黙る。
それから、少しだけ目を逸らした。
「……今回の剣技の“開放”、僕がやったから」
空気が一段、重くなる。
真琴の呼吸が止まる。
クラリスの表情が固まる。
リオは軽く手を振った。
「別に悪いことしたつもりはないよ。あのままだと詰んでたし」
その言葉は言い訳というより、事実の整理に近い。
「でもね」
少しだけ間を置く。
「“借りた力を開いた状態で使わせる”って、やっぱり負荷は出る」
真琴が小さく声を落とす。
「……リオが、やったんだ」
リオは頷く。
「うん。だから責任ゼロではない」
そこは否定しない。
ただ、重くもしない。
リオは魔石ペンをちらっと見て、軽く続ける。
「でも結果として、あなたはちゃんと“限界”を見た」
クラリスが静かに言う。
「それ、慰め?」
リオは少し笑う。
「違うよ。事実」
そして、いつもの軽さに戻す。
「届かなかった、って思ったでしょ」
真琴は小さく頷く。
リオはあっさり言う。
「うん、それ正しい」
一拍。
「でも、“まだ届く形じゃない”ってだけ」
真琴の胸が少しだけ揺れる。
リオは視線を逸らしながら続ける。
「これから先、そういうの増えるよ。普通に」
クラリスが目を細める。
「普通に言わないでほしいんだけど」
リオは肩をすくめる。
「だって普通になるから」
そして、少しだけ声を軽くする。
「だから今のうちに、作る時間」
魔石ペンを軽く指で弾く。
「それ、ちゃんとそのためのものじゃん」
真琴はペンを見る。
さっきより、少しだけ握り方が変わる。
リオはそれを見て、満足したのかしないのか分からない顔をして背を向ける。
扉へ向かいながら、最後だけ軽く言う。
「泣くのはいいよ。別に禁止してない」
一瞬止まる。
「ただ、泣きっぱなしは向いてないだけ」
扉が閉まる。
静けさが戻る。
真琴は魔石ペンを見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……ほんと、あの人さ」
クラリスが苦笑する。
「厄介ね」
でもその空気は、さっきより少しだけ“前”に寄っていた。
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