【雲間月怪異譚】 第58話

【雲間月怪異譚】第58話 ゲリラ豪雨


※注意※
本作『雲間月怪異譚』には、
怪異・都市伝説・因習・和風ホラー表現が含まれます。

薄暗い話や、
“じわりと嫌な感じ”のする話が苦手な方は、
どうか無理をなさらず回れ右でお願いします。

それでも覗いてくださる方は――
どうぞ、雲間の怪異譚へ。

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三日月保と影縫クロウが暮らす家は、自然豊かな田舎に建っている。

ふたりは同居人として母屋で生活しているが、隣には住居用にリフォームされた蔵があり、そこには妖怪・雲外鏡爺が住んでいる。

同時に、その蔵は影縫クロウの仕事場でもあった。

さらっと妖怪が住んでいると言ったけれど、僕が子どもの頃には祖父もその蔵で暮らしていた。

だから僕にとっては、祖父も雲外鏡爺も、どちらも「爺ちゃん」である。

そして時折、その雲外鏡爺のもとには妖怪仲間が相談事を持ち込んでくる。

本日もまた、一人の客人が訪れていた。

母屋の内線電話が鳴る。

受話器を取ったクロウが苦笑しながら振り返った。

「保、お酒とおつまみを頼むって。相談事みたい。」

クロウは料理が得意だ。

妖怪によって苦手な食材も好物も違うのに、嫌な顔ひとつせず手際よく用意してしまう。

しばらくして蔵から戻ると、僕を手招きした。

「今日のお客さん、一見の価値あり。」

「そんなに?」

「雲外鏡爺にも許可をもらった。」

そう言われれば行くしかない。

蔵の中はリフォームされていても、昔ながらの古民家そのものだった。

囲炉裏に座敷、梁には年月が刻まれ、祖父や先祖たちが集めた骨董品が静かに並ぶ。

上座には雲外鏡爺。

その向かいには、楚々とした着物姿の女性が正座していた。

僕たちは囲炉裏から少し離れた場所へ腰を下ろす。

「相談とな?」

雲外鏡爺がお猪口を差し出す。

女性は両手で丁寧に受け取り、一口飲む。

すると耳から首筋まで、ほんのり桜色に染まった。

その仕草が妙に艶っぽくて、思わず見入ってしまう。

「……昔は、この辺りのように田畑や畦道に囲まれた場所が、たくさんありましたのに。」

「都会へ移り住んだ者に文句を言うても始まらんじゃろう。」

「それは承知しております。でも……婚姻だけは昔も今も変わりません。」

「田舎へ戻って挙げればよかろう。」

女性は困ったように首を振る。

「国際結婚なのです。」

話を聞くと、娘さんがイタリア人男性と結婚するらしい。

相手は都会でイタリア料理店を営んでいて、結婚式も彼の故郷で挙げたいという。

「好きにさせれば良かろう?」

「雲外鏡爺もご存じでしょう? 私たち一族は、結婚のしきたりが厳しいことを。」

「厳しいというより、結婚ルールじゃな。」

爺ちゃんは腕を組んだ。

「……その男は、娘の正体を知っとるのか?」

「いいえ。」

女性は静かに首を横へ振る。

「娘自身も知らないのです。生まれた時から人の姿で暮らしてきましたから、自分を人間だと思っています。」

「それは結婚以前の問題じゃろうが!」

雲外鏡爺が額を押さえる。

女性は「でも……」と口を尖らせながら、お酒だけは順調に空けていく。

「クロウ、おかわりじゃ。」

「はいはい。」

クロウは追加のお酒を取りに母屋へ戻っていった。

その間だった。

女性が少し足を崩した拍子に、着物の裾からふわりと尻尾が覗く。

一本。

二本。

三本。

……

九本。

(九尾の狐!?)

人に化けられる狐妖怪といえば超大物だ。

まさか、こんな身近にいたとは。

「保、何か妙案はないかのう?」

「いや、まず結婚ルールって何?」

僕が尋ねると、女性は姿勢を正した。

「昔から狐の嫁入りは、新郎新婦が道中を練り歩き、その最中に天気雨が降れば幸婚となるのです。」

「ああ……『狐の嫁入り』って、あの天気雨のこと?」

「本来は、そこから来た言い伝えです。」

なるほど。

昔話じゃなく、本当に結婚式だったわけだ。

「外国で式を挙げるのがまずいの?」

「天気が読めません。」

「日本だって読めないよ?」

「式場の中では雨が降りませんでしょう?」

「まあ、それはそうだけど……。」

「娘さんは、日本で昔ながらの式をする気は?」

「ありません。彼のご両親まで歩かせるなんて申し訳ない、と。」

「チャペルなら最後に外へ出るじゃない? ライスシャワーするところとか。」

「最低でも百メートルは歩いていただきませんと。」

「長っ!」

思わず声が漏れた。

(娘さんじゃなくても面倒くさいって言うよ……。)

「例えば人工的に雨を降らせるとか?」

「自然の天気雨でなければ意味がありません。」

「前撮りだけ日本で?」

「本番ではありません。」

「イタリアで百メートル歩けば?」

「天気雨になる保証がありません。」

「……。」

「……。」

囲炉裏を囲む全員が腕を組んだ。

誰一人として名案が浮かばない。

「最近は海外婚も増えましたし……。」

九尾の女性は寂しそうに笑う。

「昔は田んぼを歩けば、そのうち天気雨くらい降ったものですが。」

「今は都会じゃ空も狭いからね。」

僕が苦笑すると、

ドォォォォン……

遠くで雷鳴が響いた。

「あれ?」

さっきまで青空だった空の一角に、黒々とした積乱雲が湧き上がっている。

「最近、多いよね。」

僕が立ち上がった、その瞬間だった。

ザァァァァァァァァッ!!

空が抜けたのかと思うほどの豪雨が庭へ叩きつけられる。

「……。」

「……。」

「……。」

しばらく誰も口を開けなかった。

やがて雲外鏡爺が、お猪口を傾けながらぽつりと言う。

「天気雨どころではないのう。」

クロウも窓の外を眺めて苦笑した。

「これじゃあ狐の嫁入りじゃなくて、避難勧告だね。」

九尾の女性は肩を落とし、大きくため息をついた。

「最近の天気では……もう、昔ながらの結婚式は難しいのかもしれませんね。」

庭では、激しい雨が容赦なく地面を叩き続けていた。

狐の嫁入りも、令和ではゲリラ豪雨に負ける時代らしい。


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