【雲間月怪異譚】 第57話
【雲間月怪異譚】第57話 海月
※注意※
本作『雲間月怪異譚』には、
怪異・都市伝説・因習・和風ホラー表現が含まれます。
薄暗い話や、
“じわりと嫌な感じ”のする話が苦手な方は、
どうか無理をなさらず回れ右でお願いします。
それでも覗いてくださる方は――
どうぞ、雲間の怪異譚へ。
=====================
ウォーターベッドをダブルサイズにして、
カーテンは、暗色遮光。
クーラーは、少し低めの設定。
部屋を暗くして、ベッドに横たわる。
寝返りのたびに、ゆっくりと揺れる振動。
水の中にいるような感覚。
これが、私の想像系熱帯魚モード。
昔から、水の中が好きだった。
海の中にいるわけでもないのに、目を閉じれば、身体がゆっくり浮かんでいくような気がする。
嫌なことも。
面倒なことも。
考えたくないことも。
全部、水の底へ沈んでいくようだった。
さっき、彼氏が帰って行った。
「また連絡する」
いつもの言葉。
いつもの笑顔。
でも、その言葉を信じられなくなったのは、いつからだっただろう。
余韻なんて、ここ数ヶ月なくなった。
あれほど感じていた恋愛モードも、
今ではSNSで流れてくる誰かの浮ついた相談事みたいだった。
好きだったはずなのに。
大切だったはずなのに。
いつの間にか、手を伸ばしても届かない場所にいる。
昨年の夏に行ったクルージング。
船から見た、深く濃い緑青の海。
底なんて見えないほど、暗く静かな海。
水族館は、色とりどりのライトと魚。
そして珊瑚礁。
ああ、南の海なら、もっと綺麗だったのかな?
そんなことを考える。
でも――
私は、水族館のクラゲブースの方が好き。
暗い水槽の中で、光を浴びながら漂う姿。
自分の意思で泳いでいるようで、実は流れに身を任せている。
揺蕩う動きに身をまかせて、何も考えたくない。
海の魔女なら、どうするのかな?
離れていく彼氏の気持ちを、蛸のように巻き付ける?
それともやっぱり、クラゲのように毒針で痺れさせる?
でも――
私は、やっぱり熱帯魚がいいな。
ずっとゆっくり泳ぐの。
誰にも邪魔されず。
誰にも傷つけられず。
ひんやりした海の底は、きっと気持ちいいから。
ひんやりした海の底は、きっと気持ちいいから――
その夜。
彼女の部屋には、波の音はなかった。
ただ、ウォーターベッドが小さく揺れていた。
まるで誰かが、隣に横たわっているように。
――数日後。
いつものように流れるニュースの中で、その出来事は淡々と伝えられた。
「ニュースをお伝えします」
23日未明、都内のマンションで男女二人の遺体が発見されました。
警察は、二人の関係性や室内の状況から、慎重に捜査を進めています。
それは、夏の夜に起きた数ある事件の一つ。
多くの人にとっては、すぐに忘れられていくニュースだった。
しかし――
三日月保の元へ、そのニュースを持ってきた人物がいた。
「このニュース……気になって」
秋野さんは、いつになく真剣な表情でスマホを握っていた。
古民家の居間。
保はソファに座り、湯飲みを置く。
「その女性が……秋野さんのリスナーさん?」
「うん。怪談配信のコメントで何度かやり取りしてたの。直接会ったことはないけど……」
「その女性が……秋野さんのリスナーさん?」
保は湯飲みをテーブルに置いた。
秋野はスマホの画面を見つめる。
そこには、亡くなった女性のSNSアカウントが表示されていた。
「最近、変な投稿が増えてたの」
「変な投稿?」
「海の写真ばかり」
保は画面を覗き込む。
青い海。
水族館のクラゲ。
夜のプール。
水面に反射する月。
どれも綺麗な写真だった。
だが――
「……同じ場所?」
保が呟く。
「え?」
「全部、水面が写っている」
秋野は首を傾げる。
「海が好きな人なら普通じゃない?」
「いや……違う」
保は画面を指差した。
「この写真、撮影場所が全部違うのに……」
そこには、同じものが写り込んでいた。
水面の奥。
白くぼやけた影。
人の顔にも見える何か。
「彼女、最後の投稿でこんなことを書いてた」
秋野が読み上げる。
『やっと、私の泳げる場所を見つけた』
部屋の空気が少しだけ冷える。
「……保さん」
「うん」
「これ……どう見ます?」
保は答えなかった。
ニュースでは、男女二人の変死事件。
でも、彼女が最後に残した言葉は――
助けを求める言葉ではなかった。
それは…帰る場所を見つけた人間の言葉だった。
←前の話
→次の話
→【雲間月怪異譚】まとめページ
