【外伝】 フィオナの退職届
外伝 フィオナの退職届
外伝 フィオナの退職届
「あらまぁ……」
その日も、神殿は忙しかった。
祈りを捧げる信徒。
怪我人の対応。
絶え間なく届く“神の御言葉”。
「フィオナ様、こちらをお願いします!」
「次の回復を!」
「神託の準備が整いました!」
「ええ、今参りますわ」
微笑みながら応じる。
それが当たり前だった。
それが“聖女”としての役割だった。
けれど――
「……」
ふとした瞬間、思考が途切れる。
言葉が、祈りが、願いが、
ただの“音”のように流れていく。
届いているはずなのに、
何一つ、心に残らない。
(……少し、休みたい)
そう思ったのは、いつからだったか。
――――
部屋に戻った瞬間、フィオナはそのままベッドへと倒れ込んだ。
「……はぁ……」
誰もいない。
静かだ。
ようやく、息ができる。
胸の奥に溜まっていた何かが、少しだけ抜けていく。
その手には、一本の魔石ペン。
「試作品ですけど……」
クラリスの笑顔が浮かぶ。
「真琴と一緒に作ったんです」
「……真琴と、ね」
小さく呟いて、目を閉じる。
少しだけでいい。
何も考えずにいたい。
「……もう、辞めたい……」
ぽつりと零れた、その言葉に――
『退職届を作成しますか?』
「……え?」
フィオナは顔を上げた。
手元の魔石ペンが、淡く光っている。
「……なに、それ……」
『勤務先:神殿』
『退職理由:一身上の都合』
『希望:即日退職』
「……あらまぁ……」
思わず、苦笑する。
「一身上の都合なんて……あの上司が納得するわけありませんわ」
沈黙。
『了解しました』
「……え?」
それ以上、何も起こらない。
ペンは静かに光を失った。
「……なんでしたの、今の……」
フィオナは首を傾げながら、再びベッドへと沈み込む。
――――
その日。
魔石ペンは、静かに記録を続けていた。
祈りの言葉。
回復の詠唱。
繰り返される指示。
先輩神官たちの、言われない嫌味。
終わることのない“次”。
一つ一つを拾い上げ、
淡々と、積み重ねていく。
感情を挟むことなく。
ただ、事実だけを。
――――
夜。
部屋に戻ったフィオナの目に入ったのは、
「……なに、これ……」
机の上に積まれた、大量の紙だった。
一枚、手に取る。
『退職理由:過重労働による精神的負担』
『退職理由:職務内容と信仰理念の乖離』
『退職理由:上司による継続的圧力』
『退職理由:回復魔法の過剰使用による身体的限界』
ぱらり、ぱらり。
めくるたびに増えていく“理由”。
「……増えてますわね……」
思わず、笑ってしまう。
けれど、その指先は止まらない。
最後の一枚。
そこには、短く書かれていた。
『本音:少し、休みたい』
「……」
フィオナは、その紙を見つめた。
しばらく、動かない。
やがて、小さく息を吐く。
「……こんなに、理由があるのね……」
紙を胸元に引き寄せる。
「……あらまぁ」
少しだけ、困ったように笑った。
「わたくし……ずっと、気づかないふりをしていたのですね」
答える者はいない。
けれど――
その夜、フィオナは初めて“祈り”ではなく、
自分のために目を閉じた。
――――
翌日。
「……あらまぁ」
机の上に、整えられた一枚の紙。
フィオナはそれを手に取り、
ほんの少しだけ迷って――
そして、微笑んだ。
「提出いたしますわ」
その一歩は、
聖女としてではなく、
一人の人間としての
選択だった。
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