【第九話】 月下の舞台にファントム舞う


第九話 月下の舞台にファントム舞う


王都南区画。

月明かりは、今夜やけに鮮明だった。

石畳の一つ一つが白く浮かび上がり、影は濃く、輪郭を持つ。

まるで――舞台のように整えられている。



その中央の空に、少女はいた。

長い黒髪を二つに結い、襟を重ねた衣装に繊細なレース。
膝上で広がるスカート。
黒と白のストライプのハイソックス。

この世界のものとは思えない装い。

だが、それ以上に異様なのは――その顔だった。

両目は包帯で覆われている。

それが後ろへと流れ、リボンのように揺れていた。

腕には、白い兎のぬいぐるみ。

月光を受けて、青白く染まる。



少女は、ゆっくりと首を傾げた。

「ねぇ……」

誰に向けたわけでもない声。

「せっかく“広がってきた”のにさ」

くす、と笑う。

「試すだけじゃ、つまんないよね?」



足元。

石畳の隙間から、じわりと黒が滲む。

粘りを持ち、脈打ち、やがて“形”を取り始める。

一つ。

また一つ。

音もなく、いくつも。



白い仮面。

黒い外套。

人の輪郭をなぞった、“空虚”。

ファントム。



少女は、ぬいぐるみを抱いていない方の手を掲げる。

「――ねぇ、踊ろ?」

パチン。

乾いた音が、夜に響いた。



その瞬間。

すべてのファントムが跳ねた。

地面から屋根へ。

屋根から空へ。

重力を無視するように、軽やかに。



月光の下。

黒と白が舞う。

それはまるで――群舞。



少女はくるりと回る。

ぬいぐるみを抱きしめながら、楽しげに。

「今夜はいっぱい遊べるね」

そして、小さく呟く。

「だって――“壊してもいい段階”に来たみたいだし」



王都の夜は、静かに変質を始めていた。



真琴たちは、王都南区画を歩いていた。

人の気配が、ない。

静かすぎる。

「……変だね」

真琴が呟く。

「静かすぎる。さっきまでの街と違う」

「恐怖による自発的退避か、あるいは――」

ヴィクトルが淡々と答える。

「“排除された”か、だな」

レオンハルトが軽く言った。

その手はすでに剣に触れている。



「……上、見て」

真琴の声。

三人の視線が、同時に上がる。



いた。

屋根の上。

一体ではない。

十。

いや、それ以上。



白い仮面が、並んでいる。

動かない。

ただ、見下ろしている。



「……なんだよ、あれ」

レオンハルトが低く呟く。



一体が、揺れた。



落ちるのではない。

“踏み出した”。

空中に。



次の瞬間。

全てが動いた。



「来るぞ!」

ヴィクトルが叫ぶ。

同時に詠唱に入る。



魔法ログ》

《対象:風魔法》
《詠唱エラー率:43%》
《魔力損失:52%》



「風魔法ね。エアースラッシュ」

真琴が割り込む。

「そのままじゃ精度も威力も足りない!」

腕を上げる。

魔法陣が展開される。

ヴィクトルの周囲を走査し、詠唱構造へ干渉する。

「修正入れる!合わせて!」



ヴィクトルの身体に熱が走る。

魔力が収束する。



「――風よ」
「風よ」

「刃となりて、空を裂け」
「刃となりて、空を裂け」



放たれたそれは、別物だった。

風が束になり、刃が増える。

分裂し、加速し、軌道を変えながら群れへと喰らいつく。



ファントムが崩れる。

だが――消えない。



「実体、薄い!」

真琴が叫ぶ。



落ちてくる。

黒い液体を撒き散らしながら。



「だったら――斬る!」

レオンハルトが踏み込む。

一閃。

黒が弾ける。

だが、その破片が蠢く。


「分裂する!?」


背後。

仮面が迫る。


「真琴!」


間に合わない。


「――退がれ」

風が割り込む。

ヴィクトルが叩き落とす。

「下がれ。補助に徹しろ」

「……わかってる!」

足元。

ぬめる。

黒が絡みつく。

「地面も来てる!」

上も下も、敵。

「全部敵かよ……!」

レオンハルトが笑う。

そのとき。


パチン。


全てが止まる。

そして――揃う。

一斉に襲いかかる。

同じ軌道で。

同じ速度で。

まるで、振り付けのように。

逃げ場はない。

路地の奥。

酔った男がよろめく。


「おい、危ない――!」レオンハルトが叫ぶ。


黒が先に届く。

絡みつく。

沈む。

声が消える。

「……っ」

屋根の上。

少女が、笑っていた。

「わぁ……綺麗」

くるくると回る。

ぬいぐるみを抱きしめながら。

「いいね、ちゃんと踊れてる」



「なんで」

真琴の声が落ちる。

「なんで、そんなことするの」



少女は、きょとんとした。

「え?」

「だって――面白いから?」

何かが切れた。

真琴は、少女を見上げながら
「……ふざけないで」
「人だよ……?」

「今の、人だったよね……?」


一歩、踏み出す。

「それを、“面白い”で済ませるの?」



少女は、目を細めた。

「……へぇ」

「怒るんだ」

くすくすと笑う。

「いいね」

足元の黒が止まる。

「今日はここまで」

「あんまり壊すと怒られるし」

(上がいる……)

少女は背を向ける。

「またね」

「次は、もっとちゃんと遊ぼ?」

静寂が落ちる。

石畳に残るのは、戦いの痕跡だけ。

黒く濡れた跡が、じわりと広がり――
やがて、何事もなかったかのように消えていく。

月明かりだけが、そこを照らしていた。

その光の中で。

少女は、ぴょん、と軽く地面に降り立つ。

腕の中の白い兎を揺らしながら、くすりと笑う。

「……あーあ」

つまらなさそうに、肩をすくめる。

「やっぱり、まだ壊しちゃダメかぁ」

くるり、と回る。

スカートが月光を弾く。

そして――

ほんの少しだけ、こちらを振り返った。

見えていないはずの瞳が、

“確かに”こちらを捉えているように感じる。

「じゃあ――またね」

一拍。

楽しげに、告げる。

「覚えておいてよ」

唇が、ゆっくりと弧を描く。

「私は――ルナリア」

その名が、夜に落ちる。

次の瞬間。

少女の姿は、すでに消えていた。

まるで最初から、存在しなかったかのように。



月は変わらず、空にある。

だが――

その光はもう、ただの月明かりではない。
闇に溶ける。

静寂。

真琴は動けなかった。

拳を握ったまま。

「……理由に、なってない」

月は変わらず輝いている。

だがその光は、もう優しくはなかった。

王都の夜は――

静かに、壊れ始めている。

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