【外伝】 王子の自由愛③
【外伝】王子の自由愛③
この遺跡、普通ではなかった。
それは、百戦錬磨のS級パーティ『緑水の調べ』が、理屈ではなく“身体の反射”で理解してしまう種類の異常だった。
エマの足が、無意識に止まる。
「……撤退ライン、超えてる」
軽く言ったはずの声が、やけに乾いている。
アーノルドが低く唸る。
「中層の圧じゃない。最奥手前の“押し返し”だ」
エンヤの表情が強張る。
「魔力の濃度じゃないわ。これ、空間が“拒否”してる」
ヒースが矢筒に手を添えたまま、一言だけ落とす。
「これ以上は、帰れなくなる」
それは警告じゃない。
結論だった。
そして、その結論の中心で。
王子アレクセイは、まったく同じ場所を見ていた。
ただし――見ている意味が違う。
「……ここだ」
小さく、確信だけを落とす。
「再定義の核に、限りなく近い」
ジェイクが即座に反応する。
「王子、S級全員が撤退判断を出しています。これ以上は――」
「だから何だ」
遮る声は静かだった。
だが一切の揺らぎがない。
「彼らは“危険”を見ている。私は“構造”を見ている」
その言葉に、エマの眉が動く。
「その構造、触れたら死ぬって言ってるの」
一歩前に出る。
「ねぇ。ここまで来て言うけどさ」
声は軽いのに、目が真剣だ。
「それ、卒論の範囲じゃないよ」
一拍。
「完全に“人類の許可外”」
その瞬間だった。
遺跡の奥が――ゆっくりと、“息を吐いた”。
⸻
マシューとグレアムがコレットとスペンスに合図を送る。
もう、王子の暴走だと。
王子でなければ、先に進んだかもしれない。
マシューもグレアムも研究者肌だ。この気持ちは痛いほどにわかる。しかしながら、それは命と引き換えにしてはいけない。
マシューが、短く息を吐いた。
「……コレットさん」
視線だけで合図を送る。
撤退判断。
それ以上でも以下でもない。
グレアムも同じだった。
喉の奥で言葉を噛み殺しながら、スペンスに目を向ける。
「これ以上は……無理です」
悔しさが混じっていた。
理解したい。
解き明かしたい。
この遺跡の“式”に触れれば、きっと一段階上に行ける。
その確信だけはある。
――でも。
それは“生きて戻れた場合の話”だ。
コレットが即座に頷く。
「了解」
判断は一瞬だった。
S級はこういうとき、迷わない。
スペンスが剣を構え直し、低く言う。
「後退ルート確保」
アーノルドが盾を引き、周囲の圧を押し返すように一歩下がる。
エンヤが結界のラインを張り直しながら舌打ちする。
「ほんと最悪……帰れる前提で来たのが間違いね」
ヒースは無言で最後方に目を向ける。
――まだ、王子がいる。
その視線の先。
アレクセイは一歩も動いていなかった。
むしろ、遺跡の“息”に反応するように、わずかに目を細めている。
「……今の、いい」
呟きは誰にも届かない。
だが、その瞬間。
グレアムが一歩踏み出しかけて――止まる。
歯を食いしばる。
「王子……!」
声になりかけて、飲み込む。
マシューが横で肩を掴む。
「行くな」
短く。
それだけ。
理解しているからこそ止める。
この一歩が“研究者としての未来”ではなく、“遺体としての記録”になると分かっているから。
グレアムは唇を噛んだまま、視線を落とす。
「……くそ」
悔しさだけが残る。
だが、それでも――動けない。
その前方で、エマが振り返らずに言った。
「王子サマ」
声は軽い。
でも、もう引き戻すための声じゃない。
「帰るよ」
一拍。
「ここから先は、“一人で行く場所”じゃない」
その瞬間、遺跡の奥の“息”が、もう一度だけ揺れた。
まるで――返事をしたかのように。
エマが、ゆっくりと息を吐いた。
「……はいはい」
軽い声。
でも、その足は一切迷っていない。
「撤収ー。全員、後ろ下がって」
アーノルドが即座に盾を前に出し、後退ルートを確保する。
「了解」
エンヤが結界を“出口側だけ”に絞り直す。
「帰り道は作る。入ってくるな、じゃなくて“出るためだけ”に」
ヒースが無言で最後方を警戒しながら位置をずらす。
グレアムとマシューも、コレットとスペンスの誘導で後退を始める。
だが――
中心に残る影が一つ。
アレクセイ。
エマはそこで初めて、ちゃんと彼を見る。
「王子サマ」
呼びかける声は、さっきよりずっと近い。
でも柔らかい。
「帰るよ」
一歩、踏み込む。
遺跡の圧が、ほんのわずかにエマへ押し返す。
彼女は眉一つ動かさない。
「それ、今は“研究”じゃないでしょ」
もう一歩。
「“こっち側の話”」
アレクセイが振り向く。
その目は、まだ奥を見ている。
「まだ終わっていない」
静かな確信。
エマは、ため息をついた。
「終わってるかどうか決めるのは、あんたじゃないの」
そして――
一気に距離を詰めた。
その瞬間、遺跡の圧が一段跳ねる。
だがエマは構わず、アレクセイの腕を掴む。
「はい、確保」
一拍。
「王子回収完了」
アーノルドが即座に反応する。
「出口へ!」
スペンスが後ろから支える。
コレットが前を切る。
ヒースが周囲の“視線”を射抜く。
エンヤが結界を開く。
グレアムとマシューが、振り返りながらも必死に足を動かす。
その中心で――
エマはアレクセイを引きずるように歩き出した。
「あとで怒っていいからさ」
横顔だけで言う。
「今は帰ろ」
遺跡の奥で、“息”がもう一度だけ動いた。
しかしもう、その距離は伸びない。
外へ。
彼らは確実に、“外”へ向かっていた。
⸻
結果、王子のお怒り爆発!
「行けた!絶対に行けたんだ!!」
アレクセイの声が、遺跡の入口に響く。
珍しく感情が剥き出しになっている。
一歩、二歩。
地面を踏み鳴らすように前へ出る。
「あと一段階だった!あそこは“核”に繋がっていた!!」
コレットが思わず目をそらす。
スペンスが無言で肩をすくめる。
ヒースは弓を背負い直しながら「うるさい」とだけ呟いた。
アーノルドは普通に苦笑している。
「生きてるだけマシだろ」
その横でエンヤがぼそり。
「研究者ってみんなこうなるのかしらね……」
そして――
一番ダメージを受けている男が一人。
ジェイク。
彼は王子の後ろで、静かに空を見上げた。
「……胃が」
ぽつり。
「胃が、仕事を辞めたがっている気がします」
誰も慰めない。
慰められない。
グレアムとマシューは顔を見合わせて、妙に真剣な声で言った。
「……でも、見えましたよね」
「見えた」
一瞬だけ、あの“式の呼吸”。
その記憶が、まだ目の奥に残っている。
アレクセイはまだ納得していない。
「あれは途中だ。明らかに途中だった」
エマがため息をついた。
「途中で死ぬのが一番困るんだってば」
そして、王子の腕を軽く小突く。
「次は一人で行かないこと」
「……何故だ」
「連れ戻すのが面倒だから」
一拍。
そのやり取りに、なぜか少しだけ空気が緩む。
だがジェイクだけは、静かに思った。
(この人の“次”があるのが一番怖い)
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