【外伝】 幻の蜂蜜ー後編

【外伝】幻の蜂蜜を求めて — 後編


夜明け前。

山の空気は、冷たかった。

標高四千メートル級——
エジンバラ山、中腹。

満月の名残が、まだ青白く泉を照らしている。

「……すご」

真琴が、思わず声を漏らした。

そこに広がっていたのは——

静かな、青。

湧水が満ちる泉。

その周囲を囲むように咲く、淡い銀青色の花々。

月光華。

満月の夜にだけ咲く花。

そして——

幻の蜂蜜を生む花。



「近づきすぎるなァ」

極悪片目傷跡グリズリー店長が、低く言った。

「花粉が強いのよォ」

「毒、なんですよね?」

フィオナが、少し緊張したように聞く。

「少量なら問題ねェ」

店長は、泉の奥へ視線を向けた。

「だが——」

一拍。

「蜂共にとっちゃ、“代替わり”の儀式だァ」

ぶぅん——

低い羽音。

月光華の奥。

巨大な巣が、ゆっくりと揺れていた。

黄金色。

まるで、月そのものを閉じ込めたような光。

「……綺麗」

クラリスが、小さく呟く。

その声は、どこか研究者のものではなく。

純粋に、幻想へ見惚れた声だった。



「時間は一時間」

店長が言う。

「夜明けと同時に終わる」

「なんで?」

レオンハルトが首を傾げた。

「女王蜂が決まるからよォ」

静かな声。

「負けた群れは、消える」

その言葉に——

空気が、少しだけ張り詰めた。



「……全部は取らないのね」

アリアが、巣を見ながら言う。

「あァ」

店長が短く頷く。

「来年の分が無くなる」

その返答に。

真琴は、少しだけ笑った。

「そういうとこ、好き」

「褒めても増えねェぞォ?」

「別に増やさなくていいですー」

いつもの調子。

だが。

その空気が、妙に心地よかった。



採取は、静かに始まった。

クラリスが水魔法で足場を固定し。

レオンハルトが周囲の魔物を警戒。

フィオナが、淡く光を灯す。

そして——

店長が、巨大な巣へ手を伸ばした。

「……っ」

真琴が息を呑む。

重い。

濃い。

空気そのものが、甘い。

切り分けられた巣蜜から、とろりと黄金が垂れた。

その瞬間——

ぴり、と。

香りの奥に、刺激が走る。

「わっ……!?」

「辛……くない?」

フィオナが驚く。

「後から来るタイプね」

アリアが、わずかに目を細めた。

「面白いわ」

職人の顔だった。



帰還後。

王都。

アリアの工房。

「今回は、素材が良すぎるから譲るわ」

珍しく、アリアが素直に言った。

「変に弄るより、そのまま活かした方がいい」

真琴が、ふむ、と考え込む。

「だったら——」



数時間後。

テーブルの上には、奇妙な菓子が並んでいた。

結晶化させた巣蜜の砂糖菓子。

その上から、とろりとかかるスパイシー蜂蜜。

さらに——

チョコレートで包まれた、香ばしいコーヒー豆。

「……これ絶対、美味しいやつですぅ……」

フィオナが、きらきらした目で呟く。

「見た目は地味だけどな!」

レオンハルトが笑う。

「いや、逆に大人向けっぽい」

真琴が言った。

「甘いだけじゃない」



かりっ。

最初に来るのは、砂糖の軽い甘さ。

次に、蜂蜜。

濃厚な花の香り。

そして——

ぴり、と遅れてくる刺激。

最後に。

チョコレートとコーヒーの苦味。

「……っ」

フィオナの動きが止まる。

「……はにゃぁ〜……💕」

崩れ落ちた。

「語彙が死んだぞ!?」

レオンハルトが吹き出す。

「良い反応ね」

アリアが、満足そうに笑った。



窓の外。

夜風が、静かに吹き抜ける。

満月は、もう高い。

真琴は、残った巣蜜を眺めながら小さく息を吐いた。

「……また来年、か」

取り尽くさなかったからこそ。

来年も、あの花は咲く。

来年も、蜂は飛ぶ。

来年も——

きっと、誰かが笑う。



——月光華の残響。

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