【第2章】 第36話


【第2章】第36話壊せないもの


真琴達がボルボロの街に移動した頃——

黒曜石の城、最奥。

古代遺跡から“排除”されたセラフィナは、居城へと戻ってきていた。

失敗の報告。

その言葉だけで、足取りが重くなる。

だが、報告しないわけにはいかない。
黙っていれば——いずれルクレッツィアに知られる。

それだけは、避けなければならない。

最奥は、城の名に相応しく——
床は黒曜石が黒く鈍い光を放っていた。

窓はない。

魔石の灯りだけが、わずかに揺れている。

——まるで、怯えるように。

扉の前で、セラフィナの足が止まった。

「……」

何もない。

音も、気配も——

「……ねえ、お姉ちゃん」

ルナミナが、小さく呟いた。

来るなと言ったのに、ついてきた妹。

「……なに?」

「……あれ、なに?」

その声は——震えていた。

セラフィナは、答えない。

答えられなかった。

(……何も、検知できない)

本来なら、ありえない。

魔力も、気配も、意思も——
何一つ“測定できない”。

それなのに。

——確実に、“いる”。

一歩。

踏み出そうとした足が——止まる。

「……お父様?」

呼びかけた、その瞬間。

——圧が、降りた。

言葉に出来ない。

理解も出来ない。

ただ——“上書きされる”。

存在そのものが、塗り潰されるような感覚。

「っ……!」

セラフィナが、初めて息を詰まらせた。

ルナミナが、袖を掴む。

「……やだ」

小さく、しかしはっきりと。

「これ……やだ……」

その言葉に、セラフィナは目を細める。

(……これは、違う)

支配ではない。

制御でもない。

——“侵食”。

一瞬の判断だった。

扉の向こうから滲み出る、計測不能の黒い気配。

「行くわ」

振り返る。

「ここにいてはいけない」

理由は説明しない。

出来ないからだ。

ただ——

「離れる」

それだけを告げて、歩き出す。

背を向けた、その瞬間。

——扉の向こうで、“何か”が動いた。

振り返らない。

振り返れば——

戻れないと、本能が告げていた。

「行くわよ!」

ルナミナの手を掴み——走る。

転移の魔法も使える。
魔法への自信もある。

それでも——

恐怖は、それらすべてを忘れさせた。

ただ、ルナミナの手を引いて——逃げた。

「あれは、もうお父様じゃないわ」

「うん……お姉様、わかる」

ルナミナは、塞がれた目を涙で濡らしながらも、強く手を握り返していた。

居城を離れ、辺境の街へ。

ようやく足を止めた時、セラフィナは小さく息を吐いた。

「……ごめんなさい。巻き込んだわ」

その言葉は——これまでの彼女には、ありえないものだった。

ルナミナは、一瞬だけ固まり——

次の瞬間、勢いよく抱きついた。

「セラフィナお姉様が……私を見てくれた!」

強く、強く。

離すまいとするように。

ルナミナは——塞がれた目で、“見ていた”。

セラフィナの変化を。

——その瞬間。

セラフィナは、初めて“他人”を認識した。



しばらくの沈黙。

夜風が、乾いた砂を撫でていく。

「……ねえ、お姉様」

ルナミナが、ぽつりと呟いた。

「なに?」

「さっきの……あれ」

少しだけ、言葉を探すように間を置く。

「……まだ、いるよ」

セラフィナの指先が、わずかに止まった。

「……そう」

否定はしない。

出来ない。

(距離は離れた……それでも)

——“繋がっている”。

完全には、切れていない。

まるで、世界のどこにいても届くような——

「気持ち悪いね」

ルナミナが、素直に言った。

「……ええ」

短く、肯定する。

それだけで、十分だった。

セラフィナは、ゆっくりと視線を落とす。

自分の手。

先ほどまで、何の迷いもなく“整えてきた”その手が——

今は、ほんのわずかに震えていた。

(……理解できないもの)

それは、排除すべき対象。

そう、定義してきた。

そうでなければ——世界は保てない。

だから。

「……解析する」

小さく、呟く。

「え?」

ルナミナが首を傾げる。

「わからないままにはしない」

その声は、静かだったが——確かな意志が宿っていた。

「わからないなら、調べる。構造を暴く。原理を特定する」

それは、これまでと同じ思考。

だが——

「でもね、お姉様」

ルナミナが、言葉を挟む。

「さっきの……壊せる気、しないよ?」

セラフィナは、ほんの一瞬だけ沈黙した。

——その一瞬。

あの水晶竜の姿が、脳裏に浮かぶ。

圧倒的な存在感。

——そして、美しさに心を奪われた存在。

そして——

「……ええ」

あっさりと、認めた。

「壊せないでしょうね」

ルナミナが、ぱちりと瞬きをする。

「でも——」

セラフィナは、わずかに口元を歪めた。

「壊せないものが、存在してはいけない理由はないわ」

今までなら、出てこなかった結論。

“排除”ではない。

——“許容”。

その思考に、ルナミナは嬉しそうに笑った。

「それ、いいね」

無邪気に。

けれど、どこか本質を突いた笑みで。

セラフィナは、ふっと息を吐いた。

(……変わった、のかしら)

自嘲にも似た感情が、胸の奥に浮かぶ。

だが——

それを否定する理由も、見つからなかった。

「……行くわよ」

立ち上がる。

視線は、もう城には向けない。

「どこに?」

「決まっているでしょう」

一拍。

「——観測よ」

その言葉に、ルナミナがくすりと笑う。

「また、見に行くの?」

「ええ。今度は——逃げない距離で」

完全に近づくことはしない。

だが、離れすぎもしない。

その“境界”を測る。

それが——今の最適解。

「ふふっ、楽しそう」

ルナミナが、セラフィナの腕に絡みつく。

「危険よ?」

「うん。でも——」

少しだけ、声が弾む。

「お姉様と一緒なら、いい」

その言葉に、セラフィナは一瞬だけ目を伏せ——

「……そう」

短く返した。

それ以上は、何も言わない。

言えなかった。

二人は、ゆっくりと歩き出す。

黒曜石の城から離れ——未知へと向かって。

——その背後で。

遠く、見えないはずの空間が——わずかに歪む。

誰も、振り返らない。

ただ——

“それ”だけが——静かに、見ていた。

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