『聖なる英語の記憶』ーー12歳で突然英語を思い出した私――20年かけて手繰り寄せた魂の記録

★献辞★
世界で一番偉大なジャーナリストでライターのヒルダ・ブライアント教授に。
私に英語を教えてくれてありがとう。あなたの厳しいプロフェッショナリズムと、温かい愛情に、私は今でもめちゃくちゃ感謝しています。なのでこの物語をあなたに捧げます。天国でどうか楽しい読書を!
愛してます。
DEDICATION
To Professor Hilda Bryant, an extraordinary journalist and writer.
Thank you for teaching me the essence of the English language. I remain profoundly grateful for your fierce professionalism and your warm, enduring love. I dedicate this story to you. I hope you enjoy reading it in heaven.
With love always,
『聖なる英語の記憶』ーー12歳で突然英語を思い出した私――20年かけて手繰り寄せた魂の記録
ーーーはじめにーーー
本書は、私、祝川珠子が20年という歳月をかけ、退行セラピーや夢分析を通じて自分自身の魂と対話し、発見した記録です。
あなた自身の得意・不得意、あるいは独特な才能の「出自」を紐解く一助となりますように。あなたの中にも、まだ気づいていない「誰か」の願いが眠っているかもしれないのです。ただ、
これらがいわゆる前世、というものなのか、あるいは別の何かなのか、私自身も明確な答えを持っていません。しかし、様々な現実の出会いやセラピーを20年かけて重ねたこれらの『記憶の断片』が、今の私を形作っていることは紛れもない事実です。
これをどう解釈するかは、読者の皆様にお任せしたいと思います。
では、楽しんでください!
序章 ランズエンド(地の果て)より日いづる国へ。
ーーーここからタマコのツインソウルのメリザが語ります。ーーー
Ⅰ 宇宙から見た地球とタマコ
読者の皆様、こんにちは。私はメリザといいます。
長い間、銀河宇宙を漂っていましたが、ようやく「ホーム」を見つけました。これは私の発見の物語であり、同時に、あなた自身の物語でもあります。
何億光年もの間、私はガイドと共に暗い宇宙を旅していました。やがて遠くに青白い光が見えてきたとき、ガイドはにっこりと笑って頷きました。「ちょっと寄ってみる?」と。
近づいてみると、そこは地球という星でした。青、緑、白……キラキラと輝くブルーサファイアのような宝石。
さらに近づくと、日本(Japan)の兵庫県という場所に、新しい命を宿した女性がいました。彼女のお腹も、日本という国も、ピカピカと光っていました。
ガイドが言いました。「日本は不思議な国です。上から見ると龍の形をしていて、とても美しい。兵庫県はちょうどその龍の腹部にあたります」
彼女が受け入れてくれたので、私はもっと近づきました。そのお腹の中でスヤスヤと眠っていたのが、のちに「タマコ」と呼ばれる女の子でした。タマコはとても優しい魂で、私たちはすぐに友達になりました。

Ⅱ コーンウォールの記憶
私はかつて、肉体を持っていた頃、イングランドのコーンウォール地方に住んでいました。
珠子のプロフィールを見て、不思議に思ったことはありませんか? 12歳までアルファベットも書けなかった日本の少女が、なぜ28歳でアメリカの新聞記者になれたのか。
それは、偶然ではなかったのです。
Ⅲ 二つの魂の約束
わたしとタマコは彼女がまだ胎児だったころ、珠子のママのおなかの中でいろんな取り決めをしたんです。
英語もその一つ。
タマコは優しかったので全部受け入れてくれました。
それに私の英語の音を聞いて、「なんだかそれって楽しそうだわ!」ですって。冒険家の魂なのね!
そして月が満ちて私たちは生まれました。
二つの魂が一つの体になって。
この、龍の国に。
そしてタマコの中ですべての記憶が失われてしまいました。英語のことも。約束通り。

彼女は私のことも、すっかりわからなくなっていました。
ちょっとさみしいけど
でもいいの。
忘れる、って大事だから。
全部思い出すときっとつらくてまた宇宙にすぐ帰りたくなるから、
だからみんな生まれてくるときにリセットボタンを押すの。
タマコもそう。
全部忘れた。
わたしのことも。
イングランドの丘の風も。
英語の音も。
計画通り。
Japanではそのころ、英語は中学生になって始めるらしい、と知っていたので、
私は気配をそっと消して、タマコが12歳になるまで、じっと黙って待っていました。
待つのなんか平気。
だって、タマコのママとパパを見つけるまで何億光年も待っていたんだから。
この世の12年なんてたいしたことない。
彼女が中学生になるまでのもうちょっとの辛抱。
なんてことない。
じゃぁ,タマコが大きくなるまで待ってる間、ここで私がイングランドで体験したことをお話しさせてください。
ーーコーンウォールのメリザ姫の物語ーー
1000年前のイングランド。私はコーンウォール地方の小さなお城に
両親や召使たちとひっそりと暮らしていた。
ランズエンドという半島の、切り立った花崗岩の崖に、大西洋の荒波が打ち付けて真っ白な泡が飛び散る土地。
私はその潮風をいっぱい受けて育った。
乳母や侍女たちとキラキラした海を見に行くのが大好きだった。

でも何か変だった。
父や母は滅多についてきてくれなかった。それどころか、
お城の中でパパやママに会って、私が何かしゃべるたびに父も母も少し悲しいお顔をした。
たくさんのお医者さんがやってきて私のお口の中を検査した。
冷たい鉄の棒や、綿を使って。
幼い私はあれがとても嫌だった。乳母のヒルドだけがいつもニコニコ、
私を守ってくれていた。「大丈夫ですよ。」と言って。私の手を握って。
ヒルドは両親のような嫌な顔はぜったいしなかった。
ヒルドの手のひらはいつも温かくてさらさらしていて気持ちがよかった。
彼女の温かい手は私の心のお守りだったの。
わたしはヒルドと森の中の散歩道を探検するのが大好きだった。
蝶々やトンボやテントウムシを追いかけていっぱいわらっていっぱいおしゃべりした。
ヒルドはいつも私のおしゃべりを楽しげに聞いてくれた。
もうちょっと大きくなっていとこたちがわたしのしゃべり方の真似をしてからかい始めた。
そしてある日私は医師たち同士がひそひそ言っているのを偶然聞いてしまった。
吃音(きつおん)、
という病気らしい。お口の病気。
いろんな薬草をのまされた。苦くてまずいやつ、、。
でも、なおらなかった。どうしてもどもったり、音が途切れたりするの。
どんなにがんばってみてもみんなのようにすらすらしゃべれないの。
私はもう10歳になっていた。
私、もうしゃべってはいけないんだ、、と、本気で思い始めていた。
だってパパもママもとても悲しいお顔をするんだもの、、。
だんだん気持ちがふさぎ込んでいって、私は自分の部屋に閉じこもるようになりました。
そしてその10年後、私、メリザは吃音ゆえの孤独な人生に
唐突に終止符を打ちます。
運悪く肺の病の一種にかかり、肉体を離れることに。
最期のベッドで、思ったの。
もっとおしゃべりしたかった。
ちゃんとお話しできたら、父も母も喜んでくれただろうな、、。
友達も恋人もできたよね、きっと、、。みんなみたいに。ヒルドももっと喜んでくれたかも。
英国の人間なのに英会話が楽しめない人生なんて、ありえないほど
ばかげてる。
もっとしゃべりたかった、、。
もっと。
もっと。
体がふわっと浮いて、上にある真っ白な光へと吸い寄せられていった。
あとはもう、何も覚えていない。
Ⅳ 「龍の国のシャーマンの娘」
気がついたらJapanという名前の、龍の形をしたあの国に向かって急降下していた。ガイドの天使さんが先に見つけて教えてくれたの。
「ほらあそこをごらんなさい。白く光っているでしょう?
龍の国にシャーマンの娘がいます。
行って挨拶してみたら?
あなたとはきっと良いお友達になれそうな気がします。あの女の子なら。」
そう?
やっぱりガイドさんの言うとおりだった。
そうやって、タマコのママのおなかの中にわたしの次のホーム、祝川珠子ちゃんを見つけた。(余計なことかもだけれど、彼女は「阪急夙川駅」の近くの産院で生まれました。だからこのペンネーム。)
目と目が合って、私たちはにっこり微笑みあった。
みつけた。私のホーム。
わたしのタマコ。ガイドは正しかったみたい。
ずっとあなたを探していたんだよ、ベイビー。

第一章 唐突な筆記体
ーーーーーーここからタマコが語りますーーーーーー
小学6年生の秋、生まれて初めてアルファベットを書いてみたら。
私,タマコは12歳になるまで英語を習ったことがなかった。ので、
あれが正真正銘
人生で初めての手書きアルファベットだ。ブロック体で、
つんつんした形のAとか、Bとかを真っ黒な鉛筆を握りしめて、
ゆっくりゆっくり国語のノートにうつしていった。心がざわざわしていた。何とも言えないざらざらした気持ちの私。小学6年生児童の。
次第にその小さな私は焦り始める。
だって後ろで見えない誰かがずっとこうささやきつづけていたから。
ヤッテゴランデキルヨ、と。
コレヲズーットヤッテキタンダカラ。とも。
いや、そういわれた気がしただけかもしれない。が、次の瞬間、

わたしの2B鉛筆が猛烈な勢いでノートの上に英語を書き始めた。
筆記体、で。
英語なんて習ったこともないんだから筆記体なんてもっと知らない。
目の前にある国語の教科書をうめているのは紛れもないブロック体。
あの、つんつん、かくかくしたあの字。
私の手はなんか、楽しそうだった。水を得た魚、みたいな?
アルファベットを得た私の指?まるでノートの上でバレエでも踊っているような、、。
何のことなのかさっぱりわからず、ただ、急に生き生きしだした私の手指が鉛筆を持ってハイテンポでさらさらさらさら長ーい英文を書いていた。
それも筆記体で。
あれ、何だったんだろう。誰かへの手紙みたいだった。
私の手はあの時、だれに何を伝えたかったんだろう。とっとけばよかった、あのノート。今、猛烈に読みたい。
小学生で英語を全く習ったことがなかった私が英語で書いたあの手紙。
そのときだ。
頭の上で男子のつんざくような大声が、
「せんせーっ!しゅくがわさんはさっきからずーっとノートに落書きしてますー!」って。にやけた顔で。してやったり、みたいな得意げな顔で。
私の大嫌いなあの下品でがさつな大声で。
わたしのぐにゃぐにゃした筆記体は確かに、
英語がわからない日本の小学生にはただの落書きでしかなかっただろう。
でも、今思えばその不思議な「落書き」、取っておけばよかった、、。
それに、担任の先生もそいつの仲間だった。
優秀な子供を複数のクラスメイトの前で「下げて」こっそり喜ぶタイプの。にやけた顔の担任の女性教師が、
「祝川さん、みんなと同じことしてよ。関係ないこと、あかんよ。」
と低めの声で。クラスメイト全員が私を見る。みんな同じ冷たい表情で。
私の通知表には6年間ずーっと、ある同じことが書かれていた。
「お嬢さんは成績優秀ですが協調性に欠けます。」と。
だから嫌いなのだ。学校なんて。
早く卒業したかった、こんな田舎の小学校。しかも中学に進めば英語が始まる。
そう、さっきのあの英語が。
第二章 英語を思い出す。
Ⅰ 十二歳の同意
十二歳の頃、私はある不思議な神秘体験をする。

その後の私の人生は確実に、この日のその出来事によって導かれていくのだが、 これはその始まりの物語だ。
当時は、英語は中学からが当たり前の時代だった。 学習塾を経営していて、語学教育通のうちの父でさえも、一人娘である私に、 国語や算数のような基礎科目を徹底的に仕込みはしたが、英語のことはさほど気にならなかったらしい。
小学生時代、英会話スクールに行った経験、外国に行く経験等ゼロだった。 無論、父から習ったこともない。
私が英語に初めて触れたのは、神戸の私立中学1年、正真正銘1学期の第1週目。 一回目の英語の授業だ。 十二歳だった。
くどいようだが、それまでこの言語を習う機会は全くなく、
それゆえ何の前知識もない。 30年以上たった今でもはっきり覚えている、あの瞬間の、あの出来事を。
人生初めてのその、記念すべき英語の授業中、とても不思議なことが起きた。
すりたてのインクの香りも、華やかな、真新しい教科書が、クラスの私たち一人一人に配られた。 私もウキウキした気分で、自分の一冊を受け取った。 中学生になったら英語が始まる。 これは、当時小学校の卒業式を済ませた子供なら、誰しも味わう、期待感だろう。
私も私立中学受験を済ませ、地元の小学校の卒業式も終えた頃から、心待ちにしていたのだ、この瞬間を。
ただ私の場合は、大変奇妙なことが起きた。
授業中、自分に配られたその、英語の教科書を初めて開いた時、 まず突然、うっすらとした眠気に襲われた。
まるでインクの香りが、睡眠薬代わりをしたかのように。
なんとか眠気を払いながら、アルファベットの文字に集中しようとしたのだが、 どうやってもだんだん目の焦点が合わなくなる。
こんなに待ち焦がれた、英語の教科書なのに。
どうしてしまったの、私の目。 前日の晩はちゃんと寝たはずだ。
睡眠不足ではない。 突然やってきた眠気と戦いながら、必死にページをめくっていると、
そのぼやけた紙面の向こう側に、紅茶色のシミのようなものが浮かび上がった。
そしてそれは何かの景色のよう。
何これ。
私の視界は突然はっきりしてきた。 文字の向こう側に、人の姿が見えた。
ヨーロッパのお城の中に住む貴族のような人。
手には羽ペンを持ち、
目の前に巻紙のようなものがあり、 大きな机の上にはインク壺があった。 ふわふわとした羽ペンをインク壺に時々浸しながら、
その人は必死の形相で書き物をしていた。
私の視界はさらにはっきりしてきた。

それは英語だった。
その人は古い書物を読みながら、苦しげな表情でその内容を別の紙に写し取っていた。
この人、翻訳家だ。
この間まで小学生だった私がそんなことやったこともないのに、なぜだかすぐさま理解した。
目の前のこのヨーロッパ貴族みたいな人は、何かとても大切なものを、 何語かわからないが異国の言葉から英語に書き直していた。
多分それは多くの人々にとってとても大切なメッセージで、 何が何でも英語に翻訳し大勢の人間に伝えねばならぬ、
という彼の必死な気持ちが、なぜだか手に取るようにわかった。
私のみぞおちまで痛み始めた。
冷や汗が流れ始める。 彼のと私の額両方に。
数秒後いきなり景色が変わった。
私はもう教科書という紙面に移った光景を眺めているのではなく、 すっかりその中に入り込んでいた。
不思議の国の森の中のアリスだ。
実際私は深い森の中にいた。 私は女性で、私はインディアンだった。
通訳だ。
私、通訳の仕事をしているんだ。

今回もすぐにわかった。 インディアン女性である私は、数名の白人グループとインディアングループの間に立って、 二言語、英語とインディアン語を操りながら、 何か商談のような、あるいはもっと深刻な交渉事のようなことをしていた。
深い森には雪がちらつき始め、とてもとても寒かった。
息の白さが森の木々の深緑色に美しく映えていた。 でもその息とともに私の手足も凍り始める。
寒い。何か着るものが欲しい。
その時だった。
やば、今って授業中じゃん。
私は日本の神戸にいて、中学1年生をやっていて、 今日は英語の初日だよね。
やばい、ぼーっとしてたら先生に怒られる。 長い夢から覚めたような気分で顔を上げ、教室内にいるはずの英語教師の姿を求めた。
そしたら、それこそ信じられない光景だった。 私はとても長い、それも2本立てのスペクタクル映画を見終わったばかりだというのに、
先生はというと、
まだ室内で女子生徒に教科書を配っていた。 えっ、私今とても長い映画を、それも2本見たよね?
室内の壁にかかっている丸い大きな時計をちらりと確認したら、 なんと、始行から5分しか経過していなかった。
私が今見たのは何だったんだろう。 5分で終わるような内容では到底ない。しかも2つも。
教科書に目を落とすと、もうそれは元の姿にすっかり戻っていた。
英語で、こんにちは皆さん、私の名前はビクトリアと言います。 のようなことが大きなアルファベットで楽しげに綴られていた。
ヨーロッパ貴族の男性もインディアンの通訳の女性もどこかへ行ってしまったらしい。 あちこちページをめくり探してはみたが、どこにも見当たらなかった。
その時だ、
頭の中で誰かの声がした。
分かりましたか。これがあなたの今回の人生の職業です。
この言語のことは
心を込めて学び直すように。
私は誰なのかさっぱり分からないけれど、この声の主に向かって深くうなずいた。
同意したのだ、それも無条件に。

Ⅱ 授業が始まった。
英語の先生がまず、ゆっくりと最初のページを音読された。 習ってもいないのになぜだかわかった。
この人はとても英語が下手くそな人だ。
嫌な予感が的中した。 今、僕が読んだところを誰か読んでください。
では、祝川さん。
指名された私は立ち上がって読み始めた。 同じ箇所。
教室が低いざわめきに包まれ始める。 何より驚いたのは私自身だ。
私はなぜだか全ての単語の意味、発音、ご丁寧に抑揚の付け方まで知っていた。 私は夢中になって読み続けた。
Lの音もRの音も簡単だった。
夢中になりすぎて指が次の習っていないページまで開けてしまった。
自分でも聞いたことのない自身の異国の声が 自分の体の中から湧き出してくる。 その響きをもう一人の私がうっとりとして聞いていたのだ。
英語ってきれい。シューベルトみたい。
あのまま先生に止められなかったら私はきっと一箇所もつまずくこともなく、 その異国の文字のぎっしり詰まった教科書をとうとうと読み続けていたに違いない。
歌うように流れるように。
着席した私の頬に背中に肩に後頭部に クラスメイト全員の視線がべったりと張り付いていた。
帰国子女という言葉すらない。 昭和50年代初頭のことだ。
先生はもう笑っていなかった。
Ⅲ そして14年後
すっかり大人の女性になった私は、父母とともにアメリカ・ワシントン州シアトル近くにある、今では雪印乳業のラッテのロゴや、スターバックスで有名になったあの山、レニア山を訪れていた。

とても高貴な、あの方のホームだった。
深い緑の木々の間を散策し、清涼な空気を両親とともに楽しんでいた。
私は無事、アメリカでの数年にわたる学業を終え、ジャーナリズム学で学士を収める運びとなった。 卒業式に来るか?と日本の父母に聞いてみたら、
もちろん参加したいというので、彼らにシアトル大学の卒業式招待状を送った。 これがないと中に入れてもらえないらしい、セキュリティー上の問題から。
親たちは、一人娘の晴れ姿を一目見んと10時間もユナイテッドに揺られて、はるばる日本からアメリカのシアトルへとやってきた。

せっかく来てくれたんだから、観光名所を案内しようと思い、選んだのがシアトル市内からバスで4時間ほどのレニア山だ。
私自身もずっと行きたいと思っていたが、何せアメリカの大学は課題が多く、勉強で忙しすぎてかなわなかった。
でも、あんなに美しい山や森の近くに住んでいた、それもしかも3年半も。 だというのに、この今となってはイチロー効果もコーヒー効果もあろうが、有名な山に一度も行ったことがなかったなんて。
でも東京の人は滅多なことではスカイツリーとか登らないでしょ。 そういったわけで初めてそこを父母と共に訪れ、一歩一歩森の土を踏みしめたその時。

息が止まった。
私知ってる。ここ知ってる。
14年前、
日本の中学の英語の授業中に見た、あの森だ。あの同じ森だ。
その空気の、その懐かしい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。すると、私の意識はあっという間にインディアン時代に戻ってしまった。
今ではもうすっかり気づいている。どの人の、どの人生も、理由なきものなど何もない。 私たちは意味なく生まれ、無駄に生きているのでは決してない。 どの人も、そしてその一人一人の人たちの一つ一つの人生で起きる
苦しみも
喜びも
幸せも
悲しみも
絶望にすら、
何もかにもにいちいち意味と理由があるのだ。 神から与えられた大切な意味と理由が。
青春時代、日本とアメリカを行き来しているうちに不思議な出来事が重なりに重なり気づいてしまった。
Ⅳ シアトルというその名前
シアトル大学を卒業し、市内の新聞社に記者として1年勤めた後、
私は日本に帰国した。 その頃、ようやく流行り始めたインターネットで何気なく、SEATTLEという町の名前の由来を調べてみた。
なんていうことだ。
私はこんな大事なことに気づきもせず、この町に暮らし、学び、職を得、
働いていたのだ。 それも5年近く。
SEATTLEというのは、もともとインディアン語で、
酋長の中の酋長、つまり大酋長
を意味する言葉だった。
相当に徳の高い、素晴らしい、
異なったインディアン部族全てを一人で統べる、高貴なお方が住まわれていたのがあの山、レニア山だ、と 今頃になってわかった。
厳密に言えば、
シアトル(もともと彼の名の綴りはSealth)は、実在した
**「シアトル酋長(Chief Seattle)」という人物の名前そのものだった。
つまり、シアトルは本当にいた、偉大な大酋長の名前を冠した街、なのだ。
私は日本の兵庫県の自宅のパソコンの前で一人、鳥肌を立て、
冷や汗とうっすら涙まで流し、この高貴な方に私の長年の無知と非礼を詫びた。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
こんなに大事なことに、しかもこんなに長く気づきもしないだなんて、私のバカバカバカバカバカバカ。
しかし、今となってはこの方に深く感謝もする。
ありがとう、あなたが呼んでくださったんですね。
私をもう一度、彼の地に。 わたしとあなたの、懐かしいホームに。
知恵の実を分けてくださってありがとう。
見ていてください。 今度は私が働く番です。

第三章 英国聖書の翻訳家の未来は
序章:重い鞄と、ふわふわのケーキと
それは、私の人生で最も輝かしく、そして最も残酷な「七日間」の終わりだった。
大阪で開催された環境博。私はドイツから来日したビジネスマンの専属通訳として、七日間、マイク越しに言葉を紡ぎ続けていた。
インタースクールという厳しい通訳養成所で二年間、血の滲むような訓練に耐え、ようやく掴み取った本格的な国際会議の仕事。同時通訳者としての独立も、もう目の前に見えていた。
ただ、心の一角には、拭い去れない黒い霧が立ち込めていた。 博覧会の初日、母が「検査入院」をしたからだ。
最終日の夕刻、私は全ての任務を終え、張り詰めた神経を抱えたまま病院へと急いだ。 肩には、一週間分の専門資料と通訳ノートがぎっしり詰まった、ずっしりと重い黒の鞄。 そして左手には、母が「おいしいね」と笑ってくれるのを想像して買った、有名店のケーキの箱。
「頑張ったよ、お母さん。やっとここまで来たよ」 心の中でそう繰り返しながら、看護師さんに導かれるまま、母の病室へと向かった。
ナースステーションを通り過ぎ、案内された部屋のドアの前に立つ。 私は少しだけ呼吸を整え、そっとドアを開けた。
「……お母さん?」
その瞬間、私の身体から全ての力が抜け落ちた。
ドスン、という鈍い音を立てて、床に仕事の鞄が落ちる。 続いて、ケーキの箱が力なく手から滑り落ちた。
視界に入ってきたのは、白いベッドではない。 無機質な透明のビニールテント。その中に横たわる母は、全身を何本ものプラスチックのチューブに繋がれ、機械の規則的な音の中に閉じ込められていた。
いわゆる「スパゲティー症候群」。
昨日まで私の成功を祈ってくれていた母が、今は機械なしでは命を繋げない姿になっている。ついさっきまでドイツの最新器具について流暢に訳していた私の「英語」という力は、このビニールの壁一枚すら突き破ることができない。
ナースステーションで、医師がこう静かに告げた。
「……急性白血病です。心の準備をしておいてください。お母様はもって、あと一年です」
病院の青白い蛍光灯の下で、私の「現世の成功」は音を立てて崩れ去った。 仕事の鞄も、甘いケーキも、海外大卒の自負も、全てが無意味だった。

この絶望の底で、私は「目に見えない何か」にすがらずにはいられなかった。 それが二ヶ月後、あのサイキックの女性との、そして「17世紀の記憶」との邂逅へと繋がっていくことになる。
Ⅰ 空白の二ヶ月、そして白い封筒
ナースステーションで宣告を受けてからの二ヶ月間、自分がどうやって息をしていたのか、正直に言って記憶が判然としない。
あんなに情熱を傾けていた通訳の仕事も、英語の勉強も、すべてが遠い世界の出来事のようだった。ただ家に閉じこもっていた。 プロとして、娘として、全身全霊で生きてきたはずなのに、母の命が砂時計のように零れ落ちていくのを、私はただ黙って見ていることしかできなかった。
重い鞄は、あの日から一度も開けていない。 家の中には、絶望と、諦めと、時折聞こえる母の容態を案じる父の溜息だけが満ちていた。
ある日のことだ。 導かれるように、私はふらりと庭へ出た。 外の空気は、私の心とは裏腹に、驚くほど無関心に澄んでいた。
ふと、郵便受けに目が止まる。 そこには、周囲のチラシとは明らかに異質の、大きな白い封筒が差し込まれていた。
手に取ってみると、それは以前イベントに参加したことのある会社からのダイレクトメールだった。
「著名な米国のサイキック女性が来日。個人セッションの案内」
普段の私なら、「スピリチュアルに興味はあるけれど、今はそんな場合じゃない」と捨てていたかもしれない。けれど、その時の私は、文字通り「藁をも掴む」思いだった。
母を救う手立てが、この三次元の医学にないのなら。 私の英語の力が、この現実で何の役にも立たないのなら。
せめて、この「なぜ」という問いの答えを、目に見えない世界の住人に問いかけてみたい。
私は、吸い寄せられるようにそのセッションに申し込んだ。 それが、32歳になった私が、1000年の時を超えた「自分」と対面することになる、運命の幕開けだった。
Ⅱ 魂の出納:マリー・ウィルダソンとの対面
セッションルームの重いドアを開けると、そこには温かな、けれどすべてを見透かすような知性を湛えた米国人女性、マリー・ウィルダソンが座っていた。
彼女は私が入室するなり、柔和な微笑みを浮かべて尋ねてきた。 「通訳は必要ですか?」
私は、おそらく自分でも無意識のうちに、背筋を伸ばして微笑み返したと思う。 「いいえ、必要ありません。私自身の職業が、通訳ですから」
それは、絶望の淵にいた私が、唯一手放さずにいた「自分自身」という最後の砦だった。 彼女は「オーケー」と短く頷き、慈愛に満ちた目で私を見つめた。 「では、あなたが今日、一番知りたいことは何?」
私は、心の奥底に溜まっていた澱(おり)をすべて吐き出すように、まっすぐに問いかけた。
「私が持っている、この『英語の力』はいったいどこから来ているのか。それを知りたいのです」
私は彼女に、自分の不思議な半生を語った。 中学一年の最初の授業で、初めてアルファベットに触れたその瞬間から、なぜか自分はペラペラだったこと。発音に苦労した記憶もなく、努力して「身につけた」という感覚が希薄だったこと。
「みんな、最初からこうなんだろう」と思っていた。
けれど
中1の4月に英語を習い始めたばかりなのに、
中2の夏休みにはもう、日常会話なら話せるようになっていた。
中3でアガサクリスティーを原書で読み始めた。
高校2年生の模試で偏差値73を叩き出した。
英検の全ての級に楽々と合格した。
なにかがおかしい、、。
「帰国子女でもない。語学の英才教育を受けたわけでもない。なのに、なぜ私の口からは、こんなにもスラスラと英語が出てくるのですか? この力は、どこから降ってきたものなのですか?」
今思えば、それは母の死を前にした、究極の「自分探し」だった。
母が命を削って工面してくれた留学費用、母が誇りに思ってくれていた私のキャリア。
もし、この英語の力に「意味」があるのなら。
この不条理な現実の中でも、私の人生には何らかの「役目」があるはずだ。そう信じたかった。
私の言葉を、彼女は遮ることなく静かに聴いていた。
そして、私の語りが終わった後、彼女はふっと深く、遠い場所を見るような目をした。
「……あなたの後ろに、一人の男性が見えます。彼は、17世紀の英国にいます」
彼女の口から語られ始めたのは、当時の私が想像だにしなかった、途方もない物語だった。
「彼は、羽ペンをインク壺に浸し、一文字一文字、魂を削るようにして、ある『書物』を翻訳しています。その書物とは……」
え?
今、羽ペンとインク壺、って言った?

Ⅲ 聖書の署名:シェイクスピアと「46」の暗号

「彼は聖書を訳しています。あなたの英語の力は、その時、神の言葉を紡ぐために捧げた命の記憶なのです」
マリー氏の言葉は、私の脳裏にこびりついていたあの「紅茶色のシミ」を一瞬で鮮明な映像へと変えた。教科書の余白に見えていたヨーロッパの男女、羽ペンの走る音、インクの匂い。あれは空想などではなく、私の魂が刻んでいた「記録」だったのだ。
しかし、当時の私はあまりの衝撃に、すぐには信じることができなかった。 「そんな、まさか。聖書の翻訳なんて……」
疑念と興奮が入り混じるなか、彼女はさらに不思議なことを付け加えた。
「その翻訳作業には、ある有名な劇作家も関わっていました。ウィリアム・シェイクスピアです。彼はその聖書の中に、自分の名前をこっそり隠したの。それが証拠になるはずよ」
セッションを終えた私は、何かに突き動かされるように梅田の紀伊國屋書店へと走った。 「もし、これが本当なら……」 洋書コーナーの棚から、最も古い伝統を持つ『キング・ジェームズ版(KJV)聖書』を手に取る。
指先が震え、冷や汗が背中を伝う。
マリー氏が教えてくれた場所を、必死に探した。
「詩篇、第46編……」
ページをめくる音が、静かな書店に異様に大きく響く。私は文字を一つずつ、指でなぞりながら数え始めた。
冒頭から数えて、46番目の単語。 1, 2, 3……45、そして「46」。 そこにあったのは、
"Shake" という文字だった。
心臓の鼓動が耳元で激しく打ち鳴らされる。私は震える手で、今度はその節の最後から逆向きに単語を数え始めた。 後ろから数えて、46番目の単語。 44, 45……「46」。
そこには、"Spear" と記されていた。
Shake - spear.
17世紀の聖書の中に、46という数字を鍵として刻まれた、劇作家の署名。 それが私の目の前で、現実のものとして現れた。

からかわれているのではない。これは、私と宇宙、あるいは神との間に結ばれた、数百年越しの「約束」なのだ。
その瞬間、私は悟った。 なぜ帰国子女でもない私が、突然英語を話せたのか。
なぜ、母の死という極限の絶望の中で、私はこのサイキックに会わされたのか。
すべては、私に「本当の自分」を思い出させるための儀式だったのだ。
母を救えない無力感に打ちのめされていた私に、天は「あなたは、言葉で光を届けるためにここにいるのだ」と、その署名をもって告げたのである。
Ⅳ 結び:ふたを外した今、あなたへ
あれから長い年月が過ぎた。 母を見送り、通訳として、教育者として走り続けてきた。 そして今、私は自分自身の「がん」という新たな課題に向き合っている。
人生のカウントダウンが聞こえ始めた今、私はようやく、長年閉じていた「三度目のふた」を外す決意をした。 Noteの世界でも私は
孤立した教師なのかもしれない。
かつての私なら傷つき、またふたを閉めていたかも。
けれど、今の私はもう迷わない。
海外大学卒の称号も、
国際会議通訳のキャリアも、この「真実」の前ではただの道具に過ぎない。
私が今日、この物語を綴ったのは、かつての私のように「自分の居場所」を見失い、孤独に震えている教え子たちに、この言葉を届けるためだ。
「目の前に現れた課題に全身全霊を込めよ。そこから必ず、道が開ける」
私が1000年の記憶を掘り起こして手に入れた答えは、これほどまでにシンプルで、力強いものだった。
私はペンを執る。
中学の教科書の余白に滲んだあの紅茶色のシミが、いつか誰かの人生を照らす光になると信じて。

★著者紹介★
祝川珠子(しゅくがわたまこ)
兵庫県生まれ。米国ワシントン州シアトル大学ジャーナリズムコミュニケーション学科卒。米国で新聞記者として勤めたのち帰国。国連WHOや、大阪大学医学部国際会議通訳を勤める。ECC外語や母校の関西学院大学講師を含む英語教育歴30年。自身の『池田英語専門塾』開設。父から教育者と武士の厳しい血を、母からシャーマンのもっと厳しい血を受け継ぐ。関西学院大学大学院英語教育研究科修士課程中退。英検1級。
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